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アルカナ堂は今日もゆく〜素材屋リュネルの秘録〜  作者: 磨羯瑞花


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第37話 弟子の成長

アルカナ堂の奥に位置する調合室には、いつも乾燥させた薬草の仄甘い芳香と、微かに爆ぜる鉱石の硝煙に似た香りが、幾層にも重なって漂っている。

壁一面に隙間なく設えられた重厚なオーク材の棚には、琥珀色や群青色の遮光瓶が整然と並び、その一つひとつにリュネル自身の細身で流麗な筆致によるラベルが貼り付けられていた。

今日も今日とてリュネルは作業台へ向き、魔法薬を調合している。

その後ろで、ネレウスがせっせと動き回っていた。

ネレウスがこのアルカナ堂の扉を叩き、修行を兼ねた雇われ人として働き始めてから、およそ一ヶ月が経とうとしていた。

「ネレウス、その棚の『レーベンの乾葉』だけど、少し湿気を吸いやすくなっているから、その錫の缶に移し替えてもらえるかい?」

「はい!」

リュネルの穏やかな声音に、ネレウスは澱みのない確かな動作で応じた。

額に滲む汗を服の裾で拭うとネレウスはせっせと作業に取り掛かる。

週に2、3日、軍学校の講義が早く終わる日の放課後や休日の朝、ネレウスは窮屈な軍服の襟を緩め、代わりにアルカナ堂の深い藍色のエプロンを身に纏うのが常となっていた。

軍学校の同期たちからは奇異の目で見られたが、ネレウスにとってこの店での経験は何よりも得難い程のものだった。

己の至らなさを自覚すると共に、高みを目指す為の努力を怠ってはいけないのだと、自ずつき動かす雰囲気があるのだ。

ネレウスの基礎知識は文句のないレベルだった。

学校の座学においては、積み重ねられてきた複雑な戦術論から基礎的な魔術理論、果ては大陸全土に分布する魔獣・素材の基礎知識に至るまで、すべての試験において主席の座を維持し続けている。

しかし、このアルカナ堂でリュネルが時折見せる指先の滑らかな軌跡や、素材の声を聴くかのような判断の速度は、ネレウスが培ってきた「完璧な基礎」という枠組みを、あまりにも美しく、そして容易く飛び越えていくのだ。

「よし、これで棚の整理は一段落だね。ありがとう、本当に助かったよ」

リュネルは手元の年季の入った帳簿をパタンと閉じると、身体を軽く伸ばし、ネレウスに柔らかな微笑みを向けた。

「ネレウスも、ここ1ヶ月でずいぶん店の手伝いや素材の扱いに慣れてきたし、そろそろウチの定番品の調合をしてみないかい?」

「定番、ですか?」

ネレウスは作業台を丁寧に拭いていた手を止め、わずかに首を傾げた。

「うん。冒険者や旅人の必需品、『ローポーション』さ。難度としてはそれほど高くない、初歩的な魔法薬だよ。ただ、うちの店で出しているものは、そこらの薬売りが店先に並べているものよりも質にはこだわっているからね。その秘訣を、材料の採取から一緒に体験してみるのも、君の修行にとって良い経験になると思ってね」

