10 光に溶けた導き
巨大な船体は、漆黒の宇宙をゆっくりと進んでいた。
やがて、目には見えぬ境界を越え、船体を包む振動が変わる。
光の揺らぎが窓の外に広がり、そこがワームホールの内部であることを誰もが直感で理解した。
「……ここからは通信が完全に途絶える」
スティーブの声は淡々としていた。
だが、その瞳は計算式の奥に潜む無数の可能性を追いかけ、わずかに揺れている。
彼は端末を操作しながら、低くぶつぶつとつぶやき続けた。
「姿勢制御、問題なし……核弾頭、安定稼働……最適迎角、再計算……」
その細かすぎる確認作業は、船内の静寂を一層際立たせる。
その様子を見ていた賢人が、静かに口を開いた。
「大丈夫だ、スティーブ。君の計算や準備に間違いなんてないさ。
ここまで来られたのも、その徹底ぶりのおかげだろ」
スティーブの手が一瞬止まり、視線が宙をさまよう。
だが彼は返事をせず、ただ深く息を吐いた。
「ワームホールを抜けるまでは、俺たちにできることはない。だろ?
だったら少し休もう」
賢人の提案に、聡太も「そうだな」と軽く笑って同意する。
ティムも無言でうなずき、背筋を伸ばしたまま席を立った。
4人はそれぞれ与えられた小さな部屋へと向かう。
扉が閉じられるたび、船内はますます静けさを増し、残されたのはワームホールの不気味な光のゆらめきと、エンジンの低いうなりだけだった。
彼らはそれぞれの思いを胸に抱きながら、迫りくる運命の時をただ静かに待つのだった。
一人になった賢人の脳裏には、大きく手を振る拓実の姿があった。
親友 篤志との、あの退屈で窮屈な日常がどんなに愛おしいものだったか。
拓実があの時を取り戻したい、と強く思う気持ち。
それが賢人には痛いほどよく分かった。
だから、なんとしてでも、この作戦を成功させなければ。
記憶の中の、あの時に戻るために。
賢人は、何度も深く息を吸い、自分を奮い立たせていた。
ーーーーー
「……もうすぐ抜けるぞ」
スティーブの声が船内スピーカーから響いた。
その声で、賢人、聡太、ティムの3人は操縦室へ集まる。
しばらくすると――眩い光が船体を包み、圧迫感のような振動が走った。
そして、すべてがふっと軽くなる。
目の前のモニターに映し出されたのは、青く美しい星――地球だった。
「……地球だ……」
聡太の声が震える。
「綺麗すぎる……」
ティムは息を呑み、言葉を失った。
賢人もまた、喉の奥が熱くなり、言葉にならない感情に胸を満たされていた。
しかし、宇宙船はゆるやかに地球を背に取り、漆黒の宇宙の奥へと進んでいく。
やがて、漆黒の中に小さな影が浮かび上がった。
最初は点のようにしか見えなかったそれは、みるみるうちに大きさを増し、形を持ちはじめる。
「……小惑星だ」
直径12km。
迫り来るその巨体は、ただの岩塊にすぎないはずなのに、人類の運命そのものを背負った怪物のように見えた。
操縦席に座るスティーブは、端末を操作し続ける。
「軌道計算、再確認……迎角修正完了。誤差は許容範囲内」
モニターには「障害物までの距離」が刻一刻と減っていくカウントダウンが表示され、無機質な数字が不気味なリズムを刻んでいた。
障害物を自動回避する安全装置はすでに無効化されている。
「あと……10万キロだ」
スティーブがぽつりとつぶやく。
そして隣に座る賢人へ、静かに目を向けた。
「――あとは君に任せた」
「え?」
思わず聞き返した賢人の目に、衝撃的な光景が映った。
操縦桿を握るスティーブの手が、淡く透けはじめていたのだ。
「……スティーブ!」
聡太が叫ぶ。ティムも前のめりになる。
スティーブの身体は、徐々に光に溶けていくように輪郭を失っていた。
それでも彼は、穏やかな声で続けた。
「僕はもうすぐ消える。……それは、作戦が成功に近づいている証拠だ」
彼の表情は、かすかに笑っているようにも見えた。
「君たちは――君たちの場所へ帰るんだ。それが、僕たちが生きる未来につながる」
その言葉は、操縦室に重く、しかし確かな温かさをもって響き渡った。
賢人は思わず胸に手を当て、震える声で言った。
「スティーブ……君がいなかったら、俺たちはここまで来られなかった。本当に、ありがとう。」
聡太は目に光を溜めながら、照れ隠しのように笑ってから、大きな声で続けた。
「スティーブ!俺、最初は逃げ出したいって思った。
でも、君がいたから踏ん張れた。
本当に感謝してる!」
ティムは言葉を選び、ゆっくりと頭を下げた。
「君の頭脳、君の冷静さ、そして君の覚悟がなければ、俺たちはここに立てなかった。心から、ありがとう。」
三人の言葉が、それぞれの震えを伴って操縦室に満ちる。
スティーブは目を細め、唇の端をかすかに上げてから、首をゆっくりと竦めるようにして応えた。
言葉は出なかったが、その表情だけで全てを受け止めるような穏やかな合図を送る。
光はさらに淡く、だが暖かさを保ったまま、ゆっくりと彼を包み込んでいく。
聡太はそっとスティーブの肩に手を伸ばした。
触れられる感触はすぐに薄れていくが、その瞬間、4人の間に言葉以上の連帯感が流れた。
賢人は操縦桿に手をかけ、深く息を吸い込んだ。
ティムは窓の外、近づき来る小惑星を見据え、声を震わせずに言った。
「行こう。君の分まで、やり切る。」
スティーブはゆっくりと目を閉じ、かすかな頷きで応じた。
その姿が、光とともにしだいに薄れていく。
残された3人の胸には、言葉では言い尽くせないほどの感謝と、これから背負うべき重さが静かに芽生えていた。
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