第53話 暴力王子と抱っこ姫
——また、風聞紙が舞った。
新聞に差し込まれていた風聞紙。
見出しを一瞥し、男は瞳を伏せた。
——暴力王子と抱っこ姫。
この国の王位継承者らは噂に事欠かぬ兄妹であった。
涙を流す黄色いドレスの令嬢。
ツノと牙の生えた少年がその令嬢に食ってかかっている。
見出しのわきに、珍妙な絵が描かれていた。
その隣の絵もまた同様だ。
赤い上着の男に白い頭の幼子がしがみついている。
見出しはこうだ。
——暴力王子の妹君は。
——未だ乳母離れならぬ“公爵離れ”がお済みでないらしい。
男は持っていた粗悪な紙を屑籠に入れ、立ち上がった。
机に重ねられた書類の束を両手に持つ。
そして自室の扉を肘で押し開けた。
男の執務室は普段物音のしない空間にあった。
廊下は静まり返っている。遠くで使用人らの足音や笑い声がせわしなく聞こえる。
そんな程度だ。
光差さぬ廊下には、いつも燭台に火が灯っていた。
だが今日、近くで声が鳴った。
子どもの声だ。それも複数。
曲がり角の向こうから聞こえてくる。
「……こちらはドヴォイト氏の描かれた絵です。バルガス伯が後援をされています」
「なるほどな」
「……こちらはディオヴァル侯お抱えのレイヴィス氏の作品」
「なるほど」
「本当に分かっておられるんですか?殿下」
「……バルガスとディオヴァルは知っている」
「絵師の名は?」
「クドいやつだ、知るわけがないだろう」
王子の声だ。もう一人と何事か揉めている。
「……絵のことを教えてくれって言ったの殿下でしょ」
「お前俺より詳しそうだったから」
「ええ詳しいですとも、殿下よりはね」
鈍い音がした後、もう一人の子が小さく悲鳴を上げていた。
「……蹴るのやめてください。王太子でしょう」
「その王太子に生意気な口を聞くな」
……暴力王子。姿は見えぬが声だけで十二分に伝わる。
しかし、傍にいる子供は誰なのか。あまり聞かぬ声だ。
男は気づけば、その声の方へ足を向けていた。
薄茶色の髪をした子供が廊下に飾られた絵を指していた。
「……レイヴィス氏の絵の特徴はその鮮烈な色使いです」
「普通ならこう描く、という部分。レイヴィスは独自性の強い色使いで
魅せたい箇所を強調しています」
王子が小さく頷いた。
「……確かに。なんでここに緑色を使うんだ、と思っていた」
「そこです殿下、この絵の良さはそこにあるんです」
よく見ている子だ。その歳で珍しいほどに。
男は書類を抱えたまま、その横を通った。
「ごきげんよう、王子殿下」
「ああ」
王子が軽く片手を上げた。
男が王子の隣の子の顔を盗み見て、少しばかり目を丸くした。
ノクシオン侯の次男。
最近の風聞紙を賑わせた子であった。
王女に拒絶された哀れなノクシオン。
確か風聞紙でそう揶揄されていた。
……噂は定かでないが。
王子にも睨まれたノクシオン家の未来やいかに?
そのような鮮烈な見出しをつけられていた。
——滑稽な紙面だ。
今見る王子とセヴェルの姿は何だというのか。
思わず鼻で笑ったその瞬間。
正面からドタバタと足音が鳴った。
「……いたぜいたぜ、探したぞエリオス」
現れたのはいつもの茶髪。
王子の側近だ。
男をすり抜けた騒々しい足音は、ちょうど背後、王子らの傍で止まった。
「どうした」
「もうおやつの時間だぞ!」
ゼトの声は切羽詰まっている。
「……チョコレートケーキがお前を待ってるよ!」
待ってるのはお前だろう。男の口角が上がった。
「そのようですね」
「では殿下、僕はこのへんで失礼……」
「待て」
セヴェルを、王子が引き止めていた。
「お前ケーキは嫌いか?」
「チョコレートケーキだぞ、チョコレートケーキ!」
「……いえ、好きですが」
「なら問題ない、食べていけ」
子どもたちが男を追い越していく。
チラリと見やると王子とゼトがセヴェルの腕を掴んで引っ張っていた。
宰相の執務室に書類を届けたあと、男は外回廊に向かった。
普段通らぬ場所だが、書類ばかり眺めていた目は、潤いを欲していた。
外回廊から眺める景色は男のみならず、多くの城務めの者の心を癒した。
庭の花壇に竜胆が所狭しと咲いている。
季節は初秋。乾いた風が肌を伝う。
「……お外ちょっと寒いね」
「だから申し上げたでしょう、今日はやめませんかと」
白金色の小さな姿と、亜麻色の男。
外回廊の向こうから歩いてくる。
「…………」
男の脳裏に、先程見た紙面の絵が浮かんだ。
——抱っこ姫。
王女が片手を公爵に差し出した。
「……抱っこは我慢する」
「えらい子ですね」
そして公爵が差し出されたその手を握った。
「ひゃ、ルシの手冷たいよ」
「殿下の手は温かいですね、寒かったので助かります」
「もー」
「…………」
公爵の声は、男の知るものより幾分か柔らかかった。
そして二人が男の前にきた。
公爵が、男を見やる。
男は恭しく会釈した。
「殿下、ご機嫌麗しゅう」
「……ごきげんよう」
王女は途端に俯いた。
「……公爵閣下も、お久しゅうございます」
「ああ、息災なようで何より」
互いに軽く会釈したあと、公爵が思いついたように王女を見やった。
「シエル殿下」
「うん?」
俯いていた王女が、公爵の声に顔を上げた。
「……ご紹介したい者が」
公爵が男へ視線を向けると、つられるように、王女もこちらを見た。
「……私の弟です」
王女の紫水晶色の瞳が、みるみるうちに丸くなった。