ローポーションといえば、ネレウスも軍学校の野外演習で何度も支給されたことのある、もっともポピュラーな魔法薬だ。

主な材料はレメディウムという植物の葉と根、清涼な真水、それに少量の魔力安定材。

基礎中の基礎であり、魔法薬学の教科書にも最初の数頁目に載っているような代物だった。

「ぜひお願いします、師匠!」

ネレウスは熱のこもった声で二つ返事で頭を下げた。

胸の奥で、確かな好奇心と高揚感が湧き上がるのを自覚していた。

初歩の魔法薬だからこそ、錬材師がどのような"違い"を生み出すのか、それをこの目で、肌で確かめたかった。

「決まりだね。じゃあ、明日は夜明け前に集合ね。一応ソランにも声をかけておこうか。……アイツも復習させないと」


翌朝、まだ薄紫色の夜の名残が街を包む頃、アルカナ堂の店内にはすでに3人の影があった。

「せんせぇ〜……まだねむい、んだけど」

半分寝ている状態で、まだ寝癖の残る頭で船を漕ぐソラン。

ネレウスにとってはアルカナ堂の面々は皆尊敬に値する人物ばかりなのだが……、まぁこの2人のやり取りも含めてある意味尊敬の対象なのである。

「ソ〜ラ〜ン。おーきーろーー、ネレウスに示しがつかないぞーーー」

リュネルはイスに溶けるように座るソランの頬を何度もはたいた。

しかし、リュネルのはたきも虚しく、ソランからは寝息が聞こえてきた。

それを見たリュネルは腕を組み、目を細めた。

リュネルは基本的に穏やかで温厚そのものなのだが、顔での感情表現が意外と豊かなのだとネレウスはこの1ヶ月で学んだ。

それは、怒りや呆れも例外ではない。

リュネルは音もなくソランの耳元へ顔を近づけるた。

すると急にソランはカッと目を見開き飛び起き、作業場の方へととんで行ったのだ。

ネレウスには聞こえなかったが、リュネルがソランに何かを呟いている様子ではあった。

(……師匠は何と言ったのだろうか)

そしてリュネルは何事も無かったように、

「ネレウス、準備はいいかな?」

「ーーはい、師匠。採取用の道具もすべて揃っています」

ネレウスが実直に答えると、いつの間にか隣に来たソランが豪快にネレウスの肩を叩いた。

「よし! 息が上がったら遠慮なくオレに言えよ、ネレウス! 籠ごと担いでやっからな!」

「あはは……、頼りにしてますよ、ソランさん」

3人はまだ起きる気配のないアルカナ堂を出発し、ルキフェリアの北側にある小高い丘へ向かった。

山というにはなだらかだが、ピクニック気分で来ると後悔するような場所だ。

足元には夜露を含んだ湿った草と冷涼な空気が流れる。

目的の「レメディウム」は、ここのどこかに自生している。

丘の麓に辿り着いたところで、リュネルがふと足を止め、地面に向かって滑らかに右手をかざした。

《──おいで、ルーガル》

リュネルの濃い群青の瞳が微かに光を帯びると同時に、虚空から銀蒼の魔力が静かに溢れ出し、ルーガルが現れた。

ルーガルはリュネルの手に頭を擦りつけると、直ぐに丘の斜面に目を向け鼻を鳴らした。

「頼むよ、ルーガル。今日はネレウスの修行も兼ねているから、少し奥まで入るよ」

そうして3人と1頭はレメディウムを目指し進んで行く。

ネレウスは周囲を歩きながら、頭の中で軍学校の教科書のページをめくりながら精査していた。

(キュアの花。多年生の草本であり、葉は細長く、周囲に微細なトゲを持つ。傷を癒やす成分を花と根に蓄える。自生場所は、日当たりの良い南向きの岩斜面、特に朝露が早く乾く、風通しの良い地点──)

ネレウスは自然と丘の右側、つまり太陽の暖かな光が綺麗に差し込んでいる南向きのなだらかな斜面へと視線を巡らせた。

確かに、いくつかの生き生きとした緑の茂みが見える。

あそこへ向かうのだろう、そう確信してネレウスが足を向けようとしたその時。

「ネレウス、向かうのはあっちの岩陰だよ」

リュネルが静かに指差したのは、ネレウスの想定とは真逆の丘の左側──そこまで日の光が当たることのない、巨大な岩の裏側にある薄暗い窪地だった。

「え……? ですが、師匠。キュアの花は陽の光を好む植物のはずです。教科書にも、日当たりの良い場所を最優先で探すべきだと」

ネレウスが思わず驚きの声を漏らすと、前方を歩いていたソランが振り返り、紅の瞳を細めてニヤリと笑った。

「ネレウス、レメディウムだ。確かに、キュアの花と言うのも間違ってはない。傷薬の材料になるんだからね、そう呼ぶのもおかしくはないし、最近はそっちの呼び方も広まってるからね。ただその呼び方をすると『あぁ、コイツわかってねぇーな』って思われてしまうよ」

