第45話 魔導工業都市アウレクシア〜救出〜
宿へ戻った頃には、アウレクシアの街を覆う空はすっかり黄昏色に染まり、日が傾き始めていた。
街並みを彩る魔導灯は、太陽が完全に地平の彼方へ沈みきるよりも先に、自動で一斉に明かりが灯る。
街に一切の暗がりや影が生まれることを頑なに許さないかのように、白く硬質な光が建物の縁や石畳を煌々と照らし出していた。
同行していたヘルメスはといえば、スラム街を出た後に共に遅めの昼食をとり、街での情報収集に付き合ってくれたものの、宿へ帰る直前の大通りで「情報部の連中と面を突き合わせるのは御免だからね」とひらひら手を振り、雑踏の影へと消えてしまっていた。
リュネルが一人、サイラスたちの部屋を訪ねると、最初に出迎えたニコラの左頬には浅い切り傷があった。
相変わらず氷のように無表情な顔立ちではあったが、上着の袖口には未だ乾ききっていない血が滲んでいる。
室内ではエルヴィンが歪に折れ曲がった短剣を机の上へ無雑作に置き、サイラスが手際よく書類の山を整理しているところだった。
サイラスの顔に貼り付けられた胡散臭い笑顔だけは、今朝送り出された時と全く変わっていなかった。
「お帰りなさい、リュネル様。随分と有意義なお散歩だったようですね」
「そちらも、随分と穏やかではないお仕事だったようで」
「ええ。少々、向こうからの歓迎の宴が過ぎましてね」
サイラスは軽やかにクスクスと笑い、傷を負ったニコラへと視線を送った。
「オルディナエネルギーが所有する噂の倉庫群を、外から確認していたところ、『ゲート』と思われる集団から襲撃を受けましてね。こちらをただの観光客ではなく、同業者であると見たうえでの、非常に丁寧で強烈なご挨拶でしたよ」
「……被害のほどは?」
「問題無い」
ニコラが素っ気なく答える。
その血の気の薄い低音から察するに、あくまで彼ら情報部の過酷な基準において「死者が出なかった」という程度のことなのだろう。
「それで、倉庫の中の構造は確認できたのですか?」
「一部だけだ」
エルヴィンが卓上へ簡略化した見取り図を広げた。
「一見すると、ただの動力素材の大型保管庫だ。だが、外部から推測される貯蔵量が建物の規模と見合っていない。恐らく、地下へ降ろしている」
「地下の正確な構造や規模は?」
「不明だ。強固な防護結界が幾重にも張り巡らされている」
サイラスは椅子の背へと深く身体を預け、細い指を組んだ。
「そしてもう一つ、極めて気になることがあります。襲撃を受ける直前、市中で我々とよく似た気配――同種の匂いを持つ人間を複数見かけました」
「アウレクシアの公安や情報部ではなく?」
「そのような情報は共有されていませんから、その線は極めて薄いでしょう。……あれは、他国へ潜り込むこと慣れた人間の動きです。人数は少なくとも4人。互いに絶妙な間合いを保って離れていましたが、全く同じ場所を精密に監視していました」
「どんな特徴がありましたか?」
サイラスが軽くあごで合図すると、ニコラが手元の紙へ詳細な特徴を書き込んでいった。
人相や体格。
携行している武器の種類。
足音を消す特有の動作。
そして、周囲を探る視線の配り方。
リュネルは、その淡々とした説明に耳を傾けるうちに、先ほどまで行動を共にしていた男から聞かされた情報と、ピースがハマるように完璧な合点がいった。
「……やはり、『SSS』ですね」
一瞬にして、室内に張り詰めた静寂が降り積もった。
サイラスの貼り付けた笑顔の角度だけが、そのまま残されている。
「……確信は?」
「…ある情報通から、アウレクシア国内にガルディア帝国軍特殊戦略部隊が密かに入ったと聞きました。今の特徴も僕が聞いた情報と酷似しています」
「情報通、ですか。貴方の」
サイラスの瞳の奥が、冷たく僅かに細くなる。
「その者は、信用できる人物ですか?」
