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アルカナ堂は今日もゆく〜素材屋リュネルの秘録〜  作者: 磨羯瑞花


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第32話 実践演習④〜素材屋と彼の決意〜

皆がベースに戻った頃にはジャングルの空気はだいぶ軽くなっていた。

霧の濃さも薄まり、もや程度になっていた。 

全員の点呼を行い、ギルバート大尉が転移陣を起動させる。

青白い光が足元から立ち上がり、一瞬の眩暈と共に景色が切り替わった。

次に足を踏みしめたのは、軍学校の訓練場だ。

「――全員、点呼!」

ギルバート大尉の声が飛ぶ。

名前が次々に呼ばれ、返事が重なる。

負傷者4名も、意識ははっきりしている。

最後の名前が呼ばれたとき、訓練場の空気がふっと緩んだ。

「全員、生還」

ギルバートは静かにそう告げた。

リュネルは何も言わずに、ただ肩の力を抜いた。


応急の治療と簡単な検査を終え、訓練場の喧騒が一段落した頃。

リュネルは、霞毒蛇の標本の一部をみながら、ひとり眉を寄せていた。

(こんなものを、“訓練区域”に紛れ込ませる理由か…)

軍学校を狙ったのか。

それとも、“たまたま”ここまで上がってきたのか。

どちらにしても、偶然だけでは説明できない。

「先生」

背後から、ネレウスの声がした。

その顔は、まだ少し疲れた顔をしながらも瞳の中には滾りは残っていた。

「今日のこと、忘れません」

「講義の一環なので忘れないでもらいたいけれど……まぁ、君たちの今後を考えると、どうなんですかね」

冗談めかしつつ、リュネルは標本をしまった。

ネレウスは、少し躊躇ってから口を開いた。

「先生、……さっきの蛇は、“深部種”だって言ってましたよね」

「はい」

「それって、“本来ならこんなところにいるはずのない奴がいた”ってことで……

つまり、“誰かが何かをやってる可能性がある”ってことで」

彼は、自分の中で整理した言葉を慎重に並べた。

「――それでも、俺たちはここで学び続けなければいけない」

問いというより、確認だった。

リュネルは、しばし彼を見つめ、それから静かに頷いた。

「そうですね。君たちは、ここで“軍人”になるために学んでいる。そして、僕はただの臨時講師に過ぎない」

その上で、と続ける。

「今日の出来事を、ただのハプニングだとして忘れてしまう人もいるでしょう。

 何かを察したとしても“そういうものだ”と諦める人もいる。

 ――でも、多分、君はそうならない」

ネレウスは、苦笑した。

「……先生がそんな顔してたら、そうなれって言われても無理です」

「え?どんな顔?」

リュネルは予想外の指摘に、思わず素の反応をしてしまった。

「“面倒ごとを見つけてしまった顔”」

図星だった。

リュネルは、小さく肩を落としやれやれと自嘲気味に笑う。

「この個体は……“深部種”です。そして、“誰かの手が入っている”。

 ――なぜここにいるのかは、これから調べることになるでしょう」

それは、ネレウスに向けた答えであると同時に、自分自身への確認でもあった。

「今日、君たちが“生きて帰ってきた”という事実は、君がこの問いに向き合うための、最初の一歩です」

その言葉に、ネレウスは真剣な顔で頷いた。

「俺も――いつか、そういう答えを一緒に見つけたいです」

「そうだね……」

リュネルの声にネレウスは目を輝かせて反応した。

「いつか、君が高官になった時にでも協力をお願いするのかもね」

リュネルはネレウスの言葉を受け自分の素直な考えを伝えた。

しかしその答えにネレウスの表情は一気に曇った。

落胆とも苛立ちとも言えそうな複雑な顔だ。

