第41話 魔導工業都市アウレクシア〜潜入〜
翌朝。
リュネルは無機質な機械の微弱な駆動音で目が覚めた。
アウレクシアならでは、なのだろうか都市全体を覆う微振動が、シーツを通じて肌に伝わってくる。
まだ頭の奥に残る微睡みを払いながら身を起こすと、個室の外にある共有スペースからは、壁を隔ててもはっきりと分かるほど騒がしい声が響いていた。
どうやらソランとカリナが朝から仲良くやっているようだ。
リュネルはそんな微笑ましい予感を胸に抱きながら、寝巻きから手際よく着替えを済ませた。
共有スペースの扉を開けると、案の定、そこには大皿を前にしたソランが、美味そうに朝食を頬張りながら、カリナからの容赦のないお小言を文字通り一身に浴びている光景が広がっていた。
「二人とも、おはよう」
「──っ、おはようございます、リュネルさん」
カリナはリュネルの姿を認めると、すぐさま身なりを正して一礼した。
「おはよ、先生! 今日はいつもより少しゆっくりだな」
ソランは香ばしいバゲットサンドを口いっぱいに頬張ったまま、嬉しそうに紅の瞳を輝かせた。
テーブルの上に散らばる包装紙から推測するに、少なくとも3つは平らげているようだった。
「リュネルさん、貴方の相棒とやらは師の分の朝食まで食べようとする不届者なのですか?」
カリナは細められた瞳に冷徹な光を宿らせ、辛うじて死守した最後の包みを、差し出すようにしてリュネルへと手渡した。
「……ソラン?」
「私は6個のサンドを購入してきたのですが、目を離した隙に4個が消えていました」
カリナは鋭い視線をソランへと容赦なく突き刺した。
「……ちなみに、カリナさんの分は?」
「問題ありません」
「それなら良かった。……ソラン」
リュネルは、カリナの手から受け取った包みに視線を落として安堵の息をつくと、すぐさま声音の温度を一段落とし、ソランの目をじっと静かに見つめた。
「だって、先生! コレ、すっげー美味いんだぜ? あっちでは見たことないやつだったし、今この瞬間に食っとかないと、次いつこの味に出会えるか分かんねーって思って……。そしたら、手が勝手に動いて、気付いた時には袋が空になってて……。でも、せんせぇと一緒に食べたいとも思ってたし………」
ソランは口の中のものを一気に飲み込むと、矢継ぎ早に言い訳を並べ立てたが、その声は徐々に小さく、萎んでいった。
リュネルは、大型犬のように縮こまるソランと目線を合わせるように、その場に静かにしゃがみ込んだ。
「まったく、お前ってやつは……。カリナさんに、朝から余計な迷惑をかけるんじゃないよ」
リュネルは、いつも通りの優しい手つきでソランの頭にそっと手を乗せた──と、思った次の瞬間、ソラン頭をガッチリと鷲掴みにすると、
「ーーってぇぇぇ!! あ、あうごぉぉぁぁーっ!」
ソランは即座に頭を押さえながら、悲痛な声をあげた。
傍から見れば、それは実に奇妙な光景であった。
一見すると、リュネルはソランの頭をただ軽く掴んでいるだけのように見え、ソランの誇る圧倒的な怪力をもってすれば、容易に抵抗してその手を振り払えそうであった。
だが、ソランはただ涙目で悶えるだけで、その拘束に抵抗する様子は微塵もなかった。
椅子に座っていたソランは、遂に耐えかねて床へと崩れ落ち、芋虫のようにのたうち回り始める。
リュネルは、ソランがどれほど床を転がろうが、どれほど必死にもがこうが、彼の頭を確実に掴み続けていた。
その様子を静かに見ていたカリナは思った。
この人は決して甘いだけのお人好しではないのだと。
その後もカリナはリュネルによるお仕置きを静かに見届けた。
騒がしくも温かい朝のひと時が終わり、各自が身支度を整え始めていった(1名を除いて)。
リュネルは、朝光の差し込む窓辺に立ち、外套の留め具を丹念に確かめ、最後にベルトに下がる袋に指先を触れた。
昨日、人混みの中で何者かの手によって微かに触れられたような違和感を覚えた、まさにその箇所だ。
表面を軽くさすり、中の物の感覚を確かめる。