「その質問に対して僕がどう答えたところで、あなた方はどうせ疑うでしょう?」
「ええ。それが我々の仕事ですので」
「なら、貴方の目で確かめた客観的な事実と、僕が提供した情報をすり合わせてご自身で判断してください。そういった裏付けの作業は、あなた方の得意とするところでしょう?」
サイラスは数秒間、無言のままリュネルを見つめていた。
そして、無言のまま机の引き出しの奥から手のひらサイズの手鏡のような魔道具を取り出した。
「……本国の判断を仰ぎます」
サイラスの声から、あからさまな嘘の笑みが完全に消え失せた。
ニコラが素早い動作で窓と扉の隙間に二重三重の遮音術式を重ねていく。
エルヴィンが室内の魔力を精密に測定し、外部からの通信妨害や盗聴が存在しないことを低く告げる。
サイラスは魔道具の中央に静かに指を置き、暗号化された幾つかの符号を正確に入力した。
装置から、青白い幻想的な光が浮かび上がる。
『……認証を』
通信の向こうから、加工された無機質な声が響く。
「ルキフェリア王国情報部、対外調査第三班。識別符号、冬月、七、白鴉」
『……認証完了。報告を』
サイラスは一切の余計な感情を挟まず、しかし情報の欠落なく、現状の全てを簡潔に伝えていく。
オルディナエネルギーの動向。
黒燐晶の偽装に隠された未知のエネルギー素材。
地下に眠るプラトジウムの巨大な純結晶。
裏組織『ゲート』による直接の襲撃。
そして、SSS潜入の可能性。
通信の向こう側で、息を詰めるような短く重い沈黙が流れた。
『……SSSの存在については、最優先で裏付けを取れ』
「承知しました」
『これより作戦目的を変更する。違法素材の流通経路確認に加え、ある重要人物の捕捉だ』
通信器の上に、半透明の光の粒が集まり、一人の男の立体的な顔が浮かび上がった。
無精髭のない、整った顔立ち。
短く刈り込まれた暗色の髪。
温かい笑みを浮かべれば人好きのする顔に見えるかもしれないが、投影された男の顔には一切の感情が表れていない。
推定年齢は40代前後。
左の眉尻から額にかけて、一本の細い傷痕が走っている。
『この人物が、現在確認されているゲートのナンバー2だ』
リュネルは空中に浮かび上がった顔を凝視した。
「名前は?」
『本名は不詳。使用されている偽名は複数存在するが、未だ特定には至っていない』
「指示は?」
サイラスが尋ねる。
『可能であるならば、生きたまま捕縛せよ。可能な限りの情報をとりたい』
「捕縛が困難な状況の場合は?」
『……現場の判断に任せる』
それが何を意味するのか――すなわち、場合によっては抹殺も辞さないという暗黙の了解をこの場にいる全員が瞬時に理解した。
そこで通信はぷつりと切断された。
青白い投影の光が消え去り、静かな室内に現実の薄暗い色彩が戻ってくる。
「さて」
サイラスの顔に、いつもの胡散臭い笑顔が滑らかに戻った。
「思わぬ大仕事になりましたね」
「……こちらからも、共有すべき情報があります」
リュネルは、スラム街の廃屋でレギスから聞き出した内容をありのままに伝えた。
『リッダ工房』という施設の存在。
連れていかれた子供たち。
戻ってきた僅かな子供に見られる、精神の破壊と記憶の障害。
そして、弟ロイの存在。
リュネルが一通り伝え終わっても、サイラスの表情の崩れは一切なかった。
「リッダ工房……」
エルヴィンが、手元の厚い資料の山を素早く繰る。
「名目は、小規模な魔道具部品の製造。ヴラタ技研連盟からの正式な認可を受けた下請け工房だ」
「まあ、このアウレクシアでまともな製造業を行うなら、ヴラタの認可は必須でしょうからね」
サイラスもまた、冷ややかな視線を資料へと滑らせながら言う。
「過去の取引記録は?」
「オルディナエネルギーの下請け企業と、複数回に渡る不自然な資材取引の痕跡がある」
