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第34話 花祭り

 石畳にはすでに花びらが散っていた。


「……お祭り、始まっちゃった?」

「いいえ、まだ準備の最中ですよ」

 辺りでは、籠を抱えた女性たちが慌ただしく行き交い、子どもたちはその足元で花びらを撒いて遊んでいた。

 港には昨日より遥かに多くの人が集っていた。

 しかし、王女と公爵、二人の周りは不自然に閑散としていた。

 二人を囲む厳重な警備に、皆が遠巻きに様子をうかがっていた。

 公爵の姿を認め、会釈して去る者もいた。

 王女は公爵に教わった通り、反応を示す民に手を振って歩いた。


「昨日のお店、今日もやってるかな」

 公爵の肩が跳ねた。

 公爵から見える王女は、上機嫌だ。

「……殿下」

「うん?」

 公爵が王女に手を差し伸べた。

「今日は人通りが多い。はぐれぬよう、手をつなぎませんか」

 王女がぱっと顔を上げた。

「うん、繋ご」

 王女が公爵の手をぎゅっと握った。



 公爵は王女の小さな歩幅に合わせ、ゆっくり歩みを進めた。

 王女はもう、海を視界に捉えていた。

 その時、鼻先に一枚の花びらが乗った。

 その花びらを王女が摘んで公爵に見せた。

「青……シエルの服と同じ色」

「そうですね、上品な色だ」

 王女が花びらを息で吹き飛ばすと、それは海の色と同化した。


 会場は活気に満ちていた。

 だが、皆公爵に気づくと物珍しげに視線を送った。

 王女が公爵の上着の中へ隠れるように身を寄せた。

 厚手の上着が不自然に膨らむ。

 民の一人がおそるおそる公爵に声をかけた。

「公爵閣下、来てくださったのですか」

「ああ、賑わっているようで何より」

「……いらしてくださったのなら……せっかくですので閣下のお言葉を頂戴できればと……」

 公爵は手で制した。

「私の挨拶など無用だ」

 公爵は集まった民の顔を見渡した。

「皆、私のことなど気にせず思い思いに時を過ごすといい」

「私も今日は祈りに来た、それだけなのだから」


 公爵は人だかりを避けるように歩き出した。

 公爵の不自然に膨らんだ上着の下に小さな足が覗いているのを見て、

 見送る民が首を傾げた。


「人がたくさんいて驚きましたか?」

 公爵が上着の中に問いかけた。

 上着の中から小さな姿が顔を出す。

「……きんちょうしたよ」

「……もう大丈夫、民はめったに私に話しかけてきませんから」

 公爵は上着の中から王女を抱き上げ、近くのベンチへ座らせた。

「殿下、そろそろです」


 港の船が一斉に汽笛を鳴らした。

 同時に歓声も上がる。


「殿下、空をご覧ください」


 王女が、まんまるの目を瞬かせた。

 紫水晶の瞳に、色が散る。

 赤、青、白、黄、橙……。

 レンガ造りの窓という窓から、色とりどりの花びらが一斉に空へ放たれた。

 陽光を受けた花びらがきらきらと宙を舞い、潮風に煽られながら海へと流れていく。


 噴水近くの民たちが籠から花びらを取り出し散らしていく。

 子どもたちがぴょんぴょん飛び跳ね、空に浮かんだ花びらを摘んでいく。


 王女は自然と立ち上がっていた。


 公爵が王女に小さな籠を差し出した。

「殿下も、やってみますか?」

 頷いた王女は小さな両手を籠に差し入れ、空に花びらを放った。



 王女の白金色の頭に何色もの花びらが乗った。


 王女が公爵を見上げた。

 公爵の亜麻色の髪にも、花びらがいくつも降り積もっていた。

 その中に、紫色の花びらを認めた王女は、目を細めた。


 王女は、その光景から目を離せなかった。



 花を散らし終えると、民の足は自然とある方へと向かう。

 王女の視線も、人の波を見つめている。

「みんな、あっちに行くね」

 王女が公爵の袖を引っ張った。

