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第51話 猿真似野郎

「シエルに触らないで!」


 辺りが糸を張ったように静まり返った。

 誰も動けなかった。

 令嬢の一人が、息を呑んだまま口元を押さえていた。

 声の主は、肩で息をしていた。

 俯いたまま、きつく拳を握っている。


 動けたのは王子一人。阻む人波など構わなかった。

 声の主に近づこうとして、誰かの肩に当たったが、王子は構わなかった。

 小さく悲鳴も上がった。それも構わなかった。


「おい、何してる!」

 白金色の頭を見つけてその腕を引き寄せた。

 肩で息をしている王女を背に庇い、王子は目の前の令息を見据えた。

 令息が所在なさげに視線を彷徨わせている。

「……お話しませんかと、お誘いしただけです」

 黄褐色の髪、赤い上着、白いスラックス。

 お前か。

 ああ、見れば見るほど誰かさんを彷彿とさせる。


「なんで誘っただけでこいつがこんなに怒るんだ」

「それは僕にも……」

 令息は落ち着きなくしきりに首に触れている。


 妙に、腹の中が煮えくり返るような気分であった。

 胸ぐらをつかみ、煮だった感情をそのまま令息にぶつける。

 王子の怒りに触れた令息の顔色がみるみるうちに青ざめていく。


「……僕は、殿下を怖がらせるつもりは」

「なんで分からないんだ、自分のしたことだろう」

 令息が視界に入る度、ぞわりと背筋が粟だった。


 なんで俺は、こんなに苛立ってるんだ。


 小走りでやってきた大人が、令息の手を引っ張った。

 そして令息の頭を大きな手のひらで押さえつけ、無理やり身体を折った。

 何事か言っていたが、もう王子にその声は聞こえなかった。

 王子の視線は背後の王女に向いている。

 王女はもう肩で息をしていない。だが、未だ顔は見えない。

「……帰るぞシエル」

 王女のきつく握られた拳を王子の手のひらが覆った。

 そして王女が拳を解いて、王子の指一本を握った。


 王女の手を引いて歩き出した王子の目に、色とりどりのドレスたちが映った。

 先程まで王子に集っていた令嬢たちだ。

 皆一様に王子を見ている。

 その瞳に映るものは戸惑い、恐れ、様々だ。

 王子を恨めしげに見て、肩を手で抑えている令嬢もいた。


 静寂の中、誰かが呟いた。

「……暴力王子」


 知るかそんなもの。

 暴力王子で構わない。

 牙でもツノでも生やせばいい。


 視界の端に俯いた令息の姿が映り、王子は一瞬瞳を閉じた。

 認めよう、これが俺だ。

 誰かさんの皮を被っていただけだ。



 あれから数日。

 王宮は変わらない。外で何を言われようが何事もなかったように回っている。

 交流会での事柄を知った宰相はあれから押し黙っている。

 なぜか叱られなかった。王子は首を傾げた。


 王女も変わらない。

 今ではあの日のことなどなかったように平然としている。

 翌日、公爵がすっ飛んできたからだ。

 あの男が何を言ったかなど、王子には与り知らぬ。

 公爵ひとりで王女の問題は大体解決だ。いつもそう。

 面白くはない。

 王子には王女があの時叫んだ理由すら分からないまま。

 兄にすら口を閉ざした王女は巷ではこう呼ばれているらしい。

 神経質で気難しい王女、と。

 

 暴力王子に神経質な王女。俺達は噂に事欠かない兄妹だ。


 

 次の交流会にも王子は参加した。だが、馬車の向かいに白金色はいない。

 あの騒動の後の交流会だ。妙に足取りが重いことに気づいていたが、気にしないことにした。

 会場に向かう廊下にも多数の貴族が集っていた。

 すれ違う度に声を掛けられるがその度軽く片手をあげて立ち去った。

 王子は人の注目を浴びることには慣れた少年であった。

 いつもどおりの取り繕った笑み。窺うような視線。

 何かあったとしても、王子に物申す豪胆な者などそうはいない。

 王子にとってはいつもと変わらぬ光景であった。


 ふと、会場に向かう道中に気になる人影があった。

 廊下の窓から見えた黄褐色。

 建物脇のベンチに座り込み、俯く姿。


「…………」


 王子の足は、自然とそちらに向かっていた。


 

