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アルカナ堂は今日もゆく〜素材屋リュネルの秘録〜  作者: 磨羯瑞花


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第29話 実践演習①〜いざ探索区〜

翌朝、軍学校の広大な中庭はいつもより幾分か冷たく、そして鋭利に張り詰めた空気に支配されていた。

最終学年α組、総勢20名弱。

全員が野外演習用の機能的な実戦装備を身にまとい、微動だにせず整列している。

リュネルは教官用の高壇に立ち、ひとりひとりの眼差しを静かに射抜くように見つめていった。

眠たげな欠伸を漏らす者は皆無だ。

若者たちの顔に張り付いているのは、実戦さながらの緊張か、未知への昂揚か、あるいはその双方が綯い交ぜになった特有の熱量だった。

「本日の特別演習――ジャングル探索区でのサバイバル訓練を開始する!」

ギルバート大尉の、地の底から響くような号令が静寂を切り裂いた。

その横に控えていたリュネルが、優雅な動作で一歩前へ踏み出す。

「その前に、ひとつだけ、私から生存のための最終確認をさせてください」

手にしていた愛用の杖で、自らの掌をぱちんと軽く叩く。

その硬質な音が合図となり、生徒たちの意識が鏡のようにこちらへ集中した。

「昨日の講義で徹底して刷り込んだはずの、“優先順位”を覚えていますか? ――最も遵守すべき事柄は?」

間を置かず、数人の学生が、訓練された反射速度で声を揃えた。

「自分、及び同行する部下の生命維持であります!!」

「よろしい。その答えこそが、あらゆる困難を突破する鍵となります」

リュネルは満足げな笑みを唇に刻み、細い指を2本立てて促す。

「では、2番目は?」

「作戦任務の完遂であります!」

「その通り。そして3番目が装備・貴重な物資の継続的な保全。4番目がようやく敵陣営への損害付与です。――いいですか、絶対に忘れないでください。この序列をたったひとつ入れ替えるだけで、誰かが無駄な骸へと成り果てます」

生徒たちの集団から、ごくりと重苦しい生唾を飲み込む音が漏れた。

「本日の演習では、即応性を高めるため小隊単位で行動してもらいます。三小隊編成とし、それぞれの指揮権を担う小隊長は――」

ギルバート大尉が、手元の厚い羊皮紙の名簿を読み上げていく。

「第1小隊長、ネレウス・ヴェルデヒュム。第2小隊長、カロン・デルフト。第3小隊長、ミレイユ・カフィア」

名指しされた3人が、一陣の風を孕むように前へ出て、キレのある敬礼を捧げた。

ネレウスの佇まいは、昨日講堂で見せたそれよりも、さらに研ぎ澄まされていた。

背筋は鋼のように伸び、腰の双剣の柄はまるでもう一対の腕であるかのように自然な位置に収まっている。

ゴーグルの奥に潜む眼光は、昨日よりも静かな熱を孕んでいた。

(いい貌をするようになった。土壇場で折れない強さを感じる)

リュネルは内心で独りごちた。

「各小隊には、1人用小型テントやロープ、簡易型の魔導灯を含む標準装備を支給します。ですが、今日はその“既定の型”を、君たちの判断であえて崩してもらいます」

そう言い置いて、リュネルは足元に置かれた巨大な木箱を杖の先で指し示した。

そこには追加の予備水袋や、地形に特化した罠具、厳選された薬草包み、そしてレーションのセットが山積みになっている。

「今から20分、小隊ごとに装備の内訳を“再構築”してください。『念のため全部持つ』という欲張りは認めません。必ず、今の自分たちに不要だと判断する“捨てるもの”を明確に決めてください」

「捨てる……ですって?」

生徒たちの間に、さざ波のような動揺が広がった。

「多過ぎる荷物には、君たちの“体力”と“集中力”という目に見えないコストが付随します。背負いすぎれば足取りは鈍り、思考は濁る。逆に減らしすぎれば、窮地で逆転の手段を失う。……これを、本日最初の試験課題とします」

リュネルは毒を含んだ蜜のような微笑を付け加えた。

「なお、帰還後に『なぜその装備を選んだのか』、あるいは『なぜそれを切り捨てたのか』について、私から執拗に問い質します。明確な理由を用意しておいてください」

学生たちの表情が、「これは下手な言い訳は通用しない」という確信に染まっていく。

「小隊長は、決断の根拠を言語化する準備を。――では、開始してください」

リュネルの静かな、しかし有無を言わせぬ号令を機に、3つの小隊がそれぞれの円陣を形成した。


第1小隊の輪の中心で、ネレウスは支給リストを迅速に走査していた。

「水筒2本、レーション3日分、1人用小型テント一式、魔導灯1つ、救急包……」

羅列しながら、彼の思考が特定の箇所で停止した。

(物資の量は十分すぎる。だが、この全量を担いで密林を走破するのは、愚策の極みだ。)

