第58話 楽しかったですか?
王宮の玄関ホールに、鈴の音のような声が響いた。
「王女殿下、お招き頂きありがとうございます」
二人の小さな淑女。
ワンピースの端を摘んで優雅にお辞儀。
重厚な絨毯に、深緑色と水色の小さな靴が映えている。
緊張した面持ちで、王宮にやってきた二人。
王女がその正面で二人を迎える。
すう、と一つ息を吸い、用意したように笑顔を浮かべた。
「リリアンヌ嬢、フローラ嬢」
「いらっしゃい、待ってたよ」
リリアンヌ嬢、そう呼ばれたくるくるした栗毛の少女が落ち着かぬようにホールを見渡している。
フローラ嬢は、サラリと流れる金髪の少女だ。
胸の前で両手を握りしめ、王女を見つめている。
どちらも交流会でお絵かきを通じて王女と交流を深めた令嬢であった。
公爵が呼んだのだ。
王女の後ろに控えていた公爵が一歩歩み出た。
「本日は招待に応じて頂きありがとうございます」
「本日のため、王女殿下はお二人に楽しんで頂けるよう心を尽くされました」
「どうぞごゆるりとお過ごしください」
目の前の小さな淑女に恭しく礼。
そしてその後ろに控える二人の婦人に手を差し出す。
「……ご婦人方はどうぞこちらへ」
「私もご婦人方のために茶の席をご用意させて頂きました」
「……私と、お話して頂けませんか?」
公爵が婦人を案内するのと同時に、王女が前へ出て、二人に声がけた。
「……行こう、今日は天気がいいから、温室にティーセットを用意したの」
「美味しいお菓子も、二人のために用意したんだよ」
最上級の微笑みで迎える。
そして公爵がチラリと王女を振り返ると、王女が小さく頷いた。
——大丈夫、ルシと練習したから。
ガラス張りの庭園は、王宮の奥、王族の私室空間にあった。
秋風から守られ、暖かい日差しが室内に溶け込み、花々を照らしている。
木漏れ日の差し込む空間に、三人分のティーセットが用意されていた。
ティースタンドに飾られたクッキーやプチケーキに令嬢たちが目を輝かせている。
「……全部食べていいんだよ」
王女の言葉にリリアンヌ嬢が目を瞬かせた。
そしてフローラ嬢と二人目を見合わせている。
「二人が好きなものを選んでいいんだよ」
その言葉を聞き動いたのはリリアンヌ嬢の方であった。
チョコレートケーキを皿に取り置き、笑んだ。
そしてフローラ嬢が遠慮がちに紅茶色のケーキを選んだ。
二人の様子を見て、王女が最後にクリームで彩られたケーキを選んだ。
「リリアンヌ嬢、今日のワンピースも素敵だね」
「……ママが刺繍してくれたの?」
王女の視線がリリアンヌ嬢の胸元に行った。
ケーキを頬張っていたリリアンヌ嬢がピクリと反応した。
「うん!」
よく気づいてくれた。そう言わんばかりにリリアンヌ嬢が胸を張った。
「この間殿下に刺繍を褒められたって言ったら、ママがこのワンピースも縫ってくれたの」
胸元を摘むリリアンヌ嬢。深緑のワンピースに、繊細な紋様が彩られている。翼を広げる鳥だ。
「……素敵だね」
目を細めた王女に、リリアンヌ嬢が気をよくしたように笑った。
王女と同様にフローラ嬢もリリアンヌ嬢の胸元を羨ましそうに眺めていた。
その長い髪を留めるようにバレッタが飾られていた。
「……フローラ嬢のバレッタも、素敵」
今度はフローラ嬢が目を丸くする番だった。
「今日初めて見た」
細く長い上品なべっ甲のバレッタ。飴色をした飾りの周囲に星のように輝く石が散りばめられている。
「……あっこれ……」
フローラ嬢がそのべっ甲に触れるように長い髪を流した。
王女に向き直った少女の顔がほんのりと赤らむ。