「何があるの」

「……慰霊碑があります」

「でもみんな楽しそう……」

「……」

 公爵は答えに詰まった。

 王女が首をかしげている。

「……露店……」

 王女の目がぱっと輝いた。

「……お店も、たくさん出ていますよ」

 公爵が努めて笑顔を維持する。

「ただ、約束してください、殿下」

 公爵が膝を折って言う。

「ひとつだけ。ひとつだけです」

「お昼を食べてから」

「特別なひとつを買いましょう?」


「……ひとつだけ」

 王女は悩むように眉を寄せた。

「シエルがんばる」


 昼は公爵が予約していた店で摂った。

 王女は苺の乗った菓子を最後まで大事そうに食べていた。

 

 そして王女の希望通り、露店街に足を運んだ。

 色とりどりの透き通った花飴が陽光を弾いていた。

 幾重も重なった花びら。硝子細工にも似ていた。

 王女の視線が、その中の一つへ吸い寄せられる。

 「きらきら」

 王女の特別は、その一品に決まった。

 


 石畳には、花送りの名残の花びらが散っていた。

 王女は両手に持った飴をしきりに舐めている。

 広場前の噴水に近づいた二人に、鈴のような声が響いた。

 見ると、近くで籠を持った少女が幾人かに花を一輪手渡していた。


 少女が公爵の姿を認め、近づいてくる。


「公爵様お花どうぞ」

「ありがとう」

 公爵が受け取ったのは白い花。みずみずしく、甘い香りがかすかに漂う。

 少女が去ると、王女は唸り声をあげた。

 公爵が見やると、俯いていた。

「……シエル、もらえなかった」

「ルシにだけ、あげた……」

 頬が膨れていた。

 

 公爵が苦笑し、王女の手を引いた。

「……殿下、あちらに座って少し休みませんか」

 噴水前に、ベンチがあった。


 王女の目は半分だ。

 ふくれっ面で両手に持った飴を舐めている。

「……殿下、私だけこの花をもらったのは意味があります」

「男性にだけ渡されるものなんですよ」

「なんで?」

 王女が不思議そうに公爵を見やった。

 

 公爵が頭を傾けた。

「……ほらこのように」

 王女の耳の傍、髪を結ったリボンに、花が差し込まれた。

「女性に差し上げるために」

 

 王女が飾られた花に触れる。

 花びらが一枚、王女の膝に落ちた。

「お姫様みたい」

「もうお姫様ですよ」


 先程のふくれっ面はどこへやら、王女は上機嫌で飴を舐め始めた。

「ルシといると楽しいね」

 王女は無邪気に言った。


 公爵は、押し黙った。

 公爵は、ベンチの上で足を揺らす王女を見つめた。


「王都にも素敵な催しはたくさんありますよ」

「……でも……シエル、王宮だとあんまりお外出れない」


「望めば……あなたの願いは叶いますよ」

「侍女でも、宰相閣下でも。言えば叶えてくれるでしょう」


 今度は王女が押し黙った。

 そして頭を振った。

「……ううん、いいや」

 パキリ。飴細工の花びらが一枚砕けた。

「殿下は……私とはたくさんお話ししてくださいますね」

「ルシといると楽しいから」

「……私以外とは?」

「………………」

「他の人とも、きっと楽しく過ごせますよ」

 また一枚、王女の口の中で花びらが砕けた。

「………………」


 公爵はそれ以上言葉を重ねなかった。

 やがて王女が小さく口を開く。

 

「ルシ、飴飽きた」

 王女が飴を公爵に差し出した。

 飴細工の花が数枚なくなっている。

「……お預かりしましょう」

「そろそろ夕刻ですね」

「……帰りましょうか」

「ルシのおうち!」


 立ち上がった後、王女が公爵の手に触れた。

 そして小さな手で指を数本握った。

 公爵はその手を握り返すことしかできなかった。


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