最後の夜
会議が終わり明日の出撃が決まると、貴也は部屋を出て空を眺めていた。
夜の闇よりなお暗い黒雲が、東の空から広がっている。
「あれもアラニスの影響かもしれん」
いつのまにか隣に立っていた老婆が貴也に語りかける。
その後ろにはノゥがぴったりと張り付いていて、老婆の裾をギュッと握っていた。
「ふぇっふぇ。
大人になったと思ったが、まだまだ甘えん坊さんじゃのぅ」
言いながらノゥの頭を老婆が撫でると、ノゥはくすぐったそうに首をすぼめた。
旅をしている時よりもずっと幼く見えるノゥに、やはり無理をさせていたんだなと貴也は思う。
「すまんかったのぅ。
ノゥを押し付けるようなことをして」
すぐに異変に気付き、人知れず調査をしていた老婆に文句などあるはずもなく、貴也は黙って首を振る。
それにノゥには、旅のなかで数え切れないほど助けても貰っているのだから。
心を読んだのか、ノゥがしたり顔で貴也に笑いかけた。
「じゃが、おかげでノゥは色々なことを学び成長したようじゃ。
……すこーし太ったような気がせんでもないが」
ビクリとノゥが震えた。
言われても気付かないほどだが、あれだけお菓子を食べていれば、いくら成長期といえど太ったとしても不思議ではない。
今後お菓子を食べられなくなるのではと怯えるノゥを、貴也は微笑ましく眺める。
「――小僧にとって、大切な娘なのじゃろ?」
突然の言葉は、ノゥのことではなくルーインを指したものだと理解し、思わず拳に力が入る。
「ワシがついていながらむざむざと……」
それは老婆も同じようで、めずらしく後悔を滲ませ神妙な面持ちになっていた。
だがあの化け物相手ならば仕方ないと思う。思わざるを得ない。
巨大で、禍々しく、全てを破壊せんと蠢く異形を思い出し、明日あれと戦うのかと貴也の足はおのずと震える。
しかしやらなければならない。
ルーインを助けるために。世界を守るた――。
「世界を守らなければなどと考えておるんじゃろ?」
いつもの笑い声で『変わらんのぅ』と老婆は笑い、貴也の思考を先読みして遮った。
「やめとけやめとけ。
そんな気持ちじゃ命を落とすぞ」
『人は自分の届く範囲、伸ばしたい手だけ伸ばしておればえぇ』
いつかの老婆の言葉が思い出される。
世界を背負うなどと考えるな、守りたいものだけ守りきれと。
「でもさ、ばあちゃん。
守りたいもの。いっぱい出来ちまったんだよ」
あの時とは違うと貴也は言う。
この世界で旅をし、色々なものをみて、色々なことを知り、様々な人に出会った。
ここはもう異世界ではなく、貴也にとっても守るべき世界になってしまっていたのだ。
『そうか』と老婆は嬉しそうな悲しそうな複雑な表情で、そうして貴也に小瓶を一つ渡した。
「ワシのお手製ポーションじゃ。
ほとんど使ってしまってそれが最後じゃが、安心せい。
それは『当たり』じゃから」
「そりゃ助かる。
戦闘中に不味さで死んだなんて笑い話にもならないから」
ふぇっふぇと魔女は笑い、寒くなってきたとノゥを連れて室内へと戻っていく。
最後に『死ぬなよ』と言い残して。
その背中に、貴也は小さく答える。
「あぁ、やってみるさ。
死なないギリギリのところまでは、な」
老婆との会話を終えた貴也は、コポ村の中を散策していた。
決戦は明日と決まったが、それでも今すぐ駆け出したい気持ちが抑えきれず、少しでも発散させるためである。
時折村人から声をかけられ、そのたびに挨拶を返すだけでも多少は気がまぎれた。
すると村の中心辺りに人だかりを発見し、なにかあったのかと貴也はつま先立ちになり覗き見る。
「え、えぇ、ありがとう」
エンカだった。
エンカの周りを人々が取り囲み、今更ながらにコポ村が襲われた時のことを感謝されているようである。
嬉しさと気恥ずかしさでしどろもどろになっていたエンカと目が合う。
「あ、ごめんなさい。
私はこれから用事があるから」
貴也を見つけたエンカは、これ幸いと貴也の手をとり人混みから逃げ出すことにした。
急に手を引かれ、人気のないところまで来てようやくエンカは落ち着きを取り戻す。
「あぁいうのは慣れないわ」
と、しかし嬉しそうに手の中にある花やお菓子を見つめるエンカ。
村人から感謝の印として受け取ったのであろうそれが、なによりの勲章だと誇るようでもあった。