そこへ、扉を3度規則正しく叩く音が響いた。
そのノックの音色は極めて控えめでありながらも、反応を待つだけの余裕が感じられた。
扉を開けると、そこには昨日と全く変わらない完璧に整えられた笑顔を浮かべたサイラスが立っていた。
彼のすぐ背後にはニコラとエルヴィンの二人が、通常モードて控えている。
「おはようございます、皆さん。準備はよろしいですか」
サイラスは、まるで世間話の延長のようなトーンで言葉を続けた。
「本日は、予定通りヴラタ技研連盟の傘下企業へと参ります。名目としては、我が国との新規の『エネルギー資源系素材の大規模取引』という建前になっております。リュネル様には、提示される素材を、いつも通りに鑑定、および成分の分析をお願いします。それ以外の交渉のやり取りは、すべてこの私にお任せください」
その説明を聞いていたソランが、今度こそ怒られないように細心の注意を払いながら、小声でボソリと尋ねた。
「……なぁ、オレは一体何をすればいいんだ?」
「お前は、その自慢のデカい身体を縮めて、錬材師殿の側を片時も離れずに、ただ大人しくしていろ」
ニコラが、一切の感情を排した冷たい口調で淡々と言い捨てた。
「つまり、いつも通り、ってことだな!」
ソランが能天気に言うと、情報部の三人の視線が一斉に彼へと集中した。
「ソラン、それは全然違うよ。“大人しく”だ。良いかい? お・と・な・し・く、だ」
リュネルが、慈父のような微笑みのまま釘を刺す。
「先生、わざわざ二回も繰り返さなくたって、オレにだってそれくらい分かるぜ?」
「大事なことだからね」
リュネルのその言葉に同調するように、サイラスとカリナの二人が、示し合わせたかのように大きく二度、深く頷いてみせた。
サイラスは、短く咳払いをして、全体の役割を再確認した。
「よろしいですか。現地において、あなた方は錬材師とその助手。私は産業棟の官僚。後ろのこの2人は技術の導入を検討している企業の人間です」
サイラスは言い終えると、目線をカリナの元へと滑らかに流した。
「では、準備も整ったようですし、そろそろ参りましょうか」
宿を出ると、リュネルはアウレクシアの強烈な陽射しに対して、眩しそうに瞳を細めた。
太陽の光は眩しいものだが、アウレクシアの朝日はどこか痛いと感じた。
見上げる空は確かに青い。だが、それはどこか冷たく人工的な青に見えた。
(……同じ太陽だというのに、こうも違うと感じるものなのか)
リュネルが静かに空を眺めていると、サイラスの声に促され、宿の横に静かに付けられていた乗り物へと案内された。
それは、ルキフェリアの街でもたまに見かける、魔力制御の自動馬車とは明らかに異なる造りだった。
「これは……昨日も街路で見かけましたが、自動馬車、ではないですよね?」
リュネルの純粋な疑問に対し、即座に答えたのは、彼の隣を歩くカリナだった。
「近年開発されてた“魔動車”と呼ばれるものです。実用化の域にまで技術を引き上げている国は未だ少ないと聞いています」
彼女の言葉を引き継ぐように、サイラスが滑らかな営業口調で言葉を重ねる。
「ええ。アウレクシアは、国力を挙げてその手の新技術開発に全ての資本を注ぎ込んでいる国ですからね。従来の自動馬車よりも、移動の快適さ、魔力変換の動力効率、その双方において圧倒的に優れているようです。何よりも素晴らしいのは──術者としての特別な魔力を持たない一般の人間であっても、簡単な操作だけで扱えるという点にあります」
「…なるほど。内部の動力源に『半永久機関』を組み込んでいるわけですね」
リュネルは、魔動車の滑らかな鉄の表面にそっと指先を触れ、納得のいったように頷いた。
車両の前方の奥から放たれる、高密度の魔力反応をその指先で感知し、構造を推察、展開したのだ。
「……さすがはリュネル様。一目触れただけでそこまで見抜くとは、相変わらず恐るべき推察力です。お見事」
サイラスは、表情を変えないまま、わざとらしくパチパチと両手を叩いてみせた。