リュネルはそんな表情のネレウスに内心戸惑っていた。

自分の答えは間違っていないはずなのに、彼は明らかにマイナスの感情を見せている。

「…分かってます!僕はまだ子供で、僕はまだ未熟です。知識も力もあなたには……あなた方には全く敵わない」

急な大声にリュネルは驚きで反応できなかった。普段の彼からしたら珍しい状況だ。

「………」

「でも、だからこそ未熟な子供だから、学んで成長する伸び代はあるはずです!」

「……もしかして、君」

リュネルは1つの可能性を思いついた。

目の前の青年は最初は懐疑的に自分に接してきたが、次第に知識を素直に吸収し、自分の伝えたことを基に自分で思考する事もした。

自分に意見を求め、思考し、その結果をまた求める。

そして、この状況だ……目の前の青年は真っ直ぐにこちらを見てくる。

目は口ほどに物を言うと、誰かが言っていたような……。

「俺を、あなたの弟子にして下さい!」

ネレウスは腰を90度に曲げ勢いよく頭を下げる。

「やっぱり!というか待って!弟子って、まさか軍には入らないつもりかい?」

リュネルの声に反応するように彼の顔はまたリュネルに向く。

「今の軍には僕のやりたい事はありません。……僕は人の役に立てるようになりたいんです!」

鮮やかなグリーンの瞳は真っ直ぐに確かな覚悟を宿しリュネルを射抜いていた。

この手合いは決めたらもう曲げないとリュネルは経験則で感じていた。

「………分かった」

「じゃあ!」

ネレウスの顔が希望と喜びで輝く。

「ただし!きちんと卒業はする事。君は今主席って聞いてるから、その成績を落とさずに卒業しなさい」

ネレウスを真剣にリュネルの言葉に耳を傾ける。

「卒業までに君はまだ色々経験するし、知っていくだろ?その間にやりたい事が見つかったら、挑戦してみて。ウチだけと決めつけるのはダメだ。君の可能性は無限に……って言っても、もう覚悟決まってるみたいだね」

リュネルはネレウスの顔を見て、諦めたように肩をすくませ笑った。

当のネレウスも清々しい表情で笑っていた。

「まぁ、学校が休みの日にでも店においでよ。暫くは課外活動みたいなモノ、として考えて貰おうか。いつでも待ってるから」

「ありがとうございます!」

そう言い残し、彼は敬礼して去っていく。

リュネルは、標本を包んだ布をもう一度見下ろし、小さく息を吐いた。

「さてと――“深部種が訓練地にいる理由”。誰に、どこまで話すべきだろうか。僕だけで進んで良い状況・・・」

白塔で聞いた、“影は白塔の奥にまで差している”という言葉が、頭の片隅でじわりと滲む。

ジャングルでの霞毒蛇との戦いは、ただの偶然だったのか。

リュネルが来なければ、彼らはどうなっていたのか。狙われたのは……。

リュネルの思考が迷宮の入り口に立つ。

この迷宮の中には、そして出口には何がいるのか。


リュネルが思考の迷宮を彷徨っている隣で、ルーガルが静かに鼻を鳴らす。

オルフェウスは姿を見せていないが、さりげなく周囲の気配を探っていた。

「主、匂いが増えた」

ルーガルが難しい表情でリュネルの腰を突いた。

「ーっえ?増えた?」

リュネルは一気に現実に引き戻された。

「人の匂い。……こちらを伺っている匂いだ」

言われて気づく。

訓練場の端の回廊の窓際――視線がある。

学生を気遣う視線もある。評価する視線もある。

そして、“値踏みする視線”が混じっている。

そこへギルバート大尉がやって来て、短く咳払いをした。

「リュネル様。医務室へご同行を。負傷者の処置、確認をお願いしたく」

「分かりました」

その返事をした瞬間、背中に熱い視線が突き刺さった。

リュネルはその人物を視界に捉えると、直ぐに背を向けギルバートの後に続いた。

     