「まず、水だ」

ネレウスは水筒のアイコンを力強く指さした。

「目的地はジャングルだ。湿度は高く、植生から判断して水源は確実に存在する。――水筒は各自一本に絞り、予備は小隊全体で二本とする。これで数キロ分の軽量化ができる」

「おいネレウス、脱水症状は命取りだぞ。本当に減らして大丈夫なのか?」

「水の確保自体を、我々の最優先任務に組み込む。信頼できる水源を見出すことができれば、余ったリソースを警戒に回せる。……賭けではなく、合理的な計算だ」

それは昨日のリュネルの講義を、彼なりに昇華させた判断だった。

(ジャングルの水は、不純物や魔力の汚染を考慮しなければならない。停滞した澱みは避け、流れのある上流を狙う。魔法による浄化も、マナ霧の干渉を受ける可能性を常に念頭に置かなければ)

「食料についてはどうする?」

「レーションは3日分配布されているが、実質一日の演習だ。予備を含めて一人一日半分あれば十分だろう。残りの余剰分はここに置いていく。そして、演習後に『軍の規定量がいかに現場の実情と乖離しているか』を、不必要な重量負担の証拠として報告書に加える」

ネレウスの視座は、すでに演習の成功のみならず、その後の改善提案にまで到達していた。

この広範な視野こそが、彼を主席たる所以かもしれない。

「魔導灯は予備を含めて2つ。その代わり、火打ち石と油を追加で持とう。マナ霧の影響で魔導具が動作不良を起こす最悪の事態を想定すべきだ」

彼の判断は、魔法という便利な道具を信じつつも、それに依存しない「代替案」を確保しようとしている。

遠巻きにその様子を観察していたリュネルは、通信用の魔導具を介してギルバートへ声を飛ばした。

《第1小隊、火打ち石に気が付くなんて…。それに油は色々応用ができるからね。やっぱりちゃんと考えられる子なんだね》

 一方、第2小隊ではカロンが腕を組み、猛々しい表情で指示を下していた。

「ロープは予備も含めて限界まで持っていく。足場の不確かな密林で、滑落は即、戦線離脱を意味するからな」

「おい、そんなに持ったら重いだろ」

隊の1人が不満気にもらした。

「それは筋力トレーニングだと思って耐えろ。代わりにテントを減らし、野営の不便は根性でカバーする」

彼の発想は、己の身体能力への絶対的な信頼に立脚した「武骨な前進型」だ。

(第2小隊はフィジカル面で強いメンバーが多いから、各々の特性に沿った装備と考えられなくも無いけど……さて)

そして第三小隊のミレイユは、慈愛と冷徹さを併せ持つ冷静な指示を飛ばす。

「救急包は全員が個別に持つこと。他人の救護を待つ余裕などない状況を想定しなさい。魔導灯も予備を含めて3つ。……ジャングルの闇は、想像以上に精神を削ります。“光”の量は、心の安定に直結するわ」

(メンタル面に注目するとは。彼女の着眼点も見どころがありそうだ。……三者三様、実に興味深い。皆、「全部」という甘い誘惑を振り切り、自分達なりの理論で選択を行っている)

 20分後、リュネルは各隊の装備構成を視察し、刃のような短評を投げかけた。

「第1小隊。合理性の塊ですね。ただ、致命的に“甘味”が不足しています。精神を極限まで摩耗させたとき、一片の砂糖が判断力を繋ぎ止めることもある。予備のレーションから糖分だけは抽出しておくといいですよ」

「第二小隊。頼もしい積載量ですが、一部の者に負担が集中しすぎている。ロープの重量を分担しなさい。“有用な資産”は、“全員の共通負担”に変換してこそ長持ちするものです」