「時間だ。そろそろ出発する」
ニコラが運転席の扉に手をかけ、全員に向けて迅速な乗車を促した。
車内は、大柄な男たちを含めた六人が乗り込んでいても、なお十分にゆとりのある空間が確保されていた。
魔動車が音もなく滑らかに走り出すと、車内には不快な揺れや振動がほとんど伝わってこない。
窓の外を流れるアウレクシアの中心街は、相変わらず普通であった。
整然と並び立つ美しい建物。
路上の塵を機械的に吸い上げる清掃の魔道具。
そして、行き交う市民たちの姿。
けれど、その普通の裏側に昨日よりもはっきり“線”が見える。
明確に区分けされた区画の境界。
要所に配置された警吏たち。
彼らが刻む巡回の規則正しい間隔。
そして、市民たちへ向けられる、その視線の異様な向き。
車窓を見つめていたカリナが、押し殺したような声で小さく呟いた。
「……街のすべてが、監視されているわ」
リュネルは、その言葉に静かに同意の頷きを返した。
「徹底して監視され、管理されている街というものはね、大気が放つ生きた日常の匂いが極端に薄いんだ。だから、不都合な変異や、おかしな不純物が決して表の舞台へと出てこない」
「出ないように、権力の力で無理やり内側へと押し込めている、ということですか」
「そう。そして、その押し込められた歪みが最後に行き着く先が……彼らの隠したいスラムか、あるいは、光の届かない地下の闇か、そのどちらかさ」
サイラスが、二人の深い会話の糸を断ち切るように、事務的な声音で軽く告げた。
「──目的の場所に到着しました。こちらです」
最新の魔動車が静かに停車したのは、機能的な流通区と、無機質な工房区のちょうど中間に位置するエリアだった。
掲げられた看板は歴史を感じさせるほどに立派で、そびえ立つ建物は一点の曇りもないほど清潔であり、訪れる者を拒絶するかのように玄関の扉は重厚だった。
《オルディナエネルギー》
表向きは、“クリーンなエネルギー資源素材の精製、およびその広域流通”。
だが、その光の当たらない裏側で、彼らが一体どのような暗黒の実験に手を染めているのかは、未だこの段階では断定できない。
だからこそ、彼らは今日ここへやって来たのだ。
受付は丁寧だった。
女性はお待ちしておりましたと、すぐに対応してくれ、人数分の入館証の用意と担当者への連絡を流れるように行った。
数分もしないうちに、仕立ての良い衣服を纏った中年の女性が、静かな足取りでやって来た。
「大変お待たせいたしました。応接室へとご案内いたします」
リュネルたち一行は、その女性の後に続きエレベーターへと乗り込んだ。
扉が閉まると、エレベーターは一切の駆動音を立てることなく、滑らかに動き出した。
重力の感覚からして、どうやらゆっくりと上層階へと上昇しているようだった。
数十秒程で静かに扉が開いた。
どうやら目的のフロアへと到着したのだろう。
応接室へ通されるまでの廊下は長く、曲がり角が多い。
壁面はすべて白を基調とした内装で統一されており、左右には全く同じ形状の、似たような扉ばかりが規則正しく並んでおり、迷いそうになる構造だ。
それでも案内役の女性は、一切の迷いを見せることなく進み、ある特定の扉の前でピタリと立ち止まると、恭しくその扉を開け放った。
「こちらのお部屋でございます。只今、弊社の営業担当者が参りますので、今しばらくそのままでお待ち下さい」
女性は丁寧に腰を折って一礼すると、静かに扉を閉めた。
通された応接室はなかなかの広さだった。
壁面に設えられた窓は高く、外に広がるアウレクシアの街並みが、まるで一枚の巨大な風景画のように美しく切り取られている。
中央の長机は一点の曇りもないほど綺麗に磨き上げられ、配置された調度品は揃いの物で統一され、壁には企業の輝かしい沿革を示す大きな歴史画が掛けられていた。
そして、リュネルはその部屋に足を踏み入れた瞬間、肌に微弱な魔力を感じ取った。
(……部屋の四隅を起点に遮音結界が展開されているのか)