医務室は、少し馴染みのある空気感だった。

清潔な白い布、消毒液の匂い、薬草を煮詰めた独特な香り、あれこれの器具たち。

どれもリュネルには親しみがある。

だが、その清潔さの裏側に慌ただしさが滲んでいる。

「こちらです」

若い衛生兵が案内し、奥の処置室へ通す。

噛まれた学生は、顔色がまだ悪いが意識ははいっきりしていた。

「脈拍、少し落ち着きました」

医務官が淡々と報告する。

ギルバートが頷き、リュネルに視線を向けた。

「解毒剤は何を?」

「僕が普段から調合しているものです。成分は――」

リュネルは一瞬だけ言葉を止める。

学校とはいえ、ここは軍の施設だ。

薬の組成まで開示するのは、情報の無償提供と同じだ。

「複雑なのでお教えするのが難しいのですが……。

 まぁ簡単に言えば、神経の“暴走”にブレーキをかける薬、ですかね」

 医官は感心したように頷いたが、ギルバートはピンと来ていないらしい。

「副作用は?」

「一時的な眠気と人によっては軽い吐き気。ですが健康に害のあるものはありません。

ただし、心臓に疾患がある者は慎重に。これは一般論として…」

医務官がリュネルの言葉をもらさずメモを取る。

ギルバートは短く息を吐いた。

「……助かりました。間に合ってなければ、どうなっていた事か」

リュネルは頷くだけで返した。

処置室の奥で、別の学生が嘔吐をこらえている。

吸入毒の影響だろう。

医務官が鎮静の薬を投与し、胸部の筋肉を緩める。

「……幻覚を訴えていました」

医官が検査報告と共に伝えてきた。

「えぇ、そういう症状はでますね。あの種の毒は神経伝達物質を過剰にさせるんです。それと、コレは僕もあそこに入ってから気づきましたがあの霧は面白いです。霧によって毒の効きが強くなっていました。あれは毒の効果を強めたのか、魔獣由来のマナの効果を強めるのか…。一方で彼らの魔力にはデバフがかかっている様に感じましたからね」

リュネルがそう言うと、医務官は少し驚いた顔をした。

「……随分とお詳しい」

「素材屋ですから。毒草も、薬も、魔獣も、魔法現象も等しく扱います」

     ◇



医務室を出た廊下は、妙に静かだった。

窓から差す光が長く伸び、床の石がやけに白い。

リュネルはギルバートと共に渡り廊下を行く。

「リュネル殿」

その声は、音のない刃みたいに滑り込んできた。

教頭ベリオ・ハインツが、廊下の向こうから歩いてくる。

笑顔。柔らかい声。穏やかな歩幅。

しかし、その貼り付けられた仮面の奥の感情を推し測ることは出来ない。

ギルバートはハインツに敬礼すると、リュネルの後ろに控えた。

「お怪我はありませんか? ……いやぁ、まさか訓練区域で、あそこまでの事態になるとは」

「こちらは無事です。学生には4名負傷者が出てしまいましたが命に別状はありません」

「まぁ、訓練ですからな、不測の事態による負傷は仕方ないかと」

教頭は胸に手を当てて安堵の仕草をした。

だが、目は廊下の先、誰かに見られていないかを確認するように一瞬だけ動いた。

「さすがは、アルカナ堂の錬材師。……とはいえ」

“とはいえ”という言葉に不穏な影が滲む。

ギルバート大尉は、肩の筋肉を僅かに硬くする。

「本日の演習について、いくつか“学校として”確認したい点がございます」

「確認、ですか?」

ハインツの目の奥に鋭さが忍ぶ。

「ええ。まず、学生に対して過度に恐怖を煽るような言動は、教育上好ましくありません」

リュネルの脳裏に、昨日の講義が浮かぶ。

“上の命令から部隊を守る”――あの一言。

そして、“死んで英雄になる話はしない”と宣言した場面。

(やはり、そこは指摘してくるか)

