表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/35

第28話 もう見つめていない

 「殿下、足元にお気をつけて」


 小さな足が木製の渡し板へ踏み出した。

 白金色の髪が潮風に揺れている。

 公爵がその小さな手を取って支えた。

 

 頭上には、青がどこまでも広がっていた。

 その青を横切るように白い海鳥が飛び、鳴いている。

 


「……ゆれてる」

 王女が渡し板に片足を掛けたまま動かなくなった。

 後ろで侍女と護衛がその動向を見つめている。

「むり」

 王女が音を上げて公爵を見上げた。

「では失礼」

 公爵が王女のわきに手を差し入れて抱き上げた。

 

 公爵の革靴が、揺れる板をものともせず、小気味良い音を立てる。

 抱き上げられた王女は、目をギュッと閉じている。

 風が頬を撫で、王女の鼻先に潮の香りが掠めた。

 

 ロープの軋む音と共に、船体がゆっくり揺れた。

 潮風が王女の髪をさらっていく。


 自然と、王女の瞳が開かれる。

 

「さあ殿下ご覧ください」

「殿下の来訪を喜ぶように、輝いておりますよ」

 

 耳元でした声に、王女は思わず公爵を見上げた。

 

 蒼い石のような瞳だった。

 浅瀬のような淡い青、その奥に深い藍がある。

 陽の光を受けて輝くその奥に、王女自身が映っていた。


「殿下、私ではなく」


 公爵が苦笑する。

 その手が、王女の視線を海へ導いた。


 王女の瞳一面に、深い青が満ちた。


「海です」

 空よりも深い青が、どこまでも続いていた。

 

 ――――王女は、公爵領に来ていた。



「シエル、海はじめて」

 公爵から贈られた本に、海があった。

 大きなお魚、体の半分が魚でできた姫。

 海は彼らの住む場所だ。

「海の中、お姫様住んでる?」

「どうでしょう、もしかすればいるかもしれませんね」

 王女が船の下を覗き込んだ。

 日中の海は、光を反射してその姿を隠す。

「シエル、溺れちゃうかも」

「危ないのであまり覗き込んではいけませんよ」


 公爵が船の甲板に王女を降ろした。

 降ろされた途端、王女の視界から海が隠れた。


 1人の乗員が、公爵に近づいた。

「閣下、天候異常なし、波も穏やかです」

「……出航しろ」

 公爵の合図で、船が汽笛を鳴らした。

 

「お船、どこ行くの」

「領内の市場付近です、船に積んだ荷物を別の場所に運ぶので」

「……普段は旅客船も兼ねていますが、今日のお客様はあなただけです」

 王女が嬉しそうに小さな両手を叩いた。


 甲板にはまばらに人がいた。

 王女が辺りを見渡した。

 近くで侍女数人、護衛数人が二人を見守っている。

 甲板の向こうでは、船員が大きな箱を持って行ったり来たりを繰り返している。

 

 「ルシ、海が見えないよ」

 王女から見えるものは、船の側面。

 背伸びをするが、届かない。

 背後の公爵を見つめて訴える。

「……失礼しました」

 王女が再度、公爵に抱き上げられた。

 潮の香りに混じって、香油の匂いがした。

「ルシは大きいね」

 王女はご満悦だ。

 公爵の胸の装飾品を弄って遊んでいる。

「殿下、海を見るのではなかったんですか」

 


「閣下」

 また船員が公爵のもとに走ってきた。

「……装飾品が紛れ込んでいます」

「陸路で運べと言ったろう」

「どこで紛れたのか分からないのですが」

 王女には難しい話はわからない。

 だが、近くで見る公爵の目が細くなっているのは分かった。

「殿下、侍女と一緒に少しお待ちいただけますか?」

「少し問題が起きまして、対応してまいります」

「…………」

 しかし王女は公爵の襟を握った。

「シエルも行く」

「……つまらないですよ」

「いい子にしてる」

 王女は妙に頑なであった。


 折れたのは公爵だ。

 作業する船員たちのもとに王女を抱いたままの公爵がやってきた。

 船員たちの目が一斉に公爵の腕の中に集まる。

 そして皆が深々と礼をした。

 ゴトリ、木箱が一つ船員の手から落ちた。

 

「装飾品は」

 ある船員がその積み荷の前で膝を折った。

 公爵が中を覗き込み、ため息をついた。

「……銀細工じゃないか」

 公爵の声が、わずかに低くなった。

 王女も覗き込んだ。

 箱の中、黒い布に包まれた装飾品が並べられていた。

 石も色とりどり、陽の光に照らされ輝いている。

「キラキラしてるね」

「ええとても」


 公爵が船員に向き直って片手を振った。

「……装飾はおそらくダメだな、港に着き次第検品しろ」

「はい」

 船員が装飾品の箱を持って消える。


「……キレイなのに、ダメなの?」

「銀細工は塩に弱いんです。ですから本当は船で運んではいけなかったんですよ」

「ふうん、ルシはなんでも知ってるね」


 そしてまた、公爵を呼ぶ声が聞こえた。

「閣下こちらに来ていただけませんか」

「……閣下ご確認いただきたいことが」

「閣下、そちらが終わったら私の方にも」


 公爵がしばし無言になった。

「ルシ、お仕事忙しいね」

「ですから言ったでしょう、つまらない、と」

「侍女の下へ行きませんか?」


 王女が頭を振った。

「ルシがいい」

 王女がまた公爵の襟を握った。

 もう、公爵の襟はシワだらけだ。

 公爵は諦めたように息を吐いた。

「……仰せのままに」

 公爵の腕も、しびれている。


 公爵のゆく先で、船員たちが様々な反応を見せた。

 ある者は公爵の腕の中を見て、目をそらし。

 ある者は王女に手を振り、王女は首をかしげた。

 ある者は興味深げに王女を見つめ、隣の船員に頭を叩かれていた。


「あの……閣下」

「王女殿下にご挨拶させて頂きたいんですけど」

 公爵がため息をついた。

「……お前たち、王女殿下がいらっしゃるからと気もそぞろになっていないか」

「いつもの仕事をこなしてもらいたい」

 公爵の喝に、船員たちが黙り込んだ。

 そしてある船員がおそるおそる口を開いた。


「閣下……腕疲れませんか」

 腕の中の王女と公爵の目が合った。

「……殿下は海をご覧になりたいそうだ」


 しかし王女の目は、もう海を見つめていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