うさぎ
ふぅ。やっと終わった。荷物をまとめて教室を出ようと立ち上がる。すると、後ろから声をかけられた。
「あの、鐘城くん。この後って……」
「ごめん。今日は用事があるんだ」
そう言いながら笑いかけ教室を出た。本当は用事なんてない。だって今日はみつきちゃんとなにも約束してないから。というか、最近は時間が合わなくてちょっとしか話せてない。みつきちゃんがグループワークで忙しいのもあるし、おれも課題があるから。
「寂しい……」
会いたい。みつきちゃんに。ほんの少しでもいいからみつきちゃんと過ごす時間がほしい。このままだと、押し潰されちゃいそう。"寂しい"からくる全ての苦痛に。
うん、行こう。会いに。そう思う前から足は動いていた。みつきちゃんがいる棟の方へ。だって今日はどうしても会いたかったから。みつきちゃんに似合うものやっと見つけたんだよ。早く渡したい。そんな気持ちから、スマホを開いた。みつきちゃんにメッセージを送る。この後の時間を貰うために。少ししてから返事が来る。そこには
『うん!わたしも琉兎くんに会いたい!』
と書かれていた。その文字を指でなぞると、温かな光となった言葉が心の中に入っていく感じがした。みつきちゃん………。あぁ、どうしよう。連れ出したくなっちゃうな。そんな感情と共にそのイメージが頭の中に膨らんでいた。連れ出してそのままデートして…この間見つけたカフェとか、みつきちゃんが好きそうな雑貨屋とか行って。それで、そのまま講義も全部忘れて、おれの家に連れて帰りたい。そこまで考えて立ち止まった。
「……………」
緩みきった顔を元に戻して、みつきちゃんの友達の鐘城琉兎になる。そうしないと実行しちゃいそうだから。みつきちゃんに会う前に自分を落ち着かせようと深呼吸をする。
……うん。もう大丈夫。みつきちゃんに出会ってから自分の感情や思考が暴走しかけることがある。みつきちゃんは運命だからそんなことしなくても大丈夫だとは分かっている。それでもそうなるのは、アイツがいるからだ。……邪魔者がいなければおれが暴走しかけることも無いのに。思考が澱んでいく。たった三年間だけのくせにみつきちゃんに馴れ馴れしい。たかが三年。これからおれとみつきちゃんが過ごす時間に比べたら大したことないのに。そう思うのに、腹が立つ。みつきちゃんがアイツの話をする度に、笑顔を見せる度に、体の芯が冷えていく。体内に、暗く澱んだ何かが溜まっていく。きっとそのせいだ。みつきちゃんに対して色んな衝動が起きるのは。でも、いいんだ。みつきちゃんのこと大好きな証だから。アイツのことは大嫌いだけど、そのおかげでみつきちゃんをもっと好きになれる。あの子も、そうなってくれたらいいな。嫉妬でおかしくなっちゃうくらい、おれに夢中になってね、みつきちゃん。ようやく切り替えることができた思考を保ったまま、ベンチへ座ろうと歩き出す。その時、後ろから声をかけられた。
「鐘城くん。今いい?」
「ん?なに」
振り向くと、知らない女の子がいた。
「私、ずっと前から鐘城くんが好きなの。……あの噂、嘘なんでしょ?だったら、私と─────」
熱を帯びた視線。少し赤く染まっている頬。"恋"をしている人間の顔だ。でも、おれは…この子と話したことがない。
……久しぶりだ、この感じ。すごく、すごく不愉快。
「嘘だとしても……君じゃダメ。じゃあね」
そう言って、なんの気もない笑顔を向け、踵を返した。少しでも早く離れたい。あんな人間とは関わりたくないから。後ろから呼び止める声が聞こえた気がした。おれには必要ない声。おれが聞きたいのは──────
『琉兎くん!』
みつきちゃんの声だけ。みつきちゃんじゃなきゃ、もう……ダメなんだ。
すぐに会えるように近くで待ってたかったのに…あんな邪魔が入るなんて。いっそのこと、高校の時みたいに噂を流そうかな。そう考えたところで、時間がもったいないと思った。他人に自分の噂を流してる時間があるならみつきちゃんといたい。時間は有限だから。全部、みつきちゃんに使いたい。もう一度、スマホを開く。みつきちゃんから送られた"会いたい"。それをじっと見つめる。
「ふふ。……まだかな、みつきちゃん」
スマホから目を離して、視線を空へと移す。キレイな青に、ぽつぽつと浮かんでいる白。少しだけ眩しい太陽に目を瞑ると、みつきちゃんの姿が浮かんできた。ゆっくりと息を吸って吐く。それを何度か繰り返しているうちに、自然と心が凪いでいった。
……うん、もう大丈夫。
そう思って目を開けると
「あ、琉兎くん。おはよう!」
逆さまのみつきちゃんがいた。
「…!─────みつきちゃん。おはよう」
「ねぇねぇ、琉兎くん。隣、座ってもいい?」
「うん。座って座って」
「わーい!ふふっ」
楽しそうに笑いながら、みつきちゃんが隣に腰を下ろした。心配そうに首を傾げて、おれを見つめている。
「琉兎くん眠かったの?」
「ん?…うん。そんな感じ」
「寝不足?」
「ううん。ちゃんと寝てるよ。…ありがとう、心配してくれて」
「…琉兎くんが元気で良かった。ちょっとビックリしたんだよ。琉兎くんが上向いて目を閉じてたから、寝てるのかなって思って起こさないようにしなきゃって思ったんだけど、どこか具合悪かったら…とかも考えて…」
