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アルカナ堂は今日もゆく〜素材屋リュネルの秘録〜  作者: 磨羯瑞花


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第39話 魔導工業都市アレクシア〜序〜

王国の朝は、いつも重厚な“音”の重なりから始まる。

微細な塵が朝光に踊る執務室のなかで響く、厚手の羊皮紙をめくる乾いた擦過音。

重要な機密を封じ込めていた蝋を割る、小さく硬い破裂音。

そして、ペンが滑らかな紙の上を走る規則正しい硬質な音。

それらの音がひときわ密度を増し、張り詰めた緊張感を醸し出す場所があった。

中央都の官庁街、威厳をもってそびえ立つ庁舎の最奥。

高い位置に設えられた窓からは、外の喧騒が薄く切り落とされたかのように届かない。

代わりにここへ流れ着くのは、国を動かすための情報の濁流だけだった。

今日、そのある部屋に満ちる空気はいつになく湿り気を帯びて重かった。

理由は極めて単純である。

対面する2人の間に置かれた一枚の書簡。

それが放つ政治的な重圧が、部屋の空気を圧迫しているのだ。

書簡に施された封印は国章付きの外交用のもので、刻まれた紋章はリュシェン公国のものだ。

その書簡を携えてやって来た男は、ごく洗練された笑みを、まるで使い慣れた仕事道具のように貼りつけていた。

仕立ての良い上着を纏う彼の背筋は柔らかく、発せられる声は低すぎず高すぎない。

聞き手の耳に心地よく染み渡る温度。

だが、その双眸だけは違っていた。

暖炉の穏やかな火を映しているのではなく、研ぎ澄まされた刃の如き光を宿している。

「貴国のご多忙は重々承知しております。ですので、前置きは省き、要点だけを」

向かいの椅子に腰掛けるルキフェリアの官僚が、表情を変えずに黙って頷いた。

「我が国の国境の都市域に、最近になって…"よろしくないモノ"が流れ始めました。素材です。それも、裏の流通網でしか扱われない違法なね。通常であれば、街の闇市で小悪党が捌いて終わる話ですが――今回は事態の深刻さが違います」

男は静かに息を吐き出しながら言葉を紡ぐ。

「それらのなかに、非正規の魔道具が混じっているのです。恥ずかしながら、それらは検閲官の目すら容易にすり抜けるのです。そして――最も忌むべきは、生体を用いた実験の疑いがあることです」

官僚の細い眉が、ほんの僅かに動いた。

「生体を用いた実験、とは。穏やかではありませんね」

「“素材”が人を変質させてしまう。あるいは、内側から修復不可能なほどに壊すのです。

その被験者として選ばれているのは、路地裏の貧民か、あるいは国籍を持たない流れ者か――万が一失踪しても、誰も身元を追うことのない者たちばかりのようです」

外交官は手元に控えていた厚い紙束を指先で軽く叩き、そのなかから二枚だけを滑らかに抜き取った。

この世界の光景をそのまま切り取った“写し”だ。専用の投影板に落とし込んで魔力を通せば、当時の光景が立体的に再生される簡易記録板である。

そこには肌が酷く変色した人、おそらく人間であったであろう生物の遺体が写されていた。

「噂、断片的な証言、そして現場に漂う特異な“匂い”。現状、それらを繋ぎ合わせても、特定の国家を断定するには材料が足りない。ですが、足りないからこそ厄介なのです。明確な証拠として断定できなければ、我々も公に軍を動かす大義名分が得られない」

官僚は、骨張った指先で机の木目を一度だけトントンと叩いた。

それは周囲への合図でもあり、彼自身の錯綜する思考に区切りをつけるための儀式でもあった。

「――貴国は現在、アレクシアと水面下で激しく敵対していると、噂が流れておりますが。

 この段階で我が国にこれほどの情報を流してこられるのは、我々を都合よく利用するため、と受け取っても?」

外交官は、否定も肯定もしない絶妙な深さで微笑んだ。

「そんなつもりは毛頭ございませんよ。…ですが、これは決してこちら側だけの問題ではありませんよ。もしもアレクシアがその薄汚れた技術を完全に確立させてしまえば、その流通は必ず次には貴国へと流れ込みます。素材というものは、人間が引いた国境の線を尊重などしてくれませんからね。もしも健全な流通が国の命脈であるならば、そのなかに混じる腐った荷は、すべてを腐らせる温床そのものです」

官僚が、小さくため息を漏らす。

大局を見る政治家ではなく、実務を司る事務官だからこそ、物流の淀みという可能性が、彼の脳裏に最も深く刺さる。それが一度詰まれば街の機能は滞り、ひいては国そのものが瓦解へと向かうことを、その可能性を彼はイメージしてしまう。

