第46話 魔導工業都市アウレクシア〜悲愴〜
赤い魔導灯が不規則に明滅するたび、薄暗い地下の廊下にリュネルの影が伸び、消え、また不吉に伸びる。
胸元に伝わってくる、レギスに持たせた魔道具の微かな反応。
それを目印に、彼は入り組んだ地下施設を駆け抜けていた。
あれが、この冷たい人工の迷宮のさらに奥にある。
反応は徐々にハッキリとしてくる。
「……頼むから、無茶しないでくれよ」
息を切らしながら、リュネルは誰に聞かせるでもなく切実に呟いた。
その直後。
前方の通路から複数の重い足音が響き、リュネルは足を止めた。
廊下の向こう、不気味な赤い灯りの中から、十数人の男たちが姿を現した。
黒い衣服は揃いの制服のようだった。
肩口には、簡略化された門のマーク。
門門の構成員たちだ。
「いたぞ! 侵入者だ!」
「殺せ!」
男たちは、誰何するでもなく迷わず攻撃を仕掛けてきた。
生け捕りにして情報を聞き出すつもりなど一切ないらしい。
一斉に武器が構えられる中で、リュネルはある武器に目がいった。
細身に小型化された砲のような、鈍く光る金属製の火器。
以前、叡智の宴叡智の宴でもギルデがその話をしていた。
『巨大な大砲と違って、大量の魔力も大掛かりな魔法陣も必要としない。魔力適性の全く無い普通の人間でも訓練すれば簡単に使用できる、殺傷能力の高い火器だ。無論、魔力持ちの人間が使えば、多彩な攻撃が可能になるだろう……』
魔力で物理的な弾丸や威力を撃ち出す、"魔導銃"だ。
(……あの時は、まだ開発途上で実用化にはまだかかるって言ってなかったか?)
リュネルは杖を右手に強く握り直し、一度だけ深く目を閉じた。
普段の彼なら、一瞬の間に思考を巡らせている。
どうすれば相手の命を奪わずに制圧できるか。
どこまでなら傷つけても助けられるか。
相手を無力化し、後から回復できる安全な範囲内に抑えられるか。
だが今は、そんな事を考える暇も惜しかった。
「……ごめん」
小さく、だが冷たく呟いた。
閉じていた目を見開くと同時に、杖の先端に紫と黒の雷がはじけた。
「豪雷よ走れ」
瞬間。
薄暗い地下の廊下が、視界を焼き尽くすほどの白に染まった。
空気を切り裂くような轟音。
雷撃が壁を伝い、床を這い、空間そのものを引き裂くように一直線に奔る。
男たちは、悲鳴すらまともに上げられなかった。
雷光が身体に伝わった瞬間、彼らの魔力回路を焼き、構えていた魔導銃も消し飛ばした。
一人、二人、三人と、男たちが次々と崩れ落ちる。
わずか数秒で通路を塞いでいた十数人が全員床に伏していた。
リュネルは立ち止まることなく、倒れた男たちの上を飛び越えて先へと進む。
曲がり角の先では、また別の集団が待ち構えていた。
今度は八人。
「止まれ!」
「氷縛の槍」
リュネルが杖を横薙ぎに振るうと、床から無数の氷柱が斜めに突き上がった。
男達は慌てて回避行動をとろうとするが、その時にはもう手遅れだった。
さらに進むと、やはり第三の集団が立ちはだかっていた。
(二度ある事は三度ある、ってか……)
四人。
そのなかに魔力障壁を展開しようとする魔法使いが二人混じっている。
向こうが迎撃の術式を完成させるより先に、リュネルの杖が鈍く光った。
「奇しの律」
男たちの周囲に無数のオーブが現れ、光を放つ。その光を浴びた瞬間、男たちは抗う間もなく白目を剥き、崩れ落ちるように膝をついた。
幸か不幸か最後に残ってしまった一人が、震える手で魔導銃を構えようとする。
リュネルは歩みを緩めず、その震える銃口へと杖の先端を向けた。
バチッ、という小さな雷鳴。
男の握っていた魔導銃だけが、手の中で火花を散らして無惨に爆ぜた。
「……死にたくなければ、そこをどいて」
声音には怒気すら籠もっていない。
だが、そのあまりにも底知れない静けさが、男には恐ろしく感じられた。
男は腰を抜かして尻餅をつき、怯えた顔で這って壁際へと退いた。
リュネルは彼に一瞥もくれることなく、その横を走り去った。
数十人の幾つもの集団。
それでも、誰一人としてリュネルの足を止めることはできなかった。
◇
一方。
地下の最奥部
レギスは息を潜めていた。
すぐ目の前を一人の見張りがゆっくりと通り過ぎていく。
その距離は一メートルにも満たない。
手を伸ばせば、男の服に触れられるほどの距離だ。
なのに、男の瞳は足元にうずくまるレギスの姿を捉えていない。
