第57話 今日は泊まっていきなさい
風呂から上がり、タオルで頭を拭いて鼻歌を歌う。
隣りにいたゼトは飲み物を取りに走っていった。
使用人に案内され、客間に向かったところ、それはいた。
「げえっ!」
それを見た王子の第一声がこれであった。
それは客間のソファで足を組み、優雅にグラスを傾けながら王子を見やった。
「……何故我が家に殿下がいらっしゃるのか」
「ゆっくりお聞きしたいところですが」
「まずはご挨拶が先でしょうな」
「……ようこそおいでくださいました、エリオス殿下」
歓迎の言葉を述べる騎士団長の目は、据わっていた。
ゆっくりとソファから立ち上がる騎士団長。
大男が、王子に向かってくる。
王子が思わず後ずさった。騎士団長の一瞥が王子をつらぬく。
王子はすっかり鷹の前の雀である。
そして騎士団長の手が王子の両肩に乗った。
騎士団長は憮然としている。
持ち上げられるように引きずられ、ソファに押し込まれる。
ついでにタオルで頭を擦られた。
対面に座った騎士団長がため息をついた。
「……私に言うことは?」
「なんでバレた?」
騎士団長がテーブルを叩いた。
「ごめんなさい!」
反射であった。王子の口から謝罪の言葉がついて出る。
騎士団長がグラスを手にした。
いつもの甲冑は取り払っている。髪は湿っていた。
騎士団長は宿舎にいたはずだ。何故帰ってきた。何故俺の居場所を知っている。
王子の聞きたいことは山ほどあった。
……相手も同様であろうが。
客間に小さな姿が現れた。
トレーにグラスと皿を乗せている。
「……お帰りなさい、お父様」
訝しんだ騎士団長が現れたゼトを見やった。
騎士団長が口を開く前に、ゼトが矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「僕は被害者です」
そして王子にグラスを手渡し、皿を騎士団長の手元に置いた。
橙色の液体で満たされたグラスの中に、果実の輪切りが浮いていた。
口の中が砂糖の甘さと仄かな酸味で満ちる。
王子は怒られていたことも忘れて笑った。
「美味しいなこれ!」
「だろう?おふくろが作ったんだ」
黙って聞いていた騎士団長が皿の上のチーズを摘んだ。
そして続いて伯爵夫人が姿を現した。
よく見れば華奢な夫人であった。
膨らんだドレスで隠しているが、腕は細い。
穏やかそうな顔の女性であった。
どこか、ゼトを彷彿とさせた。
「殿下、あまりおもてなしもできなくて申し訳ないのですが」
「お腹は空いておられませんか?」
「空いてる空いてる!」
「あなたじゃないのよ、ディゼ」
夫人の持つトレーには、湯気の立つ木皿が二つ乗っている。
先程から香しい香りもする。
王子が頷いた。
「……頂こう」
手渡されたカトラリーで木皿に入った乳白色のスープを掬った。
ほのかに牛の乳の香りがする。大きな野菜と肉。具だくさんだ。
王子は夢中で木皿を空にした。
「夫人、とても美味しい!」
王子に褒められた夫人が「まあ」と明るい声を上げた。
「嬉しいわ殿下、たくさんおかわりがありますからね」
「夫人が作ったのか?」
「ええ、お料理が好きなんです」
「今日はたまたま、台所に立っていたものですから」
「じゃあ……もう一皿」
王子が空になった木皿を差し出した。
王子が笑い、夫人もまた微笑んだ。
「殿下、苦手なものはありますか?」
「ない!」
「それは良かったわ」
「嘘つけ。おふくろ!エリオスはピーマンが嫌いだ」
「……あら、ディゼと一緒なのね殿下……」
「……殿下」
静かだった騎士団長が口を開いた。
「もはや咎めませんが」
王子は身構えた。咎めないと言いつつ表情は据わっている。
騎士団長の顔が、体勢が、圧が。
王子に今から起きることを予期させた。
隣に座っていたゼトが逃げるように席を立った。
裏切り者め。王子は歯を剥いた。
「王宮が、今どんな騒ぎになっているかお分かりですか?」
「どうやって抜け出してこられたかはあとでじっくり聞くとして」
「王太子としてのご自覚を……」
「咎めてるじゃないか!」
騎士団長と王子が睨み合う。
食卓に剣呑な空気が漂い、それをかき消すかのごとく、テーブルに酒瓶が置かれた。
夫人だ。その背にゼトが張り付いている。
「……まあまあ、もう夜ですからそのくらいにして」
「殿下、我が家はいつでもあなたを歓迎しますよ」
「おい!」
騎士団長が夫人を見やった。
夫人は空になったグラスに酒を注ぎ、そして騎士団長の口に押し付けた。
騎士団長の喉が鳴る。
「……お酒を飲みながらの説教は禁じ手です」