リュネルは最後に、ミレイユの小隊へ問いを投げた。

「光源の重視、素晴らしい着眼点です。では、不意の遭遇戦において、その3つの光をどう配置すれば、最も効果的に視界を掌握できるか、実践で見させてもらいます」

「――では、出発しましょうか」


演習の舞台となるジャングル探索区へは、校舎地下にある転移陣を介して足を踏み入れる。

訓練用とはいえ、そこは生態系の頂点に魔獣が君臨する、れっきとした死地である。

「本演習は“模擬”の名を冠しているが、実際は魔獣の爪が届く現実の戦場だ。武器の使用、魔法の展開、すべてを君たちの裁量に委ねる」

生徒達の表情がさらに引き締まる。

「ただし、リュネル様と我々が常に監視している。致命的な危険が迫った場合には介入する。ーーが、それまでの判断は君たちのものだ!」

「「はい!!」」

ギルバート大尉の言葉とともに、転移の光が網膜を焼いた。

次の瞬間、肺に流れ込んできたのは、重苦しい湿気を帯びた熱気だった。

腐葉土と濃緑の葉、そして形容しがたい芳香。

「……」

ネレウスは無意識に、吸い込む空気を細くした。

訓練場の森とは、密度が根本的に違う。

(コレが探索区か…)

空気が層を成している光が木々の天蓋で細かく砕かれ、緑と青の斑点となって地表を埋めている。

「ここからの指揮権は全て小隊長に委ねる!有事には昨日の講義で教わった事を思い出せ!!」

ギルバートの言葉に、3人の小隊長が大きく頷く。

「では、各小隊、渡してある地図にある目標を目指し各々のルートで向かってください。僕の他に2人の教官が監督として探索区を巡回します。…常に見られているということを忘れないように」

「はいっ!!」

若人達の威勢の良い声がジャングルに響いた。

「では各小隊、出発!!」

リュネルの掛け声と共に3方向へと行進の音が分かれていった。

生徒たちが前進を開始する中、リュネルは彼らから距離を置き、影に溶け込むように位置取った。彼の周囲には、自身の存在を希薄化させる認識阻害の術が展開されている。

《ギルバート大尉、各監督官、予定の配置についてください》

耳元に仕込まれた魔導具から、ベース地点に留まるギルバートの返答が届く。

『了解した。こちらもモニタリングを開始する。各員、定期的な定時報告を怠らないように』

ギルバートはベース地点でケースを開いた。手をかざし魔力を込めると、青白い光と共に透明な板状の魔導具が起動し、探索区内と思しきホロ映像が浮かび上がった。メインのホロには探索区の地図が表示されており、各隊の位置が光点として映し出されている。