この部屋は"そういった意図"でも使われるという事なのだろうと、リュネルは思った。
ほどなくして、部屋の扉が開き、担当者らしき人物が、自信に満ちた足取りで入ってきた。
先頭を歩くのは、恰幅の良いいかにも有能そうな中年の男だ。
身なりは最高級の仕立てであり、その口元に浮かぶ笑顔には品があった。
男は慣れた動きで名刺をサイラスへと差し出した。
「オルディナエネルギーの、営業統括を務めておりますヴァルターと申します。本日は遠路はるばる、足を運んでいただき、心より歓迎いたします」
彼はサイラスへとその柔らかい視線を向けた。
「恐れ入ります。私はルキフェリア産業棟、魔導技術部のエルネダと申します。こちらは錬材師のリュネル様です」
サイラスもまた名刺を差し返し、営業スマイルをその顔に張り付けた。
そこには、相手を威圧するような余計な重圧はなく、かといって、こちらが下手に出るような余計な媚びもない。
ヴァルターの視線が、ゆっくりとリュネルの姿へと移る。
それは相手を値踏みするというよりは、自らの領域を脅かす可能性があるかをみる観察のようだった。
「錬材師……なるほど。高名な方がこの場に臨まれるとは。では、話が早くて助かります」
サイラスは勧められた椅子に深く腰掛け、細い指先を優しく組んだ。
「早速ではありますが、本日は御社が誇る最先端の魔導工学技術の、我が国への試験的な導入を念頭とした、具体的な素材の取引についてお話ができればと考えております」
「ええ、その旨は事前にしっかりと伺っております」
サイラスが、満足そうに頷く。
「特に御社の開発された最新の動力技術は、魔力の出力安定性と変換効率の面において、周辺諸国の追随を許さないほど優れていると伺っていますが」
「ええ、その通りです。近年は、大陸中で魔導工学に対する需要が爆発的に伸びていますからね。都市の電気、水道を始めとした基礎的なライフライン、そして日々を動かす交通網……近代的な都市を維持するためには、とにかく莫大なエネルギーが必要不可欠ですからね。我が社としては、いかに効率よく、さらに限界までコストを抑えてそのエネルギーを精製するかという一点に、特に全ての開発力を注ぎ込んでいます」
ヴァルターは、自社の持つ圧倒的な技術力を、誇らしげに、そして傲慢なほど堂々と語る。
「当然、貴国におかれましても、その手の需要は日々高まっているでしょう?」
ヴァルターは、探るようにサイラスの目を覗き込んだ。
「ルキフェリアという国は、歴史的に見て些か保守的な気質が強い国ですが、最近になってようやく魔導工学の利便性にも強い興味を示し始めたと、こちらの情報網にも耳に入っていましてね」
「ええ、確かにここ数年の間に、我が国でも民間のレベルで様々な技術導入が行われ始めています。ですが、我が国の方針としては、やはり何よりも『運用の安定』と『絶対的な安全』が、すべての大前提となっていますのでね」
サイラスは、あえて一歩引いた困惑の表情を器用に作ってみせた。
「どんなに素晴らしい新技術であっても、世間の人々というものは、どうしてもその安全性の不透明さに気がかりを覚え、本格的な導入を踏み止まってしまうものなのです」
ヴァルターは、そのサイラスの言葉の本質を察したように、口元だけを薄く笑わせ、だがその瞳の奥だけは決して笑わなかった。
「……不安視されがち、というのは。もしや、我が社の周囲で囁かれている、あの下らない“噂”のことを指しているのですか?」
応接室の張り詰めた空気の密度が、ほんの少しだけ、極低温の刃のように張り詰めた。
互いの腹の底に隠された、真実の探り合いが、いよいよ本格的に始まったのだ。
サイラスは、平然とした動作で用意された現地の茶を一口だけ含み、喉を潤した。
「噂、ですか? こちらの立場としては、日々多種多様な情報が耳に入ってきますが……ヴァルター様、一体どちらの不穏な話を指して、そのようにお仰っているのでしょうか?」
