姉
貴也達がルディヒアの領主、ゴッゾの館の前まで来た時それは起こった。
突然の爆発音と共に、館の一部が爆ぜたのだ。
「まさかもう竜がッ!?」
即座に身構え辺りを見渡す一行。
だが、どこにもその巨体を視認することは出来ず、かつ爆発音は断続的に聞こえてくる。
ここに至り、その異変は外からではなく中から。ゴッゾの館の内部で起きているものだと貴也は確信した。
「――あれを!」
一際大きな崩壊音を伴って館の正面扉が吹き飛ぶと、破壊で生じた煙の中を人影が悠々と歩み出でてくる。
その姿を認めルーインが声を上げたのだが、同時に走り出した人物がいた。
エンカだ。
「姉さんッ!!」
異様な状況ではあるが、それでも探し続けた姉に相違ないと、エンカは一も二もなく走り寄りそのまま抱きつく。
「姉さんッ!! 無事だったのねッ!!」
信じていはいた。あの姉ならば必ず無事であると。
だが足取りが掴めぬ日々が続き、出会う勇傑の7人達の近況を知れば知るほど、その心は不安に苛まれていった。
その苦悩が今報われた。やはり無事だった。竜殺の拳レスタシア・クォルツは誇るべき私の姉なのだと。
久方ぶりの姉の温もりを全身で感じ取り、涙で濡れた頬をようやく離してエンカは異変に気付いた。
目つきがおかしい。私を見ていない。
肩を掴み揺さぶりつつ全身を観察する。
薄汚れた破れかけの布を羽織り、両手首両足首には痛ましい痣と出血。
腕は斑点状に紫色の注射痕。
ボサボサで艶を失った髪と、痩せ細った体は以前とは別人に見えるほどだ。
急に不安に駆られ、恐る恐るその名を呼ぶ。
「レ、レスタシア姉さん……?」
直後、エンカは自分の脇腹が吹き飛んだと思った。
唐突にそれほどの衝撃を感じ、遅れて激痛がやってくる。
「がはッ――ッ!!」
堪えきれず口から血が溢れ出す。
そこでようやく自分が殴られたのだと気付いた。
その衝撃は殴られたなどという生易しいものではなかったが。
「エンカさんッ!」
少し後ろで成り行きを見守っているつもりだったルーインが、すぐさま駆けつけて治癒魔法を施す。
なにが起きたのか分からない一行は、それでも動けずにいた。
エンカが姉と呼び、抱きつき、そして今その姉に攻撃されて地に膝をついている。
「お、おい? レスタシア?」
姉妹の感動の再会にしてはあまりにも度が過ぎたスキンシップだろうと、サハテオが進み出た。
しかしその頬を爆風を伴った蹴りが掠める。
「ばっ! なにす――」
そこでようやくサハテオもレスタシアの異常に気付いた。
明らかに正気を失っている。
回復を終えたエンカが再び声をかけようとレスタシアに近づきかけるが、サハテオはそれを制した。
「なにを!?」
後ろから羽交い絞めにして、無理やりレスタシアからエンカを引き離すサハテオ。手伝ってくれという彼にただごとではない雰囲気を感じて、貴也もエンカの前に回りこんで押し離す。
「貴也まで私の邪魔をするの!?」
「落ち着けッ!!」
暴れだしそうなエンカを、サハテオが一喝した。
顔には焦りが浮かんでいる。
レスタシアの様子を注意深く観察しながら、その姿に見覚えがあるとサハテオは言う。
「竜だ。
あの竜に反応してやがるんだ」
それはエンカも知らない情報だった。
竜殺の拳と称えられた裏に、そんな事情があったとは。
共に旅をしていたサハテオでさえ当初は知らなかったが、あるとき竜に遭遇し、これに近い状態になったレスタシアを見たことがあった。
そして本人から話を聞いていたのだ。
ただ、その時はここまで我を忘れるということはなく、単純に竜への殺意が溢れすぎて自分を抑えるのが大変だという話だったと記憶している。
「殺す殺す殺す殺す殺す……」
呪詛を撒き散らしながら幽鬼のように歩むレスタシア。
その腕に注射痕を見止め、サハテオは『くそったれがッ』と右の拳で左の掌を打ちつけた。
「ありゃ奴隷を洗脳するための薬を打たれた痕だ!
