19.ジョハンナ劇場 開幕
「い、違約金ですと? なぜそのような話になるのです」
怒りの表情のヤムシブさんだが、自分に何か落ち度があったかを考えているのか、視線が上へ下へと彷徨っている。
「契約書の第9条には、当事者の一方が信義則に反した行動を取ったときには契約を解除することができると書いてありましたわ」
ヤムシブさんが契約書を取り出し、条項を確認する。
「確かにそうですね」
「そして次の第10条に、契約の解除が一方の信義則違反に基づく場合は、土地の売主は買主に代金を返還し、違反を行った側がもう一方に対して売買金額の30%相当額を違約金として支払うと書かれております」
「それは私も読みましたので知っています。ですが、どこに違約金を支払う要素が? まさか信義則に反していたことが何かあったというのですか?」
私は呼吸を整えて言う。
「では申し上げますが、土地をほしがっているモーヤン氏とは、実在しない人物なのでしょう?」
ヤムシブさんの顔色が変わる。
「実在しない人物と契約させられるなんて、それを持ちかけてきた側が信義則に反していることは明らかですわね」
「い、いえ、決してそのようなことはありません。何を根拠にそんなことをおっしゃるのですか」
「私が直接、その契約書に書かれている住所まで行って確かめたからですわ」
そう、契約の話が出た翌日、私は屋敷を出てレジスの元へ向かって共に契約書を確認。そしてレジスとリナリアと別れてから、そこに書かれていたモーヤン氏の住所まで1日かけて移動した。
あるはずの住所は更地となっていて、モーヤン氏が住んでいる形跡は認められなかったのだ。
そして復路で2日かけてロドルフ様の屋敷まで帰り、そこで契約をどうするか計画を立てたというわけだった。
たまたまレジスの出張先とモーヤン氏の住所が同じ方向だったため、余計な日数をかけずに済んだのがありがたかった。
私がこのことを明かすと、ヤムシブさんは黙り込んでしまった。実際は契約書のモーガン氏の住所の不備こそ証明できたが、モーガン氏が実在するかどうかは確認できていない。鎌をかけたらそれが当たったのだった。
「それに、信義則違反で違約金を取ろうとしたのは、そちらも同じではないかと思っておりますのよ」
「え……何をおっしゃるんで」
私はレジスの出張先に押しかけて相談したときのことを思い出していた。
「つまり、こういうことです」
◇ ◇ ◇
「ヤムシブがロドルフをはめようとしていると考えると、契約書にも何か罠が仕掛けてあるんじゃないか」
レジスの目つきが鋭くなった。契約書の文言を凄い早さで追っているようだ。
しばらくして彼が口を開く。
「気になるのはここの条項なんだが……字が小さくて読みにくいけれど『ロドルフ・ストルトは契約締結からモーヤンに土地を引き渡すまでの間に、該当の土地を安全に利用できるよう、整備・管理する責任と義務がある』といったことが書かれているな」
そういって契約書の該当の部分を指し示す。私も目を細めて読んでみる。
「でもそういうのって当たり前のことじゃない? 土地の管理責任はまだ移ったわけじゃないものね。なにかおかしいのかな?」
リナリアが疑問を口にした。
「『該当の土地を安全に利用できる』というのは無理じゃないか?」
レジスがヒントをくれたことで私は彼が何を言わんとしているかがわかったが、リナリアはまだピンときていないようだ。この森についてよく知らないのだから無理もないが。
「じゃあ、ヤムシブが下見に行くとかいう名目で、土地の売買前にこのバスクの森へ行ったらどうなるだろうか?」
「あっそうか、ここはモンスターが出るって話だから、行ったら危ないわよね」
「そうなんだよ。そもそもヤムシブが屋敷に来てここの土地を買いたいって話したときに、ジョハンナもロドルフもペトロッシもそのことは教えなかったんだよな。それならヤムシブがモンスターが出ることを知らずに森へ行ってしまうんじゃないのか」
レジスのあとを私が引き取る。
