闇より出でしもの
ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた絶氷の魔女。
負の魂だろうか? その右手にはヘドロのようにうねる真っ黒い塊がある。
それを怯え、竦み、身動きの出来ないルーインの胸元へと近づけていく。
貴也の懇願も虚しく、ついにその手がルーインの胸を貫いた。
――ように、貴也には見えた。
突如ナコラの目の前に吹いた突風は、そのまま壁際まで吹きぬける。
「また目の前で女の子を死なせちまったらシャーニーに顔向けできないんでね」
ルーインを脇に抱え、ナコラの前を走り抜けた男。
疾風の剣、サハテオがそこにいた。
「感動の再開だな。
元気にしていたかサハテオ?」
突然現れ獲物を奪っていったサハテオに、しかし驚くでも怒るでもなくナコラは声をかけた。
抱えていたルーインをゆっくりと地面に降ろし、『大丈夫かい?』と一声掛けてからサハテオはナコラに相対する。
「まぁまぁだな。
つうか、こんな目と鼻の先にいたなら連絡の一つも寄越しやがれってんだ」
軽口を叩きながらサハテオはゆっくりと位置をずらしていく。
このままナコラが魔法を放てば、すぐ側のルーインにも当たってしまうからだ。
「ちょうどリュシアナもいるみたいだし、同窓会でもするかい?」
「遠慮しておこう」「ふざけんなッ」
なぜか味方の筈のリュシアナからも拒絶され、さすがのサハテオもショックを隠しきれない。
だがそれでもしっかりナコラを視界に収めつつ、ジリジリと位置を調整していく。
「君も私同様にアラニス様に心酔していたと思っていたのだが、今の状況に憤りを感じないのかい?」
「さって、詳しいことはオレには分かんねぇけどよ。
でもこれだけは分かるぜ?
お前が外道に堕ちちまったってことはよ!」
言い終わるより早く、文字通り言葉を置き去りにしてサハテオはナコラに斬りかかっていた。
神速の踏み込み。常人では避けるどころか反応することすら出来ない。
が、それは氷の盾に阻まれておりナコラには届かなかった。
反応したわけではなく、予想していたのだ。
長い間共に旅を続けた二人には、その呼吸が手に取るように分かっていた。
即座に飛び退き体勢を立て直そうとするサハテオだが、飛び退いた先にはすでに氷柱が待ち構えている。
「っと」
しかしそれすらも予測していたと、その氷柱を踏み台にしてもう一度ナコラに斬りかかる。
瞬間、ナコラの周囲からハリネズミのように四方八方に氷柱が飛び出し、サハテオは急反転して難を逃れた。
「相も変わらず素早いな」
「相も変わらず隙がねぇな」
常人離れした動きで切り結び、次の瞬間には何事もなかったように会話する。
勇傑の7人とはこれほどなのかと、貴也は思わず見とれてしまっていた。
だが今は他にやるべきことがある。
サハテオがナコラを引き付けてくれている間に、こちらもなんとか体勢を立て直さなければ。
と、そこで気付いた。
空間を支配していた冷気が掻き消え、足を捕らえていた氷が溶けていることに。
それどころか、暑い。いや熱い。
いつのまにか熱気が吹き荒れている。
「ふむ、もう少し再開の余韻に浸っていたかったのだが。
残念ながら時間切れのようだ」
フワリと浮かびあがり、ナコラは元居た祭壇の上へと戻る。
その前方。暗がりで見えなかったが、どうやらポッカリと大穴が開いているようであった。
それがなぜ今は分かるのかというと……。
「なんの明かりだ?」
不気味な気配を漂わせ、大穴自体が光を放っていたのだ。
同じくこの隙にと動き出していたエンカは、ルーインに肩を貸したところでそれを見た。
大穴の中から這い出てくるその姿を。
「嘘……」
貴也もノゥとリュシアナの元に駆け寄っており、二人の無事を確認しながら見ていた。
穴の淵に三本の巨大な鉤爪がかかる。反対側にも三本。
そして中央からぬっと巨大な首が持ち上がってくるのを。
その首の先。
見るからに硬そうな鱗に覆われた顔が、ゆっくりと降りてくる。
黄色がかり縦に割れた瞳。
耳まで裂けた口の中には、びっしりと鋭い牙が生え揃っている。
勇者、魔王に並ぶ、ファンタジーの代名詞であるその姿。
貴也は思わず声に出していた。
「――竜」
呼ばれ、『グオォォォ』と吼えてみせる。
ただそれだけで空気が裂け、地面がうねった。
「これだけの魔物に加護を与えるのはいささか骨が折れたがね」
祭壇の上でナコラが誇らしげに、狂ったように笑う。
顔の大きさだけで貴也の身長ほどもある巨大な竜が、ギロリと貴也を睨め付ける。
それだけで死ぬ。死んだと心が勘違いする。
それほどまでに圧倒的な死の予感。
だがそんな貴也には興味がないと、竜はナコラの方へと向き直った。
「マDあタRいヌ」
かろうじて言葉と分かる。
しかし、その魂は未だ加護に至ってはいなかった。
「なんだまだ足りないか。さすがに竜ともなると大食いだな。
外に餌があるから、それでも食べてくるといい」
餌。
洞窟内にいた魔物達のことだろう。
あれらは全てが加護持ちだった。それを食べさせることで、その魂を加護に至らせようというのだ。
しかし満身創痍の貴也達に、今それを止める術はない。
いや、無傷だったとしてもこれほど巨大で強大な魔物を果たして倒せるのだろうか?
