第49話 すてきなおねえさん
交流会の終盤、公爵が「そろそろお時間ですよ」と声を掛けると、
王女は今日一番穏やかな表情を浮かべた。
そして令嬢に囲まれていた王子の表情までもが途端に明るくなった。
「ゼト!俺も一緒に乗る!」
会場を出て早々に茶髪を見つけた王子がそちらへすっ飛んでいった。
走る王子がゼトの後ろ姿へ飛びつくと、ゼトが仰け反り悲鳴を上げ。
そして次の瞬間に王子とゼトは、二人で笑い転げていた。
馬車までの道。残されたのは王女と公爵だ。
「……馬車……お一人で平気ですか?」
「シエル殿下もあちらにご一緒されますか?」
公爵が、馬鹿笑いしながらはしゃぐ王子とゼトを指し示した。
交流会に参加していた子女や保護者たちが王子たちを怪訝な目で見やっている。
公爵もまたそれを苦い顔で眺めていた。
王女は頭を横に振った。
騒がしいのは好きではない。
「そう。では馬車までご一緒します」
王女の足取りはいつもより遅かった。
公爵が不思議そうに王女を見やる。
「今日は楽しいことはありましたか?」
「ルシが来てくれて安心したよ」
公爵を見上げ、王女が笑う。
「……他に、良かったことは?」
「……うーん、あっルシがいるとね。男の子が話しかけてこないから良かった」
それにも王女は笑った。
「また私……ですか」
王女がふいに立ち止まり、気づいた公爵が足を止めた。
「……わたし、疲れちゃったな」
王女の小さな口からポツリと零れた。
胸元でワンピースを握りしめている。
王女の顔は、俯いている。
公爵が近づいて王女の前に膝を折った。
「……今日も頑張っておられましたからね」
「疲れてしまいましたか?」
王女が微かに頷いた。
「……疲れたよ」
俯いていた顔が少し上向き、白金色の前髪の間から宝石のような瞳が姿を見せた。
公爵を見ている。
なおも王女の両手は自身の胸元を握っている。
「……つかれた」
公爵はすぐには動かなかった。
目を伏せ、考え込んでいる。
その目に王女は映っていない。
いつの間にか、公爵の笑顔は消えていた。
公爵の視線が、周囲へ流れる。
王女がワンピースを握る手を解き、後ずさった。
「な……なんでもない」
そして同時に。
公爵の手が王女に伸びた。
気づくと王女の身体は公爵の腕の中にあった。
公爵の顔がこんなにも近くにある。
瞳は細くなり、微笑んでいる。
ああ、公爵は笑っている。
王女の知るいつものルシだ。
「殿下、大きくなってこられましたね」
「もう立派なお姉さんです」
公爵の声音は穏やかだ。
王女は公爵から目を離さない。
だが、公爵と視線が合わない。
お姉さん。
最近公爵によく言われるこの言葉が、王女は好きではなかった。
最初は嬉しかった。だが最初だけだった。
「……最近、よく言ってくるね」
「お姉さん……って」
「ええ、殿下は素敵なお姉さんになられましたから」
「ふうん」
王女の背は、以前よりは大きくなった。
それでもまだ、公爵を見上げるのには苦労する。
だから王女は公爵が膝を折る瞬間が好きだった。
抱き上げてくれる時間が好きだった。
「……だからそろそろ、終いにしましょうか」
王女には、公爵の発した言葉の意味が解せなかった。
何を言ったのだろう。
目をぱちくりさせて公爵を見やる。
「え?」
「お姉さんを抱き上げるのは失礼ではないかと」
「な……なんで」
「お姉さんになるのは……悪いこと?」
「いいえ。とても素敵なことです」
「ですから……大人になろうとするあなたを、いつまでも子供扱いしてはいけないのではと」
「だから……」
「少し、先に進みませんか?」
遠くで、王子たちの笑い声が響いている。
王女は二の句が継げなかった。
やっと王女を向いた公爵は、いつもと変わらず微笑んでいる。
王女の大好きな笑顔のままだ。
「すてきなおねえさん……」
公爵の放った言葉を転がす。
喉の奥に、飲み込めない塊が詰まっていた。
その藍玉に、紫水晶は映っていない。
「ルシはそれがいいんだね」
「……殿下?」
王女は顔を伏せた。
伏せた顔の裏で、唇を噛み締めていた。
公爵に見つからぬように。
「シエル……すてきなおねえさんになるよ」
「……シエル殿下?」
背を軽く叩かれたが、王女はまだ顔が上げられない。
ぐぐっと歯を食いしばってこらえる。
これが最後の抱っこだ。
すてきなおねえさんは、抱っこされない。
でもシエルは、すてきなおねえさんにならなきゃ。
――ルシがそう望むのだから。
帰りの馬車の中。
青いワンピースが、いつの間にか湿り気を帯びていた。
王女はきつく裾を握りしめる。
ひとりで良かった。
「すてきなおねえさん」
王女は何度も、そう繰り返した。




