いざ大海原へ
たった一日の異世界訪問で、リュシアナは様々な現地語を吸収していたようだ。
その中でもお気に入りが『ダーリン』
言葉の意味をどこまで理解したうえで貴也をそう呼んでいるのかは不明だが、意味を知っている貴也としては気恥ずかしさを隠せない。
それを見咎めてのルーインの質問だったのだろうが、『向こうでは男性のことをそう呼ぶんだ』と誤魔化して乗り切った。
あまり釈然とはしていない様子だが。
とにもかくにもリュシアナのことは置いておいて、自分達の今後のことを話し合う。
まずエンカが貴也の寝ていた間の情報を伝える。
「フォルスボアから早伝鳥が届いたわ。
治癒魔法師を十人程送ってくれるそうよ」
「それは朗報だな。
これでルーインも安心して自分のためだけに治癒魔法を使えるだろうし」
暗に他の兵士達の為に治癒魔法を使ったことを咎められたと思ったのだろう。
ルーインは申し訳なさそうに布団を被る。
「あ、いや、怒っているわけじゃないぞ」
フォローしてから先を促す。
「あの男にも伝えてあるから問題ないでしょう。
あとはルーインの完治を待って出発ということでいいわよね?」
あの男とはコーゼオのことだ。
もう名前すら呼びたくないらしい。
「目的地はメービス大陸でいいんだよな。
他に人語を話す魔物が出たっていう噂が出たら優先することになるかもしれないが」
「分かっているわ。
今のところその気配はないけれど」
自分の気持ちを殺してでも加護持ちの討伐を優先させることを厭わない。
その誇り高きエンカがどんな弱みをリュシアナに握られているのか、やはり気になってしまう貴也。
そんな邪な気配を察知してか、キッと睨まれてしまった。
「メービス大陸まではどうやって行くんだ?」
誤魔化すように問いかける。
「船を出してくれるそうよ。
さすがは元海賊の皇帝ね、太っ腹だわ」
「大体ですけど、五日ほどの船旅になるそうです。
しっかりと準備する必要がありますね」
ルーインが補足した。
船旅の準備と聞いて、ノゥがリュックサックを逆さにして振って見せる。
貴也は頭を撫でながら『分かってるよ』と安心させた。
前回のような高額なものは控えさせなければならないと心に決めながら。
そして各々がラングドルに別れを告げる準備を始める。
ルーインは自身の治療に専念し、エンカは準備がてら情報の収集。
貴也はノゥのお菓子の買出しを手伝ったあと、ドルオス皇帝に挨拶と感謝を述べに行く。
『姉ちゃんに会えたらよろしくな!』と、湿っぽさを微塵も感じさせない別れ。
対照的に、『必ずや必ずまたお会いしましょう!いつでもいつまでも、えぇえぇ、お待ちしておりますですよぉ!』と号泣しながら手を握るコーゼオを振りほどいて城をあとにした。
医務室に戻ると、大分怪我の具合も良くなったのか、ルーインが起き上がっていた。
明日にでも出発できるという彼女に対して、大事をとってもう一日休んではどうかと提案する。
だがエンカの気持ちを慮って、『私はもう大丈夫ですから』とルーインは気丈に振舞った。
久しぶりに頭を撫でてやり、静かに夜は更けていく。
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「おっはよー! たかちゃんとリュシちゃ……あれ? リュシちゃんは?」
起き抜け早々に詩乃がやってきた。
リュシアナがいることが、さも当然だと思ってやってきた詩乃に事情を説明する。
「えー! そうなの?」
「なんかお前に申し訳ないからとか言ってたぞ」
その言葉で詩乃の顔がみるみる赤みがかった。
どういう意味か分かりかねていたので、『分かるか?』と聞いてみる。
「んー。まー? うーん」
と凄まじく歯切れの悪い返答に、貴也の疑問はますます霧の中であった。
それを彼女らしい強引な話口で、無理やり話題を変えさせる詩乃。
「ま、どうでもいいじゃんそんなこと。
それよりさ、あの後、検証予定だったことが検証できたよ!」
やや興奮ぎみに言ってくる。
検証予定だったこと?
あの時の状況を思い出し、そういえばと貴也も違和感に気付いた。
こちらの世界でリュシアナが消えかけたのは、遅くとも夕方18時頃。
その直後、貴也は不意打ちでリュシアナに唇を奪われ、即気絶した。
だが向こうの世界ではほぼいつも通りの予定時間に起床し、滞在時間も変わらなかったのである。
その5時間強のタイムラグを、詩乃が説明する。
「たかちゃんが気絶した後なんだけど、どうやらすぐに魂の移動はなかったみたいなの」
「魂の移動はなかった……。
つまり、強制的な睡眠以外では、異世界に行くことも戻ることも出来ないってことか?」
「リュシちゃんもそう言ってたよ」
「ん? そういえばリュシアナはあの後どうなったんだ?
向こうの世界に行ったら目の前にいて大変だったけど」
「すぐに元通りになって、たかちゃんの側にいたと思うよ?
たかちゃんの魂があっちの世界に行くまでずっとね」
……ちょっと待て。
どういうことだと貴也は混乱する。
「たかちゃんの口から精を吸い取って、それを魔力に変換して回復したとか言ってたかなー。
まぁ、キ、キスだけど、あれはほら、人命救助? みたいな? マウストゥーマウスみたいなもんだし」
自分で言って自分で恥ずかしくなる詩乃だが、その言い訳はまるで自分に言い聞かせるようであった。
あれは人工呼吸。キスとは違うのだと。
しかし貴也が気になったのはそこではない。
いや、そこも気にはなっていたが。
「俺の側にいたと『思う』ってなんだよ。
ひょっとして、意識のない俺とアイツを二人きりにして帰ったのか詩乃?」
「そりゃそうでしょ。
そんなに遅くなったらパパとママが心配するじゃん」
ガバッと自分の服を捲り上げる貴也。
「ちょッ!? 急になにしてんのさ!」
「馬鹿! なにされたか分かんねぇから確認だよ!」
上半身をあちこち触り、下半身はさすがに詩乃に見えないように配慮しつつ覗き見る。
目に見える痕跡はないようだが……。
「なにもされてないと思うよ?
だってリュシちゃん――」
言いかけて『あっ』と手で口を閉ざす。
あの口付けを人工呼吸だと言い張ったのは詩乃だけではなかった。
『だって初めてがあんな状況だなんて嫌じゃん!』とはリュシアナの言葉。
キスすらしたことのないリュシアナが、寝ている貴也を襲うとは思えなかったのだ。
こちらですぐに貴也を襲ったのは、それがアラニスの精を得ることだと思っていたから。
公園で精を寄越せと言ったのは、あの力を使うまでもなく自分の存在を維持しきれなくなってきたことに気付いていたから。
本来のリュシアナは、見た目や言動、醸し出す色気に似合わず純情なのだと、詩乃は知っていた。
未だ納得しきれない貴也に登校の準備を急かす。
異世界の存在を知り、友達まで作った詩乃。
異世界のことを詩乃に打ち明け、こちらの世界でも孤独ではなくなった貴也。
急速に二人の距離は近づき、しばし平穏な時間を過ごすのであった。
**************第2章 夢現の境界編 了**********
これにて二章は完結となります。
ここまでで全編の約半分、折り返しとなりますが、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
また、ご指摘や感想も随時お待ちしておりますので、気が向きましたらよろしくお願い致します。