誰かがレスタシアを捕らえて洗脳しようとしやがった!!」
誰か。
レスタシアがどこから現れたのかを考えれば一目瞭然である。
崩壊した館の正面玄関には、追いすがるように怯え膝をついているゴッゾが居た。
それを見止め、殺意を向けて走り出しかけるエンカ。
だが今は怒りに任せてゴッゾを締め上げる時ではないと、貴也はエンカの腕を掴む。
「お姉さんをどうにかしないと」
「でもどうしたらッ!!」
珍しく冷静さを失い、脇目も振らずにエンカが泣き叫ぶ。
なんとかしなければならない。
レスタシアが竜の気配に引き寄せられているのなら、そう遠からず竜と対峙するだろう。
だが竜殺の拳といえど万全とは程遠く、理性すら失っているあの状態では結果は火を見るよりも明らかだ。
「止めよう。力ずくでも」
それはすなわち姉と戦うということ。
幼い頃から幾度となく手合わせをしてきたからこそ、レスタシアの強さを身に染みて知っているエンカ。
その恐ろしさに怖気づく以上に、姉を傷つける行為に戸惑い足を踏み出せない。
「大丈夫だ。
一緒に助けよう、エンカ」
言ってエンカの手を強く握る貴也。
震える手が、温もりと力強さと優しさに包まれる。
それを感じ取って、エンカは一度ギュッと目を瞑ってから。
「――そうだったわね。
何もせず後悔するのは私らしくないわ!」
再び開いたその瞳には、もう迷いはなかった。
「じゃあオレはあっち」
横目でゴッゾを睨みつけながらサハテオが言う。
ヒッと唾を飲み込む声が遠くで聞こえた。
「お仕置きついでに貰ってくるさ。
鎮静剤、中和剤、解毒薬、どれか分かんねぇけど持ってない筈ないだろうからよ」
言うが早いか、すでにサハテオの姿は館の入り口にまで飛んでいた。
『頼んだ』と背中に声をあずけ、貴也とエンカは走り出す。
いつの間にか遠く霞んだレスタシアの背中を追いかけて。
貴也とエンカが竜殺の拳に追いつきその行く手に立ちはだかったのは、ルディヒアの街を出る直前であった。
後ろからルーインとノゥも追いつきつつあるのが見える。
「貴也さんッ! あまり時間がありませんッ!」
ルーインが大声で伝える。
貴也自身もそろそろだと感じていたことなので驚きはなかったが、焦りは隠せない。
それまでに止められるだろうか、レスタシアをと。
「いざとなったら私一人でも止めてみせるわよ」
隣に立ったエンカが気丈さを見せる。
良かった。もういつものエンカだと、貴也は笑顔で応えた。
「殺す殺す殺す殺す……」
立ちはだかる二人を障害物だとすら見なさず、なおも進もうとするレスタシア。
その横っ腹にエンカが一切躊躇のない蹴りを見舞った。
「はぁッ!!」
防御すら取らず横殴りになるも、だが数歩よろめいただけでレスタシアは持ちこたえる。
「邪魔だ」
そしてギロリと睨みつけ、地を蹴って突きを繰り出す。
風を巻き込み飛んでくる右拳を、防ぐではなく去なすように左へ回りこみ、流れるようにエンカは膝蹴りで腹を狙う。
当たったと思った瞬間。腹を突き刺す膝よりも更に早くレスタシアの体は宙に浮き上がり、空中で前転すると同時に右足をエンカの頭上へと振り下ろした。
