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第56話 開けたくねえな

 先程から、自室の窓を叩く音がしていた。

 歪な音とともにガラス窓が揺れていた。

 

「ゼト……ゼト開けろ!早く!」

 外から聞き覚えのある文句まで飛んでくる。


 ——開けたくねえな。

 ゼトは心底思った。

 カーテンを開ければそこには濡羽色が広がっているだろう。

 そしてここは二階。正気ではない。


 だが、開けねばならない。

 騒がれる前に。

 

 嫌々カーテンを開けて窓枠に手を掛けた。

 開け放つと待っていたかのように濡羽色の塊が部屋へ転がり込んできた。

 

「……寒い!」

 人の部屋に入るなり、王子はベッドの毛布を引っ張って包まった。

 寒いだろうよ。季節は秋真っ只中。それも夜だ。

 その夜に、何をしに来たこの王子。

 ゼトはそっと開け放たれた窓の外に目線を落とした。

 門前、灯籠の傍には門兵の姿があった。


 窓を閉めて一度息を吸う。

 そして毛布に包まった異物を見やった。

 やはりいる。吸った息をゆっくり吐いた。

「……焦ったほうが負けだ……」

「なんだって?」

「一応聞くけど……なんで来た?」


 王子がゼトを見つめている。

 何やら顔は不服そうだ。

「なんだよ、ちょっと驚かそうと思ってきたのに」

 驚いてる。

 まだお前の存在を頭が受け付けてないだけだ。

 

「……特に用事はないけど……」

「眠れなかったから」

「眠れなかったから!?」

 思わず突っ込みが漏れて口を抑えた。

 やめろ、夜中だ。


「門兵に見つからなかったのか?」

 王子が毛布から顔を出し、歯を見せ笑った。

「塀を伝ってきた!」

 なんで?ゼトは言葉を飲み込んだ。頭の中は整理できていない。

「窓からお前の姿が見えてな、雨樋を伝ってきた」

 そういえばさっきカーテンを閉めた。

 あの時にはもう屋敷の敷地に忍び込んでいたのか。

 塀から雨樋に飛び乗って我が部屋まで。


 想像し、ゼトはもう耐えられなかった。

 

「猿かよ!」

 

「お前王子じゃん!」

「なんでウチ来た?なんでウチ知ってる?」

 溜めた分突っ込みが吹き出した。


「ハッハッハッそれそれ!」

 それそれ、じゃない!王子はケラケラ笑っている。

 

「この間城下に出たとき騎士団長に場所教えてもらった」

「抜け出せたから来た!」

 今頃親父は宿舎だろうか。

 王子の脱走を知って殴るのは王子か俺か、どちらだろうか。

 ……俺は被害者だ。

 

「無茶するぜ……」

「近衛がいると何もできなくてな」

「でも上手いこと近衛を撒けたぞ」

 王子は悠長だ。人差し指と中指を突き出して勝利のポーズ。

「案ずるな、気づかれない内に帰るから」

 もう手遅れだろうが。

 

 コツコツコツ。

 ゼトの耳に不穏な足音が届いた。

 奴だ。奴が近づいてくる音だ。

 

 ゼトは王子に寄って毛布で頭ごと覆った。

「なんだ!」

「隠れてろ、何も言うなよ!」

 耳を研ぎ澄ませていると、足音はやはり我が部屋の前でピタリと止まった。

 

「ディゼ、あなた騒がしいわよ」

 おふくろだ!

