第五十二話 逆向きの流れ
止まらない自己更新の中で僕は奇妙な感覚に囚われていた。
自分がこの世界とよく似た何かになりつつあるという感覚だ。超深層とは情報が解体されていく場所だった。世界を成り立たせる根源の情報が揺らぎほどけ崩れていく。
その解体の流れの中を僕は進んでいる。でも僕がしているのは逆のことだった。僕は揺らいでほどけそうになる自分を。絶えず書き込み直し確定させ組み上げ続けている。情報を解体する世界の中で。情報を確立し続ける僕。同じ揺らぎの論理を。まったく逆向きに辿っている。
世界は確定したものを揺らぎへとほどいていく。僕は揺らいだものを確定へと組み上げていく。同じ道を反対から歩いている。その気づきは奇妙な心強さを僕に与えた。僕は世界と無関係な異物ではなかった。世界の裏返しだった。
世界が下りていくその坂を。僕は逆に登っている。同じ坂を。だから僕には世界の動きが分かる。世界が次に何をほどこうとするか。その逆を辿れば、僕が次に何を確定させればいいか分かる。鏡の中の自分の動きが読めるように。僕は世界の解体を先読みして確定を組み上げていった。敵の動きを読むというより。自分の鏡像の動きを読む。それは戦いというより。自分自身との静かな対話に近かった。
その気づきは少しずつ輪郭を持った。最初はただの感覚だった。自分がこの場所と似ている気がする。その程度の。でも考えるほどにそれは比喩ではないと分かってきた。この場所で起きていることを言葉にすればこうなる。確定していたものが、確定しなくなる。形あるものが、形を失う。情報がほどけて、揺らぎに還る。そして、僕がしていること。揺らいでいるものを、確定させる。形のないものに、形を与える。揺らぎから、情報を組み上げる。まったく正反対だ。
しかも使っている理屈は同じだった。この場所が情報をほどくのに使っているその仕組みを。僕は逆回しに使っている。僕はこの世界の鏡像だった。いや鏡像という言い方も少し違う。鏡像なら僕はこの世界の外にいることになる。でも僕はこの世界の内側にいてその内側で逆を向いている。同じ川の中で一人だけ上流に向かって泳いでいるような。そういう位置。
その気づきは恐ろしくもありまた奇妙な納得でもあった。だから僕はこの場所を進めるのだ。武器を持つ者は深層で丸腰になった。量を持つ律は加速する圧で力尽きた。でも僕は違う。僕は揺らぎと同じ構造を、逆向きに持っている。だから揺らぎの中で揺らぎに抗うのではなく。揺らぎと同じ速さで、同じ論理で、しかし逆向きに流れることができる。解体される世界を確立しながら遡っていく。それが超深層を進むたった一つの方法だった。そしてそれができるのは。脳を際限なく自己更新し続けられる僕だけだった。
だがその状態はあの問いを極限まで鋭くした。まだ僕か。僕はもう一秒ごとに自分を書き換えている。さっきの僕と今の僕はもう違う。一つ前の思考と今の思考は別の脳の出力だ。連続した同じ自分など、とうにない。あるのは更新され続ける思考の流れだけ。僕は"点"ではなくなっていた。僕は"流れ"になっていた。絶えず書き換わり更新され続ける一本の流れ。
点というのはそこに留まっているものだ。僕はずっと書き換える前の僕と書き換えた後の僕という二つの点を並べて見比べようとしていた。同じか違うか。でも比べようとするたびに答えが出なかった。当たり前だった。僕はもう点として止まってはいないのだから。一秒ごとに、書き換わり、次の僕へ移っていく。留まる暇がない。
留まれないものを点として掴もうとするから掴めなかったのだ。流れは掴めない。でも確かに方向を持って動き続けている。僕は掴める何かであることをやめた。代わりに動き続ける向きになった。その流れのどこを切り取っても"同じ僕"はいない。でも流れ全体としては確かに続いている。川の水は一瞬ごとに入れ替わる。それでも川は川だ。誰も昨日の川と今日の川が違う川だとは言わない。水はとっくに入れ替わっているのに。昨日そこを流れていた水はもうはるか下流か海の中だ。今日の水はまったく別の水だ。
なのに僕らは同じ川だと信じて疑わない。なぜか。川床が同じだから。流れる向きが同じだから。中身の水ではなくその流れる形が川を川たらしめている。僕も同じだった。中身の僕は一秒ごとに入れ替わる。でも流れる向きは変わらない。あの底へ向かおうとするその向き。
それさえ変わらなければ。中身がどれだけ入れ替わっても。僕は僕という一本の川だ。その気づきは僕を少しだけ楽にした。これまで僕は書き換えるたびに失うものを数えていた。この記憶は本物か。この感情は書き換える前と同じか。数えるたびに答えは出ずただこわさだけが募った。でも流れだと思えば。失うことを恐れなくてよくなる。流れは常に何かを手放しながら進む。手放さなければ流れは淀む。残るのは水ではなく向き。中身ではなく方向。そのたった一つの向きさえ守れば。僕は何を手放しても僕でいられる。恐れが更新を鈍らせていた。その恐れが消えて。僕の更新は、初めて、澱みなく流れはじめた。書き換えを恐れなくてよくなった。水は入れ替わっていい。向きさえ守れば。僕はそういうものになっていた。
その事実を僕は意外なほど静かに受け入れていた。書き込んだ日はあれほど恐ろしかったのに。今は恐ろしくない。慣れたからではなかった。むしろ逆だ。あの日僕は点として自分を守ろうとしていた。書き換える前の一点と、書き換えた後の一点。その二つを比べて同じであることを確かめようとして。確かめられずに苦しんだ。
でも僕が流れなら。
比べるという発想そのものが要らなくなる。川の昨日の水と今日の水を比べる者はいない。比べる意味がないと誰でも知っている。それでも同じ川だと思える。流れているからだ。同じ向きへ流れ続けているから。だから僕も。点として守ろうとするのをやめた。守るべき点がないなら。失う点もない。恐怖は失うことへの恐れだ。失う点がなければ。恐怖も消える。
だとしたらと僕は更新の流れの中で思う。僕を僕たらしめているのは。一瞬ごとの身体でも脳でも思考でもない。その流れ全体を貫いて変わらないもの。この渇きだ。あそこを見たい。その一念が更新され続ける流れのその全部を貫いている。水がどれだけ入れ替わっても川が同じ方向へ流れ続けるように。僕という流れはどれだけ書き換わってもあの底へと流れ続けている。その流れの方向こそが。渇きこそが。僕の変わらない正体だった。それは奇妙な逆転だった。
これまで僕は身体や脳や記憶という"中身"が僕だと思っていた。だからそれを書き換えるたびに恐れた。中身が変わってしまうと。でも違った。僕は中身ではなかった。僕は方向だった。あの底へ向かおうとするその向き。
中身はいくらでも入れ替わっていい。水が入れ替わっても川であるように。向きさえ変わらなければ。僕は僕だった。母が恐れたのは中身の入れ替わりだった。でも母が本当に恐れる必要があったのは。向きが変わってしまうことだけだったのだ。そして僕の向きは。あの海辺の夜から一度も変わっていない。
まだ僕か。
その問いに僕は初めて確信を持って答えられる気がした。
——まだ僕だ。
なぜならまだ見たいから。この渇きが消えないかぎり。僕がどれだけ書き換わろうと。僕は僕だ。その確信が揺らめく超深層の中で。更新され続ける流れの芯に。静かな灯のようにともっていた。その灯を頼りに。僕は逆向きの流れとなって揺らぎを遡り続けた。誰もたどり着かなかったその奥へ。




