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けろ


ビルの中にも、猫の仔一匹いなかった。

てっきりゾンビとか、得体の知れない怪物とかが襲いかかって来ると思ったのに。


っていうか、来いよ!


こんな湿っぽくて、ヒビはいってて、蛍光灯が疎らで……。


ホラゲにありがちな建物じゃん!


戦う手段はなくても、逃げることはできる。

いわゆる、逃げゲー。

逃げ切れば俺の勝ち。


作者も忘れてただろうけど、俺の趣味はホラゲ鑑賞。

こういうシュチュエーションはこぇえけど、楽しい。




なのに。




「ことはさん」

「はい」

「誰にも会わずに最上階まで着いたんだけども」

「運が良かったですね」

「んだね! 」


じゃあもう、そういう事でいいや!



「おーい、美玲」


牛のあくびみたいな、ノンキな声がして振り向くと、良川がヘラヘラと手を振っているのが見えた。


不釣り合いすぎるだろ、この建物に。



「よう、お似合いだね」

「さしね」

「ゲームだとやっぱ最上階にボスいるよね」

「聞けよ」

「多分ボスはこの部屋に居るよ」

「なんで知ってんの⁈ 」



良川はその質問には答えず、ドアに手を掛けた。



その瞬間、俺のシャツを掴むことはさんの手の力が少し強くなった。

長い前髪で目元は窺えないものの、強く下唇を噛んでいるのは見えた。

微かに震える身体。

……恐怖 だろうか?


「ことはさん、怖ぇ?」

「……怖い……? まさか。

私はロボットですよ」


それが嘘だというのは、すぐ分かった。

声が震えていたんだ。

自分に言い聞かせる為に言った言葉だというのが、それで分かった。



「怖ぇなら、その……。

もちょっとくっついでもいいよ」

「……はい?」


ことはさんのどんぐり眼が俺を映して、俺は何かとても恥ずかしい事を言ってしまったのに気付いた。


「あ、やっぱ、なんでもねぇ!忘いでけろ………」


この時ばかりは、自分の訛りが物凄く恥ずかしい物に思えて、俺はますます赤面した。

もう、ことはさんの目も見れない。

でも、次に俺の耳に響いた音は、鈴がさらさらと鳴る様に清らかで屈託ない笑い声だった。


「けろって、可愛いですね」


その言葉に、恐る恐ることはさんを見たら彼女は笑っていた。

さっきまで殺伐とした炎の都市にいた筈なのに、俺はあたかもここが教室のあの席であるかの様に錯覚した。


放課後で、誰もいない教室。

少し開いた窓からはぬるい春風が吹いて、白いカーテンを弄ぶ。

傾き始めた陽射しが、ことはさんの頬を柔らかく濡らす。

俺は彼女のその笑顔を見るだけで、心臓がドキドキとして、身体中に幸せな温度の血液が駆け巡るのを感じる。

平和な、どこにでもある様な、普通の放課後。

俺はことはさんを買い物に誘うけれど、彼女はきっと断るだろう。

だから、俺は拗ねて家さ帰って、ホラーゲームの実況を観る事にするんだ。

でも……きっと彼女は俺に電話をくれる。

それで、結局ことはさんに買い物に誘われるんだ。




「ことはさん、無事に、帰ろう」


自分でもびっくりする位、穏やかな気持ちだった。

頬の辺りがあたたかい。


ことはさんの顔を見ると、彼女は少し惚けた様に口を開けて、虚空を見ていた。


刹那、乾いた音が二回、フロアに響いた。



俺は何がなんだか分からなかった。

ただ、腕にことはさんの重みがなくなったのに気づき、そこで初めて彼女が自分の腕をすり抜けて良川の入った部屋に這って行った脚を確認した。

この間、一体何秒だったんだろう。

俺がボンヤリしていただけか?

それとも、世界の時計の巡るのが早くなったのか?



突如現実に引き戻され、硬直した足を無理に夢の地面から引き剥がし、ことはさんを追った、その時。



「お父さぁああああぁあん!」



鈴が擦り合わさってザワザワと鳴る様に、音割れした彼女の断末魔が耳を劈いた。






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