ニコラが、リュネルへ向けて一枚の別紙を差し出した。
「近年、労働者数の申請が急増。だが、人件費として計上されている額面が、この労働者の規模としてはいささか少なすぎる」
リュネルはほんの一瞬ニコラの方を見た。
(……そこまで調べられるのか)
「……まぁ、働いているのが正規の労働者ではないからでしょうね」
リュネルは、レギスの痛ましい叫びを心の中で静かに反芻した。
「……やはりリッダ工房の地下にも何らかの実験施設が隠されていると考えられるのでは?。オルディナエネルギーから搬出された何かが、リッダ工房へ極秘裏に流れているのだとしたら……」
「人体実験の現場である、と」
リュネルが言葉を濁した不吉な核心を、サイラスがあっさりと引き取った。
リュネルは苦い表情を浮かべたが、否定できずに小さく頷く。
「明日、その工房から子供を一人、救出します」
「……随分と、ハッキリと言い切りましたね」
サイラスは、興味深そうに身体をやや前傾させた。
「約束しましたから」
「では問いましょう。その行動による、我が国の作戦上の利益は?」
「リッダ工房の内部へ直接潜入できる口実ができます。内部の詳細な構造も把握できる。それに……もし彼以外の子供たちも捉えられているのなら、それを見過ごして放置することなど僕にはできません」
「リュネル様。最後の部分は、作戦上の利益ではありませんよ」
「僕個人の利益です」
サイラスはしばらくの間、動じることのないリュネルの群青の瞳を見つめていた。
貼り付けた笑顔の奥から、その青年の決意の深さを測るように。
「……良いでしょう、その提案を承諾しましょう」
「……よろしいのですか?」
「ええ。双方の目的が一致していますからね。もしリッダ工房がゲートの下部施設であるならば、我々にとっても調査対象です」
サイラスは、机の上に置かれたターゲットの顔写真へと視線を落とした。
「それに、あのナンバー2の男が現場に姿を現す可能性も十分に考えられますからね」
「子供たちを奴らを引き出すための囮には絶対にさせませんよ」
リュネルが、即座に強い牽制を込めて言った。
サイラスは微笑みを崩さない。
「もちろんですとも。囮になるのは、我々の方ですからね」
◇
自室へと戻ると、すっかり毒の抜けたソランが完全に回復していた。
鍋から直に大きな器にいっぱいの熱い粥をよそい、勢いよく食べているところだった。
カリナはその向かいの席に腰掛け、呆れ返った顔でその猛烈な食べっぷりを見張っていた。
「おかえり、先生!」
「やあ、すっかり元気そうだね」
「先生の作ったあの薬、マジで凄ぇな! もう腹全然痛くねぇよ!」
「だからって、いきなりその量食べたらまた痛くなるよ」
ソランの動いていた手が、ピタリと止まる。
恐る恐る、手に持った大きな器とリュネルの顔を交互に見比べた。
「……もう半分以上食っちゃった」
「よく噛んで、ゆっくり食べて」
「……はい」
カリナが、隣で深くため息を吐き出した。
「私が何度言っても、全く聞く耳を持たずに止まらなかったというのに」
「先生は別なんだよ!」
「威張って誇るところではありません」
そんな短くも温かいやり取りの後、リュネルは引き締まった表情で机の上へ、先ほどのターゲットの顔写真の写しを静かに置いた。
「みんな、明日の本格的な作戦について話すよ」
リッダ工房への潜入ルート。
スラムの少年レギスと、その捕らわれた弟ロイ。
ゲートのナンバー2の存在。
そして、暗躍するSSSの影。
リュネルの話が進むにつれ、ソランの顔からいつもの能天気な陽気さが消え、険しい表情になる。
「……じゃあ何か、そのクソみたいな工房で、子供たちを使って変な実験をしてるかもしれないってことか?」
「その可能性が極めて高い」