「殿下が招待してくださったことを父が喜び……祝いの品としてもらったんです」
「とってもよく似合ってるよ」
控えめなフローラ嬢。王女の褒め言葉に感激したように、白い歯を見せ笑った。
フローラ嬢がおずおずと王女に声をかけた。
「殿下は、いつも美しいバレッタを飾っておられますね」
王女の後ろ頭を覆う金細工。大きな紫水晶が細工の真ん中で輝きを放っている。
今では王女を象徴とするものとなっていた。
「……うん、大事なものだからずっと付けてる」
「どなたかからの、贈り物ですか」
「…………」
以前は、喉が詰まった。
聞かれる度、自分を差し出さなければならないようで。
けれどもう、王女は大丈夫。
お茶を一口すすって答えた。
「……これは、ローデンバルド公爵がくれたものだよ」
お茶会は順調だ、二人は自らが持ち寄った話題で場を温めてくれている。
王女は相槌を打つだけでいい。
そしてふいにリリアンヌ嬢が王女に問うた。
「殿下はどんな本が好きなの?」
!きた。
王女は身構えた。
大丈夫。予習している。
公爵との会話を思い出す。
「殿下はどんな御本が好きですか?」
目の前の公爵に、王女は真剣な面持ちで答える。
「お姫様と王子様が出てくるお話が好き。特に読み終わると幸せになる本が」
目の前の公爵をじっと見つめる。
「ルシのご趣味は何?」
「え?私ですか」
予期していなかったように公爵の目が瞬いた。
「私の情報は不要ですよ殿下、練習なのですから」
「ダメ!わたしが言ったんだからルシも秘密はダメだよ!」
王女が公爵の膝を叩くと彼が怯んだ。
「ええと……強いて挙げるなら音楽鑑賞でしょうか」
「楽団が領地に来ると、招待状が届くので……以前はよく劇場に足を運びました」
「ルシの趣味は音楽鑑賞」
「私は問われたらそう答えています」
良いことを聞いたと王女は思った。
忘れぬよう、頭の中に綴り書きをする。
「わたしも今度聞いてみる。ルシも招待状が来たら誘ってね」
公爵は頷き続ける王女を尻目に「趣旨が違うな……」などとぼやき、首を傾げていた。
ルシは、いつ音楽鑑賞に誘ってくれるだろうか。
王女には音楽は分からない。
けれど公爵とお話ができるのであれば、学ぶ意欲も湧いた。
——殿下、殿下?
——殿下、どうしました?
ふいに声がした。
正面を向くと、不思議そうに王女を見つめる令嬢たち。
そうだ、お茶会の途中だった。王女が頭を振って気を取り直す。
「えっと、わたしの好きな本はお姫様や王子様が出てくる本」
「リリも絵本好き、まだ読めない文字はね、ママが読んでくれるの」
リリアンヌ嬢は、王女よりも幾分か幼い令嬢であった。
王女も通った道だ。王女も読めない字があるときは、よく公爵に読み聞かせをしてもらった。
読めるのに、せがんだこともある。
「私も本をよく読みます。私は……勇者様とかがでてくる本が……好きなんです」
令嬢にしては珍しい好みであった。
冒険活劇は、王子が好むような書物だ。
ふと、王女が恥ずかしげなフローラ嬢を眺めているとフローラ嬢の茶が減っていないことに気づいた。
その隣のリリアンヌ嬢の茶は、半分残っている。
王女が茶を一口すする。
少し苦い?美味しくないのだろうか?
「フローラ嬢、お茶冷めちゃった?変えようか?」
王女が提案すると、フローラ嬢が焦ったように手を降った。
「いいえ、大丈夫です。お気遣いなく」
けれど、茶は減っていない。
このときの予習はしていない。王女は困った。
ケーキも、焼き菓子も食べたのに。
口の中はパサパサじゃ?