「それだけあの時のエンカの戦いぶりは、みんなの心の支えになったんだろ。
そのうち銅像でも立つんじゃないか?」
ここぞとばかりにエンカを茶化す。
だが同時に、貴也の本心でもあった。
圧倒的な数の魔物を前に、一歩も怯まず戦い続けたエンカ。もし自分がその立場だったら、同じことが出来ただろうかと。
そう考えれば、彼女の折れない強さに尊敬と憧れを抱かずにはいられない。
しかし、そのエンカでさえも今は怖いと漏らした。
「姉を相手にした時も、竜を相手にした時も、ここまでの恐ろしさは感じなかったわ。
でも今は、あれの前に立つ自分を想像すら出来ない」
隣に立つエンカがかつて無いほどか弱く見え、俺も同じだと貴也は告げる。
いつだって貴也は、自分よりも強いものを相手にしてきた。
最弱の勇者。その自覚を否が応にもさせられてきたのだ。
そんな貴也でも、あの化け物は恐ろしい。
負の感情の塊だからそう思うのか、見ただけで魂までも凍るような恐怖を感じる。
怒りと焦燥に任せて戦いを挑んでいればどれだけ楽だったか。一度冷静になってしまった今では、戦うという覚悟をもつだけで心が磨り減っていくようである。
「だけど、俺は戦う」
コポ村の外れ。人気のない丘に吹き抜ける風とともに、貴也は覚悟を口にした。
風に煽られた髪をかきあげ、エンカは問う。
「それは世界のため?
それともルーインのため?」
どっちもだと言おうとして、振り向いたエンカと視線がぶつかる。
その瞳から貴也は感情を読み取れない。だが、その問いの意味は分かった。
「――ルーインを救うためだ」
捕らわれたのが私でも同じ答えをしてくれる?
そんな馬鹿なことを口走りそうになり、エンカは慌てて目を逸した。
きっと貴也の答えは変わらない。『エンカを救うためだ』と言ってくれるだろう。
でも自分は救いを待つお姫様ではなく、並び立つ者としてここに居たいと思ったのだ。
「必ず救い出すわよ」
だからエンカはそう応じる。
今はそれでいい。死ぬかもしれない戦いを前に、貴也の心も自分の心も乱す必要などないと。
そうして貴也に背を向けたが、なぜかそれが悔しくて、茶目っ気たっぷりに振り返って言った。
「女性の胸で違う女性の名前を叫ぶのはやめなさい。
嫌われるわよ?」
あっと言葉を失う貴也を笑い、次の瞬間にはエンカ・クォルツに戻って歩き出す。
その後姿を、貴也はいつまでも見送っていた。
サハテオは部屋で剣を磨いていた。
かつてない強敵であり、かつて憧れた男の成れの果てとの決戦に備えて。
それを気だるそうにふわふわと浮きながら、リュシアナが見つめていた。
「本気で勝てると思ってるわけ?」
今や化け物となってしまったが、あれは間違いなくアラニスの魂。
共に旅をしてその強さを見てきたリュシアナには、それが不可能としか思えないのだ。
「さってねぇ。
あんまし自信はねぇかなぁ」
鼻歌でも歌うかのように、軽妙にサハテオは言ってのける。
勝てないことがそのまま自分の死であり、世界の終わりなのだとしても。
「敵討ち?」
リュシアナの言葉にサハテオが動きを止める。
アラニスは確かに言っていた。シャーニーを殺したのは自分だと。
許せない。許せるはずがない。
だが、サハテオが戦う覚悟を決めたのはそこではなかった。
「お前は気付いてたか?
アイツが負の魂に汚染されつつあったなんてこと」
「……」
リュシアナでさえ気付いてはいなかった。気付く隙すらなかったのだ。
勇者だった時のアラニスはそれほどまでに完璧で、完成されていたようにリュシアナには見えていた。
だからこそ、初めて吸う精がそんな人間ならば、自分もそうなれるのではないかと夢見ていたのだが。
剣を鞘に収め、鋭い顔つきでサハテオが言う。
「これは俺らの戦いでもある。
ずっと側にいながら、なんにも気付いてやれなかったその責任を取らなきゃよ」
お前はどうするんだとサハテオの目がリュシアナに問いかける。
ぷいっと顔を逸らして
「アンタのそういう熱っ苦しいとこ、大っ嫌い」
とリュシアナは窓から飛んでいった。
それを見ながら『素直じゃねぇなぁ』とぼやき、だが嬉しそうにサハテオは頬を緩める。
窓からは月すら見えぬほど黒雲に覆われた空。
ギュッと柄を握ると、いつもより冷たい感触が返ってきた気がした。