「だったら話は簡単だ! 俺があそこへ突っ込んで、片っ端から全員叩きのめしてブッ飛ばせばいい!」
「駄目だよ、ソラン」
「なんでだよ! そんなの許せるわけねぇだろ!」
「中には子供たちが囚われているんだよ。何がどこに設置されているかも分からない危険な場所で、君が暴れ回れば、助けるどころか建物ごと全員が吹き飛んでしまうだろ」
ソランは、悔しそうにギリッと歯を噛みしめた。
頭で理屈は分かっている。
だが、胸の中で煮え滾る怒りを収める場所がないのだ。
「……分かったよ。指示通り大人しくする」
「大丈夫、本当に君の力が必要になった時には、真っ先に頼りにするからね」
「絶対だぞ、先生!」
リュネルは、力強く大きく頷いた。
一方でカリナは提示された写真を手に取り、眉間にシワを寄せてじっと凝視していた。
「どうかしましたか、カリナさん?」
「この男……」
カリナは顔写真を光に透かすように傾ける。
「以前、どこかで見た記憶があります」
「どこでですか?」
「それが、……すぐには思い出せません」
彼女は、苦しそうにこめかみに細い指を当てる。
「軍の資料室……いえ、単なる写真ではなく、本人を見た記憶が……」
カリナは何とかその記憶の糸をを手繰り寄せようと、写真に穴が開くのではと思えるほど集中して凝視する。
(カリナさんが直に見るという事は、軍関係者か警護対象となるような人物……、議員か外交官という事も有り得るかな)
リュネルもまた、自分なりに思考の幅を広げ、いざという時の仮説として頭の片隅に留めておくことにした。
「カリナさん、無理に思い出す必要はありませんよ。何かの拍子に思い出すこともあります。彼の捕縛自体はあちらさん達に任せて、僕たちはロイ君たちの救出に専念しましょう」
リュネルの言葉でカリナは気持ちを切り替えるように大きく頷いた。
ソランはソランで非常に張り切っている様子だった。
リュネルは窓の外を見つめる。
白い魔導灯の光が、夜の街を昼間のように照らし続けている。
その光を遠目に、明日の朝をすがるような思いで待っている少年がいる。
救いの手にすがるように、指輪を強く握りしめながら。
◇
翌朝。
レギスに持たせておいた指輪の魔力反応は、灰路街へと入る直前の使われていない古びた給水塔の周辺にあった。
かつては周辺の広大な工場群へ水を供給していたらしいが、現在は配管の大部分が取り外され、巨大な円筒形の塔の骨組みだけが残されている場所だ。
リュネルたちが現場に到着した時、レギスはすでに塔の影に身を潜めて待っていた。
服装は昨日と同じボロ切れのようだが、その腰には鋭い短剣が一本入念に挿され、足首には布が巻かれていた。
「……遅ぇんだよ」
レギスは安堵の感情を隠すように、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「ちゃんと約束通りに来たじゃないか」
「遅ぇよ。待ちくたびれた」
「待ち合わせには間に合ってるじゃないか」
「俺はもっとずっと前から来て待ってたんだよ!」
「もしかして、不安で眠れなかったのかな?」
「うるせぇ!」
レギスの耳がほんのりと赤くなる。
そのやり取りを隣で見ていたソランがイタズラに目を細めた。
「先生、その生意気なチビが、昨日のスリか?」
「チビって言うなデカブツ!」
「あんだと!? 誰がデカブツだ!」
「お前以外にこの場に誰がいるんだよ!」
二人が速攻で額を突き合わせて睨み合う。
カリナが頭を抱えて額へ手を当てた。
「始まる前から騒がないでください」
「「コイツが突っかかってくんだよ!!」」
声が完璧に重なった。
「ふふ、案外気が合って仲良くなれそうだね」
リュネルが楽しそうに微笑む。
「「なるわけねぇだろ!!」」
「やっぱり息がピッタリだねぇ〜」
その軽薄な声は、ここにいる四人の誰のものでもなく、給水塔の上から降ってきた。