「そうだぜ、酒乱親父」
ゼトが夫人の後ろでやいのやいのと囃し立てている。
騎士団長がそれを睨めつける。
「だがな……この方は王太子だぞ」
「ご自身のお立場を自覚してもらわねばならんのだ」
夫人がまたグラスに酒を注ごうとして、騎士団長がそれを制した。
「ディゼは帰ってくるといつもあなたのお話をしてくれるんです、殿下」
「俺の?」
「ええ、今日は殿下と何をした、今日は殿下が何を言った」
「とても楽しそうです」
「よせやい、おふくろ」
夫人が背後のゼトを撫でた。愛おしそうだ。
王子は自然と、拳を握りしめていた。
「……だから……」
騎士団長が口を開いた。
そして夫人が酒瓶ごと騎士団長の口に押し当てた。
口を開く度黙らせられる騎士団長。
酔ってきたのか、ついには騎士団長がうつむいた。
「殿下にごあいさつさせて頂きたいとずっと思っていたので、良い機会を頂きました」
「……本当に、想像していたのとそっくりで」
「元気で利発なお子で」
「……それにとてもハンサム」
「だろう!」
もう敵はいない。テーブルに突っ伏して潰れている。
夫人の褒め言葉に王子は上機嫌だ。
「これからもこの子と仲良くしていただけると、嬉しいわ」
「……夫共々」
「わかりました殿下……今日は説教はやめておきましょう」
テーブルに突っ伏していた騎士団長がのそりと起き上がった。
「……家内に先を越されましたが、我がバルトルト家はいつでも殿下を歓迎いたします」
「……しかし、来るときは来ると言っていただかねば」
「歓迎の用意ができません」
また、小言を言っている。
酒を飲んでも変わらぬな。
王子は思った。だが小言ですら心地よい。
突然現れた王子に対し、夫人は優しく、ゼトも受け入れ、そして騎士団長すらこの様だ。
——本当は、ゼトの姿を見たらすぐ帰る予定であった。
無性にやつの顔が見たくなった。
ただそれだけであったから。
「ああ、肝に銘じておくよ。説教は甘んじて受けよう」
「宰相よりマシだろう」
「……当然宰相閣下からも説教はされますが?」
王子は歯噛みした。余計なことを聞かなければよかった。
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「……でさあ、エリオスは何しに来たんだよ」
客間のテーブルに所狭しと複数の盤上遊戯が並べられている。
遊びに講じては新たな盤上遊戯を持ち出して片付けない。
「別に」
「……宰相と喧嘩しただけだ」
王子がむくれてそっぽを向いた。
「……いつものことじゃん」
「別に」
「……お前の顔が浮かんだだけ」
王子が駒を指で弾いた。
「殿下そろそろ寝たらどうですか」
聞き慣れた声であった。
しかしここで聞くにはおかしい声だった。
「ああん?」
王子が振り向くと、そこにタオルで頭を覆った男がいた。
肩から湯気が湧いている。
タオルの隙間から見える顔は、見知ったものであった。
「お前なんでいるの」
単純な疑問が口からついて出た。
見やった騎士団長が手招きし、男に座るよう促す。
そしてタオル片手に男が騎士団長の正面、王子の隣に座り込んだ。
「こんばんは、王子殿下」
「俺も団長のお屋敷に泊まらせてもらうことにしました」
王子は知っている。
己に仕える近衛騎士の一人だ。
「だからなんでいるんだ」
「殿下気づかなかったんですか?」
はて?と近衛がわざとらしく首を傾げた。
「俺今日殿下をずっと張ってたんですけど」
「はあ?」
騎士団長が無言で近衛兵に酒を手渡した。
そして二人のグラスが鳴った。
「そういうことです殿下」
「近衛から逃れられると思っている殿下は甘い」
「おーおー、近衛のが一歩上だったなエリオス」
「ぐぬぬ……」
ゼトが盤上に駒を置いた。
「安心したぜ、俺は親父が終わったと思ったからさあ」
「それに備えて靴磨きの練習をしようと思ったぜ」
近衛兵が聞いて笑う。
「俺も必死で殿下について行った、見失ったら失職だからな」
「お前近衛兵なったの後悔してる?」
「……うーん、でも雨樋伝う王子の姿は見てて面白かったかな」
近衛兵の言葉にゼトと騎士団長の声が揃った。
「それは見てみたかった」
「……不敬だぞお前たち!」
すべて王子の眼前で行われた会話だ。
王子が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そうだ殿下、宰相閣下から伝言です」
「……なんだ?二度と父上のことは言わないって言ってたか?」
「いいえ」
「殿下は今日から一週間、謹慎……だそうです」




