05 遠征準備
Room-Zでの決定から二日後。
メンバーはそれぞれ、与えられた日常を装いながら、“その外”へ踏み出すための準備を水面下で進めていた。
〈Helios_Scan〉本名ティムは遠征リーダーとして全体の進行を管理。
標高3000m級の山越えを想定し、必要な装備と食料のリストをまとめる。
彼がまず着手したのは地図作成だった。
気球で得た写真を元に、山脈の位置や予想ルートを詳細にプロット。
AIの監視下で堂々と地図を持ち歩くのは危険なので、複数枚の“別々の絵”として分割し、組み合わせればルートが完成するという仕掛けを施した。
山岳ガイド経験がある〈CliffEdge〉本名ジャックは登山とロープワークの担当。
移住前は軍に所属していたと言うだけあって、屈強な体躯が頼もしい。
AI管理下の商業区にあるアウトドアショップで、「日常訓練用です」と言いながらクライミングロープやカラビナを手に取った。
指にかかる重さに、思わず眉を上げる。
地球で使っていた同等品の半分ほどの重量しかない。
それでいて、繊維の編み込みは緻密で、手触りはしなやかだった。
カラビナも同じく、驚くほど軽く、表面はまるで鏡のように滑らかで、手のひらに吸い付く感触がある。
「……これなら、数百メートルのロープだって担いで歩けるな」
思わず独りごちる。
性能や素材の詳細はAIも説明できず、「安全規格は保証されています」とマニュアル通りの返答しか返ってこない。
だが、この軽さと強度――明らかに地球の技術では到達できない域にあることだけは、握った瞬間にわかった。
〈SkyTracker〉本名アランは通信・位置把握担当。
AIの監視をかいくぐるため、合法のトラッキングデバイスと非合法に改造したビーコンを二重で用意。
万が一遭難しても、残ったメンバーに現在地を知らせられるよう工夫する。
〈WindVoyager〉タイラーは食料と燃料の手配役。
乾燥野菜や保存パン、トレッキング用の固形燃料を少しずつ集め、倉庫の奥に隠す。
あくまで「趣味のキャンプ用品」として入手するため、複数の店舗を回って怪しまれないようにした。
賢人と聡太は記録係。
動画撮影用の小型カメラと予備バッテリーを用意し、レンズを保護するための耐水ケースも自作する。
「これが帰れなかったときの唯一の証拠になるかもしれない」と、聡太は冗談めかして言ったが、その瞳は笑っていなかった。
拓実は予備役。
装備は整えるが、今回は居住区に残って待機することになった。
外に出られないメンバーのため、通信支援とバックアップを担う役目だ。
「外で動ける奴だけじゃなく、中でサポートする奴がいなきゃ全滅するからな」
そう言ってはいたが、本当は僕も行く、と最後まで食い下がっていた。
だが、彼はまだ小学六年生。親の同意も取れないまま連れ出すわけにはいかない。
説得の末、「お前が居てくれなきゃ、向こうで何かあっても連絡が途絶える」と、待機メンバーとしての重要な役割を担ってもらうことで納得させた。
その顔には悔しさが滲んでいたが、最後には黙って頷いた。
ーーーーー
装備の搬出は一度に行うと目立つため、それぞれが自宅に担当の備品を少しずつ集めていった。
クライミングロープ、軽量テント、浄水フィルター、非常食――。
どれも日常用途を装って購入し、鞄や収納箱の奥に隠しておく。
出発数日前の夜、メンバーは人気のない郊外の芝地――気球実験で使ったあの場所――に再び集まった。
闇の中、互いに持ち寄った装備をひとつずつ地面に並べ、声を潜めて確認し合う。
ランタンの淡い光の下、小型テントの中で物資は慎重に仕分けられ、次第に“山越え遠征”の形を整えていった。
荷造りが終わり、ひと息ついたのは深夜近くだった。
芝地の上には、遠征に必要な装備が整然と積まれている。
ランタンの光に照らされたそれらは、どれもエリオス製らしく驚くほど軽く、無駄のない形をしていた。
触れるたびに、地球で使っていた同類の品との技術差を思い知らされる。
その場で、ジャックが立ち上がった。
「いいか、登山は“景色を楽しむ散歩”じゃない。
落石、滑落、垂直に近い崖を登ることだってある。
誰か一人でも動けなくなれば、全員が危険に晒される。
だから、必ず助け合うんだ」
彼の声は低く、しかし全員の胸に響いた。
「ロープの結び方、カラビナの扱い、足場の確認……今ここで覚えたことは、山の上じゃ命綱になる」
誰も冗談を挟まず、真剣に耳を傾けていた。
賢人と聡太は、この数日、ほとんどの時間を走り込みや腕立て、腹筋に費やしてきた。
それでも、本格的な登山など二人とも経験がない。
重い荷を背負い、標高3000メートル超えの山脈を越える――その現実を考えると、不安が喉の奥に張り付く。
「……正直、怖いよな」
聡太がつぶやくと、賢人は短く笑った。
「まあな。でもさ、行かなきゃ見えないもんがあるだろ」
山の向こうに何があるのか、この目で確かめたい――それだけが、二人を前に進ませていた。
それから出発までの二日間、賢人と聡太は割り振られた備品の使い方を徹底的に覚え込んだ。
ジャックの指導で、ロープの結び方や確保の仕方を何度も繰り返し、手が自然に動くまで練習する。
支給されたリュックに荷物を詰め、芝地や周辺の坂道を何度も往復して脚を鍛えた。
背中にずっしりと食い込む荷の重みは、山越えの現実を無言で突きつけてくる。
「おい、結び目が甘いぞ。解けたら命落とすからな」
ジャックの厳しい声に
「……わかってる」
賢人と聡太は何度失敗しても、指先が覚えるまで繰り返す。
夜は部屋に戻って地図を眺め、想定ルートを頭に叩き込む。
焦りや不安が消えることはなかったが、それ以上に、胸の奥には小さな炎のような決意が灯っていた。
そして――いよいよ明日の早朝、出発の時を迎える。
部屋の窓から見上げた夜空に、星々は静かに瞬いていた。
その光が、遠征隊の行く先を照らしてくれるような気がした。
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