正確には見えているが、それを認識できないのだ。
レギスの魔法。
自分自身を透明にする魔法ではなく、対象の意識の隙間に潜り込むという術だ。
視界に入っていても、それを“重要なもの”とは認識させない。
だが、これほど近い距離で、しかも敵の警戒度が高まっている状況下で、レギスは今、その魔法を精神の限界近くまで維持していた。
額に脂汗が滲み、呼吸が極端に浅くなる。
(頼む……気づくな……)
見張りが不意に足を止めた。
レギスの肩がビクッと僅かに強張る。
男は訝しげに眉を寄せ、何か違和感を覚えて周囲を念入りに見回した。
レギスは彫像のように動かず、無意識に息も止めていた。
男は「気のせいか」と首を傾げると、再び歩き始めた。
遠ざかる足音が角を曲がり、完全に消える。
「……っはぁぁ……」
レギスは、溜まりに溜まった息をようやく細く吐き出した。
心臓が肋骨を突き破りそうなほど、痛いほどに激しく脈打っている。
「……あっぶねぇ……」
小さく震える声で呟き、再び冷たい鉄格子の向こうへと視線を向ける。
薄暗い部屋の奥に、ロイがいた。
十二日間探し続けた、たった一人の弟。
薄く汚れた毛布の上で、ただでさえ細かった身体が、骨と皮だけのように痩せこけて横たわっている。
顔色は死人のように悪いが、胸が微かに上下し、確かに生きている。
「ロイ……!」
今すぐ大声で名前を呼びたい。
鍵を無理に壊してでも、駆け寄って抱きしめたい。
でも、まだ駄目だ。
ロイと無事に帰るためには自分だけではいけない。
約束してくれた。必ず助ける、と。
(あと少しだ。あいつらが来れば、絶対に助かる)
レギスはそう自分へ言い聞かせ、焦る心を必死に押し殺した。
その時、遠くの通路から先ほどよりも乱暴な複数の靴音が響いてきた。
先程の見回りとは明らかに違う、切羽詰まった気配。
レギスは反射的に壁の深い影へと身体を寄せた。
通路の向こうから黒装束の男が四人、慌ただしく現れる。
「上が相当騒がしいぞ。どうなってる!」
「侵入者らしい。かなり手強いヤツが暴れてる」
「工房長からの指示は?」
「予定を大幅に前倒しするってよ。研究の成果になりそうな『使えるの』だけを持っていく」
レギスの耳がその言葉を拾ってピクリと動いた。
「……子供を何人か連れていく。基準に満たない残りの不良品は、このまま放置していいそうだ」
心臓が、氷水を浴びたように一瞬で凍りついた。
男の一人が手元のリストを見ながら鉄格子の前へ立つ。
「こいつと、こいつを出せ」
ガチャリ、と無機質な音を立てて、一人、二人と扉が開けられる。
「な、なに……?」
「やめて、おうちにかえして……!」
訳も分からず怯えた声を上げる子供たち。
「立て!」
乱暴に細い腕を掴まれ、ゴミのように床へ引きずり出されていく。
そして。
リストを確認していた男の指が。
「あと、あの奥で寝てるヤツもだ。あれは意外と適応値が高かった」
男は奥のベッドに横たわるロイを指した。
レギスの頭の中が、一瞬にして真っ白になった。
男が鉄格子を開け、足音荒く寝台へ近づく。
意識のないロイの細い腕を無造作に掴んで持ち上げる。
「おい、起きろ」
「……ぅ、あ……」
引きずり起こされ、苦痛に歪むロイの弱々しい声がレギスの耳に届いた瞬間、頭蓋骨の奥を強い力で鷲掴みにされたような感覚が弾けた。
その瞬間、レギスの中から、リュネルとの約束も、作戦も、何もかもが完全に消し飛んだ。
「触るなぁぁぁっ!!」
獣のように叫んでいた。
自分でも思考するより先に、身体が影から飛び出していた。
「――あ? 」
ロイを掴んでいた男が驚いて振り返った瞬間、レギスはその顔面めがけて、全身の体重を乗せた拳を叩き込んだ。
「俺のロイから離れろ!!」
レギスの拳はちょうど男の鼻柱にクリーンヒットし、男は鼻血を噴き出して大きくよろめいた。
だが、奇襲が成功したのはそこまでだった。
魔法が完全に切れ、残る三人の男たちが一斉にレギスの存在を認識する。
「このクソガキが! どこから紛れ込みやがった!」
レギスは背後から首根っこを掴まれる。
「離せ! 殺してやる!」
レギスは必死に腕を振り回し、蹴りを放ち、腕に噛みついたりと死に物狂いで抵抗するが、相手は自分よりも遥かに体格が良い大人の男が三人だ。
圧倒的な体格差の前では、その抵抗は長く続かなかった。
