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第十話 星降りの夜会


 私はベッドの上で、ぼんやりと天井を見上げていた。体は重く、指一本動かすのも億劫だ。

 その時、部屋の扉がノックされ、侍女が小さな封筒を手に現れる。


「ルーナ様、お手紙でございます」


 私は差し出された手紙を見て、かすかに眉をひそめた。差出人の名前は、記されていない。しかし、その厳格な筆跡には見覚えがあった。


 アシェン様……?


 震える手で封筒を開け、中から一枚の便箋を取り出す。そこには、簡潔な言葉で綴られた文章があった。

 

『ルーナ。昨日は、突然の無礼を詫びる。そして、一つ伝えておきたいことがある。先日、訓練場で共にいた女性は、私の婚約者ではない。隣国の親戚であり、王城を案内していただけだ。不確実な噂のせいで誤解を与えたのなら、申し訳ない』


 私はその手紙を何度も読み返した。婚約者ではない。ただの親戚。

 アシェン様が、わざわざこんな手紙を届けてくれるなんて。なんて律儀な人なのだろう。


 彼の不器用なまでの律儀さに、私は思わず笑みを浮かべた。誤解を解こうと、わざわざ手紙を書く彼の姿を想像すると、胸の奥が温かくなる。


「……アシェン様」


 小さく呟いたその声は、震えていた。喜びと、そして、もうすぐ彼に会えなくなるという悲しみが、同時に押し寄せてくる。

 手紙を胸に抱きしめたまま、私はエリオットを見上げた。


「先生……私、お願いがあります」


 エリオットは私の真剣な眼差しに、静かに頷いた。


「何でしょう」

「来週、王城で『星降りの夜会』がありますよね?」


 星降りの夜会。それは、年に一度王城で開かれる盛大な舞踏会だ。貴族たちが集い、夜空に輝く星々を眺めながら、音楽と舞踏を楽しむ。私はそういった場を好まないので、今まで参加しようとは思ってこなかった。


 彼は私の言葉に、わずかに眉をひそめた。


「ええ、そうですが……ルーナ様、それは……」

「お願いです、先生。私、その夜会に、行きたいんです」


 切なる願いを込めて、エリオットを見つめた。私の体は、もうほとんど限界に近い。次の満月は、もうすぐそこだ。


 最後にもう一度、アシェン様に会いたい。それが、私の最後の願いだった。



 

 私は今、精一杯のオシャレをしている。

 淡いブルーのドレスを身につけて、髪にはささやかな花の飾りをつけ、顔色を隠すように薄化粧を施している。それでも、鏡に映る自分の顔は、青白く、目の下には消しきれない隈が浮かんでいた。全身が痛み、意識を保つのもやっとな状態だけど、この程度我慢できる。


「ルーナ様。決してご無理はなさらないでください」

「大丈夫です、先生。それにきっと、これが最後ですから」


 私は、微笑んだ。




 星降りの夜会は、文字通り夜空に星が降り注ぐような、幻想的な空間だった。王城の大広間は、煌びやかな装飾と、無数の魔力を持つランタンの光で満たされている。貴族たちが華やかな衣装を身につけ、グラスを傾けながら談笑し、優雅な音楽に合わせて舞踏を踊っている。


 私はエリオットに支えられながら、ゆっくりと広間に入った。その華やかさに、一瞬、目眩がした。


 けれど、私は人混みを縫うようにして、ただ一人の人物を探す。

 そして、見つけた。


 広間の中心近くで、アシェン様は多くの貴族に囲まれていた。漆黒の礼服を身につけた彼の姿は、星明かりの下で、いつも以上に神々しく見える。


 ああ、今日も、アシェン様はかっこいい……。


 私の心に、温かい感情が広がる。彼の姿を見ることができただけで、ここに来た甲斐があった。


 私は、震える足に鞭打ち、アシェン様のいる方へと一歩ずつ進んだ。その道のりは、果てしなく遠く感じられた。


 アシェン様は貴族たちとの会話の合間に、ふと視線を感じたのか私の方を向いた。そして、人混みの中に立つ私の姿を見つけたのか、彼の表情に、一瞬だけ驚きが浮かんだ。今までこのような場に参加したことのない私が夜会に来ていることが、珍しいことだからだろう。


 私は彼の前まで歩いていくと、精一杯の笑顔をアシェン様に向ける。そして、これまでの全てを込めるように、彼の耳に届くように、力の限りの声で告げた。


「アシェン様……今日も、世界で一番、かっこいいです!」


 その言葉を聞いた瞬間、アシェン様の表情が、それまで私が見たことのないほど、大きく揺らいだ。


 そして、彼はゆっくりと、私の方へ歩み寄る。周りの貴族たちは私たちに気が付いて、気を利かせて遠ざかってくれた。

 アシェン様は目の前で立ち止まり、私の頬に、そっと手を伸ばした。彼の指先が、私の頬に触れる。


「……ルーナ、君も……美しい」


 その言葉は、まるで夜空の星が、私の心に降り注いだかのようだった。


 アシェン様が、私を美しい、と。これまでの冷徹な彼からは想像もできない、心からの言葉。私の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちた。


 ああ、私、これ以上何もいらない……。


 その瞬間、私の心は、何よりも満たされていた。

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