「……表立って我が国の兵を動かせば、重大な外交問題へと発展しかねん。

 だが、ご指摘の通り放置すれば、周辺国へ被害が出るやもしれません。こちらとしても、“関与を完全に否定できる形”での対応が必要不可欠です」

「左様でございます。貴国の関与は、あくまで“現地の状況を確認に出向いた個人の報告”という範囲に留めていただきたい。

 国家直属の情報部、あるいは民間の高名な専門家。公の調査隊などという大仰なものを出せば、狡猾な相手は即座に証拠のすべてを隠してしまうでしょうから。今は、その火が放たれる前に、音もなく触れるべきです」

官僚は再び黙り込み、机上の書類を一枚ずつ慎重にめくっていく。

その規則正しい手の動きが不意に止まった瞬間、重厚な木製の扉が静かにノックされた。

「どうぞ」

官僚の声に応じて入室してきたのは、第二王子アルデラン――いや、この場においては名目上、“各部局の調整役”として動く上級官吏ーーその人であった。

身に纏っているのは、仕立ての良い黒い礼服。

派手な飾り気こそ削ぎ落とされているが、その背筋が描く角度は、紛れもなく王族のそれであった。

彼が足を踏み入れただけで、室内の空気が一段と整い、引き締まる。

「失礼する。……大方の話は、隣室で聞かせてもらった」

「――っ、でん……アルデラン様」

官僚が一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、すぐさま己の失態を悟ったのか、素早く平静な表情へと整え直した。

王族たる彼が直々にこの場に臨むということは、すでに“さらに上の元首”がこの事態を完全に把握しているという証明に他ならない。

アルデランは官僚に対して短く礼を返し、それから正面の外交官へと向き直った。

「貴国は公の人間の関与を避けたいようだが、我々に実務的な関与を求めるならば、やり方は我々に任せていただこう」

男はほんの僅かに眉をひそめたが、直ぐに恭しい表情を貼り付けた。

「これは大変失礼いたしました。貴国の主張はごもっともですな。かしこまりました、手法はそちらにお任せいたします」

アルデランは男の顔を鋭く見やってから、隣の官僚に顔を向けた。

「とりあえず、国家情報部の精鋭を現地へ派遣するのは当然の措置として――私としては、その調査団に民間の専門家を一人、同行させたいと考えている」

官僚が、眼鏡の奥の目を細めて尋ねる。

「どなたを推薦されるおつもりで?」

アルデランは一切の迷いを見せずにその名を告げた。

「錬材師リュネル。下街に店を構える、アルカナ堂の店主だ」

その名を聞いた外交官が、ほんの僅かに口元を綻ばせた。

“錬材師”という言葉に何か意味を見出したのか、あるいは別の思惑があるのか。

官僚はなおも慎重に、言葉を選びながら返す。

「殿下。彼は……いかに腕が立とうとも、その……ただの民間人に過ぎません。それに、彼には現在、先日の軍学校の一件における余波で、軍からの“監視”の目が付いているはずですが――」

アルデランは静かに、しかし反論を許さない力強い表情をした。

「あんなものは軍の一部が勝手に行っているだけだ。それとも、あなたは軍のやり方におもねると?」

官僚はアルデランに見つめられ、完全に萎縮した。

「めっ、滅相もございません!我々は軍の介入など受けず、公平公正に、国家国民の利益の為に尽くしております!」

その言葉にアルデランは、少し困った表情で目を伏せ、

「…すまない、つい行き過ぎた物言いだった」

「いえ、そのようなことはございません、アルデラン様」

2人の間に数秒の沈黙が生まれた。

その間を男が割ってきた。

「……失礼、よろしいでしょうか?」

「ーーすまない、何だろうか?」

「私の勉強不足で申し訳ないのですが、錬材師の方にこういった、その…荒事は厳しいのではないでしょうか?素材や魔法に関しては比類なき知識をお持ちの資格者である事は存じておりますが。

……まぁ、強き力をお持ちの方も心当たりはございますがね」

男は変わらぬ笑顔のままで、アルデランに言葉を投げかけた。

「……問題無い、とだけ申しておきましょう。

彼の持つ“眼”は常人の域を超えて利く。

そして何より、彼は誰の命も奪うことなく、事態を最も穏便に片づけるための知恵とやり方を知っている」

「結構、大いに結構ですな」

男は感銘を受けたかのように、息を呑むほどの静けさで深く頷いた。

官僚は、手元の分厚い書類をパタンと閉じた。

「承知いたしました。では情報部の極秘派遣を正式に要請致します。ただしアルデラン様、同行する彼については――あくまで“個人の技術協力”という枠組みに留めさせていただきます」