「恐怖は煽っていません。僕はただ現実に起こり得る危険性を説明しただけです」

リュネルは毅然とした態度を崩さない。

「危険性の説明が、恐怖を生むこともあります」

教頭は微笑んだまま、丁寧に針を刺す。

「それに……本日、訓練地に危険な魔獣が出現した件。――これは、学校としては非常にデリケートな問題です」

「はい。だからこそ、回収しました。原因究明のために」

その瞬間、教頭の目がほんのわずかに細くなる。

笑顔は崩れないが、“期待していない答え”が返ってきたときの顔だ。

「回収、ですか」

「調査のためです。素材としての採取ではありません」

「もちろん。ええ、もちろん」

教頭は、二度頷いた。

その頷きは“肯定”の形をしていて、実際は“囲い込み”だ。

「ただ……その回収したものは学校の管理下で取り扱うべきでは?」

「学校の管理下?」

「ええ。訓練区域で発生した事案です。責任の所在を明確にするためにも、手続きの流れを――」

リュネルは、静かに息を吐いた。

「責任を明確にするなら、原因を明確にするほうが先です」

「原因究明は、しかるべき部署が――」

「しかるべき部署がーー」

(すでに知っていて放置していた可能性があるなら?)

いいかけて、リュネルは途中で止めた。

言い過ぎれば、ここで“敵”を生んでしまう。

ギルバート大尉が、咳払いをひとつ挟む。

「教頭。本講義に関しては講師に一任するとアルデラン殿下の勅命が出ております。標本の扱いについては、私が責任を持って書類手続きを整えますのでご安心ください」

的確な助け舟だ。

しかし、教頭はそれを予測していたかのように柔らかく笑った。

「素晴らしい。さすが現場の方は話が早い。…では、もう一点」

教頭は、リュネルへ向き直る。

「“危険すぎる内容の教授は控えてください”」

その言葉は、優しい声で言われたからこそ、余計に冷たく響いた。

「学生はまだ若い。与えるべき知識は段階的に――」

「教頭」

リュネルはハインツの言葉を遮ると、ゆっくりと口を開いた。

「今日の霧と毒と蛇を、“段階的に”体験させる方法があるなら、ぜひご教授願いたい。

 自然の脅威は段階など選ばず、無慈悲に生物の命を刈り取るものです」

一瞬、廊下の空気が凍った。

教頭は、微笑を保ったまま、目だけを細くする。

「……なるほど。ですが、ここは“学校”です。戦場ではない」

「戦場に行く前に、戦場ですらない所で死ぬのは元も子もないと思いますが」

ギルバートが、内心で頭を抱えているのが分かった。

だが止めない。止められない。

「……失礼」

教頭は一歩引き、胸に手を当てた。

「私は、学生を守りたいだけです」

その言葉が嘘だとは思わない。ただし、“守る”の定義が違う。

教頭が守りたいのは、学生の命だけではない。

学校の評判、議会の顔、責任の線引き――そして、自分自身だ。

「……本日の件は、後日改めて」

教頭は微笑みを残したまま、踵を返した。

その背中を見送りながら、ルーガルが低く唸った。

《主よ。あの男……》

《わかってる。……僕も苦手だ》

リュネルは、廊下の窓の外を見た。

学生たちが、中庭に集まっていた。

和気あいあいと話し、誰かが肩を叩き、誰かが泣きそうな顔で笑っている。

(守りたいなら、あの子たちに“知る権利”を渡してやれよ)

それを口に出せばタダでは済まないだろう。

だから、胸の中でだけ呟いた。

     ◇

同じ頃、王都の一室。

アルデランは机に置かれた遠見の魔導具から目を離していなかった。

薄い水晶板に、訓練場の光景が映っている。

音は遅れて届き映像は少し歪む。

だが、十分だ。

「……全員生還か。よし」

彼は、張り詰めていた胸の奥を撫で下ろす。

しかし、次の瞬間遠見が捉えた廊下での邂逅に目が細くなる。

教頭の笑顔。

ギルバートの咳払い。

リュネルの表情の硬さ。

(やはり、学校の内部にも……)