「ハハハ、これは失礼。我がアウレクシアの躍進を快く思わない周辺国からの、醜い妬み嫉みのせいで、裏では色々と根も葉もないことを言われていましてね。特に、我が社の誇る魔導技術の肝でもある動力エネルギーの精製プロセスは歪んだ技術であると、事実無根の妄言で揶揄する声もありましてね」
ヴァルターは、自らその話題を隠すこともなく、堂々と不敵に笑いながら返してきた。
「おやおや、それは何ともまぁ、酷い風評被害だ。同情いたしますよ」
サイラスは、わざとらしい程に深い同情の表情を顔に浮かべてみせた。
「でしょう?」
「ですが……」
サイラスは、その貼り付けられた笑顔の奥に、一瞬だけ鋭利な冷徹さを滲ませた。
「火のないところに煙は立たぬ、とも申します。そのような具体的な噂が世に出たということは、それなりの、何らかの根拠となる事実が裏に存在したのでは? ピンポイントでその点を突いてくるとは、どうにも合点がいきませんね。ルキフェリアの産業棟としても、安全性第一を掲げる以上、そのような不確定要素や倫理的なリスクというものは、事前にすべて排除しておきたいのでね」
「……ごもっともな意見ですな」
喰えない曲者同士の、言葉のラリーは、互いに決定的なボロを出さぬまま、平行線の状態で緊迫感だけを増していく。
リュネルは、その会話の応酬を耳の端で聞き流しながら、全神経を建物全体の構造に対する索敵魔法へと密かに割いていた。
(……地上4フロア。地上にあるのは、すべてオフィススペース。……そして、地下にも2フロア……。工房は地下1階か。…………っ、これは、地下2階に何を置いてるんだ?)
地下二階の隠蔽結界の解析に集中しすぎていたのか、リュネルの意識が一瞬だけ硬直したその瞬間、テーブルの下でサイラスの右足がリュネルの右足を軽く蹴りつけた。
リュネルがハッとして意識を目の前の応接室へと戻すと、ヴァルターが手元にあった分厚い書類のなかから、1枚こちらへと滑らせてきたところだった。
「我が社が貴国へ自信を持って供給を予定している動力の基盤となる素材です。――“黒燐晶”です」
黒燐晶。それは、結晶の内部に桁外れの魔力エネルギーを蓄えている最高級の鉱物だ。
しかし同時に、その内部には特殊な人体に極めて有害な変異エネルギー線を内包しているため、扱いを僅かでも間違えれば周囲を巻き込んで大爆発を起こし、一帯の魔力環境を汚染してしまう、諸刃の剣の素材であった。
「非常に興味深い。ですが、私の知識が確かならば、黒燐晶は大陸全土でもその産地が極めて限定されているはずだ」
サイラスが、顎を撫でながら、探るような目で言う。
「御社は、一体どのようなルートでこれほどの量を安定して確保されているのですか?」
「それに関しては、複数の非公開の独自ルートからの輸入、とだけお答えしておきましょう」
ヴァルターは、一切の淀みなく即答した。
「複数、ですか。それは随分と手広い」
「我が社の技術を信頼してくれる顧客に対し、エネルギーの供給が途中で止まらないようにすることが、何よりも最優先の義務ですのでね」
ヴァルターは、勝ち誇ったように笑う。
「貴国の保守的な御老公たちは、何よりも『事態の安定』がお好きでしょう?」
サイラスの笑顔は、依然として崩れない。
「もちろん。我が国は安定を何よりも好みますが、それと同等に、取引相手との『誠実な信頼』も大切な構成要素として重視していますよ」
喰えない者同士の腹の探り合いは、互いに相手の提示した言葉の表面を肯定しながらも、その裏側で、薄い刃を互いの喉元へと静かに重ね合うような、極限の緊迫感を伴って続いていった。
明確に否定すれば角が立つ。
だからこそ、相手の論理を一度受け入れるフリをしながら、核心の闇へと少しずつ寄っていくのだ。
「──さて、言葉だけで語るのも無粋だ。実際にみていただいてもよろしいですかな、錬材師殿?」
ヴァルターが、それまで完全に無視していたリュネルの方へと、唐突に真っ直ぐに向き直った。
「ええ、もちろん」
リュネルは瞳の奥に光を宿らせ、短く答えた。