「それで構わない。元よりそのつもりだ」

アルデランの硬質だった瞳が、ほんの少しだけ柔らかく緩んだ。

それは勝負に勝った者の傲慢な目ではない。

己が背負うべき責任の重さが、さらに増したことを自覚した者の目であった。

「火種は今、我が国の外にあります。ですが、壁に燃え移ってから大騒ぎしたのではすべてが遅い。……大火になる前に、その根元を速やかに消しておかなければならない」

その毅然とした言葉を最後に、密室の会議は幕を閉じた。

そして、見えない運命の歯車は、“外の世界”へ向かって静かに動き始めたのである。


――その頃、下街の片隅に佇むアルカナ堂の店内では、それとは全く異なる種類の、穏やかな“音”が響いていた。

乾燥させた薬草を収める木棚の扉がパタンと閉まる音。

ガラス瓶を固定する真鍮の金具が軽く鳴る音。

そして、古い帳簿のページをめくる店員たちの指先の擦れる音。

どこまでも平穏な、生活の音である。

定休日が明けたばかりの午前中というのは、店にとって“張り詰めた空気を緩め、態勢を整える時間”でもあった。

最近の売れ筋の傾向、今日の仕入れルートの確認、そして明日の支払いの計算。

『数字というものは決して嘘をつかない。嘘をつくのは、いつだってそれを扱う人間の方だ』

――と、リュネルは幼い頃、厳格だった祖父から耳にタコができるほど叩き込まれて育ってきた。

帳場に腰掛けたリラが、使い込まれた鉛筆の先で、帳簿の数字に小さくチェックを入れていく。

「この数週間、香草は相変わらず街の料理人たちからの需要が高いですね。ハーブのセット売りは、このまま継続する方向でよさそうです」

「そうですね、お願いします。あとは仕入れの原価率が跳ね上がらない範囲でうまく調整していきましょうか」

リュネルはそう言いながら、棚の隅に置かれた“余り籠”へと視線を向けた。

それは決して品質の落ちた売れ残りではない。

調合の過程でどうしても生じる、細かな余剰品だ。

捨てるにはあまりにも惜しく、かといって正規の商品として大々的に売るには量が細かすぎる。

だが、街の貧しい人々や、特定の職人にとっては十分に価値のある品々だった。

その籠の配置をベルギスが、黙ったまま大きな手で丁寧に整え直していた。

壊れた箱の底板を木槌で直すときと同じ、彼の性質を表すような几帳面さで一切の無駄がない。

一方で、退屈そうにカウンターに顎を乗せていたソランは――

「なぁ先生! この前持ち込まれたあの妙な魔獣の部位さ、あれって上手く処理すれば極上の肉鍋にできたりしないか? てか、できるように先生の魔法でささっと処理してくれよ!」

「できないよ、ソラン。人間の胃袋というものは、無謀な挑戦を繰り返したところで決して鍛えられはしないんだ。あれは魔力の純結晶みたいなものであって、食材じゃない」

「いや、強くなるって! 俺の体は人一倍頑丈にできてるんだから、ちょっとやそっとの毒性なんて美味さで吹き飛ばせるって!」

「ならない。この前みたいに丸一日トイレに籠もりながらとてつもなく苦い薬を飲む羽目になっても知らないからな」

いつものように繰り返される中身のないやり取りが、店内の空気をほどよく緩めていく。

ふと、店の扉の外にある石畳にひとつの濃い影が落ちた。

入り口の鈴が鳴るよりも早く、リュネルは扉の方に意識を向けた。

からん、ころん、と涼やかな音を立てて扉が開く。

入ってきたのは二人組だった。

深く上質な黒い外套を羽織った青年と、その半歩後ろに影のように従う長身の美丈夫。

青年が静かな動作で帽子を外すと、その下から気品ある顔立ちが現れた。

第二王子アルデラン。

そして彼の後ろに控える護衛は、ヒュロス。

以前、素性を隠した匿名のメッセンジャーという体で、アルデランからの手紙をこの店に届けに来た男である。

そのふたりの姿を認めた瞬間、リラが即座に機転を利かせて動いた。

店内に他の客がいないことを素早く確認すると、入り口の扉へと歩み寄り、掛札を滑らかに裏返して“準備中”へと変更する。

アルデランは、小さく安堵のため息を漏らした。

「突然の訪問を許してほしい、リュネル。……極めて重要な、仕事の話を持ってきた」

その声音は宮廷で見せる峻厳な“第2王子”のそれではない。

ただの悩める一人の青年の声に極めて近かった。

リュネルは静かに一礼し、相手との心理的な距離を正しく保ちながら言葉を返した。

「殿下。ようこそおいでくださいました。ちょうど準備中の時間帯でよかった」

アルデランが一瞬だけ、その鋭い察知能力に対して苦笑を浮かべ、すぐに真剣な“王族の顔”を取り戻す。

「相変わらず、話が早くて助かる」

ヒュロスが黙ったまま、鋭い一瞥で店内をぐるりと一度見回した。

そして、店の角のベンチからひとつの影が音もなく姿勢を正した。

カリナである。

あの日の一件以来、彼女はこのアルカナ堂にほぼ常駐する形で監視任務を行っていた。

しかし、ここでの交流を経て彼女の瞳の奥には、当初の冷徹な“測りたい”という意志よりも、己の任務とここの日常との間で“迷っている”ような複雑な色が混じり始めていた。