アルデランは、指先で水晶板を軽く撫で映像を少し拡大する。

教頭の口元は笑っている。

だが、眼鏡の奥の目が笑っていない。

「……ハインツ」

その名前を、彼は小さく口にした。

護衛のヒュロスが一歩後ろで控えている。今日も彼は黙っている。

だが、アルデランの動きが変わるとすぐに反応した。

「殿下。……何か」

「軍学校の“上”が、何かを隠している」

ヒュロスは表情を変えずに伺う。

「……証拠は」

アルデランは眉間に皺を寄せ映像から目を逸らす。

「まだない。だが、私のカンはよく当たるんだ」

アルデランは、机の上の別の書類に手を伸ばした。

そこには、議会の教育改革に関する議事記録の抜粋がある。


――“座学内容の見直し”

――“考える兵は統治の妨げ”

――“専門職の積極導入”


コレは議会でも揉める内容だった。

議会の軍事介入はあってはならないと。

軍の統治は現在国王並びに王族に委ねられている。

その軍に介入しようとしているという事が意味するものとは何か…。

アルデランはその先を考える。

リュネルは何と推察するか。

(今回のミストバイパーは、偶然ではないかもしれない)

アルデランは、水晶板の映像をもう一度見た。

渡り廊下でリュネルが空を見上げている。

あの背中は、彼がよく知っている仕事人の背中だ。

そして、あまりに厄介なものを拾ってしまったときの背中でもある。

「……リュネル」

アルデランは、ひとりごとのように呟いた。

「君は、黙っていられないだろうな」

それは、責める声ではない。

むしろ、少しだけ羨ましさが混じっていた。

(だからこそ、守らねばならない)

アルデランは、遠見の魔導具を閉じる。

そして、机の引き出しから小さな封蝋を取り出した。

「ヒュロス」

「は」

「内務情報局へコレを。表向きは“訓練区域での危険魔獣出現の報告”」

「……御意に」

「“教育改革と訓練地管理の関連”を、洗い直させる」

ヒュロスが頷き、無言で動き出す。

アルデランは椅子に深く腰掛け、目を閉じた。

(次は、リュネルをどう動かすか)

王子として、動ける範囲は限られている。

だが、だからこそ、外にいる“素材屋”が役に立つ。

――いや、役に立つという言い方は良くない。

(彼は“道具”ではない。友人だ)