一方のリュネルは地面に印を描き、眷属たちを呼び出した。

ルーガルが影と同化するように低く構え、頭上の巨木にはオルフェウスが、爛々とする金の双眸で死角を監視している。

「主、マナの揺らぎはそこそこだな。霧になるにはまだ早いが、コレは出るぞ」

「毒草の宝庫だ。若造どもには、極上の教育的刺激になるだろうて」

「……くれぐれも“手を出し過ぎない”ように。今日の主役は、あくまであの子達だから」

リュネルは眷属たちに釘を刺しつつ、少し離れた位置から第1小隊の動向を追った。

地図は、昨日リュネルがギルバートと共に編纂したものだ。

既知のマナ霧ゾーンや、危険度の高い魔獣の出没域が正確にマーキングされている。

ただし――ひとつだけ、“地図にないもの”を彼は意図的に残していた。

各小隊のルートの途中、“空白になっているエリア”、事前調査で見つかった“不自然な痕跡”がある場所だ。

そこが完全な危険地帯ではないことは確認済みだ。

だが、“何かがいる”と予感させる場所。    

それを彼らがどう判断し、対処するのか。

それこそが、この演習の真の狙いでもあった。


高木の根が地表を這い、所々で壁のようにせり上がっている。

その間を縫うように、蔦とシダが足を取ろうとしてくる。

「前衛、間隔をとれ。根に足をさらわれるぞ。

中衛、視界を維持。後衛は、聴覚で周囲の気配を拾うんだ」

ネレウスの声は冷静だった。

愛用の双剣を抜き身にはせず、しかし瞬時に抜ける位置で固定しつつ、周囲に意識を割いている。

だが、緊張の糸が不意に緩む瞬間がある。

「―ーなぁ、訓練って分かってるけど、探索区ってワクワクするよな」

ネレウスの背後で、副官役のロビンがひそひそと呟く。

「おい、集中しろ。遊びじゃないんだ。訓練でも気を抜けば無事に帰れるか分かんないぞ」

ネレウスは振り返らずにロビンを叱る。

「分かってるって。訓練地とは言っても探索区は本物。危険はすぐそばに、だろ?…よし!じゃ俺が斥候に出てやるよ!俺は足はぇーし、身軽だからな!」

タクティカルゴーグルを弄りながら、彼は列から一歩、前方の低木の影へと躍り出た。

「ロビン、身勝手な行動は――」

ネレウスの制止が間に合うより早く、ロビンの足元で乾いた人工的な破裂音が響いた。

ぷつん、と何かが断ち切れる音。

「――っ」

直後、足首に絡みついた強靭な蔓が、強烈な力で彼を引き上げた。

「うわあああああっ!」

離れた位置から監視していたリュネルの指先が思わず動きそうになった時ーー

本来なら頭から地面に叩きつけられるはずの勢いだったが、ネレウスの風魔法によりロビンの体は緩やかに着地した。

それでも勢いよく逆さ吊りにされた衝撃で、彼は目を回して情けない声を漏らした。

「ロビン、昨日の講義ちゃんと聞いてたか?。"作戦時一番最初に死ぬのは、知っているつもりで走る無能だ”と」

ネレウスの声には怒りはなく、ただ冷徹に事実を突きつけるような静けさがあった。

「…ぅう、わりぃ〜」

「謝るのは、生きて帰ってからにしろ。――立てるか?」

「……すまん。まだ頭がぐるぐるする……」

「もう急に列を離れるなよ。歩くときは、前の人の歩幅から“半歩”だけ意図的にずらして歩くんだ。他人の足跡をなぞるだけでは、全員が同じ罠にかかる」

ネレウスのその指示を聞き、リュネルは密かに口角を上げた。

教科書には載っていなかった、現場の知恵をすでに自分のものにしようとしている。


第1小隊が進むにつれて、周囲の音は急速に削ぎ落とされていった。

周りにも薄くだが霧が出てきた。

(微量だけど、魔力が一方向へ流れている……)

リュネルには、生徒たちの目には見えない「魔力の収束」が見えていた。

足元の霧が、まるで巨大な肺に吸い込まれるように、周期的な律動を伴って一定の方向へと流れていく。

《主、この霧――“匂いが上書き”されているな》

 ルーガルの低い声が、感覚を共有するリュネルに届く。

《土の芳香も、腐敗の臭いも、すべてが薄い。だが、代わりに湿った重い匂いだけが濃くなっている。コレは、毒の臭いだ》

その直後、ネレウスが鋭く腕を挙げ、隊を停止させた。

「近寄るな。……全員、その場から動くな!」

彼らの視線の先、巨木の根元に白く乾ききった骨が並んでいた。

小型の鹿のような魔獣の頭骨、肋骨、腿骨。

それらが、整然と、かつ無傷で地面に並んでいた。

「標本みたいだ……骨を一本も傷つけずに、肉だけが完璧に削ぎ落とされている」

隊の1人がが震える声で言った。

リュネルは影の中のルーガルを通して、骨の表面に積もったかすかな白い粉末を観察した。

(これは……まさかこのエリアまで出てくるのか?)

リュネルのいつもの癖が発動し、生徒たちの前に姿を現した。

目の前に急に現れたリュネルに生徒達は腰を抜かしそうになった。

それはネレウスも例外ではない。

「リュネル先生!?」

「いや失礼。ただ、コイツは少し穏やかじゃないかもしれないので…」

悪戯っぽい笑みを浮かべたリュネルは、魔獣の骸と向き合う。

まず、骨の表面の粉をじっくり観察する。

どうやら表面のは粉ではなく、細かい結晶のようだ。

リュネルはそれを指先ですくった。

それを見た生徒達はギョッとした。

さらにリュネルが指先に軽く舌で触れたので、生徒達は絶叫した。

「あぁ、みんなは決して真似をしないように」

リュネルは何食わぬ顔で水で口をすすぎ、吐き出した。

「この魔獣を捕食したヤツの体液が乾いて結晶化したものです」

「危険なものではないのですか?」

ネレウスがしゃがんで骨を観察しようとする。

「あ、近づかない方が良いですよ。毒なので」 

リュネルの言葉にネレウスは後に飛び退き、口をハクハクさせながら何かを訴えかけるようにリュネルに顔を向けた。

「大丈夫。体内に入れなければ死ぬことはありません。それに遅効性なので解毒剤を持っていれば処置もできます」

それでも生徒達の顔から緊張の色は簡単には消えず、むしろ青ざめていた。

「先生……これも、魔獣の仕業なのですか?」

「ふむ、その問へ答えは『はい』です。しかし、この犯人は通常このエリアまで出てくるはずのない種です。

……どうやら、さらに奥深くの住人が、この霧の流れに乗って『こちら側』へ挨拶に来ているようですね」

リュネルは霧の奥、先を見通せない白い世界を凝視した。

彼の中に、不安と好奇心が入り混じった感情が沸き起こった。

「…さあ、第1小隊。君たちの目標までは後少しです。この先をどう攻略するのか、どう判断するのか……、

では頑張ってください」

リュネルはそう言い残すと、再び空気の中に溶けるように、その姿を消した。

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