アルデランはカリナに対して一瞥だけを送り、短く顎を引いた。

それは“お前も国家の忠実な盾として、ここでこの話を共に聞け”という無言の圧であった。

リュネルは内心で小さく息を吐き、カウンターの奥から椅子を持ち出した。

「とりあえず、立ち話も何ですから、お茶でも淹れましょうか」

張り詰めていた店内の空気を、リュネルの穏やかな声が一気に和らげていく。

奥の作業台から聞こえる、静かに湯が沸騰する音。

いかに巨大な火種が店内に持ち込まれようとも、リュネルはまず、目の前の“場”を整えることから始めるのだ。

アルデランがゆっくりと口を開いた。

「単刀直入に伝える。リュシェン公国と国境を接するアレクシアにおいて、危険な素材の広範な流通と、鑑定をすり抜ける非正規の魔道具が製造されているという確実な噂が立った。

そして――何よりも見過ごせないのは、現地で大規模な人体実験が行われている疑いがあることだ」

その言葉を聞いた瞬間、ソランが不快そうに眉をひそめた。

ベルギスの大きな指先が、椅子の縁を掴んだままピタリと止まる。

リラの表情には不安の色が現れ、ほんの僅かに硬直した。

リュネルは、手元で丁寧に温かい湯を注ぎながら、視線を落としたまま静かに言った。

「……先月、錬材師の会合でもに不穏な噂として話題に上っていましたけど。それと関係しているのかもしれませんね」

「まだ、確証はないけれどな」

アルデランは厳かに頷く。

「表立って我が国の軍を動かせば、即座に戦争の引き金になりかねない極めて危険な案件だ。後で我が国の関与を否定できる特殊な形で潜入調査を行うため、国家情報部の精鋭を現地へ派遣する。

そして――その調査隊に“専門家枠”として、お前にどうしても同行してほしい」

店内に、重苦しい沈黙が降りた。

それは拒絶の意思表示ではない。

ここにいる全員が、その依頼が持つ意味の重さを必死に思案しているための沈黙であった。

リュネルは静かにカップをテーブルへと置き、立ち上る温かい茶の湯気を、指先で一度だけ優しく払った。

「……正直に申し上げますと、僕はあまり乗り気ではありませんよ、殿下」

それは、飾りのない彼の本心からの言葉だった。

店主である自分が長期間店を離れれば、当然ながらアルカナ堂の日々の流通は滞ってしまう。

そして何よりも、政治という名の巨大な業火に近づけば、どれほど上手く立ち回ろうとも、必ず消えない“火傷”が己の身に残ることを知っていたからだ。

アルデランはその言葉を受けて一瞬だけ視線を床へと落とした。

そしていつにない、低いトーンで、

「頼む、リュネル。これは確かに、一見すれば他国の問題であり、我々には直接関係のない他所ごとかもしれない。だが、その火種が一度国境を越えて我が国へ燃え移れば、事態はルキフェリアも、そして周辺の諸国をも同じように容赦なく焼き尽くす悪夢となる」

リュネルは困ったように苦笑した。

「……それは単に国益のためですか?それとも、何か別の企みでも? 殿下」

「……国益だけ、と言えば嘘になるな。……コレは、俺の我儘、かもしれないな」

アルデランの絞り出すような言葉には重さがあった。

それは他者を圧倒するための強さではなく、己の身を縛り付ける強固な鎖に近いものだった。

その重苦しい空気に耐えかねたように、ソランが勢いよく口を挟む。

「先生、行こうぜ! よその国なんてオレあんまり行ったことねぇーし!なぁ、いいだろ?」

ベルギスが、低く地響きのような声でそれを嗜める。

「……軽率に口を開くな、ソラン。これは物見遊山の冒険じゃないんだ。国家間の政治的な火種に自ら近づくということは、それ相応の覚悟が必要だ」

カリナは、ベンチの端で終始黙ったままだった。

だが、その沈黙は決して「上官の命令を待っているから」ではない。

彼女は今、国家の忠実な軍人としてではなく、一人の人間としての判断の中で激しく揺れ動いていた。

アルデランが、そんな彼女の様子を察したように、釘を刺すように言葉を重ねる。

「…この件は軍主導ではなく政府側で動かす手筈になっている」

その発言に、ソランは眉を寄せて首を傾け、ベルギスが不審そうな表情をした。

カリナも、ほんの僅かに息を呑んで王子を見つめた。

「どうせ、お前には勘付かれてしまうだろうな…。

 ………お前の身の回りに、軍の保守派から余計な汚い手が伸びるのも、これ以上の不当な圧力がかかるのも我慢がならない。かと言って、私が公に動いてしまうのも立場的に問題がある。