その言葉にネレウスは、教科書の但し書きにそのような記載があったことを思い出した。

「そういえば、本にもそう記載があった気がします……」

ネレウスの表情を見て、リュネルはすかさずフォローの言葉をかける。

「まぁ、軍学校の教材ならキュアの花と書いてあっても不思議ではないよ。本格的な植物学の書物や魔法薬学なら両方の記載があるけれどね。軍じゃそこまでの知識はあまり必要としないのかもね」

あからさまに気を遣われた事を感じたネレウスだったが、そこは素直に受け取ろうと思った。

「それと、植生地に関しては、ネレウスの言う通りだよ。あっちの明るい斜面にたくさん生えている。でもね、あそこに生えているものは、市販の『普通のポーション』の材料にしかならないんだ」

リュネルは歩みを緩め、足元の湿った黒土を軽く踏みしめながら、丁寧な解説を始めた。

「あっちの陽をたっぷりと浴びたやつは、成長が早くて葉も大きく育つ。けれど、その分蓄積した魔力が外へと簡単に発散されやすい。結果として、根の方に蓄えられる癒やしの成分が薄まってしまうんだ。……僕たちが探しているのは、そうじゃない」

リュネルは薄暗い岩陰へと、迷いのない確かな足取りで進んでいく。

ソランが「よし、オレは上側の警戒に回るわ!」と身軽に岩肌へと跳び上がり、ルーガルは静かな足取りで周囲の影を睨み据えた。

ネレウスは戸惑いと衝撃に突き動かされながら、リュネルの背中を追って岩の窪地へと潜り込んだ。そこはひんやりとした冷気が澱み、じっとりと濡れた黒土が広がっている。

「よく見てごらん、ネレウス」

リュネルがその場に屈み込み、一本の地味な、やや萎びたようにも見える小さな草を指差した。

葉は細く、教科書にあるような鮮やかな緑ではなく、どこか深く沈んだ濃緑色をしている。

「これは……確かに形状はレメディウムですが、これでは光量が足りずに枯れかけているのでは?」

「逆さ。この子はね、あえてこの過酷な日陰に種を落としたんだ。この岩場はこの丘の近くを通る太い龍脈の支流が来てるみたいでね、純度の高い魔力が地中に溜まってるんだ。日の光が得られない代わりに、この子は地中を流れる豊かな大地の恵みと、湿った魔力をその身に極限まで吸い上げ、必死に生き延びようとしている。……ほら、ここに小さな生き物の這った跡があるだろう?」

リュネルが示した湿った土の上には、銀色の微細な粘液の軌跡があった。

「これは『月光地虫』の這い跡だ。この虫は、高い魔力を含んだ植物の根にしか寄り付かない。つまり、このレメディウムは、外見こそ貧相だけれど、その根にはあっちの斜面にあるものの十倍以上の濃縮された魔力が、外に逃げることなくぎゅっと閉じ込められているんだ」