「ですが、あらかじめ申し上げておきますが、私はこれでも錬材師として自分の仕事に誇りを持っています。提示された素材に対して、手抜きをすることも、あるいは買い主の都合に合わせた忖度をすることも、一切できかねますが……それでもよろしいですか?」
「ふっ、それで結構。望むところだ」
ヴァルターは、不敵に首肯した。
「我々も、自社が世界に誇る製品の品質には、絶対的な誇りと自信を持っていますのでね。錬材師のお墨付きが頂ければ、今後の商談もより尚一層スムーズに進むというものです」
ヴァルターは、全くやまじいことを隠している素振りを見せず、自信たっぷりに言い放った。
ヴァルターが指先を鳴らして合図すると、部屋の隅に控えていた若い社員が、重々しい足取りで一つの美しい箱を中央のテーブルへと運んできた。
箱は、光を反射しない漆黒の木材で作られており、施された留め具は厳重な二重構造。
さらに、箱の四隅には幾何学的な、魔術刻印が刻まれていた。
それだけの厳重な防護措置が施されているという事実だけで、内部に納められた素材の持つ「危険性の高さ」が証明されていた。
「開けても、よろしいですか?」
リュネルが問いかけると、ヴァルターが傲慢に手を上げた。
「こちらのスタッフで開けさせよう」
若い社員が慎重に二重の留め具を外し、手持ちサイズのスキャナーのような機械を箱の表面にかざした。
箱の四隅が一瞬だけ眩い青白い光を放つと、刻まれていた強固な術式刻印が、まるで煙のように消え去っていった。
社員は、細心の注意を払いながら蓋をゆっくりと外した。
箱の中には光を完全に呑み込むような、異様なまでに黒い結晶が姿を現した。
黒燐晶。
確かにその外見的特徴は、本物の黒燐晶のそれと完全に一致しているように見える。
だが、リュネルの眼にはその結晶の放つ「黒さ」が、あまりにも不自然なほどに均一すぎるように映った。
黒燐晶の黒というものは、周囲の光を呑み込みながらも、結晶の成長過程で生じる微細な魔力のムラや、グラデーションをその内側に内包しているものだ。
だが、目の前にあるこの結晶の黒は、表面を完璧に“塗り潰した黒”に酷く酷似していた。
リュネルは己の持つ錬材師の杖を取り出し、その先端を結晶の表面へと静かに近づけたが、杖の持つ魔力に反応したのか、黒い結晶は鈍く、不吉な瞬きを返した。
リュネルはとっさの判断で杖を素早く袖の中へと仕舞い、代わりに作業でも使う手袋を嵌め、結晶の鋭利な端に向けて、自らの指先を直接近づけた。
指先から伝わってくる、結晶内部の魔力波形の細かな構造は──リュネルの知る黒燐晶のそれとは、決定的に異なっていた。
外殻の表面からは、確かに黒燐晶特有の安定した波形が検出される。
だが、そのさらに内側、結晶の核となる最奥から伝わってくるのは、全く別の狂暴なまでに熱い、異常な波形だった。
それは、今にも内側から世界を焼き尽くさんばかりに、ドロドロと熱く猛っている。
「……なるほど。これは、極めて高度な加工が施されていますね」
リュネルは、感情の起伏を排した淡々とした声音で告げた。
ヴァルターの洗練されていた目が、獲物を捉えるように細くなる。
「加工が施されているのは当然でしょう。我が社が最新の魔導技術を以て精製した、一級の工業製品なのですから」
「いいえ。これは精製などという生易しいものではない。素材の理を無視して内側を書き換えた、歪な“改造”です」
リュネルは、瞳をヴァルターへと向け、はっきりと拒絶のトーンを込めて言い切った。
「この結晶の外殻部分は、ただの周囲の目を欺き、出力を安定させるための偽装用に過ぎない。この結晶の本当の核──内側にある、極めて不安定でいつ暴走してもおかしくない未知のエネルギー核を無理やり維持し、隠蔽するために外側だけを本物の黒燐晶の構造に模して造り上げられている」
その言葉を聞いた若い社員が、恐怖に顔を引きつらせて思わず息を呑んだ。
ヴァルターは、なおもその完璧な笑顔の仮面を保ったまま、声を低くする。
「暴走、とは。随分と人聞きの悪い言葉を使いますね、錬材師殿」