「大人しくしろ、野良犬が!」
男の無慈悲な拳が、レギスの腹へ強烈に打ち込まれる。
「ぐっ……!!」
激痛に意識が飛びかけ、そのまま崩れ落ちるように膝をつく。
抵抗する力も失せたところを、後ろ手に腕をねじ上げられ、冷たい床へ顔面を押しつけられた。
「にい……ちゃん……?」
騒ぎのせいか、薄れゆく意識の中でロイの目が覚めた。
床に押しつけられたレギスが、必死に顔を上げる。
ベッドから引きずり下ろされた弟が、焦点の定まらない目でこちらを見ている。
目が合った。
「ロイ……!」
レギスの顔を見た瞬間、ロイは苦痛に満ちた顔のまま、ほんの僅かに、嬉しそうに笑った。
「……ほんとに、迎えに……来て、くれた……」
「当たり前だろ……ッ!」
レギスの目から、我慢していた大粒の涙がボロボロと溢れ落ちる。
「絶対助けるって、約束しただろ! だから……だからもう、絶対に大丈夫だからな!」
「感動の再会はそこまでだ。こいつら、まとめて連れて行け。この野良犬も、モルモットの足しにはなるだろう」
男が冷たく命じると、レギスもロイも泣き叫ぶ他の子供たちと一緒に、さらに重い扉の奥、地下の最深部へと引きずられていった。
◇
薄暗い廊下を走っていたリュネルは、突如としてその足を止めた。
レギスの反応が急に動いたからだ。
「……動いてる?」
先ほどまでは地下の最奥に留まっていた。
それが今、明らかにさらに奥の方へ移動している。
(まさか……捕まったのか……!?)
リュネルの中での嫌な予感が確信へと変わった瞬間、進路を変更しさらに奥へと踏み込もうとした。
その時だった。
「……そこまでだ」
前方から落ち着きのある重厚な声がした。
リュネルは足を止め、声のした暗がりを睨みつけた。
廊下の中央、不気味な赤い光に照らされて一人の男が立ち塞がるように立っていた。
見た目は四十代ほど。
短く几帳面に整えられた髪。
そして、左の眉尻から額にかけて走る、一本の細い傷痕。
それは、見覚えしかない顔だった。
「……ゲートの、ナンバー2」
リュネルの低い呟きに、男は僅かに笑った。
「君、どこかの国の諜報員か何かかい? 随分とウチの事情に詳しいようだが」
「……あなたの名前は?」
「バイロン、とでも呼んでくれ」
男は考える素振りすら見せず、ごく普通に名乗った。
「……本名、ではなさそうですね」
「さぁて、どうだろうな」
男――バイロンは、首の骨を鳴らすように肩を軽く回し、目を細めて獰猛な笑みを浮かべた。
「お前が最近この街を嗅ぎ回っているという錬材師か」
「さて、一体どの錬材師でしょうかね? 人違いかもしれませんよ」
リュネルも相手のペースに乗らないよう、あえて白々しくわざとらしい振る舞いで答える。
「とぼけるな。オルディナ社にまで乗り込んで来たり、スラムの連中を路地裏で皆殺しにしたり、随分と派手に掻き回してくれたじゃないか」
「あなた方が隠し事をするからですよ。……あと、スラムの件は僕ではありませんから。その場に居合わせただけで、実際に手を下したのは別の人間です」
「ハッ、俺たちから見れば同じ様なもんだろ。……いいか、お坊ちゃん。知らなくていいことを知ろうとする奴は決して長生きできんぞ」
バイロンがポケットに手を入れたまま、重心をわずかに落とした。
その一切の隙の無い所作を見逃さず、リュネルも瞬時に杖を構える。
「……じゃあ、僕が聞きたい事はあなたを捕まえてからゆっくり聞くことにしますよ」
「捕まえる、だと?」
バイロンが片眉を上げ、不敵に笑った。
「この俺を、か?」
「えぇ。約束しましたからね」
リュネルは答えると同時に魔法を放った。
「魔縛」
床にバイロンの四方を囲むように魔法陣が展開される。
淡い光の帯が縄のように編みあがり、四方からバイロンの身体へ絡みつこうとする。
だが、その光の帯がバイロンへ触れようとした瞬間、見えない壁に衝突したようにすべてがパァンと音を立てて弾け飛んだ。
「……!」
リュネルは意外な事実に少し目を細めた。
「基礎的な拘束魔法だが、……流石に錬材師だな。並の魔法使いとは違うらしいな」
見たところバイロンは特に術を使ったようには見えなかった。
ただ、自分に集ろうとする虫を払ったようにしか見えない。
(魔法を消された? いや、違う。術式を破壊されたわけじゃない。……ヤツの身体に触れる直前で魔法が相殺された感じか?それなら汎用の拘束魔法程度じゃ力技で防がれてしまうか)