ネレウスは息を呑んだ。

教科書に書かれた「日当たりの良い場所」という記述は、あくまで初心者が効率よく数を集めるための、表面的な情報に過ぎなかったのだ。

植物が生きようとする姿、周囲の生態系との関わり、そして目に見えない大地の空気のうねり──それらすべてを立体的に読み解かなければ、この一本には絶対に辿り着けない。

「さあ、採取を始めよう。根を傷つけないように、周囲の土ごと優しく掘り起こすんだ」

「はい……!」

ネレウスは装備のポケットから採取用の小さな木へらを取り出し、慎重に膝をついた。

軍学校のどの緊迫した実技講義よりも、胸の奥が速く熱く震えるのを感じていた。

教科書の余白に隠された、生きた世界の圧倒的な解像度が、いま、彼の目の前に鮮やかに広がっていた。

「上手だね、ネレウス。そのまま、根の先端にある細い髭のような部分を切らないように、そっと引き抜くんだ」

リュネルの指導のもと、ネレウスが慎重に引き抜いたレメディウムのは、小ぶりながらも、根の中心部がまるで夜を照らす宝石のように、微かに鈍い純粋な光を放っていた。

「これが……本物の、生きた素材……」

ネレウスの瞳に、限りない刺激と、未知の領域への渇望が眩いばかりの光となって映り込んでいた。

「よし、こっちも採取はOKだ。ソラン、ルーガル、ありがとう。おかげで良いのが手に入ったよ」

リュネルが声をかけると、ソランが岩の上からフワリと軽い身のこなしで着地し、「これくらい、いつでも言ってくれよな、先生!」と満面の笑みを見せ、ルーガルが静かに鼻を鳴らした。

最高品質のレメディウムを収めた籠を大切に抱え、3人と1頭は再び街への帰路につく。

ネレウスの頭の中は、すでにこの素材をどのように扱い、他とは違うというローポーションへと昇華させるのかという、尽きることのない思考で埋め尽くされていた。

「ネレウス」

街道を歩きながら、リュネルがそっと語りかけてきた。

「本に書かれていることは、過去の偉大な先人たちが遺してくれた尊い道標だ。それは決して間違っていない。でもね、世界は常に生きていて、変化している。僕たちの仕事は、その変化の最先端に触れ続けることなんだよ」

「……はい、師匠。俺の目は、まだ何も見えていませんでした。でも、今日の事……いやこれかも俺一生忘れないと思います」

ネレウスの真っ直ぐな言葉に、リュネルは嬉しくそうに瞳を細めた。

アルカナ堂の裏口へと戻ってきたとき、街はすっかり昼の心地よい活気に包まれていた。

籠の中の素材は、早く調合してくれと言わんばかりに、微かな魔力の香りを放っているように感じられた。

「さあ、それじゃあ一休みしたら、いよいよ調薬の準備に入ろうか」

リュネルのその言葉と共に、ネレウスの修行は、さらなるステップを進んでいく。



リラが用意してくれていた昼食を済ませたリュネルとネレウスは調合室へと向かった。

廊下の途中、陽光の差し込む窓辺に背筋を伸ばして佇んでいたのは、暗めの赤髪を端正にまとめた女性──カリナだった。

監視という体でこの店に入る事になった彼女は変わらず軍服姿で、市井の素材屋であるこの店の中ではいささか浮いて見えるが、彼女自身が放つ静謐な佇まいは、不思議とアルカナ堂の中で馴染みつつあった。

「おかえりなさい。ずいぶんと良き冒険をしたようですね」

カリナは茶色みがかった瞳を微かに和らげ、人を迎えた。表向きは軍から派遣された「監視役」という立場でありながら、その視線はネレウスが大切に抱えている籠の中身──先ほど渓谷の岩陰から採取してきたばかりの、鈍い光を放つ陽光草の根へと、隠しきれない興味と共に向けられていた。

「昼食で見ないと思ったら、こんな所で待ち伏せ……いや、監視、ですもんね」

「えぇ、そうです。私はあくまで監視で来ています。…まぁ、彼女のサンドイッチはとても美味しかったわ」

リュネルは小さく笑みを浮かべると、カリナを横切り調合室の扉を開けた。

「カリナさんも、もしよければ今日の調薬、近くで見ていきませんか。どうせ監視するなら、隅々まで見ていってください」

「……私のような部外者が同席しても? いくら監視と言っても、そこまでは……。錬材師の調合というのは、一子相伝の機密にあたるものだと記憶していますが」

上着を脱いで壁のフックに掛けると、動きやすいエプロンを締め直しながら微笑んだ。

「構わないですよ。店で売るものですから、それこそ監視してこそでしょう?それに、ウチの秘録はローポーションを見られた程度で暴かれるようなモノではありません」

リュネルの気負いのない言葉に、カリナはほんの一瞬だけ意外そうに目を見開いたが、すぐに「では、お言葉に甘えて」と、ロングコートの裾を整えて作業台から半歩引いた位置に陣取った。