……だから、お前やこの店に対してまだそこまで予備知識の無い政府側の連中に、お前が"役に立つ人材"であると印象付けようと思った」

リュネルは、得心がいったように深く頷いた。

彼は物事の裏にある“本質的な構造の理解”が、常人よりも遥かに早い。

早すぎるほどであった。

「なるほど。敵を作ってしまったなら、その分味方を増やしてしまおうという事ですね」

「そういうことだ」

「・・・いざとなれば、どうとでもなるのに」

アルデランは困ったように笑うと、肩の荷を少しだけ下ろすように一度だけ深く息を吐き出した。

「改めて、今回の極秘任務において、お前には同行者1名を選択する権利が認められている」

その言葉を聞くや否や、ソランが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、

「じゃあ、当然俺の出番ってわけだな!」

と大声を上げて笑った。

「それと、カリナ」

アルデランから唐突にその名を呼ばれ、カリナの背筋が真垂直に伸びる。

「君も今回の調査隊に同行してくれ。本来の任務通り、国家の監視役として、この型破りな2人の動向を現地で厳しく見守るのだ」

カリナは一拍の沈黙を置いた後、アルデランへ敬礼した。

その瞬間、彼女の視線がリュネルの群青の瞳と真っ正面からぶつかり合う。

「……上層部からの、正式な命令です」

「命令とあっては、僕たちのような者には拒否する権限はありませんね。現地ではどうぞよろしくお願いします、カリナさん」

リュネルはいつものように柔らかく笑った。

アルデランが、最後に念を押すように告げた。

「目的はあくまで隠密調査だ。アレクシアの闇で一体何が起こっているのか、その決定的な証拠を掴むこと。そして、万が一にもルキフェリアにその火種が飛んでくる兆候があるならば――手段を問わず、その火を根元から消し去る」

リュネルはぬるくなったお茶を一口だけ含み、その喉を潤してから静かに答えた。

「……分かりました。ただし、僕はどこまで行ってもただの錬材師です。僕にできる技術の範囲内で、僕がこの目で見てきたモノの真実を貴方に伝えるだけですよ。それと、現地における行動の選択は、最低限の規則の範囲内で、僕の好きにさせてもらいます」

アルデランは、満足そうに静かに頷いた。

「それでいい。俺はお前のそういう妥協のないやり方が見たいからこそ、こうしてここに来たのだ。頼んだぞ」

リュネルは残ったお茶をくっと飲み干し、笑みを浮かべた。

その表情は乗り気ではないという言葉とは裏腹な感情があるようにも見えた。



アルデランとヒュロスの二人が去った後の店内には、何とも言えない奇妙な緊張感の残り香が漂っていた。

入り口の扉の鈴がチリンと鳴り、完全に閉まりきるまでのわずかな時間の間に、張り詰めていた空気が少しずつ解きほぐそれ、ゆっくり戻っていく。

リラが素早い動作で掛札を“営業中”へと戻し、ベルギスが無言のまま裏口の方へ回り、ソランが「あー、やっとまともに息ができるぜ」と大げさに両腕を伸ばして伸びをした。

「……なんだかんだ行くんだよな、先生は」

ソランは椅子の背もたれに深く体重を預け、鼻の頭を何度も指先で擦っていた。

これは、彼が内面の落ち着かない焦燥感を誤魔化そうとするときの癖だった。

「まぁね。よその国の出来事だから僕たちには関係ない、と切り捨てられる話でもないからね。僕は錬材師だ。自分の仕事には、まぁ誇りも理念もある。……コレが錬材師の仕事かと言われたら微妙なラインだけれど……誰かの歪んだ野心のために素材が悪用されるっていうのは………それは、錬材師として見過ごすわけにはいかないさ」

リュネルはいつもと変わらない穏やかな声のまま、厨房の奥で大鍋の火加減を調整した。

しかし、その背中は珍しく彼の中に秘められた静かな”怒り”を物語っているようだった。

ベルギスが、食卓の端で太い腕を組んだまま、低い声で言った。

「アレクシア……風の噂に聞いたことはある。ここ数年の間に、独自の魔導工学と工業技術によって急速に国力を伸ばしてきた新興国だ。元々は険しい地形に囲まれた、資源の乏しい貧しい国だったはずだが。…だが、現在の躍進の裏には、あまり行儀のいい噂は聞こえてこないな」

「それはいったい、どういうことでしょうか?」

リラが心配そうに言葉を続けると、その問いに応じるように、ベンチにいたカリナがほんの少しだけ肩を揺らした。

国家からの監視役としてこの店に身を置く彼女にとっても、今回提示されたアレクシアという国名は、決して他人事として聞き流せるものではなかった。

「……ヴラタ技研連盟。それがすべての鍵です」

カリナは、感情を排した淡々とした口調で語り始めた。

「近年、驚異的な速度で成長を遂げたアレクシアの重工業や魔導工学を、裏から全面的に支援している巨大な組織です。今やアレクシアという国家の政策を実質的に裏から牛耳っている組織のようなものだと認識していいでしょう……」