「…………」
——シエル、大丈夫……。
ふと、王女の脳裏に昔の自分が過った。
大丈夫、は大丈夫ではなかった。
王女の大丈夫は、痩せ我慢だ。
「…………」
王女は意を決し、柔らかく微笑んだ。
「……おすすめの果実水があるんだよ」
「二人に飲んでほしいな」
フローラ嬢が瞳を右往左往させ、そして王女に微笑み返した。
「……はい、よろこんで」
そしてリリアンヌ嬢も手を挙げて提案に乗る。
「……王女殿下は、字がお上手ですね。頂いた招待状は殿下が書かれたんですよね」
「そうだよ」
フローラ嬢は話し始める前にまず王女の様子を窺う。
「そういえばママがね……」
リリアンヌ嬢は大抵の話に母親を絡める。
王女が目を細めて返す。
「リリアンヌ嬢はママが大好きなんだね」
リリアンヌ嬢が無邪気に笑っていった。
「うん、大好き!」
「ねえ殿下は?ママのこと好き?」
突如、空気が凍った。
フローラ嬢が慌ててリリアンヌ嬢の口元を押さえた。
側にいた使用人すら、顔を見合わせている。
誰も何も言わぬのに、誰もが異変を感じ取っていた。
王女は首を傾げた。
「……わたしのお母さまはいないよ?」
周囲の空気は凍ったまま。
王女が口を開こうとする度、周囲が身を固めた。
「?」
異様な空気だ。王女が手元のグラスを引き寄せ果実水を口にした。
フローラ嬢が何かしらを耳打ちすると、リリアンヌ嬢が失態に気づき、青ざめた。
「ご、ごめんなさい、王女殿下」
気の毒なほど顔面を蒼白にしているリリアンヌ嬢。
目元に涙がたまっている。
「……どうして謝るの?」
王女の疑問は圧へと変わる。
そこに王女の含みがなかったとしても、周囲の受け取り方は別であった。
困ったのは王女だ。
勝手に空気が変わった。王女は頑張っているのに。
「うーん……」
王女の母の話題は禁句らしい。
王女ではない、周りがそう決めていた。
目の前でリリアンヌ嬢が泣きはじめ、それをフローラ嬢があやしている。
王女にとって、ママは——。
「気にしないで」
王女の声に、二人の顔が上向いた。
「リリアンヌ嬢はママが大好きなんだよね」
「う……うん」
「わたしもママじゃないけど大好きな人がいるよ」
リリアンヌ嬢のすすり泣きがすこしずつ止む。
「えっと……どなたですか」
「今リリアンヌ嬢とフローラ嬢のママとお茶してる人だよ」
二人の瞳が瞬いた。
未だリリアンヌ嬢は鼻をすすっている。
元気な姿に戻るにはもう少し時間がいりそうだ。
王女はリリアンヌ嬢の背中をずっと擦っているフローラ嬢を見やった。
「フローラ嬢も好きな人いるの?」
「えっ」
フローラ嬢どころか、侍女も給仕も、周囲が王女を見やって絶句した。
あまりにも急な話題運びであった。
王女は平然としている。じっとフローラ嬢を見つめ、答えを待っている。
慌てたのはフローラ嬢だ。
「ひえっ好きな人……ですか」
「うん、パパ?ママ?」
「パパも……ママも……尊敬してますけど……」
「好きな人は……その……」
言い淀むフローラ嬢。
聞き方がおかしかっただろうか。王女は首を傾げた。
「ん?」
「あの……言えません……」
いつの間にか復活していたリリアンヌ嬢が不思議そうに首をかしげている。
「なんで?フローラ嬢、エリオス殿下に会いたいって言ってたよ?」
「リリアンヌ嬢!」
フローラ嬢がまた、リリアンヌ嬢の口を塞いだ。
「お兄様……?」
王女の脳裏に、大きな笑い声を上げる王子が入ってきた。
この王子に会いたい?
