第18話 けっこん
王女は最近、兄の騒がしさの質が変わってきたことに、感覚で気づいていた。
まず、陶器の音が鳴らぬ。
そして、泣き喚く声も聞こえない。
だから王女は、庭に逃げなくてもよくなった。
変化といえば、たまに威勢のいい声も聴こえるようになった。
今も、聞こえる。
「隙あり、騎士団長!」
「誘いにかかりましたな、殿下は読みが甘い」
王女が窓辺に寄った。
大きな男に兄がまとわりついている。
ぐるぐる、ぐるぐると男の周りをまわっていた。
「…………」
「王子殿下と、騎士団長殿ですね」
側仕えの侍女がそっと声をかける。
「……きしだんちょう」
あの大きい大人を、王女は見たことがある気がした。
……大きいから覚えている。
その程度であったが。
「騎士団長殿は、王子殿下の後見人になられたそうです」
「こうけんにん」
「…………ルシと、いっしょだ」
「そうですね、王女殿下には公爵閣下、 王子殿下には騎士団長殿、同じでございます」
「ルシは、シエルだけ?」
「はい、殿下をお支えしておられます」
「……シエルだけ……」
王女がその場で足踏みした。
「王子殿下は少しお変わりになられたようです、騎士団長殿とああして毎日訓練されておられるので」
「……毎日?」
「ええ、毎日……あっっ」
侍女が口元を手で覆った。
王女は眉をハの字に曲げ、肩を落とした。
大きな瞳が、今は半分だ。
「……シエルは、ルシと毎日会えない……」
「違うんです、殿下……王子殿下も毎日は会えません、休日はご自宅に帰られますから……」
「……でもシエルより……多い……」
「公爵閣下も最大限努力して殿下に会いに来ておられますよ」
「閣下はお忙しく、お家も遠いので、騎士団長のようにはいかぬのです」
侍女の言葉は、どれも苦しい言い訳のようだった。
しまった、と侍女は頭を抱えている。
公爵のこととなると王女の機嫌は分かりやすかった。
「きしだんちょうは、王宮に住んでる?」
「はい、宿舎におられます」
「ルシは……?王宮にお家ない……?」
「……閣下には、ございません。普段は領地運営のために、本邸に戻られます」
「ルシ……忙しい……」
「はい……けれど、その忙しい合間を縫って、殿下のもとに来てくださっていますよ」
「……」
王女は、少しだけ気持ちを持ち直した。
…………でもシエルは、もっと会いたい。
今日の王女は、目がずっと半分だった。
「ルシは忙しい?」
公爵がやってきた日、王女はここ最近の疑問をすぐ口に出した。
「……ええ、領主となって間もないので、知ることも、覚えることも多いんですよ」
「ふうん……」
王女は手元のティーカップに視線を落とした。乳白色が、揺れている。
「お家、遠いの?」
「そうですね。王宮から本邸までですと、馬車で半日は掛かるでしょうか」
「半日!……たいくつだね」
「……王宮にお家あったら、大変じゃないよ」
「そうですね……それも良いのですが」
「……領主なので、領地に戻らねばならないのです」
「…………むずかしいんだね」
「殿下、何か気になることでも?」
「ううん、なんでもない」
首を振り、王女がまたティーカップを見始めた。
カップの中の乳白色は、少しも減っていない。
その日の王女は、公爵の前だというのにどこか浮かない顔であった。
「……それと殿下」
「うん?」
「もうすぐ、王子殿下のお誕生日ですね」
「うん……」
「兄上のために、何かプレゼントを用意しませんか」
「…………」
「そういうの、侍女が決める」
王女はいつになく素っ気ない。
「……今年は、私といっしょに選びませんか」
「……いいよ」
やはり王女の顔は曇ったままであった。
トボトボと歩いていると、近くで侍女らが甲高い声で何事かを話していた。
「結婚おめでとう、幸せになってね」
「ありがとう……」
「……いつ彼のお屋敷にいくの?」
「三日後、今荷物をまとめているの」
「そう、寂しくなるけど……やっと一緒になれるんだもんね」
「ええ、彼と結婚して一緒になれる日を夢見ていたの……」
……いっしょ。
王女は侍女らに近づいた。
「それでね、結婚式をすることになったの…………あっ」
「…………王女殿下……」
話に夢中になっていた侍女らは、小さな王女が足元にきて、ようやっとその存在に気づいた。
「ねえ、いっしょ?」
「……?」
「声が大きくなってしまい失礼致しました殿下」
「……いっしょって、何?」
「えっと……」
侍女が恥ずかしげに、王女に向いた。
「私、好きな騎士と結婚して、その人のお家で暮らすんです」
「けっこん」
「けっこんすると、いっしょに住むの?」
「……はい、一緒になれます……」
「ふうん」
「……良かったね」
「あっ……ありがとうございます」
そして侍女が深々と礼をする。
王族からの祝辞。侍女は感極まったように深く頭を下げた。
しかし王女は数度頷いて踵を返した。
……けっこん。
絵本の中で王子さまとお姫さまがよくそれをしている。
ルシが次来るのは一週間後だ。
待てない。
「先生に聞いてみよう」




