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第2話 問題児と呼ばれた王女


 ガシャン。王宮ではもはや珍しくもない音が響いた。


 幼い嗚咽が廊下に響く。王子の背を擦っているのは、王女付きの侍女だった。

 少し離れた場所から、紫水晶の瞳がそれを見つめている。


 ――二つの影が扉の奥へ消えるまで、ただじっと。


 そしてその日以降、王女はその侍女と会話することをやめた。


 シエル・アルテア・アステルディア。

 齢4つの幼子は、この国の王女であった。


 

 王女殿下は近頃、侍女たちの言葉に耳を貸してくださらない。

 使用人たちの間では、密かにそんな噂が囁かれ始めていた。


 今日も王女は一人遊びをしている。

 王女の相棒は人形だ。慣れた手つきで人形を動かす。

 その様子を、部屋の隅で侍女が伺っていた。

 静寂があたりを支配している。


 ガシャンっ。

 部屋の外で物音がし、王女の動きが止まった。

「……見てまいります」

 侍女が退出する。


「あーあ」

 王女が立ち上がった。

「……お外、いかなきゃ」


 

 ある日のこと。

「王女殿下、本日陛下が王子殿下と夕食を取られるそうなのですが、王女殿下もいかがでしょうか」

「なんで?」

「……な、なんでと申されましても」

「シエル、言われてない」

 そして王女は興味を失ったように手元の絵本に視線を移した。

 侍女が困ったように顔を歪めた。

「で、殿下……陛下は殿下とのお食事をお望みですよ……王子殿下も……」

 瞬間、王女が侍女を睨めつけた。

 紫水晶の大きな瞳が侍女を見据えている。

「シエル、いっしょにたべようって言われてない!」

 周囲が凍ったように張り詰めた。

 王女にしては珍しく、大きな声であった。

 侍女が胸の前で手を握りしめた。

「申し訳ありません」

 侍女は王女に深々と頭を下げた。

 もう一人の侍女がそのそばに寄り添い、2人は王女の部屋を後にした。

 その日以降、王女はその侍女と会話することをやめた。


 

 また別の日。

「王女殿下、今日は王子殿下がいっしょに遊びたいとご所望くださったんですよ」

「王子殿下はお庭にいらっしゃるそうですから、今から向かいましょう」

「……シエル……今日は……」

 王女の視線に、机に置きっぱなしの絵が映った。描きかけだ。


「私、日傘を準備して参りますね、少々お待ちください」

「……シエルは」


 ――シエルはお絵かきがしたい。


 王女の小さな声は侍女に届かなかった。


 そして庭には王子が待ち構えていた。

「シエル、いっしょに遊ぼう」

 行こう。王子の、王女よりは少しばかり大きな手が手首を捕らえた。

「あっ……待って……」

 王子が駆け出した。目的地は庭にある大木だ。

「あれに登るんだ、俺が登らせてやるから挑戦してみよう」

「無理……」

 王女が一歩後ずさった。

 だが、その手を王子が捕まえた。

「なんで無理っていうんだ、楽しいぞ」

 王子は悪気なく笑った。

「俺も最初は怖かったけど、登れたんだ」

「そら、後ろを押してやる」

「…………」

 王女が振り向くと、王子は満足そうに笑っていた。


 戻った時、侍女も満面の笑みで王女を迎えた。

 王女のお気に入りのワンピースは綻びだらけ。王女自身も、擦り傷だらけであった。


 侍女が王女の頬についた汚れを拭う。

「王女殿下、楽しかったですか?」

「…………」

 少しの沈黙の内、王女の唇が小さく開く。


「きっと王子殿下は楽しまれたことでしょう」

 侍女が王女のワンピースの汚れを払った。

「王子殿下は王女殿下をいつも気にされておられるんですよ」

 王女は口を閉ざした。

「お兄様と遊ぶ時間を増やしましょうか」

「……いい」

「あそばない」

 その日以降、王女はその侍女と会話することをやめた。


 

 そして。

「今日は新しい先生がいらっしゃいますよ、殿下」

「歴史のお勉強を教えてくれる方です。いろんなことを知っている方ですから、きっと楽しいですよ」

「ふうん」

「殿下は優秀な方ですからすぐに覚えられるでしょうね」

「ふうん」


 侍女に手を引かれ、教師の待つ教室へと向かう。


 ガシャンッ。

 近くで、陶器の割れる音がした。

「おやめください、王子殿下!」


 王女の眉間に、しわが寄る。

 そして廊下の角から、音の元凶が飛び出してきた。

 王女の手を握っていた侍女が、王子へ駆け寄った。

「殿下、走ってはいけません!」

「黙れ離れろ!」

 王女の手を握っていた手は、今は兄の両肩を握っている。


「………………」


「どうなさったのです」

「うるさい、離せ」

 王子の声音は弱々しい。

 侍女の力でも抑えられるほど、その時の王子は大人しかった。

「……」

「父上が、いっしょに食事できないと」

「事情があったのでしょう」

「約束したのに」

「大丈夫、大丈夫ですよ殿下」

 王女の手を握っていた手は、今は王子の背を撫でている。


 それを、紫水晶の瞳がじっと見つめている。

 ぎゅ。王女がワンピースの端を握りしめる。

 そして。

 ――二つの影が扉の奥に消えるまで、じっと見つめていた。


 王女は、瞳を閉じた。


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