対象内
その日は六月だというのに暑くて、そのくせ梅雨特有のジメジメとした空気が漂っていた。今日、みつきと会えるのは四限が終わった後。そんな、ありとあらゆるイライラが蓄積されている俺の目の前に、そいつは現れた。
今日は友達と食べると言われ、みつきと過ごすことが叶わなかった昼飯。それを済ませて、適当にフラフラと歩いていた時のことだった。
「ちょっといい?」
目の前に突然、知らない女が現れた。
「なに」
自分でもあまり聞かない低い声が出る。そしてそれは
「女に興味がないってほんと?」
くだらない質問によって更に低くなった。
「……そうだけど」
「なら……この女はなんなの?」
そう言って見せられたのは俺と一緒にいるみつきの写真だった。
は?盗撮かよ。そう心の中で舌打ちをして、女から視線を外した。早くどっか行ってほしい。どいてほしい。そんな気持ちを込めながら『ただの友達』だと答えた。
「本当にただの友達なの?あなたがこの女以外といるところなんて見たことないんだけど。あの噂…嘘なんでしょ?」
どこか探るように言われた言葉。それは俺が最も嫌うものだった。あぁ、こいつは…人間じゃない。
「だったらなに。噂が嘘だったら自分にチャンスがあると思ってんの?」
外した視線を女に戻した。その瞬間、驚いたように固まって、女の顔が引きつったものに変わっていく。それでもまだ自分にもとでも思っているのか口が開かれた。
「……っ。だ、だって!この女とは喋るのにどうして─────」
「違うから。お前みたいに勝手に写真撮らないし、こんなくだらないこともしない。この女とかも言わないし。───黙ってろ。対象外」
「っ!!」
「写真、消して。今すぐ」
体の芯が冷えていくような、そんな感覚になりながら、俺の手は目の前の女のスマホに伸びていた。奪って消すわけじゃない。ただ、その板を強く握ってさっさと消してもらう。そうすれば、もう二度とこんなことしないだろうから。別に壊したっていいし。
「……!っ、分かったわ。……ほら!これでいいでしょ…」
女は震えながらも写真を消し、その証拠を俺に見せた。それを確認した俺は、どんな馬鹿でも伝わるくらい明確な殺意を持って女を見下ろした。女の肩がビクッと跳ねる。足がすくんで動けないのか、震えたままのそいつに強めの釘を刺そうとした。
「…次、撮ったら─────」
「…っ!も…もう、と…撮らない、からっ……ごめ、ごめん…なさい……」
後退りながら、震えた声で謝る姿に、反省してはいるのだと分かった。だからその先の言葉は言わずに
「二度と現れるな。俺の前にも……みつきの前にも」
念には念を入れた釘だけ刺して、その場を後にした。
女も男も対象外。対象内はこの世にただ一人。みつきだけだ。
……この女、か。前にも似たようなこと言われたっけ。みつきと話すようになってから少ししたくらいのときに。違うんだよ、みつきは。そんな事言わないし、思ったことすらない。最初から違った。みつきは、みつきだけは─────今も、ずっと違うんだ。
中学生になってすぐ、告白をされた。断っても断っても告白されて、適当に好きな人がいると言っても効果はなく、どうしようかと考えた末。
「俺、女に興味無いんだよね」
そう嘘をついた。
入学して三日。俺の嘘はすぐに広まり、最高の言葉を発見した俺は、告白地獄から解放され、あの甲高くてウザイ悲鳴も耳に入ってこなくなった。誰も近寄ってこないのもいい。