たまらず両の腕を交差させて防ぐが、その凄まじい圧でエンカの足元が大地にめり込む。
一瞬の攻防の果てに一度距離を取り、エンカは場違いなほど柔らかに笑った。
「やっとこっちを見てくれたわね、姉さん」
と。
一方貴也は手を出せない。
唯一の武器である剣では、下手をしたら命まで奪ってしまうので使うことが出来ないからだ。
『多少なら大丈夫よ。姉の強さは化物じみているし、ちょっとくらいの怪我ならあとでルーインに治してもらうわ』
走り追いかけている時にエンカはそのように言っていたが、人間に、ましてエンカの姉に剣を向けるなど到底出来なかった。
だがこのままでは何の役にもたてない。
どうしたら良いかと悩む貴也の前で、すでにエンカとレスタシアの戦いは再開していた。
「せいッ!」
しっかりと大地を踏み込みエンカの足刀がレスタシアの喉を狙う。
それを下から払い上げ、バランスを崩したエンカを正拳突きが襲う。
「危ないッ」
間一髪で割り込み盾でそれを防いだ貴也だが、その拳圧に後ろのエンカ共々吹き飛ばされてしまった。
「――姉ちゃん怖すぎないか?」
思わずそんな感想が貴也から漏れる。
あんな姉と姉妹喧嘩しようものなら、命がいくつあっても足りない。
さぞバイオレンスな家庭だったのだろうと。
ふふっと笑い、立ち上がったエンカが答える。
「少なくとも私にとっては、誰よりも優しい姉よ?
それに今の姉は、本来の半分の力も発揮出来ていないわ」
「マジかよ……」
闘技場でバーバボアさえ一人で倒し、強くなった。強くなったつもりでいた貴也。
しかしナコラ、サハテオ、レスタシアと、勇傑の7人の力を間近で見て、あまりの力量の差に愕然としてしまう。
「大丈夫、貴也は強くなっているわよ。
それは私が保証する。
だから、貴也は貴也にしか出来ないことを全力でやりなさい」
悠然と歩み寄るレスタシアを止めるため、エンカもまた歩き出す。
「こういう荒事は私の役目よ!」
言って、エンカが宙を舞う。
さきほど姉が見せたのを模倣するように、そのまま回転し遠心力を加えた踵落としで頭を狙った。
それを片手で防ぎ、逆の手で足首を掴んで投げ飛ばすレスタシア。
さらに追撃を加えんと追いすがるが、その手前で突如立ち昇った炎の柱に怯んでしまう。
ノゥが魔法で援護したのだ。
キッと睨んで標的をノゥに変更するレスタシア。
それを察知し貴也がノゥの前に躍り出た。
ズドンと、およそ人間が殴ったとは思えない音を盾で受け止めるが、その衝撃で腕が痺れる。
「はッ!」
だがその隙に背後に回りこんでいたエンカが、レスタシアの足を払う。
踏鞴を踏んで転倒を堪えるが、次の回し蹴りを防げずにレスタシアは吹っ飛んだ。
「貴也さん!」
ルーインがすかさず貴也の腕を治癒する。
ただでさえまともに相手が出来ないほどの相手である。
痺れ程度でも残しておけば、たちまち形勢は取り返しがつかないほどに傾いてしまうだろう。
吹っ飛ばされ、川沿いにある水車小屋に突っ込んでいたレスタシアだったが、何事もなかったかのように立ち上がった。
攻撃力だけではなく耐久力も人間離れしているらしい。
「アレで半分以下?
