絶氷の魔女
その言葉とは裏腹に、酷く優しげな視線を向けられて貴也は困惑する。
洞窟の最奥、開けた空間の中央に佇む黒い少女は石造りの祭壇から、貴也達を見下ろしていた。
「『絶氷の魔女、ナコラ・ララ・ラクティ』」
「ほぅ? 名乗った覚えはないが……。
そうか、その気配はリュシアナか。
アラニス様の回りをうろつく腐った蝿めが」
頭の中にリュシアナの声が聞こえ、貴也は知らぬ間にその名を口にしていた。
勇傑の7人の一人で、大魔法使いと畏れられるその名を。
「そこで何をしているの?
勇傑の7人のお一人ともあろう方がこんなところで」
エンカが敬う口調で訊ねるが、当然警戒は解いていない。
数多の加護持ちが跋扈する洞窟の最奥にいる人間。
それがどんな肩書きを持ったものだとしても、まともだとは思えないのだから。
クククと祭壇を降りつつ、ナコラは小さく笑う。
「こんなところなどと言うてくれるなよ。
これでも私にとっては住み心地の良い棲家なのだから」
ルーインとそう背丈の変わらぬ身でありながら、黒いマントを引き摺り尊大にナコラが言う。
やはり貴也を見る視線だけに、他とは違う慈愛を感じる。
いや、貴也ではない。アラニスを見ているのだと、リュシアナが教えてくれた。
どういうことかと問う間もなく、ナコラが語りかけてくる。
「なぜ……なぜだ……。
なぜ貴様はアラニス様のお体を勝手に動かしているのだッ!!」
ブワッとナコラの足元から凍える様な風が吹き抜ける。
それが彼女の魔力の片鱗を思わせ、その強大さが見て取れた。
「そ、それは、世界を守るために私が魂降しで――」
「貴様かッ!!」
直後、空中に無数の氷柱が現れルーイン目掛けて猛スピードで飛んでくるが、それを間一髪で貴也が抱え飛んでなんとか躱す。
「ククク……。
その程度の魔力量で魂降しなどと大それた術を使うだと?
どうやったかは知らんが、余計な真似をしてくれたものよ」
笑い、怒り、笑う。
傍目に見てもその精神状態が正常ではないと分かるほど、ナコラの情緒は不安定だ。
「余計なこととはどういうことよ。
この娘が魂降しで勇者に魂を吹き込んでくれなければ、今頃世界はどうなっていたと思ってるの!?」
「世界? 世界だと?
私からアラニス様を奪った世界がなんだというのだ!!」
エンカのもとにも氷柱が襲いかかるが、持ち前の体裁きで躱していく。
ただ数が多いため躱しきれなかったのか、衣服がところどころ破けてしまっている。
それでも『傷はない』と貴也に視線を送り、エンカは再びナコラに対峙する。
「世界がアラニスを奪った?
貴方は何を言っているの?」
本当になにも知らんのだなと、小馬鹿にし、嘲笑し、ナコラが言った。
「魔物には魂を扱う術がないのだよ。
そもそもあいつらには魂という概念がないのだからな」
自ら手にする杖で地面をコンコンと叩き、愉快そうに講釈をたれるナコラ。
しかし彼女の言うことは、到底納得しがたいものだ。
魔物にはアラニスの魂を抜き取ることが出来ないという結論は、すなわちそれを行ったのが人間だと言っているのと同義なのだから。
一瞬頭にポラの顔が浮かんだ。
勇者を転移させた行動とは矛盾するが、状況的に彼ならばそれが出来たであろうと。
貴也のその考えはナコラによって即座に否定される。嘲笑とともに。
「ポラは確かに素晴らしい魔術師であると、この私も認めている。
だが彼には不可能だな。
魂を扱う術は才能によってのみ可能となるからだ。
どれだけ研鑽を積んだ者であっても、それがなければ能わんよ」
魂降しをルーインに任せたのはそういった理由からなのかと、ナコラの言葉はストンと貴也の胸に落ちた。
それでは、いったい誰が何のためにそんなことをしたというのだろうか。
勇者を排斥してしまったら、加護持ちが跋扈し、世界は終わりへ向うだけだというのに。
貴也の脳裏に、様々な人から聞いた言葉が思い起こされる。
『丁度いい』
『次に来るのは……人と人との争いなのですよ』
頭が混乱する。
世界を救った勇者が、世界で邪魔な存在になってしまった?
そんな貴也の迷いを打ち切るように、ナコラは雄弁に語り続ける。
「だから私は、アラニス様を取り戻そうとした。
どこのどいつがアラニス様の魂を抜き取ったのかは知らないが、戻させようとしたわけだよ」
クククと笑う。不吉を撒き散らしながら。
戻させようとした? どうやって?