あぁ………みつきちゃんはどこまでまっすぐなんだろう。どこまでも純真で、ずーっと、ずーっと…それをおれに向けていて欲しい。
「おれは元気だよ。ここで、みつきちゃんのこと待ってたんだ。おれも会いたかったから」
「琉兎くん…。じゃあわたしたちおそろいだね!」
「ふふ、そう。おそろい。……みつきちゃん。おれ、すごく嬉しいんだ。みつきちゃんも会いたいって言ってくれたの」
「わたしも嬉しいよ!最近はね、琉兎くん何してるかなーって考えたりしてたから……えへへっ」
はにかみながら目を細めて笑う姿に、脳が焼かれる音がした。もっと刻み込んでおかないと。焼印として。
「……ふふ。うん。おれも考えるよ。みつきちゃんのこと」
「…!同じだね!わたしたち!!とってもうれしいな」
「…………」
みつきちゃんの思う"同じ"はきっと、おれとは違うんだろうけど、いつか同じにしようね。
「みつきちゃん」
そう言いながら彼女の手を取り、小さな掌に小袋を置いた。
「これあげる」
「え…?」
「開けてみて」
「う、うん。…わ、かわいい…!でも、これって…」
「イヤリングだよ。これ見た瞬間、絶対みつきちゃんに似合って思ったんだ。普段なにもつけてないけど…たまにはつけてみない?」
ようやくみつきちゃんにピッタリの物を見つけられて鼓動が高なったのを思い出した。目に入った時はびっくりしたな。みつきちゃんの顔が浮かんできて、他の物よりずっと鮮明だった。なによりこれにはうさぎがいるから。
「……うん。せっかく琉兎くんがくれたから、つけてみる!」
そう言って彼女がイヤリングを手に取ったのを確認したおれは、そっと自分のカバンから小さな鏡を取り出し彼女の前へ持っていった。「ありがとう」と嬉しそうに笑ってくれたみつきちゃんが鏡を見つめながら不慣れな手つきで耳につけていく。
「えっと……こんな感じ…かな……?」
彼女の目には不安が浮かんでいた。そんな彼女にそっと近づき、耳についたばかりのそれに軽く触れる。
「おれが手伝ってあげる。もうちょっと横にずらして。うん、完璧」
そっと体を離し、もう一度の彼女に鏡を向けた。
「わぁ…!琉兎くんありがとう!これ、すっごく可愛いね!私が動くとうさぎさんも動くよ」
彼女の動きに合わせるようにうさぎも揺れる。その動きを見ていると、心の中にある何かが刺激される気配がした。どうしようもなく嬉しいという感情の隣に、別のものがある。それは、痕をつけた時と……よく似ているものだった。その感情を胸の中に秘めたまま
「ふふ、めっちゃ可愛いよみつきちゃん」
いつものように笑いかけると
「えへへっ……ありがとう…!」
照れの混じった笑顔を返された。
今度は……ネックレスでもあげようかな〜。……なんて。今はまだ考えるだけだけど。彼女の笑顔を見ていると、そういう衝動に駆られる。
「みつきちゃんに似合うの見つけたらまたあげるね」
「…でも、それじゃわたしが貰ってばっかりになっちゃうよ…」
「おれがあげたいんだ。…みつきちゃんに貰ってほしい」
「……ありがとう、琉兎くん!じゃあわたしもいいの見つけたら琉兎くんにあげる!」
「ほんと?楽しみにしてるね」
「うん!!あ、そうだ!琉兎くんは何色が好き?他にも動物とかそういうの教えてほしいな」
「おれの?うーん、うさぎ…かな。名前に入ってるし可愛いし」
「わぁ…!そうなんだ!確かにうさぎさんかわいいよね。あっ!じゃあ…このイヤリングは琉兎くんみたいなものだね!」
「…………」
胸の奥にしまったはずの"それ"を彼女はなんでもないことのように口にする。いつもの笑顔、いつもの声色。いつもの、無邪気なみつきちゃん。そのはずのに、一瞬、心の中を見られた気分になった。自分がこの気持ちを言葉にすれば、あまり綺麗なものだとは思えなそうなのに…みつきちゃんが言うと不思議と素敵なものに思えてくる。真っ直ぐで純粋な……"愛"みたい。おれの中にある愛とは少し違くて、真っ白で包まれるみたいな…みつきちゃんそのものって感じ。あったかくて永遠に包まれていたい。そう思えるみつきちゃんの言葉を頭の中で再生しながら、友達の顔をして口を開いた。
「えー、なんか恥ずかしいな〜。おれそんなつもりじゃなかったのに。ただみつきちゃんに似合うなって思っただけだよ。……でも、みつきちゃんが気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「うん…!大切にするね!……琉兎くんは、ピアス?」
「ん?うん。ピアスだよ」
「やっぱりそうだよね。うん。覚えたよ!」
「ふふ。……みつきちゃんが選んでくれたものならおれはなんでも嬉しいよ」
「…そうなの?」
「うん」
「じゃあわたしと同じだね!琉兎くんが選んでくれたものなんでも嬉しいもん!」
「…………」
それならネックレスじゃなくて…指輪でもあげようかな。お揃いの。そう考えながらみつきちゃんのイヤリングに手を伸ばした。軽く取って指先に乗せる。そっと撫でながらみつきちゃんを見つめて微笑んだ。
「似合ってるよ。……とっても」
その言葉を聞いたみつきちゃんが嬉しそうに頷いて笑ってくれた。
あぁ…もう、どうしよう。みつきちゃんのこと──────どんどん好きになっていく。このままいったら、溢れて止まらない。そんな愛でみつきちゃんを包むから。そのまま一生────離してあげない。