その真面目で実直な眼差しは、すでに一流の観察者のそれだった。

「さて、ネレウス。まずは君が、いつも学校で習っている通りの手順で一本、調合してみてくれるかい?」

リュネルから不意に振られ、ネレウスは背筋を正した。

「俺が、ですか……? はい、わかりました。やってみます」

栗色の短髪を一度深く揺らし、ネレウスはサマーグリーンの瞳に鋭い集中を宿らせた。

作業台に据えられた魔導式の天秤、温度計、そして純水が入った小釜。

ネレウスは軍学校の教科書にある記述を完璧に脳内で再生しながら、一分の狂いもない動作を始めた。

レメディウムの花を蒸留器にセットし油分を抽出。

採取した根をナイフで3等分に切り分け、その重量を天秤で正確に量る。

(レメディウムの根、12グラム。純水の温度は80℃。精油は3滴。魔力安定材は全体の5%──)

ネレウスの指先は、軍学校の主席にふさわしい、見事なまでの正確さを誇っていた。

ガラス棒を回す速度、小釜を温める火炎魔術の火力調整、すべてが定められた“完璧な規格”の通りに進んでいく。

やがて、釜の中で素材が綺麗に融け合い、一般的な市場で見かけるものと全く同じ、澄んだ淡い黄緑色の液体が完成した。

「できました、師匠。これが俺の全力です」

ネレウスが額の汗を拭いながら差し出すと、リュネルはそれを光に透かし、優しく頷いた。

「素晴らしいよ、ネレウス。一点の曇りもない水色。ほどよいとろみ。うん、完璧な調合だ。これなら軍の支給品としても出せるの品質だよ」

傍らで見ていたカリナも、小さく感心の息を漏らした。

「見事な手際ですね、ネレウスさん。私も詳しい訳ではありませんが、軍の衛生部でもやって行ける腕前ですよ」

「ありがとうございます、カリナ様」

素直に褒められ、ネレウスの胸に誇らしさが湧く。

だが、彼は知っていた。

リュネルの「アルカナ堂のポーション」は、ここからさらに先へ行くのだということを。

「僕も負けてられないね」

リュネルが静かに作業台の前に立った。

その瞬間、調合室の空気がまるで水を打ったかのように張り詰めた。

リュネルは天秤を使わなかった。

温度計も1、2度目をチラ見しただけだった。

彼はただ、残されたレメディウムを手のひらに載せ、指先でその表面の湿り気や、微かな弾力を確かめるように優しく転がした。

「ネレウス、君の調合は完璧だった。でもね、それは『普通のレメディウム』を基準とした規格なんだ。……僕たちがさっき採ってきたのは、日陰の過酷な環境で育った、極めて個性の強い子だろう?」

リュネルの濃い群青の瞳が、手元の素材の奥深くを見つめる。

「この子は水分を多く含んでいるし、内包する魔力の密度が尋常じゃなく高い。これに教科書通りの熱をそのまま加えると、魔力が反発して、せっかくの成分が壊れてしまうんだ」