全員が一斉に顔を上げると、錆びついた高い配管の上に、ヘルメスが気楽に腰掛けていた。
朝の光を背に受け、楽しそうに両足をぶらぶらと揺らしている。
「おはよう、リュンちゃん。それに威勢のいいボクちゃんと、きれーなお嬢さん」
ソランの顔が一瞬で敵をみるような険しい表情になった。
「あ! お前、昨日の……!」
「ヘルメス、なんで君がここにいるんだい?」
レギスは指を指し、リュネルは呆れた顔で彼を見上げた。
ソランはリュネルとヘルメスを交互に見比べる。
「何でお前がここに居るんだよ、この変人!」
「ほーんと、君には最初から心底嫌われているねぇ」
「うるせぇ! 上から人を見下ろしてニヤニヤしてる奴なんか、絶対に信用できるか!」
ヘルメスは高い配管から、重力を感じさせない身軽さでふわりと跳び降りた。
着地音すらほとんど聞こえない。
「じゃあ、下からこうやってニヤニヤ見上げれば、少しは信用してくれるかい?」
ヘルメスが一瞬でソランの至近距離まで間合いを詰め、下からのぞき込むように顔を近づけた。
「おい! 距離が近ぇんだよ!」
ソランは羽虫を払いのけるように、太い腕を全力で振った。
「ソラン」
リュネルが静かに名前を呼ぶ。
それだけで、ソランは不満そうにウッと口を閉ざした。
ただし、ヘルメスへ向ける警戒と敵意の視線は一切消えていない。
ヘルメスはそんなソランの様子を実に面白そうに眺める。
「いやぁ〜、相変わらずリュンちゃんには従順なんだねぇ」
「君もあまり彼を無駄に煽らないでくれないかな」
リュネルは心底呆れた顔で旧友を見やる。
その異質な状況の中にあっても、カリナは冷静に即座に一歩前へ出た。
「リュネルさん、この怪しげな人物は一体何者ですか?」
見るからに危険人物であると判断したヘルメスを強く警戒し、腰の剣に手をかけた臨戦態勢でリュネルとヘルメスの間に割って入る。
「…一応、利害が一致している協力関係……かな?」
「今の妙な間と、疑問形が非常に気になりますが」
カリナはハッキリと疑念を口にした。
いまにも刃を抜き放ちそうだったため、リュネルが宥めるように間へ入る。
「完全な味方とは言えないけれど、現状で僕たちに危害を加える事は無いはずです。それに、もし彼が裏切るような真似をしたら、僕が責任を持って彼を塵にしますから」
リュネルも曇りなき眼でハッキリとカリナに応えた。
「リュンちゃん、それを本人の目の前で言っちゃう?」
「事実だろう?」
「まぁね」と笑って肩をすくめてみせたヘルメス。
二人のやり取りを見て、カリナは引き下がるように渋々剣にかけていた手をおろした。
レギスも胡散臭そうにヘルメスを見ていた。
「お前、昨日の怪しい奴か」
ヘルメスは人の良い笑顔を向けた。
「僕の顔を覚えててくれたの? 嬉しいねぇ」
「……なんでここに来た」
レギスは少しだけヘルメスから距離をとった。
「大人の世界には、色々と複雑な事情があるのさ」
「全然信用できねぇ」
ヘルメスの予想外の登場によって朝の空気がかき乱され、収拾がつかなくなりかけていた。
そこへリュネルがパンと手を打ち鳴らした。
「はい、それじゃあ無駄話はやめて、作戦の打ち合わせを始めようか」
一同は身を隠すように給水塔の内側の影へ移動した。
崩れかけた壁の死角を選び、外から察知されないよう念のために簡易結界を張る。
レギスが拾ってきた木炭を使って記憶にある工房の見取り図を描き始めた。
「正面の入口は普通の客用の工房だ。機械の修理を頼みに来る奴もいるし、何も知らない普通の職人も何人か働いてる」
「働いている全員がゲートの関係者というわけではないのですね?」
カリナが尋ねると、レギスの小さな眉間に少し力が入る。
「たぶん。裏の事情を何も知らねぇ奴も混ざってると思う」
「裏口は?」
