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第64話 きっとぜんぶ嘘になる

「貴殿は議論が下手だ」

 

 開口一番でそう宰相に悪態づかれた。

 宰相に呼ばれ彼の執務室に出向き、足を踏み入れた瞬間のことである。

 机の前に立たせられ、騎士団長は瞠目した。


 緊急会議を終え、ようやく一息つけると思った矢先であった。


「あまり公爵閣下に隙を与えるな」

 宰相の目が騎士団長を見据えている。

「はい……」

「貴殿の話しぶり、黙って聞いておったが筋が通っておらんかったぞ」

 机をトントンと叩かれる。

「……あれでは付け入れられる」

「私はいつも、どう議論すべきか貴殿に見本を見せているつもりだが」

「あまり私の話は聞いておらぬようだな」

「……は、いえ、いつも勉強させていただいています」

 うっかり頷きそうになり、騎士団長はすんでのところで切り返した。

 

「貴殿の騎士道などあの男は解さん」

 あの男。宰相の含むものは分かったが、騎士団長は触れずに置いた。

 値踏みするような目を思い出す。

 周囲より高い声が低くなる瞬間、背筋に寒気が走った。

 

 彼に解してもらえると思っていたわけではない。

 ただ、口をついて出た。

 ——感情的になった。

 そう、それだけだ。


「貴殿が此度の件の功労者であることに変わりはない」

「皆認めている。公爵閣下もだ」

「……もっと堂々としておれ」


 そう言って再び書類に目を落とした宰相に一礼し、騎士団長は執務室を後にした。


 廊下に出た途端、張り詰めていたものが緩む。


 会議の場では気が張っていた。

 その後は宰相の説教。

 さすがに疲れた。


 額を押さえ、小さく息を吐く。

 

「あのお」

 

 腰を叩かれ、騎士団長は目を瞬かせた。

 見下ろせば、腰ほどの高さに見慣れた茶色い頭。

 

「お父様にお話があるんですけど」

 ゼトの声に、騎士団長はめまいを覚え壁にもたれかかった。

 なんてわかりやすい息子だ。

 お父様。含みがある時の呼び方だ。

 ゴマを擦る時。からかう時。そして何かしら問題が起きた時。

 そう相場は決まっている。

 ゼトは上目遣いで騎士団長を窺っていた。

 

「……何をやらかした?」

 

「…………」

 黙るな。

 ゼトはしばらく沈黙し、やがて観念したように口を開いた。

「……俺じゃないんだけど」

 なおさら悪いわ。

 騎士団長はゼトの背を軽く叩き、ゼトを連れその場から離れた。

 どちらにしろ、どうせろくなことではない。

 執務室で話を聞こう。

 やらかしたのは、確実。

 問題は誰が、何を。

 騎士団長の頭の中にいつもの顔が浮かび、また溜息がこぼれた。

 


 ◇

 

 

 あれからどうやって戻ったのか、王女は覚えていない。

 ゼトと別れ際どう言葉を交わし、帰ってきたのか、も。


「………………」


 気づけば王女は私室の前にいた。

 護衛が王女のために扉を開いたが、王女の足は動かなかった。


 何か穴が空いたような心地だった。


 私室には、本棚が飾られている。

 隙間なく埋められた本は、どれも王女のお気に入り。

 半数ほどが、公爵からの贈り物であった。


 一歩私室に足を踏み入れると、テーブルの上には書きかけの文が見えた。

 これも公爵へ宛てた手紙だ。

 暖炉上に飾られた小物。

 天蓋付きのベッドにいる相棒のぬいぐるみ。


 王女の思い出は公爵に満ちている。


 なのに。

 

 今は、公爵の顔すら浮かばない。

 ——ルシは、どんな顔で笑っていたっけ?


 おぼつかない足取りでベッドに向かい、そして座り込んだ。

 ぬいぐるみを抱きしめ思案するように俯いた。


 侍女が王女に寄り添い、ベッド脇に膝をついた。

「……どうかされましたか、王女殿下」

 優しい語り口であった。

 侍女を見やると穏やかな笑みを浮かべていた。

 ——ルシもいつもこうして笑っていた。

 ——……はずなのに。

 じっと侍女を見つめるが、公爵の顔がどうしても浮かばない。

 王女は唇を噛んだ。

 

「……おやつのじかんですよ、殿下」

「おやつ……」

 そうだ。王女が思い出して口を開いた。

「……今日のおやつ、ゼトにあげて」

「約束したから」


「……疲れたからわたし、休みたい」


 そうして布団に潜り込み、王女は目をつぶった。


 夢であればいい。

 悪い夢だ。

 良くない嘘だ。


 耳の奥で、まだ声がする。


 場を支配する公爵。

 よく通る声。穏当な語り口。

 しかしその中に、刺すような棘がある。

 顔は見えない。

 

 王女には分かる。

 

 笑っていない。

 

 ——いつもの、ルシじゃない。


「違う、そんなルシいない」

「きっと明日になったら」


 きっとぜんぶが嘘になる。


 

 次に王女が目を覚ましたとき、部屋の中はベッドに入ったとき同様、明るかった。

 窓から日の光が差し込み、部屋を照らしている。

「…………」

 王女がもそりと起き上がると、室内にいた護衛が侍女を呼びに行った。

 

 呼ばれた侍女が湿ったタオルを片手に王女に歩み寄ってきた。

「お加減はいかがですか?殿下」

 また、起きる前と同様に膝をつかれ、タオルを手渡される。

 人肌ほどの温かさのタオルで顔を拭いたところで、王女が眉をひそめた。

「……何時?」

「もう朝でございますよ」


 見回した王女の部屋は、いつもと何も変わらない。

「昨日はご気分が悪かったのですか?」

「……少しだけ」

 侍女の問いに言葉数少なく答える王女。

 侍女がためらいがちに、こう告げた。


「昨日、殿下がお休みになられた後、公爵閣下が殿下をお訪ねになったんです」

「また、時間を割いてご挨拶にいらっしゃるそうです」


「閣下はこの度の件でしばらく王宮に常駐されるとのことです」

「……殿下もご不安でしょうが、閣下がいらっしゃいますから」

「ご安心ください」


 王女を気遣う侍女の声が、流れるように王女の耳を通り過ぎていく。

 ——ルシ。

 変わらぬ部屋。

 変わらぬ本棚。

 変わらぬ小物。


 視線がぬいぐるみに落とされ、王女の唇が震えた。


 ——ルシの顔が、戻らない。

 

「……そうなんだ」

 淡白な王女の声に、瞠目したのは侍女であった。

 

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