リュネルは刹那に思案を巡らせると、すぐに相手を挑発するような大人の笑みを浮かべた。
「魔法を弾くのが随分と上手いですね」
「人には得意不得意というものがあるだろう?」
バイロンはニヤニヤと嘲笑いながら、ステップを踏むように、軽く床を蹴って飛び跳ねた。
「じゃあ、これはどうです?」
リュネルの杖が先ほどよりも鋭く閃く。
「氷縛の槍――」
今度は岩をも貫く硬度を持った氷柱が、三方向から同時に襲い掛かる。
バイロンは一歩、半歩と身体を最小限の動きでずらしながら、迫り来る氷柱の側面に的確に手刀を打ち込む。
一本目はバイロンに届く直前に軌道を強引に逸らされ、二本目は彼の手刀で粉々に砕け散った。
だが、バイロンが三本目にも手刀を打ち込もうと腕を振り上げた瞬間、リュネルは氷の軌道を不規則に広がるように変化させた。
「っ!」
触手の様な動きで襲いかかる氷柱に初めてバイロンの余裕の表情が崩れた。
予期せぬ軌道変化を起こした氷柱の先端が彼の頬を浅く掠め、頬に一筋の赤い線が伝って血が滲んだ。
「……ハッ、やるな」
バイロンは血を拭いもせず、この闘いがとても楽しいというように獰猛に嗤った。
「あなたに褒められても嬉しくない、かな」
すると今度はバイロンの方から一気に距離を詰めて仕掛けてきた。
異常なほど速い踏み込みでリュネルの杖の間合いの内側へ一気に潜り込み、隠し持っていた鋭利な短剣でリュネルの頸動脈めがけて突きを放ってきた。
リュネルはすんでのところで、杖の柄でその剣の刃を受け流した。
そして、即座に左手へミドルソードを喚び出したた。
接近戦を嫌ったバイロンが再び距離をとろうと後ろに退いた為、リュネルは剣身に雷を纏わせて刃のリーチを伸ばして斬りかかったが、それもギリギリのところで避けられてしまった。
リュネルは間髪入れずに魔法を放つ。
しかし、バイロンの真正面を捉えることはできず、魔力を纏った手足で僅かに軌道を逸らされ、あるいは完全に打ち消され、中々決定的な有効打とならなかった。
焦れったい展開に、普段は温厚なリュネルも思わず舌打ちしそうになる。
(……厄介なやつだ)
彼は強大な魔力を持つ魔法使いではない。
だが、魔法使いを相手にして殺し合うことに慣れている。
術式の構成を読み、魔力の軌道を逸らし、致命傷を避ける。
「対魔術戦」というその一点に関してのみ、彼の戦闘技術は異様なほど洗練され、極まっていた。
戦いは完全に拮抗した。
リュネルが多彩な魔法と剣技で攻め立て、バイロンがそれを最小限の動きで弾き、受け流す。
リュネルの魔法のわずかな隙を狙ってバイロンが短剣で踏み込み、それをリュネルも剣でいなす。
激しい死闘の攻防は時間にして数十秒程のものであったが、極限の集中状態にある2人にとっては、時間が酷く長く、永遠のように感じられた。
「……おい、錬材師」
鍔迫り合いのさなか、息一つ乱していないバイロンが唐突に言った。
「一つ、取引をしないか」
リュネルは短剣を押し返しながら眉間に少しシワを刻む。
「…今更、何を?」
「今すぐここから出ていけ」
「嫌だね」
「今すぐ出ていくなら、この場はお前の命を見逃してやる。悪い話じゃないだろう」
「生憎だけど、あんたをここで確実に捕まえるのも仕事なもんでね」
バイロンは世間知らずの子供を見るような呆れた顔で笑った。
「俺という末端のトカゲの尻尾を一人捕まえたくらいで、この計画の何かが終わるとでも本気で思っているのか?」
「少なくとも、この悪趣味な実験を止めるための、何かの手掛かり位にはなるさ」
「ハッ、何も変わらんよ。世界はそういう風にはできていない」
「それを決めるのは、あんたじゃない」
「お前でもないだろう?」
「……人には、得意不得意があるだろう? 僕は悪党の説得が不得意なんだ」
「フッ、話にならんな」
まさに平行線の水掛け論だった。
互いに一歩も譲らず、互いの価値観と正義が交わることは決してない。
――だがその時、不意にバイロンの表情が劇的に変わった。
これまで、激しい死闘の中にあっても決して余裕の笑みを崩さなかった男の顔から、一瞬にして血の気が引いたのだ。
「……なに? ……馬鹿な、あり得ない」
バイロンが何らかのメッセージを受けたのか、狼狽えながら小さく呟いた。
(何が起きた?)