「東側にある。ここにいつも大型の荷車がとまる。怪しい荷物を出し入れしてるのもここだ」
「地下施設への入口も、おそらくこの周辺に隠されているだろうね」
リュネルは描かれた工房の奥に小さな四角を描き、そこから下へ繋がる経路を付け足した。
「でも、その扉には複雑な魔道具がついてる。俺が前に入ろうとした時は全然開かなかった」
「魔力認証式か、あるいは何らかの鍵式か」
リュネルが呟く。
「工房長ってやつが通ると自動で開く。あと、黒い服を着た不気味な奴らなら」
「それなら、個人の魔力波形を読み取る認証式の可能性が高いね。それなら仕組みさえ解けば、破るのは簡単そうだ」
リュネルはふと、サイラスから共有された『ゲート』のナンバー2の男の件を思い出し、念の為にと手元の顔写真を取り出してレギスへ見せた。
「そうだレギス、この男に見覚えはあるかい?」
写真を見た途端、レギスの顔色が激変した。
「……こいつだ」
全員の鋭い視線が彼へ集まる。
「知っているのかい?」
「間違いねぇ! リッダ工房の工房長だ! みんな『親方』って呼んでる! 本名は知らねぇけど、間違いなくこいつだ!」
今回の最優先ターゲットとされた写真の男。
それこそがリッダ工房の長であった。
リュネルはすぐさま通信魔道具を取り出した。
「サイラスさんへ至急伝えないと」
薄い青の光が広がり、極小の魔法陣が形成される。
『……リュネル様、どうされましたか?』
「標的の男の正体が判明しました。リッダ工房の工房長です」
数秒の重い沈黙。
『……それは確実ですか?』
「ええ。件の少年に写真を見せたところ、間違いなく工房長本人だと」
『了解しました。こちらも直ちに――』
突然、通信の音声にバリバリと激しい雑音が走った。
青い光が狂ったように乱れ、サイラスの声が途切れ途切れになる。
『……工房の周……強力な魔力波形……位置が特定され……』
「サイラスさん!?」
『リュネル様、すぐ――』
バチッと弾けるような音と共に、通信は一方的に途絶した。
全員が息を呑んで沈黙した。
「……通信妨害でしょうか?」
カリナが素早く剣の柄へ手をかける。
「それだけじゃない。こちらの通信を逆探知された可能性が高い」
レギスの獣の耳がピンと立つ。
「じゃあ、俺たちの動きがバレたのか!?」
「少なくとも、誰かがこの周辺で通信を行ったことは敵に悟られたかもね」
ソランが意気揚々と拳を握り締める。
「だったら話は早ぇ! 今すぐ乗り込もうぜ!」
リュネルも腹を括って大きく頷いた。
「あちらとの連携はどうしますか?」
カリナが冷静に問う。
「向こうも異常を察知しているはずだから、工房へ向かうはずだ」
「万が一、来なかった場合は?」
リュネルは不敵な笑みを浮かべる。
「僕たちだけでやるだけさ」
「工房長の捕縛は?」
「それは可能な状況であればね。僕たちの最優先事項は、ロイくんの救出だ」
リュネルはレギスへと向き直る。
「レギス、僕たちが正面から奴らの気を引くから、その隙にロイくんを探すんだ。できるかい?」
レギスの顔が強張る。
恐怖で押し潰されそうだった。
それは当然だ。
それでもレギスは、強く頷いた。
「ロイは……俺が絶対に助ける」
「無理はしないで。地下への道を見つけたら合図を送って」
「合図ってどうすれば?」
「この指輪を二回叩いて。それで反応が僕へ直接伝わるから」
リュネルはレギスの首にかかる指輪に触れてみせた。
「そして、万が一危険だと感じたら、三回叩くんだ。何があっても必ず僕たちが助けに行くから」
リュネルはまっすぐにレギスの目を見つめる。
レギスは服の上から指輪を強く握りしめた。
「……分かった」
「ソランとカリナさんは、僕と一緒に正面から堂々と乗り込むよ。……ヘルメスは?」
「僕は僕で、勝手に動くよ」
「最初からそう言うと思っていたよ」
リュネルは息を吐き、
