第54話 クソガキ共
黒く艶めく甘い菓子。そこにカトラリーが差し込まれ、菓子になだらかな断面が刻まれていった。
カトラリーに乗った菓子が、王子の口元に運ばれていく。
濡羽色のまつ毛に彩られた紅玉が、ゆっくりと細まる。
セヴェルは何故か、その様をずっと見つめていた。
「やっぱチョコレートケーキって世界の至宝だぜ」
「お前……それモンブラン出されたときも言っていたぞ」
「モンブランも世界の至宝だぜ」
王子の隣に座ったゼトがしみじみ語っている。
「菓子職人の魂が宿っている」
馬鹿なことも言っている。
王子がそれを聞く度に肩を震わせていた。
セヴェルの前のケーキは手つかずのままだ。
ティーカップを口元に運び、茶を一口。
王子の私室に通されたのは、これが初めてだ。
紺色の重厚なカーテンには、金糸の装飾が縫い込まれている。
壁に飾られた綴れ織りが存在感を放っていた。
王太子らしく、豪奢な装飾が目立つ室内であった。
だが目についたのは、暖炉わきに立てかけられた木剣や無造作に積まれている本だ。
そして誂えられた豪奢なソファに沈み込む子供三人。
目の前の二人の笑い声が室内に響く。
セヴェルはなんだか、この場に自分は不釣り合いな気がしていた。
王女に拒絶されたあの日。
親に手を引っ張られ、引きずられるようにして逃げた。
屋敷に戻ってきたセヴェルを待っていたのは、当然のごとく叱責であった。
王女に何をしたんだ。こちらが聞きたい。思ったがセヴェルは耐えるしかなかった。
父の怒声は一晩中屋敷に鳴り響いていた。
「宰相閣下に申し訳が立たぬ」
その一言で十分だった。
父が怒っていたのは、王女に無礼を働いたからではないのだ。
風聞紙も面白おかしく騒ぎ立てていたらしい。
あれからセヴェルは鼻つまみ者であった。
そのセヴェルを、この王子は。
目の前の王子に目をやると、王子が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
カトラリーをセヴェルに指している。
それは無作法ではないのか。
セヴェルが王子を睨めつけた。
「お前、ケーキ食べないのか」
「……頂きますよ」
「食器はそのように扱うものじゃありません、殿下」
パシッ。軽い音が室内に響いた。
セヴェルが王子の手を叩いたのだ。
「教育係かよ……」
王子が手を引っ込め、カトラリーを皿に置いた。
「失礼です」
「ひゅう、口うるさいのが増えたなあエリオス」
セヴェルがゼトに向き直った。
「君も。側近ならそのガサツな振る舞いを直すべきだと思う」
ゼトが口をとがらせた。
セヴェルがティーカップを持ち上げた。
「うええ~俺は好きで側近やってるわけじゃねえ……」
「譲るぜ」
ゼトもティーカップを持ち、セヴェルのカップを軽く叩いた。
キンッ。高い音が鳴る。
「いりません」
その応酬を見ていた王子は不機嫌そうに頬を膨らませた。
——むくれてるお前が気に入った。
あれから王子は、交流会でセヴェルの姿を見つける度寄ってきた。
遠巻きにされていたセヴェルの手を引いた王子。
そしてセヴェルごと子息らの輪に無理やり入っていった。
それを令嬢たちが怪訝そうに眺めていた。
王子から王宮入りの招待状が届いた時、父は目を丸くしていた。
何故?口にも出された。それは、セヴェルも聞きたかった。
王女の方はあの後、公爵に連れられ、セヴェルに直接詫びに来た。
「ごめんなさい、少し緊張していたの」
そう言っていた。
家にも詫びの品が届いた。だからといって、噂が止むわけではなかったが。
あのとき拒絶された理由も分からぬままだ。
意味のわからぬ兄妹だ。
「……王太子の側近だぞ、本来なら光栄なことだ」
王子が残ったケーキにカトラリーを突き刺した。
セヴェルはそれを見て眉をひそめた。
「さっきまでちゃんと食べてたじゃないですか!」
「……人のことをじろじろと見てるほうが無礼じゃないのか?」
王子が大口を開けて最後のケーキを口に放り込んだ。
頬が小動物のように膨らんでいる。
わざとだ。
「そう言われると気になるなあ、お前がどんな美しい所作で皿のものを食らうのか」
「見せてもらおうじゃないか」
「なあセヴェル?」
王子が濡羽色の頭をゆっくり傾け、セヴェルの前のケーキを指した。
紅玉が細まっている。
目の前の艶やかなケーキに目を落とす。
王子に、試されている。
カトラリーを利き手に持つ。
ゼトまでもが、興味深げにこちらを見やっていた。
「………………」
ニヤニヤしやがって、ふざけるなよ勝手な王子め。
カトラリーをケーキに突き刺した。
歪な断面が出来上がる。
そのまま一口では到底収まらない量を掬い上げた。
「……王太子に恥をかかせるわけにいかないので」
「僕があなたに合わせましょう」
そして大口を開けて頬張った。
「そうこなくちゃな、侯爵家の坊っちゃん!」
ゼトが手を叩いて笑っている。
はじめ目を丸くしていた王子も、事態が呑み込めた瞬間に肩を震わせ始めた。
王子がセヴェルに身を寄せニヤリと笑った。
「やっぱり面白い」
猫目が愉快そうに細まる。
王子が、持っていたハンカチをセヴェルの口に押し当てた。
グリグリ。唇が強くこすられる。
「お坊ちゃんの尊厳は守ってやらんとな」
セヴェルが後退り、咄嗟に王子のハンカチを奪っていた。
ハンカチに、黒いカスがついていた。
「……お礼は?」
「……頼んでおりませんし」
ドンドン!
突如扉が叩かれた。
「……やかましいぞゼト!」
野太い声が扉の後ろから聞こえる。
散。
素早い動きだ。扉がノックされるのと同時に、王子とゼトがセヴェルの視界から消えていた。
そして扉が開かれた。
現れたのは、扉に頭がつきそうな巨躯の男だった。
「何を騒いでいる、廊下までお前の馬鹿笑いが聞こえたぞ」
「親父の聞き間違いじゃねえかな」
すぐ背後で声がした。
セヴェルの肩を掴む者がいる。ゼトだ。
「お前の声を聞き間違えるものか、王子の部屋であのように無遠慮に笑う者は世界中探してもお前しかおらんわ」
「親父も負けてないぜ」
騎士団長が片腕を振り上げた。
「あっ暴力はやめろ騎士団長」
今度は反対側の肩を掴まれた。王子か。
「……なにせ今日は侯爵家のお坊ちゃんが同席している」
見ずとも分かる。
背後の二人はニヤニヤ笑っているに違いない。
「へへ、侯爵家のお坊ちゃんが怯えているぜ騎士団長さんよお」
王子とゼトがセヴェルを騎士団長の前に突き出した。
自分たちはセヴェルの華奢な背に隠れている。
セヴェルは思った。なんて姑息な人たちだ。
「クソガキ共が……」
騎士団長の口から怨嗟が漏れた。




