39.ジョハンナ 別れを告げて回る
癒しの力を使い果たした私は、もはや『癒し手』としてストルト家に雇用される理由はなくなった。
本を読んでも癒しの力を回復させる方法は載っていないし、そもそも治癒魔法学校でも、自分の限界を超えて魔力を使ってしまった場合には、魔法そのものが使えなくなる危険があると教わっていた。
「だからと言って、後悔はしていないけれどね」
重傷を負ったロドルフ様、ブラン君、リナリア、討伐隊ら皆を救ったのだ。あのとき、他にどうすることができただろう?
あの闘いのあとで、何かの弾みで癒しの力が復活しないか騙し騙して日々を過ごして2週間ほど経った。その間に通常の書類仕事はこなしていたのだが、ついに先ほどロドルフ様から直接、今月で私の役目は終わりなのでお屋敷から出て行ってほしいと告げられた。
身辺整理のために3日の猶予をもらい、部屋の片付けをしているところだ。3日というのも短い気がする。
「普通、解雇予告って1ヶ月前にするものじゃなくって? あと退職金は出ないのかしら?」
どうも前世のOLの時に得た知識を混同してしまう。しかしこの世界では特にそういった決まりもない。
これから先のことは正直言って考えていない。『癒し手』として今後もやっていくつもりだったから、治癒魔法学校を出たのだ。そのスキルが将来に役に立たなくなってしまったという現実には、暗澹たる気持ちになる。
「実家に帰って、今後のことを相談しましょう」
まずは当面の暮らしを成り立たせなければならないのだった。
◇ ◇ ◇
荷物の整理とこれまでお世話になった人に屋敷を去ることを伝えた。
昨日の夜には僭越ではあるが私の送別会を行ってもらい、レジスやゴールディさん、チアゴさんらがわざわざ顔を出してくれた。
私は憂鬱な気分ではあったが、レジスからは誘拐の件、ゴールディさんたちからはドラゴン戦の件でお礼を言われた。改めて頭を下げられると照れくさいものではある。私だけが頑張ったわけではなく、関わった人がみんな頑張った結果だから。
そして、お屋敷を出て行く日が来た。
ロドルフ様の部屋に行って挨拶をする。ノックをして名乗り、部屋に入ると座っていたロドルフ様が立ち上がる。
「これから出発します。本日までいろいろとお世話になりました」
「ジョハンナさん、こちらこそいろいろとお世話になりました。助けていただいたこと、ありがとうございました」
ロドルフ様もまともな挨拶を返してくる。ちょっと意地悪な心が芽生えたので、聞いてみることにした。
「助けていただいた? 私、どういったことでお助けいたしましたかしら?」
「ええと、その、仕事をやってくれたこととかです」
相変わらず具体性を著しく欠く内容が帰ってきた。聞いた私も悪いが。
もっと、ヤムシブさんの件とか、モンスター討伐の件とかあるような気もしたのだけれど、そういったことはすでにロドルフ様の記憶の果てに行ってしまっているらしい。
「あの、リナリア……いまやリナリア様と呼ぶべきかしら、今はどちらにいらっしゃいます?」
「リナリアさんはこの屋敷に引っ越してくるので、今は荷物を運び込んでいるかと思いますよ。私の寝室の隣です」
ロドルフ様の執務室を出る。リナリアとの結婚については、発表のあとの宴会の場で祝福したから改めて言わなくてもいいかな?
ああ、結婚式に呼んでもらえたりはするのかしら? ちょっとどちらでもよくなっているけれど。
庭の方を見ると、誰かが歩いているのが見えた。
ブラン君だ。そしてその隣にいるのは、闘うメイドのキャンディスさん。ドラゴン戦で大怪我をして、昨日ようやく目を覚ましたばかりだが、休みすぎたとばかりにさっそく今日から仕事に復帰している。
キャンディスさんがブラン君のホムンクルスが暴走したときにそれを破壊したため、2人の間にはわだかまりがあると思っていた。しかしドラゴン戦で、キャンディスさんがブラン君をかばって大けがを負ったことでわだかまりは解けたようだった。
それどころかブラン君がキャンディスさんを気にするようになったのは、私たちが寝ていた医務室での様子を見ればわかった。
それがもう2人で手をつないで歩く仲になっているとは。正直言って驚いた。
「これで、ブラン君の私へのフラグが立つことはなくなったわね」
そもそもゲームの主人公ではない私にフラグも何もないが、ブラン君のことは憎からず思っていたので、こうして私以外の女性と親しくしているのを目の当たりにすると、心の中が少しザワザワとしてくる。もっともブラン君へは友人としての感情のみだったと思うのだけれど。
私と目が合って駆け寄ってきたブラン君と、後から追いついてきた付いてきたキャンディスさんにも感謝を告げる。ブラン君の目が潤んでいたのが印象的だった。
お屋敷内の使用人たちに挨拶して回る。仕事ではお世話になった方々だ。1年ほどの付き合いだったが、よくしていただいた。
そしてロドルフ様の寝室の隣、つまりリナリアが入る予定の部屋の前まで来た。中からはガタガタと何かを運んでいる音がする。ドアを開けてみると、彼女の姿があった。
「リナリア様」
「あら、何よジョハンナ、改まっちゃって。『様』なんて付けなくてもいいわよ」
「そうですか? ともかく、本日で私、お暇をいただきましてお屋敷から出ますの」
「うん、聞いたわ……残念ね。せっかく仲良くなれたと思ったのに」
一礼して彼女の部屋を去る。
リナリアの言葉が意外だった。『仲良くなれた』……か。私としてはバッドエンドにつながりそうなので意識的に彼女と接触しすぎないようにしていたのだけれど。それでも仲良くなれたと思ってくれていたとは。
彼女の顔には、ロドルフ様と婚約したことによる優越感や、私が首になり屋敷を去ることへの哀れみや嘲りのような感情は全く見られなかった。ただただ1人の友人に対する別れであるように思えた。
「私よりもよほどさっぱりした性格だったわね。やっぱり私の方が悪役令嬢っぽかったかも」
そして私が別れについて最も話をしたい人がいるのだが、この2日間話をできていない。
それどころか彼が送別会の場で思い詰めたような表情をしているのを見て以来、屋敷内でも姿を見かけていない。ロドルフ様に聞いたら、今日はお休みらしい。
「ペトロッシさん、いったいどこにいるのかしら」