「――行こう」
結界を解除した。
◇
リッダ工房は賑やかな工房街の端に位置していた。
周囲の建物より少しだけ広大だが、目立つほどの立派な造りではない。
看板には歯車と槌を組み合わせた紋が描かれている。
表の頑丈な扉は開かれていた。
内部では数人の職人たちが、魔道具の修理や調整を行っている。
一見すれば、どこにでもある市井の小さな工房だった。
レギスは途中の路地で、すでに気配を消して消失していた。
対象の認識の隙間へと滑り込む彼の特異な魔法であり、実際に透明化しているわけではない。
ただ、誰も彼の存在を意識できなくなるのだ。
レギスは工房を見張る男のすぐ横をすり抜け、音もなく建物の側面へと回り込んだ。
リュネルの感覚をもってしても、その気配を捉えるのは困難だった。
(本当に、素晴らしい才能だね)
などと感心している場合ではない。
リュネルは正面の扉へと歩みを進めた。
「こんにちは」
工房の内部へ爽やかに声を投げかける。
職人たちが一斉に顔を上げた。
奥の作業場から、背の低いガッチリとした男が出てくる。
「……何の用だ、客か?」
「手持ちの魔道具の修理をお願いしたくてね」
リュネルは大きめの鞄を持ち上げてみせた。
「少々特殊な構造の品なので、できれば工房長に直接見ていただきたいのですが」
男は警戒心を強めてリュネルを見つめる。
「……生憎だが、親方は不在だ」
「それは困ったな。かなり珍しく、高価な素材を使っているんだけどね」
男の目が、僅かに欲で動いた。
「……どんな品だ?」
「ここで開けて見せても?」
リュネルが鞄の留め具へ手をかける。
周囲の男たちが小声で合図を交わし合っているのが分かった。
「……待て。奥へ入れ」
リュネルたちが工房の内部へと足を踏み入れる。
一度入ってしまえば、こちらのものだ。
背後で重い扉がパタンと閉まった。
外にいた男たちも、逃げ道を塞ぐように移動を開始する。
ソランが小声で囁く。
「先生……」
「まだだよ」
「でも……」
「大人しくね」
「……分かってるよ」
ソランは拳を握り締めたまま耐えた。
カリナは内部構造を冷静に観察している。
出入口、窓の配置、敵の人数、そして奥にある地下への扉。
リュネルは作業台の上に鞄を置いた。
「……開けますよ」
男たちが一斉に手元に注目する。
留め具を一つ、二つ、三つ。
リュネルが滑らかに外していく。
その時、彼の胸元に確かな振動が伝わった。
一度。少し間を置いて、二度。
レギスからの成功の合図だ。
(よし、良くやった)
リュネルは鞄を一気に開いた。
内部に仕込んでおいた閃光の魔法陣が瞬時に解放される。
眩いばかりの光が工房全体を包み込んだ。
「なっ――!?」
「今だ!」
カリナが瞬時に剣を抜き、入口を塞ぐ男の腕を柄で強く打ち据える。
ソランは巨大な作業台を両手で掴み上げ、豪快に横へと投げ飛ばした。
「うぉらぁぁっ!」
作業台が床を滑り、奥にいた男たちをまとめて押し倒す。
「殺すなよ、ソラン!」
「分かってるって!」
突っ込んでくる敵を次々と拳と脚で叩きのめしていく。
暴れる敵に対して、リュネルは杖を振るい、正確な魔力の衝撃で敵を昏倒させていく。
工房中に怒声が響き渡り、表向き職人だった者たちが一斉に武器を抜いた。
もはや、ただの工房ではないことを隠すつもりはないようだった。
「ソラン、右から三人!」
「おっしゃ!」
壁が震え、床板が軋む。
男の身体が宙を舞い、積まれていた木箱へ突っ込んで壊れた。
敵の注意は完全にこちらへと引きつけられた。
◇
その頃、レギスは暗い天井裏を這っていた。
板の隙間から下で混乱する男たちの姿が見える。
「正面で不審者が大暴れだ!」
「地下の防護結界を完全閉鎖しろ!」
「実験体を急いで奥へ移せ!」
その言葉に、レギスの心臓が跳ねた。
(ロイ……!)