そりゃ竜も殺せるわけだな」
「自慢の姉よ」
それが今は敵だというのに、誇らしげにエンカが言う。
陽炎が揺らめくほどの殺気を纏い、ゆらりとレスタシアがこちらへ向ってくる。
後手に回っては勝ち目などないと、先を制するためにエンカが仕掛けた。
「はぁッ!」
意表をつくように下段から。
走りこんだ勢いそのままに、脛を狙い澄ました鋭い下段蹴りを放つ。
――だが。
「がぁッ!!」
意表をついて反応など出来ないと思われた蹴りを、避けるだけでなくそのままレスタシアが踏み抜いた。
逆に脛を折り砕かれエンカが絶叫する。
「ルーイン! 俺が引き離すから、その間にエンカをッ!」
策などないが、追撃する姿勢のレスタシアに貴也が遮二無二突っ込む。まるで理性を失ったかのように。
なぜなら、今彼の心にあるのは怒り。
あのエンカに『自慢の姉』と言われ、それを示すかのごとく凄まじい力をみせているのに、薬やら呪いやらに負けて正気を失い妹に手をかける。
そのことに貴也は憤りを感じていたのだ。
エンカを最大戦力と認識しているレスタシアは、それゆえに貴也に注意を払っていなかった。
脇腹への体当たりは見事に決まり、貴也はそのままレスタシアを押し倒す。
「いい加減正気に戻れよッ!」
勢い任せの頭突き。
「んぐッ!」
狙ったわけではなかったが、上手い具合に鼻へ命中し出血させる。
瞬間ギロリと睨まれ、怯んだところをレスタシアの膝が貴也の腹部にめり込んだ。
声にならず体がくの字に曲がる。
だが離さない。ルーインがエンカの足を回復させるまでは時間を稼がなければならないのだ。
キッと気合をいれて、もう一度頭突きを見舞う貴也。
しかし今度はそれに合わせてレスタシアも頭突き。
衝突した互いの頭部が弾けるが、貴也のほうが分が悪い。
瞼の上に直撃し、出血をおこしてしまった。
「エンカがどんな思いで探し続けてたと思ってんだッ!」
滴り落ちる血が目に入り視界が片側失われるが、この位置なら関係ないと三度目の頭突き。
仕掛けた貴也の方が脳震盪を起こして倒れかけるが、それでもと気張る。
エンカは貴也にしか出来ないことをと言ってくれたが、それがなんなのか分からない。
だからこうして、愚直にでもエンカの気持ちを伝えたい。その気持ちだけが今の貴也の原動力になっていた。
「自慢の姉なら薬に負けてんじゃねぇよッ!!」
四度目の頭突きは、しかしレスタシアの頭には届かず、その豊満な胸の上に落ちた。
再びの膝蹴りで、前のめりになったからだ。
「ぐおッ……!!」
胃の中のものをぶちまけ転がる貴也。
起き上がったレスタシアが、鼻血を拭いつつ豪快に踏みつける。
「ごほッ!」
まともに腹部を踏まれ、内臓をやられたのか今度は口から血を吐き出した。
トドメとばかりにもう一度足を上げたところを、縋るように掴んで再度押し倒す貴也。
「エンカを泣かせてんじゃねぇッ!!」
血を吐きながらなので、実際のところはほとんど言葉にならなかった。
しかし思いを込めた五度目の頭突きは、ついにレスタシアの心にまで届いた。
「エ……ンカ……」
それでも正気に戻るにはまだ足りない。
圧し掛かる貴也を、掛け布団を退けるように押しのけ、レスタシアが立ち上がる。
「ありがとう貴也」
それを待ち構えていたエンカは、大地を踏みしめ全体重を乗せた渾身の正拳突きを放った。
思いを乗せた拳は風を唸らせ真っ直ぐに飛び、寸分違わずレスタシアの腹へと突き刺さる。
正気と狂気の間を彷徨っていたレスタシアの瞳が、ぐるんと白目を剥いた。
そうして、ようやく竜殺の拳はその場に倒れこんだのだった。
「貴也さんッ!」
駆け寄るルーインの声を聞きながら、貴也もまた、世界がぐるりと回転する感覚に目を閉じた。