「エネルギーの出力が、あまりにも不安定で制御不能だと言っているんですよ」
リュネルは結晶の角度を指先で僅かに変え、窓から差し込む朝の光に透かした。
すると、光の屈折に応じて、漆黒の結晶の最奥に、ほんの僅かに紅い亀裂のような輝きの筋が、生き物の如く走るのが見えた。
「それは、天然の輸入品ゆえに生じる、些細な品質のばらつきに過ぎないでしょう」
ヴァルターが、何でもないことのように軽くあしらう。
「異国からの輸入品である以上、多少の個体差は仕方のないことだ」
「……では、もしも我が国がこれを正式に導入し、ルキフェリアの都市のライフラインで取り返しのつかない大爆発事故が起きたときにも、貴方は全く同じ事を口にできるのですか?」
リュネルは、ヴァルターの目を射抜くように鋭く見やった。
「輸入品だから、どれほど凄惨な事故が起きようとも仕方が無いと、被害に遭った市民の前で平然と言い切れるのですか? その結果生じるすべての責任を、御社は、アウレクシアという国家は、本当にすべて負えると言うのですか?」
リュネルの語気が、明らかに、周囲の空気が震えるほどの圧倒的な強まりを見せた。
彼の根底にある素材を歪め、人命を軽視する者に対する静かで激烈な怒りが室内の空気を激しく揺さぶる。
ヴァルターの完璧だった笑顔の仮面が、そのすさまじい気迫の前に、一瞬だけ完全に停止した。
そこへサイラスが、滑り込むようにして柔らかく二人の間に割って入った。
「リュネル様、専門家としての貴重な意見は十分に理解しました。本日の鑑定は、ひとまずそのあたりで留めておきましょう」
リュネルはハッとしたように己の激昂に気づき、深く息を吐き出して平静を何とか取り戻した。
言い方一つで、この場にある全ての外交カードが燃え尽きてしまう。
「……エルネダ様、大変失礼いたしました。ですが、動力としてこの未知の結晶を我が国に導入するのは、あまりにも危険すぎます」
リュネルが、サイラスの顔を伺うようにして視線を送ると、サイラスの顔は驚くほどいつも通りの胡散臭い笑顔のまま、微動だにしていなかった。
「あくまで、一錬材師としての個人的な意見です。この素材を実際に買い付けるかどうか、そちらがどう判断されるかは、すべてお任せいたしますが」
サイラスは静かに頷き、そしてすべてを見通したように、小さく息を吐き出した。
「ご謙遜を。錬材師である貴方の言葉に疑う余地など無いでしょう。……ヴァルター様」
ヴァルターは、冷え切った目のままゆっくりと口を開いた。
「……非常に厳しい、鑑定ですな。ですが、貴国は今この瞬間も、我が国が誇るこの強大な魔導エネルギーを喉から手が出るほど必要としている。需要があるのです。ならば、危険をただ恐れて排除するのではなく、その危険性を高度な技術で管理、運用する方法を共に探るべきでは? どんなに優れた医薬品や強力な武器であっても、扱いを一歩間違えれば、人命を脅かす危険な存在になることには変わりない。だからこそ、それらは法律や管理体制という『枠組み』によってコントロールされている訳でしょう?」
ヴァルターもまた、その傲慢な笑顔を戻し、論理の刃でこちらを詰めにかかってくる。
サイラスも、その言葉の表面を変わらずに肯定するように頷いた。
「まったくもおっしゃる通り。危険な素材であるならば、その危険性の正体を徹底的に調べ上げ、適切に対処するための枠組みを構築すれば良い。…ならば、我々が国に持ち帰って検討するための、より詳細な判断材料が欲しいところですね」
「……判断材料、とは?」
「御社が保有している、この黒燐晶の『全供給ロットの製造一覧』。および、精製プロセスの詳細な工程概要。過去の運用における事故率の公的データ、などなどです。…我々も、一国の命運を握る国家事業としてこれを行っていますので、これほどの危険な素材を前に、即断即決での契約は致しかねますよ。入念な下調べと、上層部での多くの検討を重ねたうえで、最終的な決定を行います。その確かな判断基準を得るためにこそ、今回はわざわざお忙しい高名な錬材師様に、こうして直々に同行していただいたのですからね」