 その黄褐色の頭は、今に苔でも生えそうな様相であった。

 王子が目と鼻の先で仁王立ちしているというのに、俯いたまま微動だにしない。

 つん、とつま先を蹴ってやる。


「誰ですか」

 黄褐色の頭はまだ面を上げぬ。煩わしそうに、怒気を含んだ声が鳴った。

 王子がふん、と鼻を鳴らした。

「目の前にいるのが王太子と知っても、お前はそうしていられるかな?」

「……殿下?」

 やっとその頭が動く。

 だが現れたのは不機嫌そうに引き結んだ唇と、尖った琥珀色の目だ。

 王子の口角が上がった。

「……ご挨拶もせず、無礼な真似をしてしまい申し訳ありません」

 言葉とは裏腹に、黄褐色はベンチに座ったまま。王子から視線をそらしたままだ。

 王子の口角がますます上がった。


 王子が令息の隣に座り込み、肩を当てた。

「元気がないじゃないか、妹に振られた令息くん」


 令息がふい、と王子から顔をそむけた。

「……人の気も知らずに」


「なんでシエルを怒らせた?」

「……妹君に聞けばいいでしょう、僕だって知りたい」

 王子に対してなんて態度だ。

 むくれた横顔をまじまじと見やる。

 伏せられたまつ毛は長い。鼻筋も通っている。

 王子ほどではないが、なかなかに整った容姿の令息だ。


 赤い上着は、深緑に。白いスラックスは黒いボトムに変わっている。

 こっちのほうが似合っているじゃないか。


「……あの奇妙な格好はやめたのか」

「奇妙?」

「誰かさんの格好だよ」

「ああ」

 令息が天を仰いだ。

「……あれは……親が用意したものです」

 親。

 なるほど。王子は頷いていた。

 それが分からぬほど王子は鈍感でもなく、子供でもなかった。


「道理で下手くそだったわけだ、まるで猿真似だ」

「心を得るために真似ていたので」

「お、正直じゃないか」

 王子が令息を腕で突いた。

「どうでもよくなったのです」

「王女に声をかけたのも本心ではありません」

「王宮から良い話を頂いたと、父は喜んでいました」

「……王宮から?」

「けれど失敗して……親に失望されました」

 そしてこうして交流会の輪にも入れず日陰で座り続けている。

 王子は妙な居心地の悪さを覚えた。

 あの時王子が介入しなければ、この令息は今頃どうなっていただろうか。

 

「不敬な僕をどうぞ処罰してください」


 令息は未だ王子の目を見ぬ。

 無性に腹が立った王子が令息の胸ぐらをつかんで引き寄せた。

 そして令息と、ようやく視線がかち合う。


「何をされるんです」

「それが許しを請う態度か」

「請ってなどいません、処罰してくださいと言いました」

「猿真似野郎が」

「……どちらのことなのか」

「なんだって?」

「……殿下は目立ちますので」


 令息が正面を向いた瞬間、王子の記憶の端に、何かがよぎった。

 グイッと令息の顎を掴んで引き寄せる。

 このふてくされた顔。

 王子の口が、自然と動いていた。


「セヴェル・ノクシオン?」


 令息の目が大きく見開き、そして瞬いた。

「どうして僕の名前を知っておられるんですか」

「……だってお前俺に挨拶しにきただろう?」

 宰相の執務室。父親の横でつまらなそうにむくれていた少年。

 王子の眼前で親に頭を押さえつけられ挨拶させられていた。

 あのときの顔とそっくりだ。

「……一度だけです」

「気になって覚えてたんだ」

 何しろあの時、王子も同じ顔をしていたのだから。

「……光栄です」

 奇妙な気分であった。

 目の前の不機嫌な令息を前に、王子は妙な高揚で満ちていた。

 なんてことだ、令嬢の名など一人たりとも覚えられなかったというのに。

 滑稽な気分だ。

 

 王子が声を上げて笑い出した。


 首を傾ける。

 目を細める。

 令嬢へ向けるように、距離を詰める。


 いつの間にか、随分板についていた。


 お前と一緒じゃないか、セヴェル。


「そのとおり」

「……俺も猿真似野郎だった」

 

 王子はセヴェルの顎を掴んだまま首を傾けた。

 もはや慣れた仕草だ。紅玉を令嬢に向けるように近づける。


「俺にしろ、お前」

「なんですって?」

 訝しむ令息。

 そりゃそうか。王子はまた笑った。

「変な演技なんかやめろ、俺はお前にそれを求めない」

「シエルより俺のほうがいいぞ」

「どうして僕を気にしてくれるんです」

「……むくれてるお前が気に入った」

「はあ?」


「親に伝えろ、王女ではなく王子の心をモノにしたと」


 はあ?令息の呆れた声がまたも空に登った。

 


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