そんなある日。よく使っているシャーペンがなくなっていることに気がついた。どこかで落としたのか、今日の移動教室で忘れてきたのか。どっちにしても探しに行くのは面倒だ。……無くなったペン。そこでふと、小学生の時の記憶が蘇った。いつの間にか無くなっていた鉛筆。どこかに落としたのだと思っていたある日。友達から、俺がクラスの子に鉛筆をあげたという身に覚えのない話をされた。その子のことが好きなのかとからかわれ、その子は俺から貰ったと他の子に自慢げに話していた。何故か満足そうなその子の姿に深い嫌悪を抱いたのを覚えている。それからだ。人と関わることを避けはじめたのは。それでも告白をしてくる人間がいることが不思議で仕方ない。ろくに話したこともない人間のどこを好きになるのだろう。上辺だけを見てなんの意味があるのか。あの時も今みたいな発明をしていれば、押し付けがましい好意に鬱陶しさを感じることもなかったんだろうな。……こんなくだらないことさっさと忘れよう。どこかへ消えたペンのことと共に。
カバンを持って教室の入口へと向かおうとしたその時。俺の前に一人の女の子がやってきた。
「…あのっ…葉之崎くん」
「ん?」
どこか落ち着かない様子のその子を見て、また告白かと思ったその時、小さな手が近くにやってきた。
「これ…葉之崎くんの、だよね?」
その掌には、俺が無くしたと思っていたシャーペンが乗っかっている。
「あぁ…うん。…なんで、俺のだって…」
「あのね、キレイなデザインのペンだなって思ったことがあって、覚えてたの。…あの、渡すの遅くなっちゃってごめんね。タイミングが分からなくて……」
一瞬、くだらなくも不快な記憶が再び過ぎった。けれど、その時の俺の目には、ペンなんかよりもずっと…彼女のほうがキレイに映った。この子は多分ああいうのじゃない。あんな連中とは違うと、俺の勘がそう言っている。
「…名前、なんだっけ」
「えっ?」
「自己紹介のときぼーっとしてたからほとんど覚えてなくて」
わざわざ渡しに来てくれたんだ。名前くらいちゃんと覚えたい。
「私は詩葉みつきだよ。葉之崎 優人くん、だよね」
みつき……綺麗な名前……。
「俺の名前覚えてるんだ」
「うん!覚えてるよ。優しい人って書くんだよね」
「そう」
俺には似合わない名前。自覚はある。優しさからは遠い人間だという。
「それから…名字に葉っぱの葉の字があるでしょ?わたしもなんだよ。詩に葉っぱで詩葉なの。葉之崎くんとわたし同じだね!」
あまりにも無邪気に言われた言葉に呆気にとられてしまう。
「………詩葉さんっていつもそうなの」
「え?」
「いや、なんでもない。……ありがとう。……詩葉さん」
「どういたしまして……!」
その時の笑顔が、どうしてだか頭から離れなかった。家に帰っても思い出せる自分に戸惑いが浮かんだ。けれど不思議と嫌な感じはしない。それはきっと、あの子が俺と普通に接していたから。特別視もせず、身勝手な感情を押しつけることもなく、ただのクラスメイトとして話してくれた。それが、心地良かった。
次の日から、彼女は俺に挨拶をしてくれるようになった。
「おはよう!葉之崎くん」
もしかしたら今までもしていて、俺が無視してたのかもしれないけど。そんなことはどうだっていい。周りの目も気にせず俺に話しかけてくる彼女に、鬱陶しいなんて感情が出てくることはなく
「……おはよ」
俺も彼女には挨拶をした。それから、少しづつ話すようになって、詩葉さんといる時間は徐々に増えていった。そんなある日。
「あのね、葉之崎くん。私と…お友達になってください!」
少し緊張した様子で、まっすぐに俺を見つめる詩葉さん。友達、という言葉を俺はあまり好きなではなかった。深く関わったところでろくな事にならないから。けれど、この子なら……みつきとなら。そう思えた。休み時間の何気ない会話も、一緒に昼ごはんを食べるのも。全部が楽しかったから。
「いいよ」
「……!よかったぁ…ありがとう!葉之崎くん!」
「……うん」
嬉しそうに笑うその顔は、初めて会話した時のものとよく似ていた。けれど、あの時よりも輝いて見えて、いつの間にか鼓動が早くなっていた。
「みつきって呼んでいい?」
「うん!もちろんだよ!」
「じゃあみつきも俺のこと名前で呼んで」
「いいの?じゃあ……」
考えているのかみつきの視線が上に向いた。なんて呼ばれるのかを考えて、妙にそわそわして落ち着かない自分がいる。こんなの初めてだ。みつきと友達になるということが自分にとって大きなものなのだと自覚した。
