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第3話 淀む王宮

25話まで毎日更新予定です。


 ――王のご容態はどうだ?


 しゃがれた声が室内に響いた。

 鷲鼻に眼鏡を掛けた老宰相が、机上の書類から顔を上げる。

 やけに明るい窓の外に反して、室内は暗く淀んでいた。


 年嵩の侍女が、礼をする。

「……本日は、王子殿下が見舞いに訪れられ、その後殿下と共に食事を取られ、

 軽く庭を散策されました。今は自室でお休みされています」

「薬を煎じましたが、咳は止まりません」

「そうか」

 報告を受けた宰相は小さく息を吐いた。


「殿下を、お支えする者の選定を、急いだほうがいいな」

 宰相が窓に視線を移した。


 憎らしいほど、いい青だ。



 王宮に、淀んだ空気が立ち込めていた。


「どうした執事長、何があった」

 執務室に入ってきた男を見るなり、宰相はいつにない声を上げた。

 痩せ型の男。頬に赤い筋を二本、もう片方の頬に青痣を作っていた。

「……その、この件でご報告を、と」

 執事長は宰相と目を合わせぬ。口ごもって無言となった。

 ああ、そう言えば朝は騒がしかった。

 陶器の割れる音も聞こえた。

 どうせ誰かしらが報告に来る。そう思いその場では捨て置いたが。


「何があった?」

 宰相に促され、執事長がやっと口を開いた。

「本日、陛下の見舞いをされたいと王子殿下がおっしゃり」

「陛下のご容態が芳しくない、ということで……辞退させていただいたのですが」

「我らの対応が良くなかったのでしょう、殿下が大変ご立腹になられ、その場で花瓶を倒し、

 破片で何人かの使用人が負傷しました。そして暴れる殿下を止めようとした者が、私含め……こう」

 執事長が自身の頬を指した。


 ――――何も言えぬ。


「……あとで私が殿下のもとに参ろう」

「まずは、怪我の治療をするように。被害の状況もあとで詳しく報告しなさい」

「はい」


 ここのところ、王子の癇癪は激化していた。

 走り回って済むときもあれば今日のように暴れる時もある。

 そうしたときは毎度使用人たちが手足に傷を負った。

 まだ齢にして六つの男子は、不安定であった。



「宰相閣下、侍女長です。ご報告がございます」

「入りなさい」


 今日は騒がしい日だ。

 ひっきりなしに扉を叩く音がする。

 おかげで書類が減らぬ。


「どうした」

「王女殿下の側付きの侍女を一名交代してもよろしいでしょうか」

 宰相は天を仰いだ。


「身元の確かなものにしなさい」

 理由など聞かずとも察せる。それでも、一応は確認した。

「……一応聞くが、理由は?」

「王女殿下が口を利かぬのです。理由は話されないのですが、ここ数日その侍女を無き者として扱います」

「……殿下に謝罪はしたか」

「はい、させました」

「もう良い」


 王子の二つ下の王女。

 こちらも宰相の悩みの種であった。

 大人しい幼児であったが、気難しくもあった。

 一度気分を害せば使用人らを黙殺し、それは使用人を変えるまで続く。

 理由は様々だった。叱責を受けた、来客が多かった――。

 王女の不満は見える形で表れず使用人たちも扱いあぐねていた。

 王妃の面影を残す幼子を、王宮全体がどこか腫れ物のように接していた。


 侍女長が下がり、幾ばくも経たぬ内に、また扉を叩く音がした。

 ――――今度はなんだ。

 宰相は舌打ちをした。


 

 それから数日後。


「……公爵閣下が?」

「はい、本日王宮へ参られると」

「何用で」

「王の見舞いと、王子殿下と王女殿下への拝謁を求めておられます」


 ――――来たか。

 宰相は眼鏡の奥で目を伏せた。

 しばし沈黙したあと、首を振り、執事長に向いた。


「……殿下らにも?」

「はい」

「……王のご容態は」

「比較的、安定しておられます。短い間なら、ご対応は可能かと」

「お通ししろ」

「……殿下は……」

「王子殿下は……あまり、お加減がよろしくありません」

 執事長が自身の手の甲を差し出した。引っかき傷を拵えている。

 宰相は頭を抑えた。

「ご様子を見て、閣下の拝謁が可能そうならお通ししろ、王女殿下も同様に」

「難しければご遠慮いただこう」

「はい」


 大貴族、ローデンバルド公爵。

 家督を継いだばかりの若い男だ。

 しかし、公爵は公爵。下手な扱いはできぬ男でもある。

 

 よりにもよって、今。


 王の病は伏せきれぬ。

 王子は荒れ、王女は閉ざしている。

 貴族どもが静かな今だからこそ、不気味だった。


 その沈黙へ石を投げ込むように、

 公爵が王宮へ現れた。


「あまり閣下に、今の王子殿下を見せたくはないが」


 宰相は机上の書類へ目を落とした。

 未処理の紙束ばかりが増えていく。


 

 そして、しばらく経った頃。

 

「――――公爵閣下が、また?」


 咎めるような声となった。

 宰相が首を振り、すまんと小さく返した。

 眼の前の執事長は動じていない。


「閣下はここ最近王宮入りの際、何度か王女殿下にお会いされているようです」

「拝謁の報告は一度しか受けていない」

「いえ、中庭で王女殿下が遊ばれているときや回廊などで偶然、とのことで」


 宰相は二の句を告げなかった。


「王子殿下には」

「……閣下はお会いされていないようです」

「その、王女殿下は最近中庭にいらっしゃることが多く……」

 ――――あの娘はいつも自分の縄張りから出ぬだろう、それが何故。

 宰相は声を飲み込んだ。

 執事長に声を荒げても仕方ない。


「殿下のご様子は?」

「侍女の話によれば、閣下が話しかけられてもあまり反応を示されないとか」


 ――――それでいい。

 宰相は少しだけ、心を落ち着けた。


「……殿下のお庭入りは控えたほうがよろしいでしょうか?」

「いや、いい。殿下はお好きなのだろう」

「ただし、閣下のご動向には注視しなさい」

「はい」


 ああ、詰まる。宰相が自身の喉を押さえた。


 王宮は、日に日に淀みを深めていた。


 王子の癇癪は止まらぬ。

 今日も使用人の手には、新しい歯形が残った。


 王女はまた侍女を一人黙殺し始めた。

 理由は誰にも分からぬ。

 

 最近では、二人の側付きの侍女らが顔を見合わせ、

 互いに側付きを押しつけ合う姿まで見られるようになっていた。


 閉塞感が、王宮全体を覆っていた。

 ――もはや限界だ。


「……王子殿下の後見人は、急ぎで選定してある。あの方に相応しき者に今打診中だ」

「殿下をお止めできるだろう、そう思える者を」

「あの男は受ける、おそらくな」

「だからもうしばし辛抱してくれ」


「……王女殿下は幸いお静かな方だ、お気に触れぬよう注意を払い、ひとまず静観なさい」

「王女殿下は、このままと言うことですか?」

「あの方の御心へ触れられる者があるか?」

「……いえ」

「それに、今はそのほうが都合がよい」

「……宰相閣下?」

「その気質でもって振り払え」

「きっと受け入れぬだろう、あの気難しい娘は」


 宰相は静かに目を伏せた。


 ――――跳ね除けてもらわねばならぬ者がいる。

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