18.ロドルフ 契約書に署名する
今日はヤムシブさんから土地売買の契約の期限と言われていた日だ。少しおさらいをしておこう。
ロドルフ様の屋敷までヤムシブさんが契約書を取りに来ることになっているので、その際に契約を結ぶか結ばないかも告げることとなる。
土地をヤムシブさんの知人のモーヤン氏に売る契約を締結するならば、契約書に署名してそれを渡す。締結しない場合は契約不成立を伝える。
こちら側は本日、ロドルフ様、ペトロッシさん、そして私が応対する。
通常であればもちろんロドルフ様がメインで話をすることになるのだが、私の考えと計画については昨日の時点ですでに2人には話してある。
ペトロッシさんは、この売買対象の土地がモンスターの住処になっている森であるために手放したがっている。さらにモーヤン氏の提示額が高額であったことから、相手の気が変わらないうちにさっさと売ってしまえと思っているようだ。
「私は反対ですね。あんな危ない土地は、買ってくれる人がいるうちに売るべきです」
「いいえ、こんなうまい話をかつて首にされた使用人が持ってくるはずがありません。何かしらの奸計が潜んでいるはずですわ」
実を言うと最終的な決断を巡って、このように彼と少し口論になってしまった。解決しない形で昨日は気まずい状態で別れてしまったため、朝目覚めるのが憂鬱だった。
それでも朝に食堂で会ったときに、向こうから笑顔で挨拶してきてくれたのが嬉しかった。
「ジョハンナさん、実は昨日はなかなか眠れませんでしたよ」
「えっ、そちらもでしたの。私もです」
「あはは」
フラットな立場でいろいろ考えてくれたそうで、私の説を採ってくれることになった。
さて、私はロドルフ様の契約書をお借りして、5日前にレジスとリナリアに見せた。ロドルフ様に契約書を返すときにそのことについては報告済みだ。
もっとも事前に了承は得ていたのでそこは問題なかった。まあ、自分もその場で契約書を読んだのだが、それについては聞かれなかったので話さなかった。
肝心のロドルフ様自身が、土地を売ることをどう考えているのかはいまいちわからないままだった。私が尋ねても、うーとかあーとか言うだけではっきりしなかったのだ。
「ジョハンナさんのお話は正直言ってよくわかりませんでしたが、レジスに契約書を見せてくれたのですね。封印をしておいてよかったです」
私の計画を話しても、ロドルフ様には話が通じているのかいないのかわからない。封印の話ももはや私としてはどうでもいいのだが、彼としてはそこが気になったらしい。
約束の時間になり、ヤムシブさんが単独で屋敷までやってきた。メイドのキャンディスさんに案内されて応接室に入ってくる。
キャンディスさんが扉を閉める。
いよいよ考えていた計画の通りに動くときだ。契約ごとには慣れていないので緊張から動悸が激しくなってきた。
でも、私は悪役令嬢だ。そのつもりで動けばきっとうまくいく。傲慢に、高飛車にやってやる。
「さて、では契約についてお伺いさせていただきましょうか……契約書の方へ、署名はお済みでしょうかな?」
「その前に、私から1つよろしいですか?」
ロドルフ様が正面の椅子に座り、ヤムシブさんと相対する。ペトロッシさんと私がロドルフ様の斜め後ろに立っている。その位置の私が喋りだしたことで、ヤムシブさんは少々面食らったようだった。
「申し遅れましたが、私はロドルフ様の秘書を先月より勤めさせていただいております、ジョハンナと申します。今後ともよろしくお願いいたします」
「はい、ジョハンナさんね。何かありましたか?」
秘書というのはもちろん嘘なのだが、発言しても不自然でない立場と思わせておきたい。
「これはモーヤンさんとの契約なのですよね? ですが契約の場にご本人がいらっしゃらないというのは、礼を失した行為ではありませんこと?」
「いや……モーヤン氏は遠方に住んでおられる方なので、こうして私が代理で参ったのではありませんか。ほら、契約書にモーヤン氏の住所が書いてあったでしょう。確か最後の署名欄の下辺りですよ」
ヤムシブさんの言ったことが本当か、ロドルフ様が契約書を机に広げて該当箇所を確認する。
その住所はこの屋敷から遠く離れており、馬車でも片道2日ほどかかってしまう場所だった。
「おや、まだロドルフ様は署名をされていないのですね。では、本日この場でしていただけるということですね。さあ……」
「いいえ、それにはまず前段階を踏んでいただかねばなりませんわ」
また私が喋りだしたことで、ヤムシブさんの顔に嫌気が走ったのが見えた。
「先ほどの説明では足りませんでしたかな?」
「そうではありません。ヤムシブ様がこうしてモーヤン氏の代理でいらしたということであれば、それを証明する『委任状』をお持ちのはずですわ。特定の事項に対する代理権が与えられたことを記載する文書です」
「委任状……いえ、持ってきておりません。まさかそれがないと契約を結べないというおつもりですか?」
私は心の中で少しニヤリとする。
「いえ、以前に別の契約の際に予備で準備していたものがありますわ。こちらにヤムシブ様の住所とお名前と、委任者との関係を書いてください。下の方に委任者自身が書く欄がありますが、そちらはヤムシブ様に書いていただいて構いません。本当はまずいのですが時間もありませんので、ここだけの話ですわ。これを以て、ヤムシブ様が委任されたことがわかりますので契約もできます」
「そうですか、では書きますよ」
「ありがとうございます。こちらも後から代理権のないお方と契約したなんてことが記録として残ると困ってしまいますので」
ホッとした様子のヤムシブさん。ペンを走らせてさっと委任状にサインをする。
なお、委任状自体にはこう書いてある。
『私は上記の者に、契約を履行することを任せる』
私はヤムシブさんの書いた委任状に目を通し、必要事項が記載されたことを確認する。
「ありがとうございます、ヤムシブ様。それではロドルフ様、契約書に署名をいたしましょうか」
「はい」
ヤムシブさんはうつむき加減だったが、ロドルフ様の返事を聞いて口元が緩んだのが見えた。
ロドルフ様は相変わらずのあまり綺麗ではない字で、契約書に署名した。
「おお、ロドルフ様、ありがとうございます。今このときより、契約成立というわけですね」
「そういうことになりますわ」
喜ぶヤムシブさんに私が代わりに答えた。契約が成立して余裕の彼は、もはや演技は不要とばかりに私に対して嘲りの目を向ける。
「では契約書の原本はこちらがいただいていきますよ。第1条に書いてありますからね。『契約書の成立の証に本書1通を作成し、乙がこれを保有するものとする』。乙はモーヤン氏ですね。これであの土地はモーヤン氏のものです。代金は後ほど契約の通りにお支払いします」
ヤムシブさんはそう言って席を立ち、挨拶もなく扉の方へ向かう。
ガチャ、ガチャ。
扉が開かない。
「ぬっ? 何だこれは、開かないぞ。どういうことです」
「あら、私ったらメイドに間違えて伝えて、鍵をかけさせてしまったみたいですわ」
怒りの表情のヤムシブさん。だが私はそれに構わず続ける。
「ですがヤムシブ様、残念ですが外部に連絡を取る前に、違約金をお支払いいただくお話をいたしましましょうか」