カリナの解説の途中で、ソランが我慢できずに言葉を挟み込んだ。

「へぇ、国を動かしてるのが王様じゃなくて、一般の職人や商人の集まりってことか? なんだか実力主義って感じで、悪くないじゃんか」

「……そうだな。もしも現地にいる人間たちが皆、貴殿のように頭が単純で、物事をどこまでも気楽に考えられる平和な者達ばかりであるならば、の話だがな」

「おう、ありがとよ! ……って待て、お前、今サラッとオレのことバカにしなかったか!?」

カリナはソランの抗議を完全に無視し、黙ったまま視線を明後日の方向へと滑らかに逸らした。

そのやり取りを見計らい、リュネルは大鍋の蓋を開け、細かく刻んだ香草をひとつまみ放り込んだ。

一瞬にして室内に芳醇な匂いが立ち込め、刺激された空腹感が、先ほどまでの刺々しい場を丸く収めていく。

今夜の食卓に並んだのは、じっくりと色良く焼いた野菜と雑穀の素朴なスープ、そして新鮮な香草をふんだんに散らした鶏のトマト煮込み。

決して派手さはないが、一日の終わりにつかれた胃袋が最も安心する種類の色合いだった。

「で、結局のところさ、先生。俺たちは向こうの国へ行って、具体的に何をしに行くんだっけ?」

ソランがスープを勢いよくすすりながら尋ねる。

「調査だよ。アルデラン殿下が仰っていた通り、現地に流れる違法な素材の出所と、非正規の魔道具の製造拠点。そして――最も深刻な、生体を用いた実験の疑い……。殿下の言い方は非常に端的だったけれど、どれも簡単には解決できない問題だ」

リラが痛ましそうに眉を寄せた。

「生体を用いた実験……“素材”を無理やり人間の体内に投与する、ということですか」

「だろうな。何を使えばどんな効果が出るのか。能力を向上させるものもあれば、機能を停止させるものもあるだろうな」

ベルギスが箸を止めることなく、淡々と言った。その言葉に一切の棘がない分、余計に現実の重みが伝わってくる。

ソランがスープの具材を噛み締め、不満そうに言った。

「でもさ、先生。情報部ってやつらが動くなら、そいつらだけで十分じゃん。なんでわざわざ、専門家なんて言い方して先生を引っ張り出す必要があるんだよ」

リュネルは、スプーンを持ったまま一拍の時間を置いた。

その問いに対する答え自体は極めて単純だったがあまりに正直に言い過ぎると、角が立つ。

「……ルキフェリアの情報部。まぁ、今回直々に動くのは、表には決して名前の出さない影の特務部隊だろうけれどね。どちらの側面にしても、彼らの優秀さは疑いようがない。与えられた任務を完璧に遂行するための、卓越した潜入技術と強靭な肉体を持っている。だがね、彼らはどこまで行っても『万能な刃』に過ぎないんだ。あらゆる状況に対応できる汎用性の高さはあるけれど、一つの事象を極めた本物の専門家には、どうしても一歩及ばない。

今日の僕の料理を例に挙げてみようか。僕なりに美味しく作れたとは思うし、みんなもこうして楽しそうに食べてくれている。けれど、王都の一流店で毎日腕を振るう本職の料理人が作った一皿と比較すれば……いや、比較すること自体がおこがましいほどに、そこには決定的な“質の差”が存在する。情報部がどれほど厳しい訓練を積もうとも、素材・錬材という底知れない知識の迷宮においては、決して僕たちには敵わないのさ」

全員が、静かにスープを運ぶ手を止め、リュネルの静かな語り口に耳を傾けていた。

「…ですがリュネルさん、我が国にも当然、そういった事象を専門に扱う国家機関が存在しますよね? そこの職員の方たちでは、代わりが務まらないのでしょうか?」

リラは心の底からリュネルの身を案じるような、沈痛な表情で言葉を吐き出した。

そのリラの切実な質問に対して、意外にも最初に答えたのは、隣の席のカリナであった。

「もちろんリラさんが仰るような専門の機関は存在しますし、知識の深い専門家も多数在籍しています。彼らは各々が自分の専門とする特定の分野に特化し、膨大な文献を暗記している優秀な者達です。