焦るな。
リュネルに言われた言葉を思い出す。
一人で突っ込むな。
場所を知らせろ。
レギスは歯を食いしばり、先へ進む。
天井裏の先に細い通気口があった。
格子を外し、滑り込むように着地する。
目の前には、地下へ続く厚い鉄扉。
男が一人、認証用の魔道具に手を当てていた。
扉が開くと同時に、レギスは魔法を発動させた。
男の意識の隙間へ入り込み、背後へピッタリとつく。
扉が閉まる直前、スルリと内部へ滑り込む。
地下には、冷たい薬物の空気が満ちていた。
壁の魔導灯は不気味な赤。
奥から、子供の弱々しい咳が聞こえる。
レギスの足が激しく震えた。
走り出したい。
名前を叫びたい。
だが、声を上げればすべてが終わる。
彼は口を手で覆い、音を殺したながら地下への道を進んだ。
暫く進んで行くと男がとある部屋に入って行ったので、レギスもついて行った。
そこには左右一面に鉄格子の扉が並んでいた。
中に子供がーー10、20……ーーといた。
床に座り込む者。
寝台へ縛られている者。
腕に管を繋がれている者。
レギスの呼吸が乱れる。
怒りで視界が赤く染まるようだった。
(ロイ、どこだ)
一つずつ、格子の中を見る。
そして、小さな身体が壁際の寝台へ横たわっていた。
痩せた頬。
癖のある髪。
自分が何度も繕った上着。
「……ロイ」
出てきた声はほとんど息だった。
少年の瞼が僅かに動く。
「……にぃ……ん」
細い糸が擦れるような声だったが、レギスの耳はその声を聞きもらさなかった。
レギスの目から、堪えていたものが溢れそうになる。
その時、背後で靴音が止まった。
「誰だ」
レギスは背中がゾクリとする感覚に襲われたが、振り返るより先に胸元の指輪を三度叩いた。
◇
工房で戦っていたリュネルの胸元に魔力の反応が伝わった。
「レギスが見つかった」
カリナが一人を斬り伏せながら振り返る。
「行って!」
カリナが叫ぶ。
「ここは私たちに任せてください!」
ソランが男の腹へ拳を叩き込み、吠える。
「先生、早く行け!」
リュネルは一瞬だけ迷い、すぐに決断した。
「二人とも、無理はしないで!」
「先生にだけは言われたくねぇ!」
リュネルが杖で床を叩くと、一瞬だけ青い線が床下へ走る。
扉。
配管。
階段。
レギス続く経路が青白い線となってリュネルの視界へ浮かび上がる。
リュネルは迷うことなく最短距離でそこへ向かって駆ける。
倉庫の最奥には幾重にも魔法陣が施されていた鉄の扉があった。
リュネルは扉へ杖を向けた。
「解錠」
極太のゴムが切れるような音でリュネルの魔法が弾かれる。
「面倒だな……!」
背後で爆音がして建物全体が震える。
ソランが何かを投げたのだろう。
リュネルは杖を捨てるように左手へ持ち替え、右手を扉へかざし魔力の流れを読む。
認証式。
静脈。
魔力回路。
「…なら、書き換えるだけだ」
リュネルの瞳が輝く。
扉の刻印が一本ずつ剥がされていく。
光が線へ入り込み、認証術式そのものを内側から組み替える。
金属の奥で重い音がした。
扉が開いた。
地下から冷たい空気と薬品の臭いが噴き上がる。
リュネルは階段を駆け下りた。
レギスの指輪が示す場所へ向かって。
ただ一筋の救いの手を伸ばすために。