リュネルが杖を構えたまま彼の出方をうかがった。
「使えるのだけ見繕ってすぐに退け。………あぁ?リストのヤツだ!…………クソ面倒くせぇ」
バイロンの意識はすでに目の前の敵であるリュネルを見てすらいなかった。
バイロンの鋭い視線が廊下の奥の方へと向く。
そして、バイロンは突然リュネルに背を向けて全力で走り出した。
「待て!」
リュネルも慌ててその背中を追う。
バイロンが向かっているその方向は、レギスの反応が移動している方向と一致していた。
(一体何があるんだ? 何が起きている?)
バイロンの必死な走りは、戦略的撤退というようには見えなかった。
自分の命を守るためというより、「何か」を止めようとしている。
あるいは、失ってはならない重大な「何か」を、何としてでも取り戻そうとしているような、切羽詰まった走りだった。
リュネルがその背中を全速力で追っている最中、懐に入れていた布越しに熱を感じた。
サイラスから万が一の緊急用として渡されていた魔術具の連絡符だ。
リュネルが走りながらそれを取り出すと、白かった紙面の上で、黒い文字がまるで炎で焼きつけられるように、凄まじい速度で浮かび上がった。
『SSSが動いた
計画はすべて中止
即刻、全速力で退避を』
そのメッセージにリュネルの足が一瞬だけ止まりかけた。
「……ドライが動いた?」
ガルディア帝国軍特殊戦略部隊――SSS
この大陸で最も血塗られ行いをする集団の1つとされる彼らが動いたというのだ。
今、この瞬間に。
一体、何の為に。
だが、胸元の魔法石は未だに微かな反応を返し続けている。
レギスはまだこの奥で生きていると。
「……ここで退けるわけないだろ」
リュネルはサイラスからの退避命令が記された連絡符をクシャクシャに握り潰した。
「せめて、レギスと……あの子たちだけでも……!」
再び前を向き、全力で走りだすと、前方で立ち止まったバイロンがこちらを振り返った。
その顔には、先ほどの余裕は欠片もなく、焦り、怒り、そして、すべてが終わったという諦め――それらすべてが入り混じった、酷く歪んだ顔だった。
「来るな! ここから離れろ!」
「レギスたちはどこだ!」
「知らん! 誰だそれは!」
「お前達が攫った、子供だ!」
「今はもう、そんなゴミの生死にかまっているどころの騒ぎじゃないんだよ!!」
バイロンが半狂乱になって腕を振り上げると、彼の周囲の魔力が急激に膨れ上がった。
「ーーっ!」
リュネルは反射的に最大の防御魔法を展開しようと杖を構える。
だが、それはリュネルに対する攻撃魔法ではなかった。
バイロンの手にはチャームのような魔道具が握られており、眩い光が煌々と溢れていた。
バイロンの足元から大きな魔法陣が組み上がっていく。
空間そのものが歪み、身体が重力を失って宙に浮くような強烈な浮遊感。
(……空間転移!?)
リュネルが転移を無効化するため『対魔法領域』を展開しようと詠唱を始めた瞬間、世界が反転した。
「……っ!」
次の瞬間、浮遊感は唐突に消え失せ、リュネルの身体は硬い地面へと投げ出されていた。
突然の転移に上手く受け身を取れず、ゴツゴツとした硬い石畳の上を数メートルほど転がった。
「……痛ッ……!」
リュネルはすぐさま起き上がり、警戒しながら周囲の景色を確認する。
「……ここは」
周囲には古い建物が立ち並んでいる。
繁華街の喧騒もわずかに聞こえてくる。
転移させられたのはリッダ工房から数百メートルほど離れた裏通りだろうか。
"バイロンの転移魔法に巻き込まれて弾き飛ばされた"
――そう理解するまでに数秒の時間を要した。
「…しまった、レギス!」
レギスの反応はまだリッダ工房の地下にある。
リュネルが血相を変え、再びリッダ工房がある方角へ向かって走り出そうとした、まさにその時だった。
世界が一瞬、静寂に包まれた。
自分の足音も、風の音も、遠くから聞こえていたはずのスラムのざわめきも。
すべてが、ほんの一瞬だけ、神が世界の時を止めたかのように完全に無音になった。
そして、数百メートル先のリッダ工房の方角から、太陽が地上に落ちたかのような、目を焼くような強烈な閃光が漏れ出した。
次の瞬間、大地に勢い良く亀裂が走り、爆ぜた。
「――――ッ!!!」