リュネルはナイフを握ると、根を等分にするのではなく、繊維のうねりに合わせて不均等に、しかし滑らかに削ぎ切りにしていった。

「温度は、そうだな……これなら、74℃…いや、今の室内の湿度を考えるなら、もう少し下げて72℃あたりが丁度いいはずだ」

リュネルが釜の下に手をかざすと、淡い、しかし極めて密度のある柔らかな魔力の炎が灯った。

ガラス棒を動かす手つきは、まるでタクトを振るう指揮者のように流麗で、一切の迷いがない。

ネレウスが教科書で習った「手順」とは明らかに異なる、素材の個体差、その日の天気、部屋の空気、すべてをその場の感覚だけで調和させていく、圧倒的な職人の技。

「そして、魔力安定材はあえて入れない。代わりに……」

リュネルは棚から別の地味な乾燥葉を取り出し、指先ですり潰してほんのひとつまみ投入した。

「師匠、それは何ですか?」

ネレウスは瓶の中に詰まっている葉をまじまじと見た。

「……この香り、ミントかしら」

目を閉じたままカリナが答える。

「おや、正解ですよカリナさん。これは『ペールミント』です。コレを入れることで、全体の魔力を固定するのではなく、緩やかに巡らせることで、傷口に触れた瞬間に爆発的な浸透力を生み出すんだ」

リュネルがガラス棒でゆっくりかき混ぜていると釜の中で、液体が劇的な変化を起こし始めた。

ネレウスの作ったものが淡い黄緑色だったのに対し、リュネルの手によって紡ぎ出された液体は、まるで朝の木漏れ日をそのまま閉じ込めたかのような、濃厚で、どこか神秘的な黄金色の輝きを放ち始めたのだ。

「──さあ、完成だ」

リュネルがガラスの小瓶にそれを注ぎ込むと、部屋中に、レメディウムの持つ清涼な大地の香りが、何倍もの密度になって広がった。

ネレウスはその小瓶を凝視したまま、言葉を失っていた。

自分の作った「ポーション」と、目の前にある「黄金の液体」。

その効果を実際に試すまでもなく、次元の差は歴然としていた。

数値や規格で世界を統制しようとする軍学校の知識が、素材の個性を生かし、その可能性を限界まで引き出すリュネルの思考の前に、心地よいまでの敗北感を伴って崩れ去っていく。

「これが……師匠の調薬……。コレが素材と向き合う錬材師の技なんですね」

ネレウスの瞳に、悔しさ、それ以上に、この人の弟子になれて良かったという、震えるような歓喜の光が宿る。

「そんなに落ち込む必要はないさ、ネレウス。君のしっかりした下地があるからこそ、この『応用』が生きてくるんだ」

リュネルはそう言って、ネレウスの肩を優しく叩いた。

一方、その一連の流れをじっと見つめていたカリナは、言葉にできない衝撃に胸を突かれていた。

彼女が所属する軍という組織は、すべての人間、すべての物資を「規格化」し、「統制」され、特出しているのはその上に立つものだけ。

個人の感情や個体差などは、効率の敵でしかない。

だが、リュネルのこの店で行われていることは、全く逆だった。

歪なもの、過酷な環境で育った規格外のもの、それぞれの「個性」を正しく見極め、それを最適に配置し、世界を循環させていく。

(この人は、物だけでなく、人もそのように見ているのだろうか……)

カリナは、自分の内側にある軍人としての頑なな輪郭が、リュネルの紡ぐ優しい秩序の前に、違和感が生まれてくるのを感じていた。

「アナタの施す技術は……ただの効率や破壊のための力ではないのね。世界に寄り添う、共に生きるためにある様に感じます」

カリナの瞳の奥に、普段の鉄面日からは想像もつかないような、柔らかい色彩が宿っていた。

言葉には決して表せない、胸の奥にそっと積み重なっていく、切ないまでの憧憬。

「貴女にそう言ってもらえると嬉しいですよ。僕はこの街の、人々の生活の巡りを、少しでも良くしたいと思っています。…祖父がそうしていたように」

リュネルはそう言って、穏やかに微笑んだ。

「さあ、ネレウス。今日の復習を兼ねて、もう一回だけ一緒に作ってみようか。今度は僕が手元を見ているから、素材に向き合う感覚を、少しずつ掴んでいくといい」

「はい、師匠! よろしくお願いします!」

ネレウスは力強く頷き、再びとナイフを握り直した。

窓からは、すっかり高く上った昼下がりの柔らかな光が差し込み、調合室の黄金色の小瓶を美しく照らしていた。

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