第30話 ずるい
「シエルは公爵領に行ったらしい」
子どもたちは木陰に寝転がり、訓練を眺めていた。
辺りに木剣を打ち合う音が響いている。
木剣がぶつかるたび乾いた音が跳ねた。
「……王子の妹殿下か」
ゼトは会ったことがなかった。
王子の行くところに、王女はめったに姿を現さぬからだ。
「公爵……っていうとローデンバルド公爵の方か」
「そうだ、妹のほうの後見人だから」
「そいつはよく風聞紙で話題になってるから知ってるぜ」
「……俺お姫様に会ったことないな」
「あいつは……いつも部屋にこもってるから」
「天気の良い日だと庭にいるんだけど」
「お姫様って……きっとかわいいんだろうな」
ゼトが両手を動かした。
「ふわふわしてて……目が大きくて……可憐で……守ってあげたくなるんだろうな……」
「ゼト……?」
「なんでもねえ」
ゼトは絵物語が好きだった。
王子が座学を受けている間、ゼトは書庫にこもっていた。
剣も好きだが、本も好きだった。
絵本の姫は、皆可憐だ。
「シエルは今頃何を食べてるんだろう」
「ローデンバルド領だぜ?豪勢な海の幸とかだろ……そりゃ」
訓練場の向こうから、昼食の匂いが流れてくる。
ゼトの腹がぐうと鳴った。
「なんか暇だな、ゼト」
「ああ」
「何が暇か殿下、座学の授業はとっくにはじまっておる時間だが」
頭上で聞こえた声に、二人が反射的に起き上がった。
見上げると、宮殿の窓から宰相が顔を出している。
「ったく騎士団長んとこの悪ガキに毒されおってからに……」
「俺は王子が座学の時間って知らなかったぞ」
ゼトが抗議の意で片手を上げた。
王子は見上げたまま黙っていた。
「殿下、今すぐ教室に参られよ」
だが、王子は返事をしなかった。
「おかしくないか、宰相」
王子がむっと眉を寄せた。
「俺だけ座学は、ずるい」
「シエルは公爵と遊んでるのに」
宰相の大きなため息が、訓練場へ落ちた。
◇
宰相と騎士団長は訓練場のベンチに腰を下ろし、揃って頭を抱えた。
「不満を持たれるだろうとは思っていました」
「厄介なことをしてくれたものだ公爵閣下も」
「……しかし、王子殿下をどこにも連れてやれぬというのも、お可哀想です」
「……時間は捻出しよう、貴殿は警備を調整できぬか」
宰相が自身の眼鏡を直しながら、騎士団長を見やった。
しかし騎士団長は首を縦に振らなかった。
「……息子を、城下に連れて行ったことがあります」
「収穫祭の時期でした。妻と使用人を連れて城下へ行ったのですが」
「息子は会場に着いてすぐ、目を離した隙に、勝手に屋台街へ消えておりました」
騎士団長が、遠い目をしていた。
「ゼトも殿下同様の利かん坊だったのだな」
「去年のことです」
最後の一言に宰相が絶句した。
◇
座学を終え、腕を伸ばした王子の目に見知った姿が映った。
近衛兵数人と、それより一回り大きな影。騎士団長だ。
何事か難しい顔をして話し込んでいる。
王子は気にせずそのかたまりに近づいていった。
「手を繋いでは?」
「腕に抱える」
「いっそ首輪でも付けるか」
何やら不穏な単語が王子の耳に入った。
「お前たち」
騎士団長と近衛兵が礼をする。
「何を話している?」
騎士団長が片手を振った。
「いえ何、楽しい話ではありません故」
「首輪とか聞こえたが……」
「この者が犬を所望しておりましてね」
騎士団長が近衛兵の肩を叩いた。
「……楽しそうな話じゃないか」
「犬は俺も欲しい。お前も犬が好きか?」
王子が目を丸くして近衛兵に寄った。
「……犬は好きです、でもなかなか構う時間もないので」
「……飼う話をしていたのにか?」
近衛兵たちが揃って咳払いをした。
誰も王子と目を合わせようとしない。
王子が眉をひそめ、大人たちの顔を見比べた。
「……じゃあ、なんの話をしてたんだ?」
そして騎士団長が、観念して口を開いた。
「城下にいく話をしていたのなら早く言えばいい」
王子は騎士団長の腕を叩き、近衛兵たちの背を次々叩きながら、その場をくるりと回った。
「まだ仮定の段階です、ぬか喜びは止してください」
「俺に話すということは宰相も知っているということだ」
近頃の王子は、妙に勘が鋭かった。
「城下で許してやろう」
「どこに行こうかなあ」
王子の足取りは軽いままだ。
騎士団長は目を細めた。
「できるだけ要望にはお答えしますが、殿下にもお約束して頂きたい。
はしゃぎ回らぬと」
「俺だってもう七歳だ、それくらい分かる」
王子の口が尖った。
しかし脳裏に賑やかな街並みが次々浮かび、すぐに顔がほころんだ。
「しかしなあ、久々のお出かけだからなあ」
王子はふと近衛兵たちを見回した。
「出かけてもお前たちがいると目立つんだよなあ」
「仕方ないでしょう、王太子の警護なのですから我慢していただかねば」
「ふうん」
「……お前ら隠密の訓練してないのか?」
王子の問いには誰も答えなかった。
なにを答えても藪蛇になると分かっていたからだ。
「してないわけないよな」
「王太子を護る、この国最高の騎士たちが」
王子がにやりと笑う。
「庶民に紛れるよな、お前たち」
「俺はお忍びがしたいなあ」
騎士団長が首を振った。
「殿下、あんまり無理な要求するのやめてください」
「城下には連れて行くって言ってるでしょうが」
王子がふと思い出したように口を開く。
「……首輪。誰の首に首輪付けるんだ?」
王子が騎士団長の甲冑を手の甲で叩いた。
見上げる王子の紅玉が愉快そうに細められた。
「……宰相に……」
王子が庭から見える執務室を指した。
騎士団長がそれを制し、首を振った。
「善処します」
その瞬間、王子が満面の笑みで頷いた。
「それでこそ後見人!」
「俺の希望を宰相に伝えてくる」
「優秀な護衛はきっと俺の望み以上のことをしてくれるだろう」
「楽しみだな」
王子はチラリと背後の大人たちを振り返って、口角を上げた。
そして残された大人たちは、遠ざかる王子の背を見ながら歯ぎしりをした。




