episode20
あの日、私の全ては一度壊れたのだと思う。
「おや、いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ。ミーシャお嬢様」
そう言って男は今日も醜い顔に笑顔を張り付けて私を出迎えた。
「……ごきげんようドルトン様。ですが私はもうお嬢様と呼ばれるような歳ではありませんよ」
言いながら軽く腰をおる。
すると奴隷商人ドルトンは、肩をすくめた。
「いやいや、失礼。しかしいつまでたっても出会った頃の癖が抜けませんでなぁ。それに私からしてみればミーシャ様はまだまだお若いですよ」
それはそうだ。
私が歳をとっただけドルトンも歳をとっているのだから。
あぁでもこの男は昔と足して見た目が変わっていないか。相変わらず豚みたいな容姿のまま。
「そう。それはありがとう」
適当に返事をすると私は開けっ放しであった扉を閉めた。
そしてドルトンに促されるまま部屋のソファに腰を下ろす。
「そういえば、私もこの本買わせていただきました。いやぁ、思った以上に面白くて一気に読んでしまいましたよ」
笑うドルトンの手には一冊の本が握られている。
分厚い真っ黒な冊子には金色の文字でタイトルと作者が書かれている。その作者の名前はよく知ったものだ。
「かなり売れているそうじゃないですか! いやぁ確か書かれたのは九番目の姉君でしたか? まさかあの方にこのような才能があるとは知りもしなかったです」
「お姉様は昔から本が好きでしたからね……」
今から半年ほど前、九番目のお姉様が本を出版した。
その随筆小説は瞬く間に人気となり重版が追い付いていないと聞く。
内容はいたってシンプル。
名門貴族バストラス家の繁栄とと衰退、そして再びの繁栄が書かれた本だ。
何がそんなにも面白いのかと当事者であった私は思うが、他人から見ればさぞ人の不幸は楽しいのであろう。
「一時はどうなることかと思っておりましたが、バストラス家ももう安泰でございますね。事業もうまくいっていると聞きますよ。まぁ末恐ろしいとは言いますが、妹君の才には目を見張るものがございます」
「えぇ、私もそう思いますわ」
あの日、私の全てが一度壊れた日。バストラス家もまた終わりを迎えたように思えた。
あの子を刺殺したお姉様はそのまま精神状態が可笑しくなり現在も部屋に引きこもり。他の兄弟も様々な原因により異常な精神状態となっていた。もちろん原因を作ったのは私なのだけれど……。
ある者は酒に溺れ、ある者は女に溺れ、ある者は賭け事に溺れ、ある者は薬に溺れ。
崩壊寸前のバストラス家であったがお父様は相変わらず放任で、子供たちに何をすることもなかった。
全ての事実を知ってもなお余裕な顔で問題ないよと笑っていたお父様。もちろんあれほど恐れた追放はなし。子供はやんちゃなぐらいがちょうどいいよとまで言っていた。
まるで私がしてきたことを他愛のない遊びのように言うお父様に恐怖心を覚えたのは言うまでもない。
それから暫くはギリギリのところで繋がれたバストラス家であったが、ある日を境に大きく変化した。
すべての始まりはバストラス家の末妹の結婚であった。
国でも有名な資産家の次男を婿とした妹はその権力と金、そして元々の商才で見る見るうちにバストラスを回復させていったのだ。
まさに奇跡。
バストラスはそれから数十年の時をかけて元通りの……いやそれ以上の富を築き上げた。
まるでおとぎ話のようだと誰もが言う。
しばらくしてお父様は隠居。跡取りは今までずっと跡取りとなるべく頑張ってきた1番目のお兄様ではなく末妹となった。
そうして、衰退した面影もなく名門貴族バストラス家は現在もその権力をこの国で振りかざしている。
「まぁ、どうなるか分からないですけどね。妹は誰よりもお父様にそっくりですから」
「え?」
「……いいえ、なんでもございません。それよりも私の要件のものは?」
「あ、はい! こちらでございます。 今回は2人ほどですね」
ドルトンは思い出したように奥の部屋の扉を開けた。
「どうぞ」
促されるまま私はその部屋に入る。
部屋の中には小さな子供が二人座っていた。
ボロボロで汚くて、ゴミみたいな子供。
その姿にあの子の姿が重なる。
「兄妹のようです。兄の方は多少言葉がしゃべれますが妹は全くですね。それから妹は目が見えないようです」
「そう……」
ドルトンの説明を適当に聞きながら一歩彼らに近寄ると、兄の方がすごい剣幕で妹を庇うように前に出た。
真っ赤に充血した目で私を睨み付け、唸り声をあげながら歯茎をむき出しにして私に威嚇する。
まるで獣のようだ。
「み、ミーシャ様。その兄の方は少々凶暴でして」
「みたいね」
「あまり近寄らないほうが……引っ掻いてきますよ。私もほら、この部屋に連れてくるためにココを引っ掻かれて。あとココも。全く汚らわっ」
「それで、ドルトン様。こちらの子はいくらで譲ってくださるのですか?」
ドルトンの話を遮って尋ねる。
豚の悲観話になど興味の欠片もない。
「え、あぁそうでございますね……」
私はドルトンが告げた数字に軽く頷いた。
「ではその2倍の値段で買い取りましょう」
「おぉ、毎度ありがとうございます! いやぁ、バストラスの再びの繁栄にはミーシャ様の力添えも大きいでしょうなぁ。聖母のようだと町で噂されているのを聞きましたよ」
「……聖母、ね」
私はあの日からこうやって売り物にすらならない奴隷を集めて教育をしていた。
あの子と同じように……。
その姿を見て町の人は勝手に勘違いしてくれているようである。