大気を引き裂く凄まじい轟音と共にリッダ工房の施設全体が内部から吹き飛び、地獄の業火のような巨大な炎の柱が天を焦がすように昇っていく。
爆発の中心から円心状に広がった衝撃波が、周辺の街路を容赦なく薙ぎ払い、立ち並んでいた建物が次々と崩壊し、瓦礫の山と化していく。
「我を護り給へ」
リュネルは咄嗟の判断で、最大出力の防御魔法を展開した。
自身の周囲を覆うように、球体の様な半透明の強固な結界を発生させる。
直後に熱風と衝撃波が裏通りに到達し、リュネルは結界ごと吹き飛ばされた。
「ぐぅっ……!」
足が地面から完全に浮き上がり、為す術もなく吹き飛ばされる。
耳の奥で、鼓膜が破れそうな激しい耳鳴りが鳴り響く。
視界が上下に激しく揺れ、自分が今どうなっているのかも分からない。
無数の石の破片。
燃え盛る木材。
ひしゃげた金属片。
あらゆるものが空から降り注いでいる。
赤蓮の炎。
太陽を隠す黒煙。
遠くで響く、人々の絶望の悲鳴。
世界が呆気なく崩壊していく音がする。
リュネルは爆音で酷い耳鳴りがするまま、た目の前で一つの街が瓦礫の山へと変わっていく悲惨な様を見ていることしかできなかった。
視線の先、先ほどまで彼らがいたリッダ工房があった場所には、もう建物の原型は一切残っていなかった。
あるのは巨大な瓦礫の山と、すべてを焼き尽くそうとする猛火だけ。
リュネルはよろめきながらも立ち上がり、手を自身の胸元へ当てた。
(……良かった、ちゃんと発動した)
その微かな、しかし確かな反応を感じ取った瞬間、リュネルは燃え盛る瓦礫の海の中へと、一切の躊躇なく駆け出していた。
◇
何が起きているのか理解できていないレギスは動けずにいた。
視界は瓦礫で埋め尽くされており、爆発の轟音で耳がやられたのか、周囲の音は何も聞こえない。
身体の上に何かがのしかかり、うまく動かすこともできない。
でも、なぜか不思議と身体の周囲だけは温かかった。
胸元にかけていた指輪の青白い光が徐々に小さくなっていく。
爆発が起きたその瞬間、指輪の魔法石がレギスの意思とは無関係に自動で防衛魔法を発動したようだった。
レギスの小さな身体を包み込むように展開された結界が、爆発と瓦礫の直撃を防いでいたのだ。
「……ロイ……?」
キーンという激しい耳鳴りの向こう側で、ひび割れた声を絞り出す。
動かせない身体に乗っている「何か」の重みと温もりがあるのを感じた。
レギスは爆発の瞬間、無意識のうちに隣にいた弟の身体を力いっぱい抱きしめていたのだ。
「……ロイ、無事か」
何とか声を絞り出して呼びかけるが、返事はない。
「…おい、ロイってば」
痛む目を細め、何度もまばたきをくり返すと、ようやく目が周囲の状況を捉えられるようになってきた。
レギス達は、崩れ落ちてきた巨大な鉄骨や瓦礫が偶然組み合わさってできた、僅かな隙間の中に奇跡的に取り残されていた。
何とか身動きができる程度のスペースはあるようで、レギスは痛む身体を鞭打って、ゆっくりと上半身を起こした。
鼻を突く強烈な焦げ臭い匂いと、頭上からパラパラと絶え間なく落ちてくる塵や破片に、顔をしかめる。
すると、頭上の瓦礫の一部が崩れ落ちたのか、小さな隙間から、外の光が一筋だけ差し込んできた。
「ーーロイ!」
その一筋の光が、腕の中にいる弟の顔を照らし出した。
「……っ」
レギスの息が、ヒュッと喉の奥で凍りついた。
ロイの額から口元にかけてが、べっとりと黒ずんだ赤色に染まり、彼の服の胸元にも大きな赤い染みが広がっていた。
「…いやだ」
レギスの声が信じられないものを見るように震える。
「おい、ロイ。どうしてだよ」
震える手で、弟の額の血を拭うようにゆっくりと髪をなで上げ、その小さな身体を何度も揺する。
「起きろ。…………起きろよ、なぁ」
「……にい……ちゃん……」
途切れ途切れの、掠れた声。
「ロイ!!」
レギスの顔が、歓喜と絶望でぐしゃぐしゃに歪む。
「待ってろ! 今……今すぐ、誰か呼ぶから!」
レギスは弟を抱えたまま、必死に瓦礫を押しのけて身体を動かそうとする。
だが。
ロイの血に染まった小さな手が、レギスの服の裾を弱々しく掴んだ。
「……いか、ないで……」
レギスの動きが、ピタリと止まった。
「行かねぇよ!」
その言葉に激しく動揺し声が裏返る。