サイラスは、恐ろしいほどの厚顔無恥さで、こちらの要求をさらりと並べ立てた。
相手が最も開示を嫌がり、隠しておきたいはずの機密情報の核を、外交の正論という美しい笑顔のオブラートで包んで、丁寧に要求しているのだ。
腹の探り合いにおける攻防とは、まさにこのような、笑顔の裏での執拗な手数の積み重ねであった。
ヴァルターは、テーブルの上で指を組み直した。その額に、微かな不快の皺が寄る。
「……我が社の誇る技術のどこまでを貴国に開示できるかは……さすがに、社内の幹部会での慎重な判断が必要です」
つまり、今この場ですぐにそのデータを出すつもりはない、という明確な拒絶の先延ばしだ。
出せないのか。出したくないのか。
あるいは、出すと自分たちのすべての破滅に繋がるような致命的な不都合が、そこに眠っているのか。
──その時、張り詰めていた応接室の扉が、一度だけ激しく叩かれた。
そのノックの音色は、先ほどの案内役のものとは明らかに異なり、控えめでありながらも、極めて差し迫った急を告げる雰囲気が満ちていた。
ヴァルターが不審そうに応じると、一人の若い社員が血相を変えて室内に飛び込んできて、ヴァルターの耳元に向けて、何事かを早口で必死に囁いた。
その報告を耳にした瞬間、ヴァルターの常に自信に満ち溢れていた瞳の奥が、一瞬だけ、泥のように黒く淀んだ。
「……申し訳ない。少々、席を外させていただく」
ヴァルターは、椅子の引く音を荒々しく響かせながら、唐突に席を立った。
「どうやら、現場の方で緊急の対応が必要な案件が発生したようなので、少々このままでお待ちいただきたい」
それだけを言い残し、彼は焦りを隠せない足取りで、急ぎ足で部屋を後にした。
ヴァルターが去った後の応接室からは、一気に押し殺されていた緊張感が少しだけ和らぎ、代わりに冷たい静寂が降りてきた。
サイラスは、何事もなかったかのように手元のぬるくなった茶を飲み干し、何でもないような調子で口を開いた。
「……いやはや、少々意外でしたよ、リュネル様。あそこまで感情を剥き出しにして、熱くなられる方だったとはね」
その言葉は、一見すれば任務の進行を乱したことに対する痛烈な嫌味のようにも聞こえたが、今のリュネルには、決してその表面通りの意味としては受け取れなかった。
「……申し訳ありません、サイラス様。自分の未熟さゆえに、取り乱しました」
リュネルはあの激昂を反省するように、サイラスに向けて静かに頭を下げた。
「おや、何故貴方が謝罪するのですか?」
サイラスは、空になったカップを片手に持ったまま、心底不思議そうな、そして酷く興味深そうな表情をその顔に浮かべた。
常に完璧な笑顔の仮面を貼り付けている彼の、このような人間らしい表情は、極めてレアなものであった。
「僕が余計な事を口走ったせいで、ここでの交渉は、おそらくこれで失敗でしょう……。これでは、僕たちが本来目的としていた証拠探しも、今後のアプローチの方法がかなり限定されてしまう。任務の進捗を大きく遅らせるどころか、作戦の達成自体を困難にしてしまった」
リュネルは、己の失態を悔いるように深く俯き、手袋を嵌めた拳を強く握り締め、奥歯を強く噛み締めた。自らの感情の揺らぎが、全体の足を引っ張ってしまったという事実が、何よりも許せなかった。
サイラスが手元のカップをソーサーへと置いた、硬質な音が静かな室内に良く響いた。
「ふっ……そうとは限りませんよ、リュネル様。貴方は、自分のなすべき仕事を完璧以上に全うしてくれた」
サイラスの耳触りのよい声が響く。
「え?」
リュネルが怪訝そうに顔を上げると、そこにあったサイラスの顔は、いつものあの胡散臭い貼り付けたような笑顔へと戻っていた。
しかし、その瞳の奥にある光だけは、いつもの冷徹な計算を通り越し、自らの罠に獲物が嵌まったことを確信した、極めて不敵な笑みであった。