「誰もが見捨てる者に慈悲を与えるその美しき心、人は見た目によらぬと皆が言ってます」
「それって私の見た目が醜いってことかしら?」
「え、いや! 違います。 今のは言葉のアヤでしてっ」
「……別に構いません。そう言われていることは知っていますから」
私は小さく微笑んだ。
「でも、その噂は間違ってます」
「…………え?」
「私は聖母のように美しい心なんてこれっぽっちも持ってません。こうやってこの子達を買い取っているのは慈悲だとかそんなんじゃなくて、自分のためですから」
「どういう」
「コレお金です。いつもありがとうございます。じゃあこの子達は貰っていきますね」
私は一方的に会話を終わらせると、哀れな兄弟に近づいた。
すると兄は先ほどよりも強い威嚇してくる。
「大丈夫よ」
私はそんなことを気にせずに微笑みながら兄に手を伸ばした。
瞬間、私の腕がはじかれる。
「み、ミーシャ様!?」
「……平気です」
手から微かに血か滲んでいる。彼の爪が長いからキレなのだろう。
別になんてことはない。あの頃の痛みに比べたら……。
私はしゃがみこむと、兄弟たちに視線を合わせた。
「大丈夫」
もう一度言葉を繰り返す。
「大丈夫。大丈夫。怖い、違う。安心。分かる?」
私が発した声に兄が少しだけ反応する。
「痛い、違う。殴る、違う。蹴る、違う。大丈夫。大丈夫。私、守る」
そういってもう一度手を伸ばした。
その手に兄が視線を向ける。
「おいで。一緒に行こう」
言葉を発してしばらくしても兄は動く気配はなかった。
じっと私の手を見つめている。
私も負けじと、動かず手を差し伸べ続ける。
長い間無言の戦いを続けていたがその終わりは呆気なく訪れる。
私の手に小さな温かい手が触れたのだ。
しかし触れたのは兄の手ではなく、妹の方。
「あー! あー!」
私の手に触れた妹は嬉しそうに声をあげた。微かに微笑んでいるような気もする。
そんな妹を兄は叱ろうと口を開いたがその表情に何も言えなくなったようだ。
「あー! うー?」
私の手を弄ぶ妹。
そんな妹を見て兄はどうしていいのか分からないような顔をした。
そっともう片方の手を伸ばしてみると、困惑顔でその手を見つめてくる。
しかし、しばらくするとおずおずと手を伸ばしてきた。
触れた手を軽く握りしめる。一瞬驚いたようだがしばらくすると軽く握り返された。
満たされる心。
そして押し寄せる幸福感。
しかし一方でミーシャ様と言って笑うあの子の顔が脳裏をよぎる。
「行こうか」
その手を取って私は立ち上がった。
もう逆らうことはない。
人は私を聖母と呼ぶ。
ボロボロになって奴隷としての使い道すら失った子供を教育する私を。
なんて美しい心を持っているのだろうと。
でも違う。私の心は美しくなんてない。
私はこのどうしようもない罪悪感で満たされない心を満たしたくてやっているのだ。
あの子のような子を可愛がることで許されたような気がするから……。
私はただ逃げたいだけだ。
忘れられないあの子の記憶から。
もっと頭を撫でてあげればよかった。もっと抱きしめてあげればよかった。もっと本を読んであげればよかった。もっと名前を呼んであげればよかった。もっと優しくしてあげればよかった。
もっと、もっと、もっと……。
だって私はあの子に一つしてやれなかった。
あんなにもあの子は私にたくさんのものをくれたのに。
今更何を思っても変わらないと分かっていて、思うことをやめられない。
苦しくて、辛くて、死んでしまいたくて。
でもこうやって、あの子に似た子に優しくしてあげる時だけ私は救われた気持ちになる。
全部全部自分のため。
ただそれだけのために私は繰り返す……。
美しい心なんてどこにもありはしない。
私は今も昔も醜い私のまま。
決してあの子のように美しい心は持つことは出来ないのだ。
***
「ミーシャ様だ!」
「おかえりなさいミーシャ様!」
「ミーシャ様、見て! この間の学校でのテスト満点だったの」
「僕もね、この間の技術試験で一位だったんだよ」
「ミーシャ様、今度町の剣術大会に出るんだ。見に来てよ」
「ねぇ、ミーシャ様。この言葉はどういう意味?」
「ミーシャ様こっちに座って」
帰った途端、押し寄せる子供たちに私は小さく微笑む。
「ただいま」
どの子もここに初めて連れてきた時が嘘のように、イキイキとしている。
その姿にまたあの子の姿がチラついて。でも満たされて。
「あれ? ミーシャ様、その子たちは新しい子?」
「えぇ、そうよ」
私の後ろで驚いて隠れている兄弟に子供たちは興味深々のようである。
「わぁ、はじめまして!」
「なんて名前?」
「どっから来たの?」
「服ボロボロだぁ、着替える?」
「ねぇ、お絵かきは好き?」
「こら、いきなり話しかけたらびっくりしちゃうでしょう?」
次々に質問を始める子供たちを軽く制すると、皆素直に従う。
「さぁまずはお風呂ね。新しいお洋服に着替えて、美味しいものを食べて……そしたら絵本を読みましょうか?」
「わぁ! 私も一緒に聞く」
「僕も」
「私も!」
「えぇ、いいわよ。何の絵本がいい?」
そう尋ねると、子供たちは口をそろえて言った。
「お姫様と騎士様!」
瞬間、またあの子の影がちらつく。
きっと、永遠に消えることはない。
死んでもきっと消えない。
「みんな好きね。その本」
愛してた。
憎んでた。
私の美しい騎士。
あの子に永遠に囚われながら私は生きていく。
以上で完結となります。
最後まで読んでくださりありがとうございました。