市中ではあだ名で呼んでくれる、二人きりで友として接して欲しいという要求を受け入れてくれる。

“王族扱い”を嫌う自分の我儘を聞いてくれる、数少ない信頼のおける友。

「……明日、会いに行こう」

アルデランは、決めた。


     ◇

夕方、学内は静けさを取り戻し始めていた。

学生たちは各々の時間を過ごすため各棟へ戻っていく。

ネレウスは1人医務室に向かっていた。

扉を叩くと、衛生兵が出迎えた。

「おや、君は。どこか怪我でもしていたのかい?」

「いえ、友人の見舞いに。カロン・デロフトに会いたいのですが」

「あぁ、ちょっと待ってくれ」

衛生兵はそのまま医務室の奥へ行き、カーテンの奥の様子を確認すると、ネレウスへ手招きをして呼び寄せた。

ネレウスは静かに医務室に足を踏み入れ、背後の扉を丁寧に閉めた。

カーテンの奥では、顔色がだいぶマシになったカロンが起きていた。

「起き上がって大丈夫なのか?」

「ハッ、そんな軟な鍛え方してねぇーっての」

カロンはすまし顔を決めていたが、強がっているのが在り在りと判った。

「無理するなよ」

ネレウスは小さく息を吐き、ベッド横の椅子に座った。

「………俺は自分の力を過信してた。それを思い知らされた」

カロンは急にしおらしい態度で呟いた。

「らしくないな」

ネレウスはカロンの顔を慈しむように優しく見つめた。

「それに、あの人を舐めてた。リュネル先生って、ただの腕のいい素材屋じゃねぇー。ほんとに錬材師だったんだな」

「お前、まだそこを疑ってたのか?」

ネレウスはカロンは発言に呆れて眉をひそめた。

「怒るなよ。……俺の知ってる錬材師の人は、もっとこう、威圧的でオッカねぇーおっさんだったからよ。…なんつーか拍子抜けしたんだよな」

「あぁ、それなら何となく、俺も分かる」

ネレウスは口元に手を当て、考える。

「まぁ、特別講師に選ばれるだけはあるって今なら分かるぜ。あの人の力は凄かったからな」

ネレウスは黙ったまま何か言いたげな表情だった。

「…ネレウス?どうした」

カロンは友人の珍しい顔を不思議に思った。

「…あの人は、リュネル先生は本気を出していないと思う」

「は?マジかよ!ーーってて」

カロンは急に身を乗り出したため、痛めたところに響いたようだった。

「上手く隠していたけど、……あの人の魔力量と強さは今まで会った人とは桁が違った、違いすぎた。あのスペックなのに、使う魔法があのレベルな訳がない」

(まぁ、あの転移魔法には度肝抜かれたけどな)

カロンは痛みが落ち着いた様子で、呼吸を整えつつ言葉を続けた。

「…はぁ、相変わらず、お前の観察眼はすげぇよな…」

ネレウスは困ったような笑顔を浮かべると、夕焼けの窓を何かを探すように見つめた。



ギルバート他数名の教官からのただならぬ感謝を受けたリュネルは、複雑な気分で軍学校を後にした。

帰りの馬車を丁重に断り、徒歩での帰路の中、リュネルは使い魔たちと共に標本を入れた収納空間をもう一度確かめていた。

調査のため。

断じて、素材として“丸ごと採る”ためではない。

だが、言い訳が必要になる時点で、もう面倒だ。

「主」

ルーガルが問う。

「この後はどうする?」

「……とりあえず、コイツをじっくり調べてみてから、…それと相手の出方次第?かな」

「教頭は?」

リュネルの表情が一瞬曇る。

あの教頭はいわゆる手を出してはいけないタイプだと、リュネルは体感で感じとった。

だが、今の軍学校の現状を知ってしまった。

生徒たちと言葉を交わし、交流もしてしまった。

こうなっては、リュネルは見て見ぬふりはできない。

直ぐに行動に起こし、全てを暴こうとする。

ーー昔のリュネルならばそうしていた。

だが今は違う。

守らなければならないモノがある。

さて、どこまで進んだものか……。

「……帰ろう。みんなが待ってる」

リュネルはゆっくりと歩き出した。

その足取りは疲労感からなのか、軽快さは無かった。

その背中に、夕日が薄く伸びる。


アルカナ堂の看板が見えた瞬間、リュネルはようやく深く息を吐いた。

夕暮れの橙が石畳に滲み、店の窓からはいつもの灯りがこぼれている。

(……帰ってきたな)

