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アルカナ堂は今日もゆく〜素材屋リュネルの秘録〜  作者: 磨羯瑞花


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第42話 魔導工業都市アウレクシア〜邂逅〜

応接室に取り残されてから、5分もしない内にソランが文句を言い始めるのは、もはやお約束の光景だった。

カリナがたしなめるような視線を送るものの、ソランは退屈そうに貧乏ゆすりを始めている。

リュネル自身も、お茶がすっかり冷め、座り心地の良い革張りのソファが少しばかり窮屈に感じられてきた頃になっても、ヴァルターは戻って来なかった。

静まり返った部屋の中でサイラスだけが、まるで時間そのものを楽しむかのように、変わらぬ笑みを浮かべたまま沈黙を保っていた。

30分経った頃、ようやく扉が開いた。

戻ってきたヴァルターの顔には、先ほどの淀みは欠片もなく、再び上品で自信に満ちた笑顔が張り付いていた。

「大変お待たせいたしました」

ヴァルターは優雅な所作で席に座ると、サイラスへ向けて鷹揚に頷いた。

「先ほどの――追加資料の開示につきましては、我々としても可能な範囲で対応させていただく結論に至りました。ただし、一つだけ条件がございます」

「条件、ですか」

サイラスが、声音に一切の警戒を滲ませることなく穏やかに促す。

「錬材師殿に、もう一つ見ていただきたいモノがあるのです」

ヴァルターはテーブルの上で両手を組み、獲物を誘い込むように前のめりになった。

「まだ研究途上の段階ではありますが、オルディナエネルギーが総力を挙げて開発を進めている、肝入りの新エネルギー素材なのです。こちらは既存のものと比較にならないほどの高出力を誇ります。ですが、製造工程においてまだ幾つかの不安点が残っていましてね」

サイラスは、興味深そうに頷いた。

「それは素晴らしい。是非、見せていただけますか」

「もちろん」

ヴァルターは、もったいぶるようにゆっくりと立ち上がる。

「それでは、工房区画へご案内いたします」

その瞬間、壁際に控えていたニコラとエルヴィンの空気が微かに張り詰めたのを、リュネルは肌で感じ取った。

外部の人間を工房区画へ招き入れるということは、見せても問題のないものしか存在しないという強烈なアピールなのか。

もしくは、この秘密を共有した以上、「お前たちも共犯だ」という脅迫なのか。

サイラスから目配せを受け、リュネルは一拍の思案を置いて静かに頷いた。

「……分かりました。拝見しましょう」

ヴァルターは一瞬だけ獲物を捉えたように目を細めたが、すぐに洗練された笑顔へと戻り、意気揚々と部屋の出口へ向かって歩き出した。

一行が案内されたのは、先ほど地上階へ上がる際に乗ってきたものとは異なる、壁の奥に隠された専用のエレベーターだった。

内装は無機質な金属で覆われ、階数を示す表示すらない。

扉が閉まると、エレベーターは重力に逆らうような軋みを立てながら、ゆっくりと地下へ降下して行く。

密閉された空間に、微かなオゾン臭と冷ややかな空気が混じり始める。

やがて、ガコンという鈍く重い揺れと共に箱が完全に停止した。

扉が左右に開いて目に飛び込んで来た光景は、リュネルたちの想像を遥かに超える、異様な空間だった。

巨大なドーム状にくり抜かれた地下空間。

厚いガラスの向こう側には、途方もない広さの作業場が広がっていた。

白の防護服に身を包んだ無数の技術者たちが、まるで意思を持たない機械の一部のように、黙々と計器を操作している。

何本もの太いケーブルが這い回り、計器の冷たい光が明滅するその空間の中央にそれはあった。

空間を支配するかのようにそびえ立つ、巨大な紅い結晶だ。

ただそこにあるだけで、周囲の空間を歪めるほどの圧倒的な熱とエネルギー。

血のように深く、それでいて炎のように揺らめく真紅の輝きが、ガラス越しにリュネルの網膜を灼いた。

その光景に常に冷静なリュネルでさえ、驚きを隠すことができなかった。

「…あれは、本物の……プラトジウムの純結晶、ですか?」

「えぇ、もちろん。見事な観察眼です。もしお疑いになる方がおりましたら、ガルディア帝国資源庁が発行した正式な証明書もすぐにお見せしますよ」

ヴァルターは、まるで自らが創り出したかのような、傲慢で勝ち誇った笑みを浮かべている。 

リュネルの驚きに満ちた反応が、彼にとって極上の美酒であるかのように満足しているようだった。

「リュネル様、そのプラトジウムとは、一体どの様なものなのですか?」

サイラスは、あくまで珍しい鉱石に関心を持った素振りを装いながら、リュネルの側に寄り、唇を動かさずに耳打ちした。

リュネルもまた、表情を強張らせたまま、他者に悟られぬ念話でサイラスの脳内に直接語りかける。

〈プラトジウム……アナンタイトとも呼ばれる希少鉱物です。アレは、その結晶の存在自体が、極限まで圧縮された膨大な魔力エネルギーの塊なんです。ほんの小石ほどの欠片が数片あるだけで、都市一つを稼働させる“半永久機関”のコアを鋳造できてしまうほどの代物です。かつては大陸にいくつか鉱脈があったそうですが、現在採掘可能な鉱山はもう一カ所しか残っていません。…僕自身、現物は過去に数回しか見たことがありません。しかも、僕が知っているのは手のひらに乗るほどの小ぶりな原石でした。……まさか、不純物のない純結晶で、これほどの巨大なサイズが存在するなんて……。一体、これほどに膨大な魔力を集めて、この国は何をする気なんでしょう……〉