 ゼトは扉前に走った。そしてドアノブを両手で抑える。

「あっごめんなさいお母様、すぐ寝ます~」

 猫なで声で夫人を躱そうと努める。

 しばしの無言のあと。

 夫人の力はゼトより強かった。

 ゼトの抵抗虚しく、扉が開け放たれた。

 

「何隠してるの」

「隠してないですぅ」

「あなた嘘つくとき分かりやすいのよ」

 夫人の目が一番見られたくないものを捉えた。

 獲物を狩る猛禽類のような目だ。

 ひたひたと毛布に近づいていく。

「その毛布の下、また犬でも拾って……」

 ゼトが毛布ごと王子を抱いた。

「そう!犬!可愛くて連れてきちゃったんだ!」

「わんわんわん!」

 

 ゼトが毛布を撫でくりまわす。

 中の王子がまた「わん」と鳴いた。

「………………」

 夫人の目が冷たくゼトを貫く。

 そして無言で毛布を剥ぎ取り、中から現れたものを見て、夫人は目を丸くした。

 

「……お邪魔している……伯爵夫人」

「紹介する、エリオス王子殿下だ、おふくろ」

 ゼトはもう降参だ。

 あとは頼んだ、おふくろ。


 どれだけの時間が立ったか分からない。

 夫人の目が頭から足の先まで王子を見やっている。

 王子もゼトも夫人の次の行動を待っている。


 そして事態を飲み込んだ夫人が王子に深々と頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります……王子殿下」


 そして屋敷中が騒ぎだした。

 王子の身柄を確認した夫人は使用人達に指示を飛ばし始めた。

 よく見れば王子は汚れだらけであった。

 どこを冒険してきたのか、鼻先や頬に煤を付け、上等な衣にはクモの巣が張り付いていた。

 触れた王子の指先は冷たかった。

 夫人にそれを見咎められ、王子は浴場に放り込まれた。

 そしてゼトまでもが押し込まれた。

 

「お前の屋敷、風呂広いな」

 王子が水鉄砲でゼトの顔に飛沫を当てた。

 ゼトは無言で水鉄砲を打ち返した。

 延々と行われるそれは終わりが見えぬ戦いであった。

「……思ったより、だろ?」

「親父が風呂好きでね」

 

 眼前には二人が泳いでも差し支えないような広さの浴場。

 湯気で天井は霞み、石造りの猛獣の口から湯が吹きだしている。


「……お前、母親からディゼって呼ばれてる?」

 ああ、さっき呼んでいたか。

 ゼトは独りごちた。

「俺の愛称」

「……ゼトなのに?」

「……本名は、ディゼトラルだ。ディゼトラル・バルトルト」


 ゼトが水鉄砲を打つと、王子が目を瞬いていた。


「俺知らなかったぞ」

「出会った時もお前……本名教えてくれなかったってことか?」

 次は口を尖らせた。

 抗議のように王子が水鉄砲を何発も打ってくる。

 ゼトの顔はビチャビチャだ。

「みんなゼトだのディゼだの呼ぶからな、最初からそう名乗ったほうが楽だ」


「お前のことすら知らないことが多い」

「別にいいだろ、知ってりゃいいってもんでもないし」

 水飛沫が止んだ。しかし見やった王子の顔は晴れぬ。

 ゼトは頭を掻いた。

「……なんか……長ったらしい名前が恥ずかしかっただけだよ、俺は」

「今度からディゼトラルって呼ぶか?」

「やめろやめろ仰々しいよ」

「……じゃあ、ディゼ?」

「人の名前で遊ぶのやめろよ!」

 今度はゼトが水鉄砲をお見舞いする番であった。

 王子よりも早く連射する。

 ゼトは水鉄砲は得意だ。


「……お前の名は騎士団長がつけたのか」

「ああ、名付けの意味は知らん」

「……そうか」

 王子の視線が湯船に落ちた。

 心なしか、声音が幼い。

「俺の名も、父上がつけてくれた」


「父上は…… 」

 王子が顔を湯船に沈めた。

 ゼトが驚いて見やるが、上がってこない。

「おい」

 湯船を叩いて王子を呼ぶ。上がってこない。

 もう一度。


 そしてようやっと湯船から顔を出した王子の瞳は、揺らいでいた。

 ゼトは声をかけるのを戸惑った。



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