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第十二話 夢のような幸せ


 私の体が、ふわりと、月光の中に溶けるかのように揺らいだ。アシェン様は反射的に腕を伸ばし、私の体を支えてくれた。


「何を言っている。忘れるなど、できるはずがない」


 アシェン様の声には、かつてないほどの感情がこもっている。彼の瞳は、私の蒼白な顔色と、今にも消え入りそうな瞳を真っ直ぐに見つめる。


 そして、アシェン様は懐から何かを取り出した。

 それは、きらりと月光を反射する、美しい指輪。月光のような透明感を持つ、小さな宝石が一つ嵌め込まれている。


「これを、君に」


 アシェン様は、その指輪を取り出して私に見せた。


「これは……?」

「私の母の形見だ。私が、心から信じ、共に歩みたいと願う者に贈るよう、言われていた」


 アシェン様の言葉は、重く、そして真剣だった。私は、彼の真摯な眼差しに、ただ呆然とするしかなかった。


「夢……みたい……」


 私の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちた。それは、悲しみの涙ではない。喜びと、信じられないほどの幸福感に満ちた涙だ。


 アシェン様は、そっと私の手を取って、私の震える指にその指輪をはめた。宝石が私の細い指で、まばゆい光を放つ。


 私はその指輪がはまった自分の手を、ゆっくりと月にかざした。月光を吸い込んだ宝石は、まるで小さな月そのものであるかのように、幻想的に輝いている。


「ああ……」


 私は、その輝きを見つめながら、儚く微笑んだ。

 その笑顔は、幸福と、全てを悟ったような諦めが入り混じった、複雑なものだった。



 ◇ ◇


 

 アシェンは、ルーナの表情から目が離せなかった。彼女のその笑顔は、彼の心を締め付ける。何か、言葉にならない不安が、彼の胸に募っていった。


「ルーナ……?」


 アシェンが問いかける声は、かつてないほど、優しさに満ちていた。しかし、ルーナは、もうアシェンの声が聞こえていないかのようだった。彼女の視線はぼんやりと、指にはまった指輪と、月との間をさまよっている。


 彼女の頬を伝う涙は、月の光を受けてきらめいている。その表情は、あまりにも美しく、そして、同時にあまりにも脆かった。


「ルーナ……」


 アシェンは、たまらずルーナを強く抱き締めた。彼女の細い体から伝わる温もりが、彼の胸にじんわりと広がる。この腕の中に、永遠に彼女を閉じ込めておきたい。そう、強く願った。


 そして、アシェンは、ルーナの唇にそっと口づけをしようと、ゆっくりと顔を近づける。彼の心は、初めて感じる甘く切ない感情で満たされていた。


 しかし、その唇が触れる寸前。アシェンの腕の中のルーナの体が、突然、ずるりと滑り落ちた。


「大丈夫か!?」


 アシェンは慌てて彼女を抱き締め直す。しかし彼女の体には、もはや一切の力が込められていなかった。先ほどまで感じていた微かな温もりも、急速に失われていく。まるで、柔らかな人形を抱いているかのようだ。


 アシェンは、ルーナの顔を覗き込む。彼女の瞳は、固く閉じられている。呼吸は、か細く、ほとんど聞こえない。


(意識を、失っている……?)


 アシェンの頭に、嫌な予感がよぎる。あの蒼白な顔色。風に吹けば消えてしまいそうな、儚げな姿。そして今、彼の腕の中で、急速に冷たくなっていく彼女の体。


「ルーナ、目を開けろ、ルーナ!」


 アシェンは、彼女の体を揺さぶった。しかし、ルーナは、どんなに呼びかけても、目を覚まさない。彼女の顔は、月の光を受けて、まるで人形のように真っ白だった。


 アシェンの胸に、氷のような恐怖が押し寄せてくる。彼は、ルーナの体を抱きかかえたまま、バルコニーに膝をついた。


 遠くで、夜会の音楽が、楽しげに聞こえてくる。しかし、アシェンの耳には、その音は届かなかった。彼の世界は急速に静まり返り、目の前のルーナだけしか見えていなかった。

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