扉を押し開けると、香草と食欲を刺激する香りが鼻をくすぐった。

「おかえりなさい、リュネルさん」

帳場から顔を上げたリラが、ほっとしたように微笑む。

その視線は、無意識に彼の顔色や立ち姿を確かめていた。

「ただいま。留守中、ありがとうございました」

「いえ。リュネルさんこそ大事なくて何よりです」

その横で荷物を片付けていたベルギスが短く頷く。

「無事そうだな」

ベルギスの視線がリュネルの体を上から下へとなぞるように見た。

「おかげさまで」

「……それならいい」

多くを語らないが、その一言に含まれる安堵は十分だった。

 ――と。

「せんせー!」

奥から勢いよく現れたエプロン姿のソランが、ほとんど飛びつくように腕を掴んでくる。

「遅い! めっちゃ遅い!」

「はいはい、落ち着いて」

力強く掴まれた腕が抜けそうなくらい振られる。

言葉では言いながらも、振りほどかない。

ソランの指先に、確かな熱が伝わってくる。

「……怪我してない?」

「してないよ」

「呪いとかも?」

「受けてないよ」

ひとしきり確認してから、ソランはじっとリュネルを見上げた。

「……先生、なんかあったでしょ?」

本当にソランの勘の良さには驚かされるとつくづく思った。

「なんか言いたいこと、あるでしょ?」

「……君ってやつは本当に」

リュネルは軽く咳払いをして、帳場のカウンターに軽く寄りかかる。

「みんなに、ひとつ報告がある」

その声音に、リラとベルギスの動きも止まった。

「軍学校の学生から……弟子入りを希望された」

「――は?」

真っ先に声を上げたのはソランだった。

「ちょ、ちょっと待って!?」

「落ち着いて。最後まで聞いて」

リュネルは、できるだけ穏やかに続ける。

「相手は最終学年の学生で、成績も優秀だし、真面目な子だ。ただ、あの子が本当にウチに来る気ならそれは卒業後だ。そういう約束だ」

ソランは数秒固まり、それから腕を組んだ。

「……ふーん」

「“ふーん”?」

「別にいいけどさぁ」

彼の顔は明らかに拗ねている。

「オレがいない時に決めるとか、ずるくない?」

「僕の弟子なのに、君の意見が必要かい?」

「気持ちの問題!」

リラが、その子供じみた反応に小さく笑った。

「ソランさん、寂しかったんですもんね」

「ち、違いますけど!?」

「顔に書いてありますよ」

「書いてない!」

ベルギスが腕を組んだまま、ぼそりと口を挟む。

「弟子が増えたところで、何かが減るわけじゃない」

「……それはそうだけど」

「むしろ、人手が増えてコイツの負担が減る」

「……それもそうだけど」

ベルギスのど正論に言葉も尻すぼみになる。

それでもソランは唇を尖らせ、最後に小さく言った。

「……オレがせんせーの一番じゃなくなるの、嫌なんだよ」

一瞬、場が静まる。

リュネルは、少し驚いた顔で、それから温かな笑みを浮かべた。

「それは大丈夫」

「……え?」

「君は弟子じゃない。家族みたいなものじゃないか」

ソランは耳まで一気に赤くなる。

「な、なんだよそれ!」

「事実だよ」

「そんな恥ずかしい事急に言うなよ!」

リラがくすくすと笑い、ベルギスも小さく息を漏らす。

「別に恥ずかしい事ではありませんよ」

「ほら、誰も取られやしない。安心しろ」

「……ほんと?」

リュネルは穏やかに笑いながら、ソランの目を真っ直ぐにみる。

「ほんと」

ソランはしばらく黙ってから、ぷいと横を向いた。

「……ならいい」

ソランはそれ以上は何も言わなかったが、掴んでいた腕をいつまでも離そうとはなかった。


夜更け。

いつもより賑やかな夕食を終え、皆がそれぞれの部屋に戻り、店が静まり返った頃。

リュネルは自室で独り静かに紅茶を淹れていた。

紅い水色、湯気と共に柑橘の香りが立ちのぼる。

椅子に腰掛け、カップを両手で包む。

(……今回は、拾うものが多かった)

窓の外で、看板の飾りが夜風に小さく鳴った。

三日月と太陽が、静かに揺れている。

「……全部は拾えない、か」

白塔で聞いた言葉が、胸の奥をかすめる。

それでも――。

紅茶を一口、慎重に口に含む。

コクと温かさが、ゆっくりと身体に染み渡っていく。

(拾ったモノには、責任を持たないと)

この店には灯りがあり、待っている人がいて、明日も開ける扉がある。

今は、それでいい。

リュネルは背もたれに身を預け、そっと目を閉じた。

夜だけは、思考を手放して休もう。

――素材屋の店主として、1人の錬材師として。

そして、帰る場所を持つ人間として。

夜は静かに更け、アルカナ堂は変わらぬ温もりを湛えて、そこにあった。

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