浮かんだ疑問にリュシアナが答えた。
『戻さざるを得ない状況を作り上げた、ってことでしょ』
「……まさかお前が」
答えに辿り着いた。
突然増え始めた闇の加護をもつ魔物達。
それを倒せるのは勇者だけ。
世界を破滅へ向わせたくないのならば……。
「そうだ!
魔物達に闇の加護を与えているのは、この私だよ」
瞬間、弾かれたようにエンカが地を蹴り宙を舞った。
そこから放たれた渾身の蹴りは、しかし空中に現れた分厚い氷の壁に妨げられる。
「貴方はここで倒す!」
世界を脅かす敵。全ての不幸の元凶。
そう認識したのなら、もうエンカは止まらない。
クォルツの名に懸けて。
「ハンッ!武道家風情が大口を叩く!」
跳ね返されたエンカの足元。
地面から彼女を追いかけるように、無数の氷柱が沸き生えるが、それを飛び退き、躱し、時には器用に足場にして距離を取る。
そちらにナコラの意識が集中している間に、ノゥは大きな火球を練り上げ、そして放った。
だがそれは、ナコラの放つ氷球と対消滅させられてしまい届かない。
その一連の動作を、まるで準備運動にすらならぬと言いたげに軽々とこなし、怒りを込めてルーインに視線を合わせる。
「お膳立てをし、放った加護持ちがついに討たれたと聞いた時の私の気持ちが分かるか?
やっとだ、やっとアラニス様が復活なされた!
ようやくあの愛おしい方にまた会えるのだ!!」
今までの尊大な態度を崩し、楽しげにその場でクルクル回るナコラ。
初めて見せた見た目相応のその態度は、次の瞬間には憤怒に塗れた。
「喜び勇んで会いに駆けつけてみれば、そこにいたのはどこの馬の骨とも分からぬ魂。
それがアラニス様の高貴なお身体を勝手に動かし、あろうことか勇者を名乗っているではないか。
――許せるか?
許せるわけがないだろうッ!! ふざけるなッ!!」
その怒りを体現するかのように、凍てついた心を表すかのように。
意図せず溢れた魔力が冷気となり、たちまち辺りを凍りつかせていく。
空気までもが凍りつきそうな冷気に、貴也はいつのまにか自分の足元が凍り付いて身動きが取れないことに気付いた。
直前で気付き、飛んで回避していたエンカに極太の氷柱が真っ直ぐ飛んでいく。
空中では体制を変えられず、それをモロに喰らってしまい吹き飛ばされたエンカは、壁に叩きつけられると同時に、凍りついた壁に捕らわれてしまう。
「んっ!!」
一人反撃を試みたノゥが、火の矢を放つ。
今度は五本同時。今のノゥが出来る精一杯である。
だがそれもあえなく消滅させられ、お返しとばかりに氷柱がノゥ目掛けて飛んでいく。
動きたくとも動けない貴也に代わり『しょうがないわねっ!』とリュシアナが貴也の胸から飛び出してノゥを庇った。
しかしそれまで。
「あぁッ!!」
氷柱は庇ったリュシアナの翼を貫き、そこを起点に全身を凍りつかせていく。
抱き庇ったノゥ共々に。
「さて」
大勢は決したと、掲げていた杖を降ろし、ナコラがゆっくりと貴也に歩みよってくる。
唯一身動きが取れるルーインが貴也を庇おうと地を蹴った。
だがその気配を察知し、右手を払うだけで生み出した氷風でルーインを吹き飛ばすナコラ。
「貴様はそこで大人しくしていろ」
にじり寄る絶望に、それでも勝機を見出そうと貴也は辺りを見回す。
その顔を、ナコラは両手で押さえ込みしっかりと目線を合わせた。
「闇の加護の作り方を知っているかい?」
なぜそんな話を今するのか。
その不自然さが、逆に貴也の心を恐怖で埋め尽くしていく。
「絶望、憎悪、憤怒、嫉妬……。
あらゆる負の感情が蓄積された魂。それが加護の正体だ」
先の小部屋で見た光景が思い起こされた。
あの拷問のあとは、もしかしたら……。
「その通りだよ。
一度魔物に負の魂を与え、そして痛めつける。
死んでしまったら魂を取り出し、次の魔物へと植えつけてまた死ぬまで痛めつける。
そうして何度も何度も続けていくと――そうだな、ゴブリン程度なら5回。オーガで20回くらいだったかな? それが闇の加護と呼べる代物に変異するのにかかった回数は。
強い肉体にはより強い負の魂が必要らしくてね。
なかなかに苦労したよ」