「ペトロッシさんは森を手放したがっていたから、そうした不利な情報は隠すわよね……ロドルフ様は、そこまで考えていらっしゃらなかったかも」
「あいつらの性格は一緒に働いていたヤムシブは知ってるしな」
聞けば聞くほどレジスの言ったとおりのことが起きるように思えてきた。
「ヤムシブさんか、あるいはその部下か誰かがわざとバスクの森でモンスターに襲われて怪我をして、それをこちらの責任として賠償させてくる、ということ?」
「まあそうだ。何も実際にヤムシブや仲間が森へ行く必要はない。ロドルフたちが森が危険であることを知らせなかったことを盾に、怪我をしたことをその森に行ったからだということにすれば、ロドルフ側の落ち度になる」
◇ ◇ ◇
「おわかりかしら? こういうことでしたのよ」
「なるほど……こういうことだったのか」
ペトロッシさんが舌を巻く。
「ぐ……まさかこういうことをしようとしていたと看破されるとは……」
ヤムシブさんも悔しそうだ。
なんとか私の回想をこの場の皆と共有できたようでよかった。魔法を使って意識を共有したとかではない。私が声色を変えて1人3役で回想シーンを再現しただけなのだ。
これもヤムシブさん側が企んでいたという証拠がないので言い逃れもできたはずだが、彼は勢いで企みを認めるようなセリフを吐いてしまったためか、観念したような表情を浮かべる。
しかし。
「あっ、そうだ! 私自身は違約金など支払いませんよ!」
「ん? 突然どうしたのだ」
ヤムシブさんが何かを思いついたように叫び、ペトロッシさんが反応する。
「だって、この契約はモーヤン氏とロドルフ殿の間で成されたものではないですか。違約金を取りたければ、モーヤン氏から取ってください。私は契約締結して報酬をもらえばいいだけの立場なんです」
まるで形勢逆転したかのような、安堵感と優越感が入り交じった表情になっているヤムシブさん。こういう表情はなかなか見られないので、もうちょっと見ておこうかとも思ったが、そういうわけにもいかない。
「ヤムシブさん、そうはいきませんわ。あなた先ほど委任状にサインなさいましたわよね。そこにどう書いてあったかお忘れで? こう書いてありましたわよ。『私は上記の者に、契約を履行することを任せる』」
「あ、あれ、そうだったかな」
「契約の履行がヤムシブさんに任されたのなら、当然違約金の支払いも、ヤムシブさんに履行いただけますわね」
今度こそ彼は肩を落とした。
「ヤムシブさん」
これまで静かに事の成り行きを見守っているかのようだったロドルフ様が口を開いた。
「あなたとは旧知の仲ですし、私を恨んでいる気持ちも、まあわかります。ですからここで違約金を取る、というのはやめておきますよ」
「えっ、へへえ、それはありがたいことで」
「しかし、あなたの顔はもう、見たくありませんねえ……」
意外な展開かと思いきや、いきなりロドルフ様が冷たい口調になる。座ったまま視線を下の方に向けて喋っており、ヤムシブさんの方を一瞥もしないために逆に迫力があるわ。
ヤムシブさんの背中がビクッとなった。
「これから私の領地であなたを見かけたという情報が入ったら、そうですねえ、すぐに通行料でもいただきに参りましょうかね。払わないということであれば、もう私の領地から出られないことになりますよねえ」
珍しくヤクザみたいな追い込み方を始めたロドルフ様だ。こういう一面もあったのかと、ちょっと見ていてドキドキする。
ヤムシブさんはすっかり平身低頭で、土下座でも始めそうな勢い。
「では、この土地の売買の件はなかったということでよろしいですかね? 契約書はこちらで破棄しておきます」
「はっ、はい、左様で」
「わかりました。それでは用が済んだらお帰りください」
ロドルフ様がニッと笑う。あー、暗黒微笑だわ。暗黒微笑って久しぶりに聞いたけど。
そのまま振り向かずに部屋を出て行くヤムシブさんだった(部屋の鍵はいつの間にか開けられていたらしい)。