念話を通じて伝わってくるリュネルの深い動揺に、事態は想定以上に深刻であると判断したサイラスは、滑らかな笑みを浮かべてままヴァルターの元へと歩み寄った。

「ヴァルター様、これは実に――」

「――これこそが、新たなる時代の誕生、“新核”です」

ヴァルターが、興奮を抑えきれない様子でサイラスの言葉を遮った。

ガラスに映る彼の瞳は、狂気じみた熱情に浮かされていた。

「これこそが、我々オルディナエネルギーの、いやアウレクシアの“革新”です。……コレさえあれば、我々に不可能な事など何一つない。長年、資源の乏しさゆえに我々を辺境の小国と見下し、冷遇してきた大国どもとも、完全に対等に渡り合える。…イヤ、いずれは我が国の圧倒的な技術力の前に、平伏す事になるやもしれません! ハハハッ! ハハハハハハッ!」

地下空間に響き渡る、底知れぬ野心を孕んだ高笑い。

その異常な響きに、リュネルはハッと我に返り、錬材師としての冷静な理性を総動員して意識を引き戻した。

「……確かに、これ程の純度と質量を誇るプラトジウムであれば、可能でしょう。ですが……ご存知ですか? プラトジウムを兵器や破壊の力へと転用する事は、違法行為だと」

リュネルは、店で理不尽な要求を突きつけてくる厄介な客を相手にする時のような、静かだが冷ややかなトーンで釘を刺した。

「もちろん、存じておりますとも。我々アウレクシアも、『白塔議会』の末席に名を連ねる加盟国ですので。我々が、この至高のエネルギーを無骨な武器などに利用する事など、断じてございませんとも」

ヴァルターは、自身の胸の前に恭しく手を置き、芝居がかった動作でゆっくりと頷いた。

「なるほど。それは安心しました。では、御社はこの桁外れのエネルギーの塊を、暴走させずに完全に安定制御できるほどの技術を既に確立されていると?」

リュネルは、相手の傲慢さに臆することなく、理論の刃で一歩踏み込んだ。

「もちろんですとも。ただし、この結晶の機構だけでは、稼働時にどうしても微小な不安点が残ります。ゆえに、出力の完全なる安定性を維持するためには、特別な“制御装置”が必要不可欠となります」

ヴァルターが、ねっとりとした微笑を浮かべる。

「そしてもちろん、その専用の制御装置は、我が社が独占的に供給させていただきます」

どこまでも自分達の技術に依存させ、首根っこを掴もうとするつもりなのか。

あるいは、一度手を出せば二度と引き返せない暗黒の泥沼へと引きずり込む算段なのか。

リュネルたちは、ヴァルターの底知れない笑顔の奥にある真意を静かに伺った。

サイラスが、まるで相手の意図など気にも留めないように鷹揚に頷く。

「それは素晴らしい。ちなみに、その制御装置の具体的な仕様は?」

「残念ながら、完全なる社外秘です」

ヴァルターは肩をすくめて笑う。

「ただ、貴国が前向きに導入を望まれるのであれば――特別に、試験供給という形でのご相談は可能です」

サイラスは、この場における最も上等な外交スマイルを顔に貼り付け、滑らかに答えた。

「えぇ、私も自国の産業発展に関わる人間としては非常に魅力的なお誘いです。ですが、本日はひとまずここまでにいたしましょう。リュネル様も、世紀の結晶を目の当たりにされて、少々興奮が過ぎておられるようですしね。先ほどの追加資料につきましては、可能な範囲で提示して頂ければと存じます。我々は帰国後、持ち帰った情報を基に、慎重に検討を重ねさせていただきます」

サイラスは、最上の礼儀と作法を纏い、相手に付け入る隙を一切与えずに見事な撤退の意思を示した。

ヴァルターの笑みの奥に、ほんの一瞬、氷のような冷たいものが走るのをリュネルは見逃さなかった。

「……かしこまりました。確かに、一国の命運を左右する巨大事業の決断を急かすというのも、商売人としては些か品がございませんね。お約束の資料は、受付に用意させておきましょう。では、お見送りを」