「どこにも行かねぇ! 俺はずっとここにいる! だから……だから絶対に大丈夫だからな!」
ロイが痛みに歪む顔で、それでも少しだけ嬉しそうに笑った。
「にいちゃん……ほんとに、迎え、来て……くれた……」
「あぁ! 当たり前だろ!」
「ほんとに……」
「あぁ、俺だ!」
「あそこ……こわかった……」
「ごめん……」
レギスの目から大粒の涙が堰を切ったように溢れ出す。
「ごめんな、ロイ……助けに来るのが、遅くなって……本当に、ごめん……」
「………でも」
ロイが残された最後の力を振り絞るように、ゆっくりと手を上げた。
血で汚れた震える指先が、泣きじゃくるレギスの頬にそっと触れる。
「にいちゃん……俺のこと、ずっと……諦めないで、探して、くれたんでしょ……?」
「当たり前だろ……! お前は俺のたった一人の家族なんだから!」
「他の子……みんな……言ってた……」
「何を……?」
「誰も、助けに……来ないって……」
ロイの息が弱く、浅くなっていく。
「俺たちは捨てられたんだから……誰も…………助けに、来ないって……」
「……」
「でも……にいちゃんは、来た」
ロイの血に染まった口元が、僅かに、本当に僅かに、誇らしげに笑った。
「にいちゃんは……俺の……」
息を吸う。
肺が破れるように苦しそうに。
それでも、伝えたい言葉を最後まで。
「……俺の、ヒーロー、だ」
レギスは、何も言えなかった。
喉の奥が引き攣り、声が音にならない。
ロイの手がレギスの頬から、糸が切れたよう落ちた。
「……ロイ?」
返事はない。
「……おい」
腕の中の小さな身体を揺らす。
「ロイ」
返事はない。
「なぁ」
返事はない。
「起きろよ」
返事はない。
「俺のこと……ヒーローって……言っただろ」
「 」
声がボロボロに崩れ落ちる。
「だったら……」
涙がロイの冷たくなりゆく頬に落ちる。
「ヒーローなら……ちゃんと助けなきゃ、何の意味もねぇだろ……っ!」
腕の中で抱きしめるロイの身体は、まだ生きていた時と同じように温かかった。
「ロイ……ッ!!」
レギスは動かなくなった弟を力強く抱きしめた。
強く、強く。
このまま一つに溶け合ってしまえと願うように、壊れてしまいそうなほど。
「……あぁぁぁぁッ、ロイ……ッ!!」
暗闇の底で失われた半身の名前を、獣のような咆哮で何度も、何度も呼び続けた。
◇
それからどれほどの時間が経ったのか。
レギスの耳に、瓦礫を掻き分ける音が近づいてくるのが聞こえた。
「レギス!!」
遠くで、聞き覚えのある柔らかい声が、今は必死な声色でレギスを呼んでいた。
「レギス! 無事なら返事をしてくれ!!」
しかし、レギスは声を発することができなかった。
喉は枯れ果て、魂の半分が抜け落ちたように、ただ弟を抱きしめたまま虚空を見つめていた。
それからすぐに獣の鳴き声が響いたかと思うと、頭上の分厚い瓦礫が吹き飛ばされ、隙間から外の光が差し込んだ。
「……見つけた!」
瓦礫をかき分け顔をのぞかせたのはリュネルだった。
顔もな服も煤と土に汚れ、いつもの余裕のある穏やかな顔は完全に鳴りを潜め、焦燥に駆られていた。
「レギス……!」
生きている。
レギスの無事な姿を確認し、リュネルは一瞬だけ、本当に一瞬だけ、全身の力が抜けるほど安堵した。
だがすぐに、その細い腕の中に抱かれている少年が目に入った。
リュネルの顔から一瞬にしてすべての感情の色が消え去った。
「……ロイ、君」
レギスは血まみれのロイを強く抱きしめたまま。
ゆっくりと首を動かし、リュネルを見た。
その大きな瞳からはとめどなく涙が流れているのに。
その目の奥には、もう何の光も、希望も映していなかった。
「……助けて」
擦り切れた、小さな声。
「……リュネル、さん」
レギスは初めて、彼を、縋るように名前で呼んだ。
「俺の弟を……助けてくれよ」
リュネルは2人を安全な所まで運ぶと、レギスの腕からロイを受け取ろうとした。
「見せて」
リュネルは泥だらけの手を、ロイの小さな胸元へとそっと当てる。
目を閉じ、魔力のすべてを掌に集中させる。
そして、リュネルにはすぐに解ってしまった。
レギスとロイを見つけた瞬間には薄々気が付いていた。