王女は眉をひそめた。
「えっと……お兄様に会いたい?」
「あっお気になさらず、王女殿下にお会いしに来たんです、本当に」
「もし、王子殿下にもお会いできれば……というだけで」
「なんで?」
今度こそ、本当に王女の言葉は圧になった。
「えっと……えっと……」
今度はフローラ嬢が泣きそうだ。
「……以前、王子殿下に……優しくしていただいたことがあり……」
「お兄様が?優しく?間違えてない?」
「いいえ殿下のお姿を間違えるはずがありません」
「あの時の殿下が忘れられなくて……」
「なんで?」
王女は理解に苦しんだ。
温室から、チラリと王子の部屋のある場所を見上げる。
「……えっと……呼ぶ?」
嫌だけど。
「えっ」
フローラ嬢の頬がふわりと赤らんだ。
まるで花開くように。
王女が提案すると、側にいた侍女が慌てて王女に耳打ちした。
「あっそうだった」
王女が口元に手を当てた。
「お兄様今謹慎中だった」
「ええ……?」
背後の侍女が額に手を当て天を仰いだ。
そしてテーブルから茶菓子が消え、代わりにお絵かき帳が乗った。
各々好きなものを描いている。
静かな時間であった。会話をしなくていい。
王女の心が凪いだ。
一生懸命スケッチ帳に向かうリリアンヌ嬢を、王女が覗き込んだ。
「リリアンヌ嬢、何を描いているの」
「花壇に咲いてるお花だよ」
リリアンヌ嬢が指さした花は白だ。
だがリリアンヌ嬢の手に握られている蝋筆は橙に染められている。
「……どうしてオレンジなの?」
「オレンジが好きだから」
「あの、王女殿下」
フローラ嬢が、横から声をかけた。
「王女殿下を描かせていただいてもいいですか?」
「……どうして?」
「えっと、殿下は絵本のお姫様みたいで……描きたくなったんです」
恥ずかしそうに王女を上目遣いで見やるフローラ嬢。
まだ王女の機嫌を伺っている。
「うーん……いいよ」
そして二人が王女のスケッチ帳を覗き込んだ。
そこに描き込まれた人型に、王女が青い目を入れるところであった。
「殿下は何を描いているの?」
「ローデンバルド公爵」
二人は先程から何度もその名を聞いていた。
戸惑ったフローラ嬢が、ようやっと声を振り絞った。
「殿下は……本当に公爵様が好きなんですね……」
「うん、好きだよ」
「大好きだよ」
日は沈み、あっという間に夕刻であった。
二人の令嬢の姿は、今は城門前にある。
その両手に、王女からの土産の品を抱えている。
「……今日は楽しいお時間をありがとうございました」
フローラ嬢が深々と礼をした。
「……こちらこそ、ありがとう」
お土産を抱きかかえ、モジモジとフローラ嬢が上目遣いで王女をみている。
「……今度は私の屋敷に、お誘いしてもよろしいですか」
リリアンヌ嬢が負けじと声を張った。
「リリも!リリのお家にも来てほしい!」
「ママも来てほしいって!」
後ろの婦人が元気な我が子に慌てている。
「…………」
二人が、王女の返事を待っていた。
リリアンヌ嬢。フローラ嬢。
色々あったが、それでも今日の王女の心は凪いでいた。
——嫌いではない。
「……うん、呼んでほしい」
二人と、二人の婦人を乗せた馬車が遠ざかり、王女がくるりと後ろを振り向いた。
「ルシ、わたしできたよ!」
背後で見守っていた公爵に小走りで駆け寄っていく。
報告することが、たくさんある。
膝をついた公爵が、興奮した王女の言葉を聞きながら相槌を打つ。
王女の頭の中で何度も撫でてくれた手が今日、初めて王女の頭に落ちた。
「ええ、とても良く頑張りました」
「外は寒いので、中に入ってお話をお聞きしましょう」
公爵が立ち上がり、王女を促す。
夕陽が二人を照らし、石畳に影が寄り添うように落ちる。
「……殿下は楽しかったですか?」
「楽しかった?」
不思議そうに公爵を見上げる王女。
公爵が重ねる。
「はい、殿下は今日、楽しかったですか?」
「うーん」
難しそうに王女が俯いた。
「大変だった」
「リリアンヌ嬢は泣いちゃうし……フローラ嬢はお兄様が好きとか言うし……」
「とっても大変だった!」
だが、公爵の手を握っている手は機嫌よく公爵を振り回している。
「でも、嫌じゃなかったよ」
「そう……」
「またお呼びしましょうか?」
一拍置いて、王女が頷いた。
「……うん、呼びたいな」