「ゆうちゃん!」
「……ゆうちゃん…?」
「うん!ゆうちゃんがいい!」
てっきり下の名前で呼ばれるのかと思っていたから、予想外すぎる呼び方に一瞬固まった。その呼び方に、なにか意味があるのかと思って、勝手にひとりであれこれ考えて、結局分からなくてみつきに聞くと
「なんでゆうちゃんなの?」
「え?えっと、なんとなく…ゆうちゃんって呼びたいなって。はっ…!……えっと…優人くんって呼んだほうがいいよね……?」
「…いいよ。ゆうちゃんで」
「ほんと!?ありがとう、ゆうちゃん!」
意味なんて無くて。ただ呼びたいからだと言われた。風船から空気が抜けるように、全部が軽くなって、心の中で笑ってしまった。なんで、俺こんなことなのにあれこれ考えたんだろう。みつきはいつだって素直だ。計算も何も無く、ただただ純真で、弾けるような笑顔を見せる。それだけじゃない。何気ない言葉には、特別な好意も変な気遣いもない。遠巻きにしてひそひそすることもなく、ただの友達として俺と過ごしてくれる。……だから、みつきは違うんだ。みつきだけが俺を一人の人間として見てくれる。
葉之崎優人を……みつきだけが────────。
過去という思考の海に沈んでいた俺を
「ゆうちゃんお待たせ〜」
底抜けに明るい声が呼び戻してくれた。笑顔で駆け寄ってくるその姿に、胸の中にあった棘が収まっていく。
「みつき」
「ゆうちゃん、なにかあった?」
俺のことをじっと見つめたみつきが、首を傾げた。顔に出てたのかと思って、みつきの心を曇らせないようになんでもない顔をして、少し口角を上げた。本当に何も無い。みつきを見た瞬間にどっかいったから。けれどその顔は
「別に。……それ、なに」
みつきの耳についた物に気づいた瞬間、どこかへ行った。みつきはピアスなんか開けてないしイヤリングだってつけないのに。初めて見たその姿に、心がざわついていく。自分で買ったのか、それとも─────。
「え?…あ、これね、琉兎くんに貰ったんだ〜。イヤリングって試しにつけてみたら意外と痛くないんだよ。それに、琉兎くんがくれたこれ可愛いし気に入ってるの」
「……ふーん」
ざわついた心が、さらに荒れていく。よりにもよってアイツからのとか最悪。
みつきについたイヤリングのうさぎに軽く触れ、無意識でそのまま強く握ろうとした。けれど
「…やっぱり、変かな…?」
少し恥ずかしそうにモジモジしながらイヤリングに触れるみつきを見て、そっと手を離す。
「ううん。いいと思う」
……みつきの物、壊すとこだった。誰が送ったものだってみつきにとっては大切なもののはず。壊したら…そのままきっと、全部壊れる。
「……えへへっ、ゆうちゃんがそう言うとそんな気がしてくるから不思議だね」
はにかみながら笑うみつきを見てあのまま力を込めなくてよかったと思った。
「イヤリング、つけるの。これから」
「うん!そうしようかなって思ってるよ」
「付き合おうか。買い物」
「え!いいの?ゆうちゃんがいてくれたら百人力だね!」
「……かもね」
「うん!」
笑ったらみつきの顔と一緒にイヤリングも光る。それがみつきの笑顔をさらに輝かせていた。今度は俺ので輝かせる。そう思いながらみつきの頭に手を伸ばした。少しでも、みつきのなにかに触れていたくて。それだけで俺の心は綻ぶから。どんなに締めつけられて苦しくても、みつきが隣にいれば、俺は───────。
その先に浮かんできたものに自分でも驚いた。みつきへの気持ちが日に日に増えている。そして、俺自身の欲望も増えていた。俺の隣にみつきがいる未来。笑って、楽しそうにしているみつき。それが前よりも鮮明に見えている。そしてその未来をこの手で掴むとみつきを見つめながら強く思った。みつきは俺を見上げて楽しそうに笑っている。「いつ買い物に行く?」と言いながら。