ヴァルターは、静かな声で部下に指示を出すと、再び無機質なエレベーターへと一行を案内した。

リュネルは振り返り、重厚な扉が閉まる直前まで、ガラス越しにそびえ立つ紅い大結晶をジッと見つめていた。

あの美しくも恐ろしい力が、決して間違った方向へ歪められないことを祈りながら。

一行が地上階のロビーまで戻ると、ヴァルターの言葉通り、受付の女性から分厚い書類の入った封筒を恭しく渡された。

    ◇

建物を出て、外の空気へと触れた瞬間、これまでずっと沈黙を守っていたソランが、たまらずに深いため息を吐き出した。

「先生、俺、あのでっかい紅い石、今すぐ燃やして木っ端微塵にぶっ壊したい」

ソランは眉間に深いシワを刻み、獣が喉の奥で威嚇するかのように低く唸った。

彼の野生の勘とも言える感覚が、あの地下の結晶に宿る不の気配を肌で感じたのかもしれない。

「バカな事を言うんじゃないよ、ソラン。アレを君の全力の炎で燃やそうものなら、この周囲一帯が跡形もなく吹き飛ぶよ。それに……アレは、本当に超・超・超希少な鉱物なんだ。こんなきな臭い仕事でさえなければ、あんな場所に置いておくのを見過ごせないほどの素材なんだ」

リュネルは、先ほどの冷静さとは打って変わり、頬を微かに上気させながら興奮気味に捲し立てた。

その姿は、ただ純粋に未知の素材に魅了された「素材バカ」の顔だった。

サイラスは、そんなリュネルの変貌ぶりを見て、声を上げて笑った。

「えぇ、先ほどは地下でその熱いお気持ちをしっかりと抑えて頂けて、本当に助かりましたよ。本来の貴方としては、あのようなモノが不当に扱われているのを、決して看過できない性質なのでしょうからね」

リュネルは己の興奮をたしなめるように、サイラスへ向けてほんの少しキツめの視線を送った。

サイラスは「これは怖い怖い」と、全く恐怖を感じていない様子でわざとらしく肩をすくめた。

その後方ではニコラとエルヴィンが周囲の警戒を一切解くことなく、相変わらずの無表情を貫いて歩いていた。

宿へ向かう魔動車の待つ場所へ戻る道すがら。

夕暮れ時を迎え、仕事を終えた労働者たちが吐き出されるように街角へ溢れ、周囲はにわかに喧騒を増していた。

その雑踏の中を歩いていたリュネルは、一瞬、背筋を撫でるような魔法の気配を感じ取り、鋭く辺りを見回した。

しかし、行き交う人々の群れの中に怪しい挙動の人物は見当たらず、先ほどの微かな魔法の気配も、まるで幻であったかのように完全に消え失せていた。

だが、リュネルが己の異変を確かめるように、さり気なく外套の下の腰回りに手を滑らせた時だった。

確かにさげていた袋が一つ、無くなっていたのだ。

「……やられた」

「先生? どうかしたのか?」

足を止めたリュネルに気づき、ソランが心配そうに横からのぞき込む。

「スリに、盗られたみたいだ」

リュネルは、己の腰を見つめたまま静かに言った。

「はぁ!? マジかよ!」

ソランの紅の瞳が、信じられないものを見るように丸くなる。

「先生からモノを盗むとか、ただのチンピラじゃねぇーぞ。一体いつの間に……」

ソランは、怒りよりも先に、リュネルの鉄壁の防御を抜いた相手の手際に驚愕し、妙に感心すらしているようだった。

「何事ですか?あまり街中では騒がないで頂きたいですね 」

ソランの大きな声に気づき、前を歩いていたサイラスが振り返って戻ってきた。

リュネルは、困ったように、けれどどこか面白がるような微笑みを浮かべた。

「失礼しました。ですが、どうやらスリにやられたようでして」

その報告を聞いた瞬間、サイラスの顔にこの日初めての“本気の笑顔”が浮かんだ。

それは営業用の仮面ではなく、未知の強敵の存在を確信した事を喜ぶような、歓喜に満ちた笑みだった。

「貴方から? 物を盗む? ……何重にも複雑に結界を張り巡らせ、外部からの如何なる術式による干渉にも瞬時に対応できるよう備えているはずの、貴方のその鋭敏な意識の網目をかいくぐり、貴方の持ち物を盗り去ったと、そうおっしゃるのですか?」

「いざ、そうやって言葉にして説明されると、非常に複雑な気分になりますね」

リュネルは苦笑交じりにさらりと言ってのけた。

だが、その瞳の奥には自分に触れた「異質な手」の正体を見極めようとする、静かな探究の光が宿っていた。

「追いますか?」

「えぇ。…でも追うのは明日にしましょう」

サイラスは少し残念そうに、

「逃げられてしまいませんか?」

その言葉にリュネルは少し自慢げな笑みを浮かべ、

「心配ありませんよ、一般人には手に余るものですから」

やがて一行は待機していた魔動車に乗り込み、エンジンが滑らかな駆動音を立てた。

車が走り出すと窓の外には夕方の斜光が、アウレクシアの白い街並みを影を長く引き伸ばすように照らし出していた。

リュネルは、流れる異国の景色を静かに見つめながら、深く、静かな息を吐いた。

この街の裏側には、まだまだ自分の想像を超える未知と、底知れぬ悪意が潜んでいる。

その事実が慣れない疲労感と共に彼の胸に重くのしかかっていた。

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