クククと顔を歪めて悪魔が笑う。
例えそれが魔物に対してでも、到底許される所業ではない。
「……知能は?」
当初、貴也達は知能を与えれば加護を持つと考え違いをしていた。
しかし今ナコラが言う方法は、知能とは全く関係がない。
それがなぜ人の言葉を話すようになるのか。それが分からなかったのだ。
「あぁ、あれは副産物だよ。
言っただろう? 魔物は元々魂を持たないと。
人を殺し、人を喰らううちにその魂を中に取り込むことはあるがね。
それには相当数の人間を喰らいでもしなければならず、やはり自然発生は極稀なのだよ。
そう、魔王やその幹部級くらいだろうさ。
おっとすまない、答えになっていなかったな」
構わない。貴也はそう思う。
先を急がせることなく、ナコラの答えを待つ。
「つまりだ。
闇の加護の元となっているものは、総じて人間の魂なのだよ。
そこには死の直前に焼きついた絶望や憎悪、嫉妬などの強烈な負の感情とともに、生前の知識までもが宿っているようでね。
だから人の言葉を話せるようになると、私はそう解釈しているよ」
貴也の目には見えていた。
ようやく氷の呪縛から解き放たれ、ナコラの頭部目掛けてとび蹴りを放つエンカの姿が。
――だが。
「残念だったな」
またも氷の壁に跳ね返される。
体勢を崩したエンカに今度は避けきれないようにと、巨大な氷の壁が押しつぶすように落ちてくる。
躱しきれるようなものではなく、せめてダメージを減らすようにと防御をするが、そうして動きが止まったところを再び氷が絡め取った。
「くっ!」
今度は厳重にと、念入りに凍らされた足はピクリとも動かない。
唯一の反撃を食らわせられる可能性が潰されて、貴也の胸中に絶望が走る。
だが、真に絶望するのは次のナコラの言葉を聞いたあとだった。
「ククク。
偽者。貴様は殺さない。
なにせ体は愛おしいアラニス様のお身体なのだからな。
アラニス様の魂の器を傷つけるわけにはいかないだろう?」
だが、と仲間達、とりわけルーインを強く睨みつける。
「貴様等には闇の加護の礎になってもらわねばならんからな。
じっくり丁寧に殺してやるぞ。
特に貴様。
魂降しで私の計画を邪魔した罪を、たっぷりと味あわせてやろう」
狂気と憤怒に塗れた手が、ゆっくりとルーインに近づいていく。
吹き飛ばされたダメージからようやく回復しつつあるルーインだったが、ナコラの瞳に射抜かれて足が動かない。
凍らせられているわけではなく、単純に竦んでしまっているのだ。
魔物の攻撃に晒されたことは幾度もあった。
しかし、ルーインは誰にでも優しく、奢らず、常に謙虚である。
ゆえに、生まれて初めてかもしれない。
はっきりとした怒りや殺意を、人間から向けられるのは。
「やめろッ!!」
貴也が叫ぶがナコラは止まらない。貴也ではルーインを守ることが出来ない。
エンカも、ノゥも、リュシアナも、誰もかれもが身動きを封じられている。
「逃げなさいルーインッ!」
「なにボサッとしてんのよッ! 死にたいのッ!?」
エンカだけでなく、リュシアナも必死にルーインに逃げるよう叫ぶ。
それでもルーインは動けない。足が、腰が、自分の管理を完全に離れてしまっているのだ。
近づいてくるナコラを、ただ恐怖で眺めているしかないルーイン。
その目前まで歩を進め、ナコラは愉快そうに唇を歪めて言った。
「貴様には闇の加護に至る更にその先まで、負の魂を植え続けてやる。
人間に闇の加護が与えられるか、闇の加護に至ってなお負の魂を吸収し続けるとどうなるのか、興味があったところだしな。
なに、気を強く持てば負の魂に人格までも汚染されることはないかもしれんぞ?」
クククと狂気を宿して笑う。
「や……やめて……」
ただ殺されるだけのほうがよほどマシ。
自分の中に受け止めきれないほどの憎悪や怒りが植え込まれ、塗りつぶされ、自分ではなくなっていく。
それを想像してしまい、そのおぞましさに身を震わせる。
搾り出したような懇願は、しかし聞き届けられるはずもなく、ナコラの手がゆっくりとルーインに迫る。
「やめろッ!!」
その狂行を止められるものは誰一人なく、貴也の絶叫が凍った洞窟に木霊した。




