第31話 お忍び
朝靄の残る王宮の城門前に、一台の馬車が停められていた。
数人の護衛が二人の幼子を囲んでいる。
「……殿下、何度も言うようですが」
王子が薄目で眼前の宰相を見ている。
宰相は王子の両肩に手を置いた。
「騎士団長と離れぬように」
「ゼトと共謀しないこと」
「走り回らぬこと」
「はい……」
王子はいつもより質素な身なりであった。
白いシャツ、胸元の細いリボン、濃紺の半ズボン。
並の貴族子息で十分通る程度には上等な服だ。
それでも王子の気品は薄れていなかった。
王子が隣の幼子を見た。
「お前服それでいいの」
ゼトは普段よく見る姿をしていた。
「俺はお忍びの必要ないぜ」
「それもそうか」
ゼトは元より城下育ちだ。
うんうん、と納得したところで。
「聞いておられるのか殿下!」
宰相の喝が飛んだ。
「……宰相、お出かけ前にくどくど言うなよ」
「騎士団長の言うことを聞く、走り回らない……子どもでも分かるさ」
「大事なことが抜けておられる。ゼトと共謀もしてくれるなよ」
「お前信用ないぞ、ゼト」
王子がゼトを見やった。
「じゃあ俺連れてかなきゃいいだろ、勝手な大人だぜ」
「殿下がお前をお望みなんだ」
宰相が深くため息をつき、そして後ろの大男を見やった。
「頼んだぞ、騎士団長」
騎士団長も今日は甲冑を着ていない。
麻の服に黒革のブーツという軽装だった。
騎士団長だけではない。他、数人の護衛も各々私服に帯剣という気取らぬ格好だ。
「……おまかせを」
今日は、王子待望のお忍びの日だった。
王子だけは隠しきれぬ高揚を顔に浮かべている。
宰相含む大人たちの顔は疲れ切っている。
「……楽しんでこられよ、殿下」
「ったく過保護だぞ、宰相」
王子は足取り軽く、馬車に乗り込んだ。
城下町は今日も賑やかだった。
赤煉瓦の建物が並ぶ通りは、人と荷馬車で溢れていた。
行商人の声、馬車の音、人々の笑い声が石畳の通りに溢れている。
王子は落ち着きなく辺りを見回した。
「おお……」
大きな手が、王子の右手を握った。
そして反対の手が、ゼトの左手を握った。
城下町について早々、王子は眉根を顰めた。
「……何?」
見上げると騎士団長もまた王子を見ていた。
「今日は一日こうしています」
王子が大口を開けたまま固まった。
逆側のゼトも同様だ。
「子どもじゃないんだよ」
「子どもだから繋いでおるのですが?」
「俺はいらねえんだよ親父、手をつなぐな暑苦しい」
「お前が一番信用ならんのだ」
王子とゼトが顔を見合わせた。
「俺を守れるのかよ、これで!」
王子が拘束された手をブンブン振り回す。
「安心してくだされ、殿下には私以外にも優秀な護衛がついているではありませんか」
騎士団長の口角が不穏に吊り上がった。
王子が後ろを振り向いた。
雑踏の中に、見知った顔が点在している。
馬車へ乗る前に見た顔は、いくつか消えていた。
「さあ子どもたち、お手々繋いでお出かけですよ」
「どこに行きたいか言ってみなさい」
騎士団長が両手を振って二人の幼子を振り回す。
王子が歯ぎしりをし、ゼトが騎士団長の足を蹴った。
歩くほど人波は増え、三人はやがて繁華街へたどり着いた。
露店が視界から途切れぬ。
王都の名物、露店通りだ。
天幕が連なり、通りは色で溢れていた。
「壮観だね」
肩がぶつかるほどの人通り。
人を避けて三人が通りの端で話し合う。
「ゼト、どこ行きたい?」
「俺はここを知り尽くしてっからなあ……王子のご希望に、添うぜ?」
「バカタレ、意気がるな。そんなに来たことないだろう」
ゼトが小憎らしい表情を浮かべ、己を拘束する騎士団長の手を二回叩いた。
「ふん、両手がふさがってて残念だったな親父、親父は俺を殴れない」
騎士団長が、握ったゼトの小さな手にグッと力を込めた。
ゼトの悲鳴にならぬ声。ゼトは片方の手で騎士団長の手をバシバシ叩いた。
分厚い肉の焼ける匂い。焼き菓子の甘い香り。砂糖がけの果物串。
王子の興味が次々移った。
「俺、もっと屋台が見たい!」
王子が騎士団長の手を引っ張った。
「殿下!引っ張るなと……」
「殿下?」
雑踏の一部が、声に反応し振り向いた。
騎士団長がとっさにその体躯で王子を周囲の視線から隠す。
ゼトが指を指した。
「親父、俺あれ食べたいんだけど」
「お前さっきから食い物屋ばかり見るんじゃない、昼飯が食えぬだろう」
ゼトに応答する間も、騎士団長の目は雑踏を向いている。
周囲の数人が空耳かと首を傾げ、再び人混みへ戻っていった。
騎士団長が天を仰いで息を吐いた。
王子が騎士団長の腕を叩いた。
「……お前気をつけろよ」
「失礼いたしました」
騎士団長が、しばし考え込んだ。
両脇で子どもたちが見上げている。
「……エリオス」
王子が目を見開いた。
普段は生意気に釣り上がることも多い赤目が、今はまんまるだ。
そして弾かれたように上を向いた。
「お忍び中です、殿下と呼ぶわけにも行かぬでしょう」
「よろしいですか」
騎士団長の顔は、逆光で見えない。
王子は一瞬、言葉を失った。
「おう、俺もエリオスって呼ぶわ」
ゼトが横からひょっこり顔を出した。
王子がふいと目を逸らした。
「……許す」
ぶっきらぼうな声だった。
けれど耳だけが、わずかに赤い。




