第四十五話 まだ、僕か
自分の身体の内側に陣を描く。それは、掌に描くのとも、宙に描くのとも、まるで違う感覚だった。外に描くときは、僕は陣を外から見ている。でも内側に描くときは。描く僕と描かれる僕が同じだった。掌の上に組むとき、陣は僕の外にある。僕はそれを見て確かめて調整できる。描き手と描かれるものが分かれている。
でも内側は違った。描いているのも僕。描かれているのも僕。その二つが同じ一つの身体の中で重なっている。だから少しでも手元が狂えば。狂わせた僕自身がその狂いをじかに被る。
外の陣なら失敗しても組み直せばいい。でも内側の陣は失敗がそのまま僕の身体の傷になる。やり直しのきかない一発。その緊張が細い糸の先に乗っていた。僕は呼吸を限界まで細くした。
心臓の鼓動さえ邪魔に思えた。その静けさの中で。僕は自分の背筋のいちばん奥へ、色のない糸をそっと伸ばしていった。自分で自分の内臓を探るような。背筋のいちばん奥。骨のその内側。そこに収束させた細い糸で線を引いていく。最初の一画を引いた瞬間。全身が総毛立った。痛みではない。嫌悪でもない。もっと根源的な拒絶。やってはいけないことをしているという細胞そのものの悲鳴。
身体が全力でそれを拒んでいた。手が勝手に離れようとする。意識がその作業から逃げようとする。人間の身体には自分を守るためのいくつもの仕組みが備わっている。それがいま全部、僕に抗っていた。これは生き物として正しい反応だ。自分の内側に異物を刻む。それを平気でできる生き物などいない。それでも僕は手を止めなかった。止めれば死ぬ。その一点だけを頼りに。
いや、と僕は思い直す。死ぬからやるのではない。見たいからやるのだ。その順番を僕は間違えない。線を、円を、その内側にもう一つ。身体の芯に。強化の陣を常時起動として編み込んでいく。どこに描けばいいのか教本には当然書かれていない。だから感覚で探るしかなかった。身体を内側から感じ取る。収束の感覚は魔力の濃淡を拾うのが得意だ。その感覚で自分の内側を探る。すると分かってきた。
身体の中にも魔力の流れがある。背筋に沿って太い流れが一本。そこから枝分かれして四肢へ。その流れの根に陣を置けば。流れ全体に効きが行き渡るはずだ。僕はその根の位置を探り当てた。背筋のいちばん奥。骨のその内側。そこへ細い糸を伸ばしていく。一画。二画。線が繋がる。円が閉じる。その内側にもう一つ。時間にしてどれくらいだったのか。永遠のようにも一瞬のようにも思えた。
そして、成った。書き込みは、成った。最後の一画が閉じた瞬間。身体の芯に何かが灯った感覚があった。小さなけれど確かな熱。掌に陣を組んだときのあの感覚に似ている。似ているが位置が違う。これは僕の内側にある。次の瞬間僕の身体ははじめから強化された状態になっていた。立ち上がってみる。軽い。さっきまで肩に乗っていた見えない手が消えている。いや消えたのではない。その手を僕の身体が勝手に押し返し続けている。僕が何もしなくても。意識をまったく割かなくても。いちいち組み直さなくても。意識を割かなくても。身体そのものが圧に抗い続けている。その分の魔力が丸ごと浮いた。浮いた魔力を僕は平衡と探知に回した。削られる速度が、初めて抗う速度を下回った。数字が逆転した。
その意味を理解するのに少し時間がかかった。生きられる。この圧の中でも。まだ進める。助かったという実感はすぐには来なかった。代わりにまず来たのは静かな達成感だった。できた。誰もやったことのないことを僕は今やってのけた。その事実に少しだけ震えた。
——代償はなかった。痛みも後遺症も失われたものも何もなかった。覚醒がそうであったように。書き込みもまたただ力を与えるだけだった。何も奪わずに。
でも。代償がなかったからこそ。残ったものがあった。恐怖だ。書き込みを終えたその瞬間から。僕は静かなけれど決して消えない恐怖に囚われた。
——今内側を書き換えたこの僕は。さっきまでの僕と同じ僕なのか。
確かめる術はなかった。書き換える前の自分はもういない。比べる相手がいない。身体は動く。記憶もある。あの海辺の星の記憶も。母の味噌汁の味も。汐里のまっすぐな目も。全部ある。でも。それは書き換える前の僕から"連続して"ここにいる僕なのか。それとも。書き換える前の僕はあの瞬間に途切れて。今ここにいるのはその記憶を引き継いだ別の"何か"なのか。その二つを区別する方法は原理的に存在しなかった。母が恐れたのはこれだった。
目に見える代償がないからこそ。自分がまだ自分であることを永遠に証明できない。その底なしの認識の淵。僕はそれを今自分の脳で体験していた。哲学の問いのようだった。昔本で読んだことがある。少しずつ部品を取り替えていった船は全部の部品が変わったときまだ同じ船かという問い。あのときはただの言葉遊びだと思っていた。でも今僕はその船になっていた。しかも僕には"元の船"と比べる術すらない。僕の中には僕の記憶しかない。その記憶が本物か書き換えのときにそっくり複製されたものか。内側からは決して区別できない。答えのない問い。あの船には外からそれを見て同じ船かどうかを問う者がいた。でも僕にはそれがいない。僕を外から見て、これは書き換える前の灯真だと証言してくれる者はどこにもいない。僕の連続性を確かめられるのは僕だけだ。そしてその僕自身が書き換えられている。
審判が被告と同じ人間なのだ。だからこの裁判には判決が永遠に出ない。僕はその判決の出ない裁判を頭の中に抱えたまま生きていくしかなかった。考えるほど自分の足元が底なしになっていく。
