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第八話 間に合わせの正体


それからの僕は計算に取り憑かれていた。授業の合間も、消灯のあとも、頭のどこかでずっと、式を回している。食事のときも。廊下を歩いているときも。誰かに肩をぶつけられているときでさえ。二年、実地で使えないと嗤われながら、それでも覚え続けた知識が今、頭の中で勝手に動き出していた。削れ方の式。偏差と消費の関係。資源の分布。どれも、坑の中で使えなければただの落書きだ、と言われた。その落書きが、今初めて、生きた道具に変わろうとしていた。頭の中では、数字が並んでは崩れ、崩れては並び直していた。


深いところの魔力の削れ方。陣を組んだときの消費の落ち方。その二つを、あの夜の自分の身体で測った生々しい数字と突き合わせる。教本の式は浅いところでしか合わない。でも僕には深いところの物差しが一つだけある。あの夜、死にかけながら身体で刻んだたった一つの目盛りが。それを軸にすれば、教本のずれがどこから始まるのかがうっすらと見えてくる。周りから見れば、僕はただいつもより少しぼんやりした不適性だっただろう。実際、教官に二度名前を呼ばれて、気づかなかったことがある。でも僕の中では、こんなに何かに没頭したのは初めてだった。あの夜、僕は死ぬはずだった。死ななかった。その一点が僕の中でどうしても収まらない。収まらないものは解くしかない。


題材は二つ。

あの夜の自分。

そして律。


二つの「合わない」を僕は何度も並べ直した。合わない理由を僕はずっと量のせいだと思っていた。律は量が桁違いで、僕は量が足りないと。でもあの夜の僕は量が足りないどころかほとんど無かった。無かったのに、生きた。だとすれば、深く在れるかどうかを決めているのは、量ではないのではないか。量ではないとしたら。残るのは一つだけだ。同じ量でどれだけ無駄なく在れるか。燃費。学校が朝から晩まで叩き込むあの言葉。




僕は確かめることにした。思いつきのままにしておくのは危険だ。もし間違っていれば、僕は間違った確信を抱えて深いところへ行くことになる。そして、死ぬ。あの夜のように運よく助かる保証はどこにもない。だから、確かめる。自分の身体で繰り返し確かめる。実験の方法は単純だ。訓練坑のいちばん浅いところ。引率のある実地のそのわずかな自由時間。僕は二通りのやり方で同じ距離を歩く。一度目は普通に。陣を組まずにただ魔力を纏って。二度目は、掌にあの間に合わせの陣を組んで。そしてその前後で自分の魔力の残りをできるだけ正確に感じ取る。何度も繰り返した。結果はいつも同じだった。陣を組んだときの消費は組まないときの半分以下。いや深いところではもっと差が開く。偏差が濃いほど陣の効きが良くなる。


偶然ではない。

気のせいでもない。

繰り返して同じ数字が出るならそれは事実だ。




僕は条件を一つずつ潰していった。歩く速さを揃える。通る道を揃える。その日の自分の調子までできるだけ揃える。変えるのは、陣を組むか、組まないか。その一点だけにする。変数を一つに絞らなければ何も言えない。座学でそう習った。皮肉なものだ。その座学が僕を不適性と呼ぶのに。絞った変数ははっきりと答えを返してくる。陣が効いている。僕の身体を狂った定数から守っている。しかも、深く濃いところほど強く。偏差が濃いところでは、身体を包む魔力の抜けが本来なら加速するはずだ。なのに、陣を組むとその加速が鈍る。濃いところで効きが増す。それは、この力が浅瀬のための杖ではないことを意味していた。深いところでこそ真価を発揮する。誰も潜ったことのない深いところでこそ。




そこまで来て、ようやく輪郭が見えてきた。収束とは集める力だ。みんなそれを攻撃のための力だと思っている。集めて、放って、焼く。律がそうやって名を成したから。でも集める力は、放つためだけのものじゃない。魔力を一点に、無駄なく集められるということは。魔力で、無駄なく陣を描けるということだ。魔法陣は本来、床に敷いて外から魔力を通す。でも収束なら。魔力そのものを収束させて陣の形に組める。誰よりも精密に。誰よりも無駄なく。だから消費が少ない。僕が「間に合わせ」と呼んで恥じていたもの。人に見せれば笑われると思っていたあの杖。あれが。あれこそがたぶん収束の本当の使い方なのだ。




考えてみれば当たり前のことだった。魔法陣は魔力を決まった形に通すための型だ。型が正確なほど無駄が減る。そして、この世界でいちばん、正確に魔力を一点へ集められるのは。収束の持ち主に決まっている。だから収束で陣を組めば誰よりも無駄がない。床に敷いた光の陣に外から魔力を通す。それが普通のやり方だ。でも収束なら魔力そのものを陣の形に直接組める。外の型を必要としない。自分の魔力がそのまま型になる。これ以上無駄のない使い方はない。誰もそれをやらなかった。やる必要がなかったからだ。属性を持つ者は属性で戦えばいい。量のある者は量で押せばいい。陣を魔力で組むなんて遠回りで地味で割に合わない。量の足りない収束持ちが恥を忍んで縋る、間に合わせ。そのいちばん惨めな場所にだけ本当の道が隠れていた。




背中に汗が伝った。寒くはないのに。これが本当なら。量で殴る力だと、世界中が信じている力は。本当は、量なんて要らない、いちばん燃費のいい力だということになる。燃費がいちばん大事なこの世界で。いちばん深くまで潜れる力だということになる。


——不適性。


査定表の三文字が頭の中でひっくり返る。そのひっくり返り方があまりに大きくて。僕はしばらく何も考えられなかった。二年、僕を苛んできた三文字。班分けで最後に余る理由。桐山先生が諦めろと言った理由。母が普通科の話を持ち出す理由。その全部の根っこにあった前提が。もし間違っていたのだとしたら。僕はこの二年、何のためにうつむいていたのだろう。怒りは湧かなかった。誰も悪くないからだ。世界中がそう信じていた。僕自身もそう信じていた。信じていたことが間違っていた。ただそれだけのことだ。僕は震える手でもう一度律の記録を開いた。もし僕の考えが正しいなら。律は、いったい、何をしていたんだ。



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