07 絶望のシミュレーション
朝。
賢人は、心地よい眠りから目を覚ました。
昨夜のシャワーと柔らかなベッドでの休息は、山越えの疲労をようやく癒してくれたようだった。
外に出ると、空気はひんやりと澄み渡り、施設全体が静かに活動を始めていた。
案内された職員用の食堂は、大学の学食のように広々とした空間だった。
天井は高く、窓からは朝の柔らかな光が差し込む。
テーブルは自由に並べられ、あちこちから笑い声が響いていた。
カウンターには温かいパンやスープ、色とりどりの果物が並び、トレーを手にした人々が軽口を交わしながら朝食を受け取っていく。
ある職員が楽しげに声を上げた。
「昨日のラウンジでかかってた曲、知ってるか?
あれ、二十一世紀初頭に流行ったバンドらしいんよ」
「えー、そんな昔のやつ?
でも、リズムは今聴いてもカッコいいよな」
「この前は古い映画を見せてもらったんだ。
『指輪物語』とかいうやつで……いやぁ、あれは壮大だったな!」
笑い混じりに交わされる会話は、まるで平和なキャンパスの昼休みのようだった。
⸻
しかし、賢人の心は浮かび上がることはなかった。
食堂のざわめきと香ばしい匂いの中で、彼の思考はひとり別の方向へと沈んでいく。
――これだけの設備、これだけの人材、そして何十年も積み重ねてきた技術力。
それでもなお、地球は救えなかった。
「まだ、できることはあるはずだ」
その思いが、頭の中を占め続けていた。
パンをかじりながらも味はほとんど分からず、周囲の笑い声は遠い雑音のように響く。
聡太や仲間たちの表情は少し和らいでいるように見えたが、賢人だけは心の奥で強い焦燥感に突き動かされていた。
⸻
彼にとって、この明るく賑やかな食堂は、かえって現実との落差を突きつけるものだった。
ここにある安堵と、地球に残した人々の苦しみ。
賢人はスプーンを置き、ふと顔を伏せた。
昨日、西野やスティーブ博士から聞いた数々の話が、頭の中をぐるぐると巡っていた。
時間移動――。
反物質で拡張したワームホール。
それを可能にした桁外れの技術力。
そして、誰も止められなかった核の連鎖。
その一つ一つが、脳裏で点のように散らばっている。
どれも理解したとは言えないが、何かが――まだ言葉にならない“何か”が――繋がろうとしていた。
「……あと少しで……」
唇の内側で呟きながら、賢人は額に手を当てた。
掴めそうで掴めない。霧の中に輪郭だけ見える答え。もどかしさが胸を締め付ける。
その時だった。
「おい、何こわい顔してんだよ」
聡太が隣から肩を軽く叩いてきた。
冗談めかしたその声に、賢人は一瞬だけ現実に引き戻される。
その瞬間――。
点と点が線となり、ひとつの像を結んだ。
まるで電流が走ったかのように、賢人の瞳が鋭く光を宿す。
⸻
「おはよう。昨夜はよく寝られたかい」
振り返ると、桜井が食堂の入口に立っていた。
穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
桜井の姿を見た瞬間、賢人の胸にこみ上げていた考えが一気に爆発した。
彼は椅子を鳴らして立ち上がり、息を荒くしたまま言葉をまくしたてる。
「桜井さん――!もし、時間移動ができるなら……!」
言葉が追いつかない。喉が渇いて声が震える。
それでも必死に繋ぎ合わせた。
「衝突の前に戻って、核爆弾を積んだ宇宙船で小惑星に体当たりするんです!
それなら……地球を救えるんじゃないですか!?」
聡太は椅子から腰を浮かし、仲間たちも思わず顔を見合わせる。
食堂にいた職員たちも、騒がしさに一瞬だけ会話を止めた。
賢人は続ける。
「博士が言ってた反物質の量産や、ワームホールの安定化……その技術があるなら、
人類は小惑星を壊せる力を持ってたんじゃないのか!?
それをやらなかった理由があるなら、俺たちは知りたい!」
声は震えていたが、その目は真剣そのものだった。
桜井は賢人の震える声をしばらく受け止めたのち、静かに言った。
「……この話は、私ひとりでは答えきれない。西野さんとスティーブも交えて話そう」
そう言って、6人を廊下へ導いた。建物の奥、ガラス張りの扉を抜けた先に現れたのは、会議室のような広い部屋だった。
壁際には端末が整然と並び、中央には長机と椅子がいくつも並んでいる。
そこに、西野とスティーブが姿を現した。
西野は穏やかに頷き、スティーブはぎこちない所作で手を挙げた。
桜井は机の前に立ち、6人に向かって言葉を続ける。
「――賢人くんから提案があった。時間移動を利用し、核を積んだ宇宙船で小惑星を破壊するというものだ」
その場に一瞬、緊張が走った。
聡太もごくりと唾を飲み込み、仲間たちは息をひそめる。
しばし沈黙を保ったのち、スティーブが立ち上がった。
「その案は……すでに検討済みだ」
指先で端末を操作すると、正面の壁いっぱいに設置されたスクリーンが起動する。
黒い宇宙空間に浮かぶ小惑星の映像が映し出された。
「これが衝突前の“それ”だ」
画面に現れたのは、球体を無理に押し潰して、さらにねじったような、不格好で不気味な形状の小惑星だった。
表面には深い亀裂と凹凸が走っていた。
6人は息を呑んだ。
賢人は拳を握りしめながら、その異様な姿に釘付けになった。
スティーブは一度スクリーンを指で示し、わずかに早口で言葉を重ねた。
「見てわかる通り、あの小惑星は歪で不均一だ。
……この形が、軌道の予測を不可能にしている。
計算を重ねても、次の瞬間には想定外の角度に姿勢を変える。
だから――自動操縦では到底狙いを定められない」
彼は一呼吸おき、視線を6人に移した。
「つまり、宇宙船で衝突を試みるなら……最後は“手動”で操縦する必要がある。
操縦士自身が、小惑星とともに消えることが前提になる」
部屋の空気が一瞬凍りついた。
聡太が思わず口を開きかけたが、その声は出なかった。
彼らの胸の奥に、重たい現実だけがのしかかる。
沈黙を破ったのは、西野だった。
彼は椅子から静かに立ち上がり、言葉を選ぶように口を開いた。
「このスティーブをもってしても、軌道の完全な予測は不可能だった。
それほど複雑で、気まぐれに姿勢を変える天体なんだ。
そんな相手に、命を賭けて突っ込むのは――選択肢として考えられない」
穏やかな声だったが、そこには揺るぎない断言があった。
「私たちはあらゆる可能性を探った。
だが、どうあがいても道は閉ざされていたんだ。……だから、衝突は避けられなかった」
その一言で、場の空気が完全に崩れ落ちた。
賢人もまた、胸の奥で「まだ何か」と叫びながらも、頭の中は真っ白になっていくのを止められなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
気に入っていただけましたら、評価&ブックマークをお願いします。
執筆の励みになります。