レギスに渡した魔道具……魔法石の力は、リュネルが認識した所有者を即死攻撃、あるいはそれに準ずる状況から一度だけ守るという効果がある。
リュネルが認識したのは、レギスだけだった。
当然魔法石の守りの対象も同じだ。
先程の爆発の原因をリュネルはプラトジウムによるものだと推測していた。
プラトジウムからのエネルギー放射。
それは、純粋で強烈な魔力の光線を浴びる事に等しい。
魔力エネルギーによる影響は、その魔力の持つ属性によってまた効果が変わってくる。
火属性なら火傷、風属性なら裂傷、というイメージだ。
ただ、純粋な魔力による効果というのはまだよく知られていない。
だが、1つ言えるとすれば、必ず何らかの影響はある、という事だ。
「………」
リュネルのロイへの処置の手が止まる。
「何してんだよ」
レギスが虚ろな声で言う。
「早く」
「……レギス」
「早く、治してくれよ」
「……レギス」
「あんた、すごい魔法使いなんだろ!」
レギスの声に徐々に狂気を帯びた熱がこもる。
「すごい魔法、使えるんだろ!」
リュネルは彼に伝える為の言葉が見つからず、何も言えない。
「さっきだって、爆発の時、俺のこと魔法で助けたじゃねぇか!」
「……」
「だったら、ロイも同じように治せるだろ!!」
レギスが、血を吐くように叫ぶ。
「助けろよ!! なぁ、お願いだから……助けてくれよッ!!」
哀絶な叫び声が虚しく響き渡った。
リュネルは膝の上で無力な拳を、血が滲むほど強く握りしめた。
「……ごめん」
「……」
「もう……」
言葉が、喉の奥で鋭い棘のように引っかかる。
「……間に合わない」
レギスの顔から表情が抜け落ち、時間が止まった。
「……は?」
「……本当に、ごめん」
「何言ってんだよ」
「……」
「……嘘、つくなよ」
レギスは無理に口角を上げて笑おうとした。
だが、顔の筋肉が引き攣り、どうやっても笑えなかった。
「…だって、ロイはついさっきまで、俺と喋ってたんだぞ」
「……うん」
「俺に向かって、ヒーローだって……そう言ってくれたんだぞ」
「……うん」
「だから……」
しゃくりあげながら必死に絞り出していた声が、震え、どんどん小さくなっていく。
「……まだ、こんなに温かいんだぞ」
リュネルは、それ以上彼にかけることのできる言葉が思いつかなかった。
ただ、自らの無力さに後悔しながら、兄弟を見ていることしかできなかった。
レギスは弟の血に染まった額へ、自分の額をそっと当てた。
「……ロイ」
もう、大声で叫ばなかった。
泣き喚くこともしなかった。
「……帰ろう」
小さく、どこまでも優しく。
眠っている弟の耳元へ、語りかける。
「二人で、帰ろうな」
返事はない。
「……家、帰ろう。これからは俺が、今度こそ……毎日ちゃんと、美味い飯作るから」
声が小刻みに震える。
「もう二度と、焦がしたりしねぇから」
「 」
「お前、いつも俺の飯、焦げてるって文句言ってたもんな」
「 」
涙が静かにロイの頬を濡らす。
「……だから」
弟の頬を慈しむように撫でる。
「帰ろう。一緒に」
リュネルは、その光景を何もできず、ただ……。
一人の少年が、世界で最も大切な存在だった身体を抱き締める姿を、血の涙を流すような思いで見つめていることしかできなかった。
これまでに習得してきた魔法も。
世界の真理を読み解く知識も。
錬材師として、血を吐くような思いで積み上げてきた技術も。
今、この少年の流す一滴の涙を止めるためには、何一つとして役に立たなかった。
周囲では未だに猛火が燃え盛っている。
街はパニックに陥り、騒ぎ立てている。
逃げ惑う誰かが叫び。
炎から逃れようと誰かが走り。
崩れた建物のどこかで今この瞬間にも、命が助けを求めている。
それでも、この空間だけは、永遠に時間が止まっていた。
レギスの細い腕の中には、大人のエゴによって救えなかった、一人の無垢な少年がいる。
その少年が命の最後の瞬間に残した言葉だけが、静かに、そして残酷なほどに優しく、兄の胸の奥底に焼き付くように残り続けていた。
――にいちゃんは、俺のヒーローだ。
その言葉は、この絶望の日から、レギスが自暴自棄に狂うことから救い続ける唯一の命綱となり。
同時に、彼がこれから歩む人生を一生縛り続ける言葉になるのかもしれない。




