第19話 待てない
王女は行動が早かった。
結婚という概念を獲得した、次の日のことである。
「ねえ、けっこんって何」
机に座った王女が教師を紫水晶の瞳で見つめていた。
教師にとっては突飛な質問だ。
しかし幼子がこうして浮かんだ疑問を口に出すことは珍しくない。
教師は王女に向かった。
「……殿下が知るのはまだ早いですよ、その前に色々と覚えないといけないことがございます」
「答えて」
「……殿下、難しいんですよ?よろしいのですか?」
「うん」
「なるべくご理解いただけるようにご説明いたします」
「結婚とは、国に認められた家族になることです」
「特別に、“生涯を共にしてよい”と許されることですよ」
「……やっぱりいっしょになれるんだ」
「しかし簡単ではございません」
「身分やお家柄、お人柄……色々な条件が必要なのです」
「……むずかしいお話してる……」
「だから申し上げたでしょう……」
「…………シエルは?」
「……殿下にとってはまだ先のお話です」
「殿下は尊き方ですから、お相手には特に厳密な条件を必要とします」
「……条件……?」
「しかしその厳しい条件を超えられたご令息といずれ良き御縁でつながることでしょう」
「条件、教えて」
「まずお家柄、これは王家と釣り合いの取れる格式あるお家でなくてはなりません」
「……格式あるお家?」
「ええ、殿下にふさわしい家柄の方ということでございます」
王女はしばらく考え込んだ。
紫水晶の瞳が、ゆっくり教師を見上げる。
「……ルシは?」
教師の眉がぴくりと動いた。
「公爵閣下ですか?」
「ルシはこうしゃく?」
「はい」
「じゃあ、公爵は結婚できる?」
「………………………………」
「答えて」
「……慣例で言うと、公爵家ほどのお家ですから、釣り合います」
「うん」
「次は?」
教師は、何か良くないことに巻き込まれている。そんな予感がした。
「ねえ、次は?」
「まず殿下の場合……そういったお話が来るのはまだ先になります……」
「適齢期というものが……あるので」
「それはいつ?」
「……一般の令嬢で言うと、デビュタントを迎える十六歳前後でしょうか」
「シエルは四つ……あと何こ?」
「あと……十二年でしょうか……」
王女は小さな両手を動かし始めた。
「……指足りないね」
「ルシは?」
「…………二十歳で……いらしたかと……」
「……ねえ、指かしてほしい」
「………………」
「ねえ、かして」
「……殿下……本当に、今考えることではありませんよ?長いんです、十二年は」
教師が王女に指を弄くられながら言う。
「どのくらい?」
「春になればお庭にお花が咲きますね」
「うん」
「夏になればお外を歩くのが難しくなるほど暑くなりますね」
「うん」
「秋になれば遠くのお山が赤くなります」
「うん」
「そして冬になれば暖炉がないと寒いでしょう」
「うん」
「それが一年です」
「…………待てない」
「ですので……今考えなくてもよろしいんですよ」
「じゃあ、どうすれば」
「……何事かお悩みですか?」
「………………………………」
「なんでもない」
一年は、長い。
十二年なんて、もっと長い。
——シエルは待てない。
「……ルシはお家が遠い」
「シエルは王宮にいる」
「……ルシに、ご相談?」
「シエルはまだけっこんできないんだって」
王女は最近の悩みをすぐに公爵にぶちまけた。
公爵はティーカップを持ったまま微動だにしなかった。
「シエルは四つだから、あと十二年も待たないといけないんだって」
「ふむ」
公爵はカップを置かなかった。
ただ一度だけ、ゆっくり瞬きをした。
王女はお菓子をひとつ、口に放り込んだ。
「ルシはけっこんしてるの?」
「……いいえまだ」
「そっか、じゃあだいじょうぶだね」
「先生は、けっこんは一回しかしちゃ駄目なんだって言ってた」
「ふむ、そうですか」
「ずいぶん早く結婚を学ばれたんですね」
「侍女がしゃべってた」
「なるほど」
公爵が首だけ動かし側仕えの侍女を見た。
侍女は両手をぶんぶんと横に振った。
王女は地面につかぬ小さな足をぶらぶらさせている。
「きしだんちょうはお兄様と毎日会うんだって」
今日の王女はおしゃべりだった。
チラッ。王女がティーカップの向こうから、公爵を見た。
「なるほど、合点がいきました」
公爵が数度頷く。
テーブルに頬杖をつき、目を細めた。
「……殿下は、私にもっと来てほしいと」
「でもルシはお家が遠い……忙しい……」
「シエル……いっぱいかんがえた……」
王女が肩を落とした。
目も、半分だ。
「殿下は私のために一生懸命考えてくださったんですね」
「うん……」
「どうすれば毎日会えるか」
「うん……」
王女は肩を落としたままだ。
公爵は苦笑した。
「そのお気持ちはとても嬉しいです。しかしやはり、毎日は難しいですね」
「だめか~」
「毎日会うことだけがすべてではありませんよ殿下」
「結婚は殿下にとってはまだ遠い先のお話になります。
ゆっくり考える、それで良いんです」
「ん~~~~」
「殿下は将来ではなく、今困っている」
「うん」
「そうですね……殿下は最近、文字を読むお勉強をされていますね」
「うん、いっぱいしてる」
「会えないとき、私はあなたにお手紙を書きましょう」
「おてがみ」
王女の瞳がゆっくり瞬いた。
「はい、あなた宛に、たくさん送ります」
「たくさん読む……」
「そして字が書けるようになったら……お返事をくれたら、嬉しいです」
「……シエルが……お返事を……」
「そうやって待っていたら、あっという間にあなたに会う日が来ます」
「ほんもののルシが来る!」
王女が椅子から立ち上がり、公爵に駆け寄った。
「いっぱいお手紙送ってね!」
「ええ、あなたを想って書きましょう」
そして結婚のことなど、王女の頭の中から消えていった。