それを見越してナコラが嘲笑う。
「貴様等も餌にならぬうちに早く逃げ帰るがいい。
そして用意するのだぞ? 加護持ちの竜を倒せる者を。
さもなくば世界は滅びてしまうだろうからね」
皮肉たっぷりに言い放つ。
だが悔しいが今はどうにも出来ない。
サハテオとエンカも同様の表情で、まずは退こうと頷きあう。
竜を刺激しないように。だが素早く。
貴也はリュシアナを胸の中に戻してからノゥを抱え、エンカはルーインに肩を貸してサハテオと共に洞窟を駆け抜ける。
後ろからナコラの高笑いが聞こえた。
「勇者アラニス様などどうだ?
彼ならば竜を討ち果たせるやもしれんぞ?
くははははっ」
耳障りな笑い声が洞窟内で反響し、どこまでも追いかけてくる。
それに追いつかれぬようにと、貴也達は全力で走った。
途中魔物が襲いかかるが、サハテオが神速の剣で薙ぎ払い道を作る。
無論トドメには至らぬが、走り抜けるまで動かずいてくれればそれでいいと。
そうして無我夢中で、走って走って走りぬけた先。
彼らはいつの間にかルディヒアの街まで戻ってきていた。
そこでようやく人心地つくが、頭の中は『どうする?』という答えの出ない問いで満たされる。
今生きているのが奇跡。あんなもの、人が倒せるようなものではない。
と、しかしそこで、倒せる人間に思い当たった。
いや、正確には倒したことのある人間だ。
だが時間がない。それを探して旅をしてきたのに、今の今まで手がかりすら掴めていないのだから。
あの竜はどれくらい待ってくれるのか?
一日か? 二日か? まさか一週間も動きが無いなどということはないだろう。
悩み歩き、酒場を過ぎて、一行はいつの間にか宿屋まで戻ってきていた。
そうして部屋まで戻ると、そこでようやくルーインが口を開いた。
「あ、あの、ありがとうございました」
誰もが口を開くことすら躊躇う空気の中、それでも礼はかかさない。
その律儀さが、真っ直ぐさが、ようやく皆の顔に生気を取り戻させた。
「お、おぅ。いいってことよ」
サハテオも務めて明るく振舞う。
重い空気を振り払うように。
貴也も感謝を述べる。
あのままだったら、ルーインを、仲間達を、全てを失うところだった。
だから『なぜあそこに?』という疑問をサハテオにぶつけてみる。
「あぁ、そうだったな。
実はあれから、オレも気になって奴隷商を探しててな。
一日違いでルディヒアまで来ちまってたわけだ」
照れるように語るサハテオ。
エンカの前で協力を拒んだことが、ずっと引っかかっていたのだろう。
「で、ようやく奴隷商の下っ端と目される奴らを見つけたんだが、それがぞろぞろと街を出て行き、あの洞窟へと入っていったわけだ。
オレは思ったね。ここがこいつらのアジトだなと」
タイミング的には貴也達が突入した直後だと推測できる。
しかし奴隷商達はなぜあんなところに来ていたのか。
エンカとルーインも同じ疑問を持ったようで、互い顔を見合わせている。
「で、ちょいと待ってから一網打尽だと意気込んで入ってみたんだが、全員魔物に食い荒らされた後だった。
ありゃりゃ、ここは魔物の巣だったかと、慌ててオレも逃げようとしたんだが、奥のほうで戦う音が聞こえたってわけさ」
あの酒場での会話。
ほとんどがサハテオの愚痴や後悔だったが、そこから感じた彼の仲間達への熱い思い。
全てを諦め投げ出しかけてはいたけれど、それは嘘ではなかったと、エンカが立ち上がり手を差し出す。
「ありがとう。
さっきの貴方は、間違いなく私が憧れた勇傑の7人でした」
いよいよ恥ずかしくなり、『よせよぉ』とサハテオは頭を掻く。
しかしいつまでも引っ込まないエンカの手を、観念したようにおずおずと握り返した。
それを見て、ノゥが残り僅かになっているお菓子を貴也の胸に押し付けた。
初めはなんのつもりか分からなかったが『お礼』というノゥの言葉を聞いて理解する。
『仕方ないから貰ってあげるわ』と声が聞こえ、貴也の胸から生えた腕がそれを掴んでまた引っ込んでいった。
ちゃんと感謝を欠かさないノゥに、良い子に育っているなぁと親心が芽生える一方、そんな風に体から出入り出来るなんて聞いてないぞとリュシアナに文句をつける。
