かんごうかい。
花見。
幸せそうに、良川は蟹を食べ、酒を飲んでいる。
これが、命を狙われている男の姿だろうか。
緩みきった口からは、調子外れの昔の歌が聞こえる。
俺はマフラーに顔を埋めて、ココアを飲んでいた。
隣には、ストガさんがりんご飴をがりり と齧りながら、眼下に広がる街を眺めている。
彼女の白い肌の上を、たびたび桃色の花弁が滑った。
「トマトくんは、今のままの世界がお好きですか」
「というと? 」
「ソフィストが本格始動するまで、何もしない方が良いと考えていますか」
「いや、無理。今更、できない」
「そうですよね」
ストガさんは、悔しいのだろうか。口唇を軽く噛んだ。
本当に、惚れ惚れする人間くささだ。
だけど、彼女は本当にロボットなんだ。
その事を知っているからこそ、俺は彼女が好きだ。異常な奴だと思われても良い。それでも俺は、この人が好きなんだ。
「実は、明日、あっちの世界で大規模な戦争が始まります」
ぎゃふん。
俺は出し掛けた頭を首から引っこ抜かれた心地がした。
ストガさんの口から発せられた言葉の一つ一つが鉛玉に変わり、俺の胃に重くのしかかった。
ついさっき現実を認めたばかりなのに、俺はもうそれを否定したくなっている。
そんな自分に嫌気がさす前に、俺は自分に呆れた。
どんなに逃げてたって、現実はあの手この手で俺を捕まえに来る。
これは、言霊か。
現実しかない俺に降りかかる、言霊か。
「私はそちらへ行かなければなりません」
「そちらって……戦争に? 」
「ええ。当分帰りません」
嫌にハッキリと発せられた言葉は、俺と彼女との間に冷たい壁を作ってしまった。
彼女は一度も俺を見ず、真っ直ぐ前を向いている。
そこに、現実があるかのように。
そんなところに、現実はあるのか?
どこを向いたって現実じゃないか。
そしたら、その中から本当の現実なんて、見つけられないじゃないか。
そもそも、本当の現実なんて、あるのか?
「トマトくん、現実から逃げるなんて無理な話です。
どこを見たって、現実なんですから」
俺の心中を酌み取った彼女の言葉も、今は残酷な物でしかない。
そんな、そんな絶望があるのか。
俺は現実を信じて生きてきた。
現実は現実であり、嘘をつかない。
なのに、なのに、一体どうしてそれは残酷なのだろう。
「どうして、あなたなんですか」
現実はどうして俺を選び、彼女を選んだんだろう。
俺はしがない平凡な男子中学生に過ぎなかった。
彼女は、そもそも産まれる意味が無かった。
………良川五月さえ、いなければ。
「トマトくん、ダメですよ。
歴史にたらればは、無いんですからね。
いつだって、その瞬間の判断が歴史を作っているんです。
そして、その瞬間の判断を下すのは、私達です。
例え良川五月がいなきゃいないで争いは起こるんです。
あればあったで戦争するし、なきゃないで戦争する。
どちらにせよ、私という存在を創り出すんです。
遥か昔、気の遠くなる程昔、隕石にへばりついたアミノ酸が地球に落ちて、あなた達が生まれたんです。
それから考えたら、今日の今という時間に私という存在があるのは、凄い事だと思いませんか。あなた、元はアミノ酸なんですよ。
ですが、進歩には必ず何かしらの弊害が付き物です。
もしも人間に欲求や感情が無ければ、進歩もなかった代わりに争いも無かったでしょう。
言いたい事、分かりますか」
ストガさんの瞳は、強い色を放っていた。
見る人が圧倒されそうなその瞳には、宇宙の息吹があった。
それを見た瞬間に、俺の頭の中で、ジグソーパズルの欠けたピースが揃った。
この瞳の彼女だ。
俺をあの桜の樹の下で抱きとめたのは。
この瞳の彼女だ。
迫り来る炎の腕から俺を掬い取ったのは。
「私の仕事は、良川五月を殺す事。そして、この世界を守り抜く事……。
でもね、トマト君」
顔を上げると、強い光を放つ瞳と、ぶつかった。
「私にとって一番は、トマト君の笑顔なんですよ」
「……は」
彼女の手が、俺の額を撫でた。
冷たい。
俺の顔が熱いせいだ。
「最後にりんご飴が美味しい事に気付けて、良かったです」
りんご飴の色した、彼女の唇。
この色を、俺は、ずっと忘れらんねぇと思った。




