02 雨の中の作業
衝突から四日目の朝。
雨はまだ止む気配がなかった。
空は鉛のように重く、絶え間なく降り続く雨が村の道を濁流に変え、足を踏み入れるたびに靴が泥に沈む。
「おい、川の水位がまた上がってきてるぞ!」
石田の怒鳴り声に、作業中だった男たちが一斉に顔を上げた。
「嘘だろ……今朝より増えてるじゃないか」
雅彦が険しい顔で川岸を見つめる。
流木や土砂が折り重なって、自然のダムのように水をせき止めていた。
「このままだと、上の畑どころか村まで来るぞ!」
石田が声を荒げながら長靴で水辺を蹴った。
「悠馬! こっちに来てロープ頼む! しっかり縛るぞ!」
「はいっ!」
悠馬は泥を跳ね上げながら駆け寄り、石田に手渡されたロープを腰に巻いた。
「雅彦さん、右側の流木、動かせそうです! 一緒にやりましょう!」
「よし、滑るから気をつけろよ。悠馬、ロープ張れ!」
雅彦が腰を落とし、ぬかるんだ地面に足を踏ん張ると、悠馬が後ろからロープを支えた。
「うおっ、冷たっ……! これ腰まであるぞ……」
「文句言う前に引っ張れ!」
雨は容赦なく降り続け、冷たい水が首筋を伝う。
ふやけた手のひらにロープが食い込み、ビリビリと痛みが走る。
「くそっ、こんなに固く絡んでやがる……」
「回り込むぞ! こっちの枝が外れれば、一気に崩れる!」
流木の山に手をかけ、泥にまみれながらも、3人は必死に押し引きした。
「あと少し……あとちょっと……!」
「今だ、引けぇっ!」
ガコッという音と共に、巨大な枝が一気に外れ、水が怒涛のように流れ出した。
「やった! 流れたぞ!」
「よし、でも油断すんな! 次の雨でまた詰まるかもしれん。監視は続けるぞ!」
石田はロープを巻き取りながら、ずぶ濡れの雅彦と悠馬に頷いた。
その背後で、雨はますます強くなっていた。
―――――
一方、山の斜面では大人たちが土のうを積み、崩れそうな地盤を必死で補強していた。
「もうちょい右だ! そこに三段目を置け!」
ここでも、石田が的確に指示を飛ばす。
「わかった、こっちは砂が足りねえぞ!」
「じゃあ、この袋は俺が詰める!スコップ貸してくれ!」
男たちは泥だらけの顔を見合わせながら、息を荒げて応えた。
「おい、こっちの壁板、手伝ってくれ!」
石田の声が響くと、女性たちも釘や金槌を手に、破れた屋根や割れた窓の修繕に駆り出された。
「この板、重いわ……誰か押さえて!」
「はいはい、こっち持ちます!」
陽子は髪を雨に貼り付けたまま、ずぶ濡れの手で板を押さえた。
「これで……なんとかなる?」と声を震わせる。
「いや、まだ隙間が空いてるな。そっち側をもう少し押して!」
「よし……これでいい?」
「大丈夫だ、そこに釘をもう一本打ってくれ!」
「わかった!」
トン、トン、トン――雨に混じる金槌の音が、妙に頼もしく響いた。
「もう腕が上がらない……」と隣の女性が息を吐くと、
「あと少しだ、ここを塞いだら終わり!」と石田が力強く言い返す。
その声に、皆の表情が少しだけ引き締まった。
―――――
「よし、次は米袋を持って行こう!」
篤志が声を張り上げる。
「えー、もう腕パンパンだよ……」
従弟の春馬が情けない声を出す。
「俺だって限界だけど、動かないと腐っちゃうだろ! ほら、あと2往復で終わりだ!」
「くぅー……分かったよ!」
春馬は渋々米袋の端を持ち上げる。
「おい篤志、そっちの箱は卵だから、揺らすなよ!」
おじいちゃんがヤギ小屋から顔を出して叫ぶ。
「わかってるって! そんなにドジじゃないから!」
そう言いながらも、篤志の手はプルプル震えていた。
「お前、それ完全にヤバいだろ……春馬、支えてやれ!」
「俺だって手が滑るかも……って、うわっ!」
「ちょっ、やめろ! 卵割れるから!!」
子どもたちの騒がしいやりとりに、ヤギが「メェー」と鳴いた。
「ほら、ヤギたちも呆れてるぞ」
おじいちゃんが笑いながら、桶に新しい水を入れる。
「今日は特別だぞ、たっぷり飲めよ」
「メェーッ」
「お、いい返事だな」
「牛はちゃんと餌食べた?」
篤志が尋ねると、春馬が牛の鼻先を撫でながら答えた。
「うん。さっき牧草を山盛りやったら、モリモリ食べてた。……でもさ、牛って雨でも平気そうだよな。俺らの方が先にダメになりそう」
「だな……風呂入りたいなぁ」
「それな……」
子どもたちは顔を見合わせてため息をついた。
「おーい、終わったかー?」
石田が小屋の方から声をかけてきた。
「もう少しで! あと卵の箱だけ運んだら終わりです!」
「よし、じゃあ終わったら納屋で休憩だ。濡れたままじゃ体壊すぞ!」
「やったー! 終わったら牛乳飲もうぜ!」
春馬の提案に、篤志も「おー、それ賛成!」と笑顔を返した。
―――――
夜になると、雨はさらに勢いを増した。
屋根を打つ雨音がドラムのように響き、誰もがその音に疲弊していた。
一日の作業で、体はすでに鉛のように重い。
夕食といっても、温かいものを作る余裕はなく、干し芋と塩むすびを分け合うだけだった。
「なぁ、これで風呂も入れないのか?」
春馬が顔をしかめて呟く。
「無理だって……水はあっても火が使えないし、今は焚き火も危ない」
悠馬がため息をついた。
「せめて、タオルで拭けるだけ拭こうぜ……」
篤志はぬるい水でタオルを濡らし、顔と腕だけを拭いた。
それでも、土と雨でベタついた体はすぐに不快感を取り戻す。
「子どもたち、もう横になれ。風邪ひくぞ」
雅彦が毛布を広げて声をかけると、子どもたちは一列になって並び、雑魚寝の形で倒れ込んだ。
「うわ、篤志の服びしょびしょじゃん! 離れろって!」
「お前だって同じだろ!」
笑い合う声も、すぐに小さな寝息に変わった。
―――――
大人たちも、濡れた服のまま床に転がるように眠りにつく。
「……こんな生活、長くは続かないな」
西野医師が低い声でつぶやき、雅彦の横に座った。
「体を冷やし続ければ、免疫も落ちる。
感染症や肺炎だってあり得る。
子どもたちも危ない」
「わかってます……でも、風呂を焚ける状況じゃない。
とりあえず明日は……」
「明日は、少しでも体を拭けるように、湧き水を運び込もう。
あと寝る前に温かい飲み物だな」
「了解です。……石田さんとも相談して、もう少し寝床を整えます」
西野は眠る子どもたちの額にそっと触れ、体温を確かめた。
「今のところ熱はない。だが油断はできないな……」
雨音が重く響く中、彼は疲れた目を閉じ、短い眠りに落ちていった。
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