『これ疲れるんだからもうやらないからねッ』
それっきりリュシアナの声は聞こえなくなったが、それが照れ隠しだと分かり、貴也も体を呈してノゥを庇ってくれたことに礼を述べた。
互いに言うべきことを言い、一段落がついたが問題はなにひとつ解決していない。
あの竜と、そしてナコラをどのように倒すかの算段は目処が立たないが、諦め投げ出すわけにもいかない。
今何が出来るのかと考える。
「やはり、まずはこの街の方々に避難してもらうのが良いのではないでしょうか?」
言いながら、ルーインはまだ震えていた。
自分に向けられた憎悪と殺意が頭から離れないのだ。
それを見て取り、貴也はそっとルーインの手に自分の手を重ねる。
「俺もそれがいいと思う。
現状あの竜を俺たちでどうにか出来るとは思えない」
あの異形、あの威圧感、あの神々しさ。
それを思えば貴也とて震えがこないわけではなかったが、手を重ねたルーインに悟られぬように食いしばる。
手を重ねたのはルーインを慰めるだけではなく、自分も慰められたかったのだと、そこで初めて気付いた。
「じゃああの領主に竜のことを伝えにいきましょうか。
大人しく従ってくれると良いのだけれど」
自分の街だと憤慨したゴッゾの顔を思い出し、エンカはため息をついた。
同時にあの厭らしい目にまた耐えなければならないのかとも思い、寒気が走る。
しかしのんびりしている暇はないだろうと、自分を叱咤し立ち上がった。
せめて私にも姉の何分の一かでも力があればと、届かぬ己を悔いながら。
領主の館は宿屋から目と鼻の先。
貴也の入眠時間も迫ってきている現状、急いだほうが良いとすぐに出発することを決める。
だがそこで、彼らは思わぬ光景を目にすることになるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まだ報告はこないのかね?」
いつものように地下牢に向いつつ、ゴッゾは奴隷商の頭に声を荒げる。
「間もなく戻るとは思いますが……」
たかだが女を一人攫ってくるだけの仕事だ。
いつもと変わらない。
そう思って送り出した部下が誰一人帰って来ないことに、彼もようやくおかしいことに気付き始めていた。
ゴッゾはエンカの誘拐を依頼するに際して、その素性を伏せていた。
あれが勇者の一行で、竜殺の拳の妹だなどと知られれば、この男にいくら吹っ掛けられるか分からない。
竜殺の拳を攫った時など、街の税収二年分もの大金をせしめられたのだから。
もっとも奴隷商には儲けさせてもらってもいるので、文句を言えた義理でもないのだが。
「まぁよい。
なるべく早い吉報を待っているぞ」
それが、これ以上は着いて来るなという意味も含んでいることを察し、男は消える。
それを確認してからゴッゾは地下への扉を開いた。
コツコツと石階段に音を響かせながら下る。
下では普段以上にガシャガシャと鎖を鳴らす音が響いていた。
(無駄だというのに何を暴れているのやら)
やはり妹の情報を与えたのが影響しているのだろうか?
これならば薬の効果も期待できるやもしれないと、胸が躍る。
だが、レスタシアのいる牢屋の前に来たとき、彼の顔は凍りついた。
「ガァァアァァァアァッ!!」
レスタシアは完全に正気を失っていた。
なぜだ? 昨日は薬を打たなかったのに?
足から血が滲んでも、腕の関節がはずれかけても、痛みなど感じていないように暴れるレスタシア。
力を抑えるために巻きつけてある鎖に、ヒビがはいっていることに気付く。
(マズイ! 抑えられなくなる!)
しかしなぜこんなことになっているのか。
その光景を眺めていることしか出来ず、ゴッゾはただ恐れていた。
彼は知らなかった。
いや、レスタシア以外知るものはほとんどいなかった。
『竜殺の拳』
それが、ただ竜を殺したというだけでついた二つ名ではないということを。
それは呪い。
初めて竜を殺した時、その返り血を浴びた時、彼女は呪われた。
竜と戦い続けなければならないという呪いに。
ゆえに、近づく竜の気配にその体は反応する。
竜を殺せ、竜を殺せ、竜を殺せと。
「――殺すッ!!」
その瞬間、彼女を縛り付けていた枷は弾け飛んでいた。