…ですが、彼らはあくまで象牙の塔に籠もり、蓄えた知識を提示することしかできない。ただそれだけなのです」

カリナは一度リラの顔を見つめた後、ゆっくりとリュネルへとその鋭い視線を移した。

「一人の人間の頭脳のなかに、広く、そして深い実戦的な知識を保有し、刻一刻と変化する現場でそれを正確につぶさに選び出し、即座に正しい答えを出せる。そのうえ、荒事が発生した現場においても動じることなく対処できる特異な人材……。今回の、敵地への潜入という極めて過酷な任務に必要なのは、まさにそのような化物染みた人物なのでしょう」

リュネル以外の全員の視線が、一斉に食卓の主人の一箇所へと集中した。

当のリュネルは、困ったように肩をすくめる。

「んー、みんな僕のことをいささか買い被りすぎだよ」

カリナは、少し乱れた前髪を細い指先で耳の後ろへと払いかけながら、再びスープに手をつけた。

「……今回の任務には、私も正式に同行します。先ほども申し上げた通り、上、いえ殿下からのご命令、という形ではありますが」

「…もしもその命令が本当は嫌なのだとしたら、僕たちの前でわざわざそんな言い方をしなくていいんだよ、カリナさん」

リュネルが包み込むような柔らかい声で言うと、カリナは驚いたようにその目を大きく瞬かせた。

「……いえ、決して嫌という訳ではありません。ただ、私は軍人であり、アナタを監視する立場であって……いえ、なんでもありません」

「それなら、自分の心の中にある本当の答えが出せるまで、この店をじっくりと時間をかけて監視してくださいね」

リュネルの、すべてを見透かしたような物言いに、カリナは動揺のあまり、手に持っていた銀のスプーンを危うく床へ落としそうになった。

この風変わりな素材屋の店主は、一体どこまで自分の内面を見抜いているのか、あるいは見抜けてしまうのか。

その底知れなさに、彼女は小さく降伏するようにスプーンを置き、深く長い息を吐き出した。

その様子を見ていたソランが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら皿をテーブルに置く。

「なぁ? 俺の言った通りだろ、カリナ。先生は本当にスゲーんだよ。何でもお見通しなんだからな!」

「ソラン、それは大きな間違いだよ。僕が何でも分かってしまうのは、せいぜい君の考えていることくらいさ。あまりに中身が単純だからね」

「え?」

ソランがキョトンとした間抜けな表情を浮かべた瞬間、それまで張り詰めていた食卓は、ドッと柔らかな笑いの渦に包まれた。

大鍋から立ち上る温かい湯気が、古い木造の天井へと昇り、優しくほどけて消えていく。


皆がそれぞれの部屋へ戻り、すっかり寝静まった深夜。

リュネルは一人、自室の机に一本の蝋燭を灯し、その小さな光をそっと撫でた。

静寂が支配する部屋の中で、アルデランから密かに手渡された極秘の資料一式に、静かに目を通していく。

(“アレクシアは独自の魔導工学によって近年急激な発展を遂げた新興国”……)

彼は、紙の端が擦れる音を立てないよう配慮しながら、ゆっくりとページをめくる。

記録に並んでいるのは、「先進的な工房都市の形成」「新技術の積極的な輸出」「各国との広範な学術交流」といった、新進の国家の説明としては至って普通の言葉ばかりだ。

だが、その行間の所々には、情報部の手によって書かれたと思われる注釈が細かく差し込まれていた。

(急激な発展の裏にある深刻な貧富の格差。劣悪な環境のスラム街の爆発的な拡大。各地から流れ込む労働者の増加。そして――下層階級における失踪者の不自然な増加……)

“たとえ誰かが社会の底辺で唐突に消え去ろうとも、決して世間の目につかない場所”。

それこそが、人体実験という忌むべき行いが、誰にも見つからずになされている最悪の土壌であった。

さらに別の資料へと視線を移す。

ヴラタ技研連盟

資料では「官民が緊密に連携した、健全な技術開発連盟」と記載されている。

しかし、その実態は――莫大な資本と、最先端の研究機関、そして現地の治安維持組織が同じ黒い手袋をはめて街を支配している、独裁の構図である、と記されていた。

さらに報告書の末尾には、通称――『ゲート』と呼称される、アレクシアの裏社会を完全に統括する秘密組織の存在が、不穏にほのめかされていた。

(ゲート、か……。ヴラタ技研連盟という巨大な組織なら、付け入る隙はあるかもしれない。必ずしも一枚岩とは限らないし)

資料のページの隅に、リュネルは手元にあったペンの先で小さく傷をつけるように印を付けた。

“非正規の魔道具”。

“検閲官の目をすり抜ける”。

“違法素材による人体実験”。

それらの特異な性質は、どれも彼の脳内においては、一つの棚に並ぶ共通の事象であった。

(存在を隠蔽する技術というものは、見方を変えれば、裏社会で最も高値で売るための技術でもある。物流の経路を自在に弄ぶ者は、同時にその流通に関する情報をも都合よく弄んでいるはずだ)