厄介なのは、この問いが僕の生活を何一つ妨げないことだった。身体は動く。思考も働く。むしろ以前より快調ですらある。困ったことは何もない。困ったことが何もないのに根っこのところで確かさだけが抜け落ちている。誰かに相談してもたぶん笑われるだろう。元気なんだからいいじゃないかと。その通りだ。でもその「いいじゃないか」で片付けられない何かが確かにある。自分が自分であることの保証。それを僕はたった今永遠に失った。失ったことにすら証拠がない。証拠がないことが証拠なのだ。それでも僕はこの問いを抱えたまま進むしかない。抱えたまままた書き換えるしかない。
そして僕は知った。この身体への書き込みだけでは足りないということを。この先もっと深い圧に抗いもっと複雑な陣を操るには。書き込みの制御そのものを上げなければならない。
三枚の陣が思考の限界で操れなかったあの壁。あれもたぶん脳の処理の限界だった。なら。脳にも。脳そのものにも陣を書き込めば。思考の速度が処理の枠が押し広げられるかもしれない。三枚の壁を越えられるかもしれない。母がいちばん恐れた場所。自分でなくなることのいちばん核心。脳。そこにじかに陣を描く。身体に描くのとは比べものにならない。身体はまだ器だ。器を少し丈夫にしただけと言い訳もできる。でも脳は違う。脳は考える場所だ。
僕が僕であると感じているその感じ方そのものを生んでいる場所だ。そこを書き換えるということは。「まだ僕か」と問うているその問い手そのものを書き換えるということだ。問い手が書き換わったあとで、その問いに意味が残るのか。残らないかもしれない。問いごと消えるのかもしれない。それはある意味で救いですらある。問いが消えれば苦しまずに済むのだから。でもそれはいちばん恐ろしい形の消滅だった。もう迷いはなかった。迷う自分すら書き換える前の自分と同じ自分か分からないのだから。迷うことに意味がなくなっていた。
それに——身体の内側に一度描いてしまった時点で。僕はたぶんもう戻れないところにいる。
一線を越えた者にとって二本目の線は驚くほど薄い。その事実にも僕は静かにぞっとした。僕は細い糸の先を。今度は自分の頭の内側へ。向けた。線を引く。脳に糸を向けた瞬間の感覚を僕はうまく説明できない。身体に描いたときは内臓を探るような生々しさがあった。でも脳は違った。感覚がない。脳そのものには痛覚がないと、座学で習った気がする。だから糸がどこに触れているのか分からない。分からないまま描く。目隠しをして自分の心臓を手術するようなものだった。どこに描けばいいのかも探るしかない。身体のときと同じように魔力の流れを辿る。頭の中にも流れがあった。細かく複雑に分岐している。そのいちばん密なところ。思考の速さに関わっていそうなその一点に。僕は線を引いた。その瞬間世界がほんの一瞬真っ白になった。音が消えた。時間が抜け落ちた。どれくらいの間だったのか分からない。一秒だったかもしれないしもっと長かったかもしれない。
そして——僕はまだここにいた。
たぶん。いた。目を開ける。暗い坑がそこにある。自分の手を見る。動く。記憶を辿る。海辺の星。母の味噌汁。汐里の目。全部ある。僕は僕だ。そう思った。でもその「そう思った」ことが証拠にならないことも同時に分かっていた。書き換えられた脳は当然に自分が自分だと思うだろう。思うようにできているのだから。恐怖と一緒に。深層の底にたった一人で。誰もいなかった。僕が母の恐れた一線を二本も越えたことを。知る者はこの世界に誰もいなかった。
そこから帰るまでの道のりを僕はあまり覚えていない。覚えているのは断片だけだ。一方通行の圧が帰りにも変わらず僕を削り続けたこと。書き込まれた身体強化がその圧を勝手に押し返し続けていたこと。浮いた魔力を全部平衡に注いでひたすら歩いたこと。途中で魔物に二度遭遇したこと。どちらも拡張された脳で三枚を回して片付けたこと。片付けながら僕はずっと考えていた。この涼しく三枚を回している僕は誰だと。考えながら身体は正確に動いていた。考えることと、動くことが、別々に進行していた。それも書き換えの結果なのかもしれない。脳の処理が分かれている。人間の脳がそんなふうになっていいのだろうか。分からない。分からないまま僕は歩いた。浅い層に出たとき圧がふっと軽くなった。その瞬間膝が笑った。張り詰めていたものが切れたのだ。僕は壁にもたれてしばらく動けなかった。生きている。また生きて帰ってきた。あの夜と同じだ。でもあの夜と決定的に違うことが一つある。
あの夜僕は生きて帰ったことを素直に喜べた。今日は喜べない。生きて帰ったのが僕なのかどうか。それが分からないからだ。その孤独はこれまでのどんな孤独より深く静かで。そして少しだけ——清潔だった。教室での孤独は惨めだった。いないものとして扱われる孤独。家の食卓での孤独は切なかった。言葉を飲み込むしかない孤独。でもこの孤独は違った。誰にも見られずに。僕は僕でなくなったかもしれない自分と二人きりで深層の底にいた。その孤独には他人がいなかった。だから惨めさも切なさも混じらない。ただ澄んでいた。冷たい水のように。僕はその清潔な孤独の中で。まだ生きていた。生きて帰ったのが僕なのかは分からないまま。それでも進めるようになっていた。その事実だけを頼りに。僕はまた暗い坑を下へ歩きはじめた。誰にも見られずに僕は僕でなくなったかもしれない自分と二人きりで。まだ生きていた。そして進めるようになっていた。