ふと、自分の足元で、音もなく濃い気配が不自然に動いた。

大きな影のように床を這って近づいてくると、深夜の静寂に完全に溶け込むような、低く掠れた声が耳元で囁いた。

〈主よ。ずいぶんと、机の上の紙の量が増えているようだな〉

ルーガルである。夜の闇そのものが形を成したかのような、人ならざる声。

「そうだね。アルデラン殿下の国を憂う心配の質量が、そのままこの紙の厚みになって僕の元へ届いているみたいだ」

〈人間の心配というものが紙の束に変わるとは。人の世というものは、相変わらず無駄に忙しいものだな〉

リュネルは小さく苦笑を漏らしながら、冷めかけた紅茶の香りを静かに吸い込んだ。

上質な茶葉のコクがじんわりと舌に滲み渡り、渇きかけていた喉の奥が心地よく潤っていく。

〈それで、主は本当に行くつもりなのか〉

「行くよ」

〈ずいぶんと、嫌そうな顔をしているが〉

「もちろん嫌だよ。…できればこの店でずっとのんびりしていたい。でも、嫌だけれどね……誰かの悪意によって素材の理が歪められているのを、このまま何も知らぬふりで放っておくのは、僕のプライドがもっと嫌だと言うのさ」

ルーガルは、喉の奥で短くフンと鼻を鳴らした。

それは主の決定に対する肯定でもなければ、否定でもない。

〈主は、いつも素材を見てはその向こうにいる人間を思い、人間を見てはその者が扱う素材の可能性を思う。どちらか一方だけを都合よく手放すことなど、主には到底できぬ相談だな〉

「世間では、そういう性質のことを器用貧乏って言うんだよ、ルーガル」

〈違うな。我が主は、強欲、であるのだ〉

リュネルは手際よく紙束の端をトントンと机の面で揃え、さらに別の詳細な資料を開いた。

周辺の広域地図。

主要な交易路の網の目。

工房都市のアレクシアにおける正確な位置関係。情報部が指定した危険な治安区分。

そして、スラム街のなかに存在する、網羅されていないいくつかの「空白地帯」。

地図における空白が大きければ大きいほど、そこには公にできない膨大な裏の情報が詰まっている証拠でもあった。

(ソランの動向は、まぁ現地に行ってもいつも通り放っておけばいい。カリナさんはそこそこ動けるのだろうけれど、咄嗟の判断はどうなのか……。同行する予定の情報部の連中の思惑も、十分に考慮のなかに入れておかないといけないな。

いや……そもそも僕は、あくまで今回の任務においては一介のアドバイザーという立場だ。あまり前に出すぎず、どう動いたものか……)

“錬材師”

この肩書きは、時として己の身を守るための便利な盾にもなれば、敵の目を引く目立つ的にもなり得る。

〈主よ〉

ルーガルが、その気配の温度をさらに一段と低くした。

〈珍しく、いつになく険しい表情をしているぞ〉

「……おや、僕そんな顔をしていたかい?」

〈していた。蝋燭の光に照らされた主の影が、酷く歪んでいる〉

リュネルは小さく息を吐き出し、紅茶をもう一口だけ含んだ。

迫り来る不穏な影というものは、どれほど見ないふりをして目を背けようとも、確実に自分の足元から伸びてくるものだ。

だからこそ、その足元を辛うじて照らし出している、小さな灯りだけは、決して消さずに守り抜かなければならない。

「ルーガル。……向こうの国へ行ったら、決して僕の側から離れないでくれよ」

〈元より、私が主の側を無防備に離れるコトなどあり得ぬ。…主からの命令が下されない限りはな〉

「ハハ、確かにそうだね。愚問だったよ」

ルーガルの気配が、闇の中でくすくすと満足そうに笑うように微かに揺れた。

机の端に置かれた白紙のメモに、リュネルはペンの先を走らせ、いくつかの細かな文字を残した。

部屋の灯りを完全に落とす前に、彼はもう一度だけ、机の上の資料のざらついた手触りを確かめるように指先で撫でた。

紙の上の乾いた文字は、これから赴くであろう現地の手触りとは全く異なるものだ。

だが、この静かな部屋にある一枚の紙が、遥か異国の凄惨な現実へと確かに繋がっているのもまた、紛れもない事実であった。

窓の外では、夜の冷たい風が吹き抜け、店の表に掛けられた古びた木製の看板をほんの少しだけ揺らした。

「……よし、もう寝ようか」

〈うむ。主が倒れれば元も子もないであろうからな〉

「何か、重いなぁ」

リュネルは小さく一人で笑い、蝋燭の火をそっと吹き消すと、闇のなかで布団へと身を沈めた。

明日になれば、またいつも通りに朝の訪れを告げる扉の鈴が賑やかに鳴り響く。

そしてその次の日の朝には、未だ見ぬ異国の地へ向けて、アルカナ堂の新たなる扉が開くことになるのだ。

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