第二十六話 灰縄
上の偏差級の坑で、僕はあるパーティとたびたび顔を合わせるようになった。灰縄<はいなわ>と呼ばれる古参のチームだ。クランには属していない。独立して互助で組んでいる五人の探索者。みんな僕よりずっと年上だった。いちばん若い者でも三十は越えている。リーダーは鵜飼という無口な男だった。顔じゅう古い傷だらけで目つきだけがやけに静かだった。彼らはみな武器を携えていた。鵜飼は短い槍。前衛の男は分厚い盾と片手斧。探知役の女は細身の剣を腰に提げている。迷宮の中では機械も火薬も死ぬ。だから探索者の武器はいまだに槍であり、刀であり、弓なのだ。僕には武器がない。持ったことすらない。攻めも守りも陣で足りるからだ。
周りから見ればたぶんそれは奇妙な光景だっただろう。丸腰の学生が、武装した古参のチームのすぐ隣を歩いている。彼らの武器はどれも使い込まれていた。鵜飼の槍の柄は握りの部分だけ色が変わっている。前衛の男の盾には無数の打痕が刻まれていた。その一つ一つが受け止めてきた一撃の記録だった。僕にはそういうものが何もない。打痕も握りの跡も手入れの時間も。攻めも守りも僕はその場で色のない陣を組んで済ませる。組み終わればあとには何も残らない。僕の戦いはいつも痕跡を残さなかった。その痕跡のなさが。武器を担ぐ彼らの隣ではどこか実体のない幽霊のように思えた。
彼らの潜航を僕は遠くから何度か見た。そして思い知った。連携というものの強さを。
あるとき、彼らが大型の魔物と渡り合うのを見たことがある。僕なら拘束して急所を撃つ。それだけの話だ。でも彼らは違った。まず探知役の女が短く声を出した。魔物の重心が右に寄っているという意味らしい。それだけで前衛の男が左へ回った。盾を斜めに構える。真正面から受けるのではなく受け流す角度に。魔物の一撃がその盾を滑った。滑った瞬間魔物の体勢が崩れる。崩れた先に鵜飼の槍がすでに待っていた。誰も指示を出していない。声も最初の一言だけ。あとは全員が次に何が起きるかを知っているように動いた。何年も一緒に潜ってきた者たちの動きだった。一人が前に出て魔物の攻撃を受け止める。その間に一人が探知で周囲の気配を読む。別の一人が素早く資源を剥ぐ。鵜飼が全体を低い声で指揮する。誰も無駄な動きをしない。一人ひとりの力はたぶん突出してはいない。でも五人が噛み合うと複雑な状況を面で制圧できる。強い魔物と濃い偏差と資源の採取。その三つを同時にこなしていく。役割を分けているから一人あたりの消耗も抑えられている。それは僕にはない強さだった。
僕は燃費なら彼らの誰にも負けない。単独でも彼らより深く潜れる。でも僕にできるのはいつも一度に一つだ。守るときは守る陣。攻めるときは攻める陣。探るときは探る陣。どんな陣でも組める。でも一度に組めるのは一つだけ。だから守りながら攻める探りながら採るという同時のことができない。
彼らはそれを五人に分けることで実現していた。一人が守り、一人が探り、一人が採る。分業だ。僕には分ける相手がいない。だから僕は一つずつ順番にこなすしかない。状況が単純なうちはそれでいい。一つずつ片付けていけば済む。でも複雑な状況では。いくつものことが同時に襲いかかってくる状況では。単層の僕はたぶん面で制圧する彼らに追いつけない。
その差を僕は初めてはっきりと意識した。僕は一人で深く潜れる。誰よりも燃費がよく誰よりも奥まで行ける。でも僕には面が張れない。いくつものことが同時に襲ってくる状況を一人で覆うことができない。守りながら探る。探りながら採る。その同時の働きを僕は一つの身体ではこなせない。灰縄はそれを五人に分けていた。僕には分ける相手がいない。ずっと一人だったから。一人であることを僕は強さだと思ってきた。でも鵜飼の言葉と灰縄の連携を見た今。その一人であることの中に埋めようのない脆さが潜んでいるのを。僕は初めて認めざるを得なかった。
燃費という一点では僕が上だ。でも状況を面で捌く力では彼らのほうがずっと上だった。僕の強さは点だ。一点に集め、一点を細くし、一つのことを誰よりも効率よくこなす。でも灰縄の強さは面だった。五人がそれぞれの点を持ち寄って状況の全体を覆う。守りと探知と攻めと採取。そのいくつもの点が同時に噛み合って一つの面になる。点の僕にはその面がまぶしかった。一人で深く潜れることと。誰かと面を張れること。その二つはまるで別の強さだった。そして僕が持っていないのは明らかに後者だった。
ある日、坑を出たところで鵜飼が僕に声をかけてきた。
「学生か」
低い声だった。はいと僕は答える。
「一人で、この偏差級を歩いてるのか」
鵜飼は少し驚いた顔をした。それから僕の魔力の残りをちらりと見た。この人も桐山先生と同じだ。残量が分かる。
「……妙な奴だな。ずいぶん、余らせてる」
僕はいつもの言い訳を口にしかけた。臆病なだけですと。でも鵜飼はそれを待たずに続けた。
「まあいい。詮索はしねえよ。……ただ一つだけ言っとく」
鵜飼の静かな目が僕をまっすぐ見た。
「一人ってのは、強いようで脆い。お前がどれだけ余らせてようが、深いところで想定外が重なったときにゃ一人じゃ手が足りなくなる。……そのとき隣に誰もいねえのはこたえるぞ」
僕は少し迷ってから聞いた。
「経験が、あるんですか」
鵜飼はしばらく答えなかった。それから短くこう言った。
「昔な。……四人いた。今は五人でやってるが、当時のやつは俺一人だ」
それだけだった。何があったのかは言わない。言わないことで全部伝わった。四人いた。今は五人でやってるが当時のやつは俺一人だ。その短い言葉の裏にどれだけのものが沈んでいるのか。鵜飼は語らなかった。語らないことがいちばん雄弁だった。深いところで想定外が重なった。そのとき四人は帰れず、この人だけが帰ってきた。その事実をこの人は何年も抱えて生きてきた。その言葉の静かな重さが。一人であることを強さだと思っていた僕の足元を静かに揺らした。
「だから俺は組む。腕のいいやつを探して、組んで、しつこく確認して、無理はしねえ。……つまらんやり方だと笑うやつもいる。だが俺は生きてる」
その言葉には重みがあった。この人は自分のやり方を誰かの死で学んでいる。
「お前はたぶん腕がいい」
鵜飼は続けた。
「腕がいいやつほど一人でやる。やれてしまうからな。……でもやれてしまううちはまだ浅いんだ。深いところは腕じゃどうにもならん場面が必ず来る」
それだけ言って。鵜飼は仲間のところへ戻っていった。僕はその背中を見送った。彼の言葉は忠告だった。桐山先生の「諦めろ」とは違う。もっと実際的な。一人の限界を知っている者の言葉だった。想定外が重なったとき。一人じゃ手が足りなくなる。その言葉がなぜか胸の奥に小さな棘のように残った。一人ってのは、強いようで脆い。その言葉を僕は心の中で繰り返した。
僕はずっと一人でやってきた。班に入れてもらえず、一人で潜り、一人で隠し、一人で上ってきた。一人であることを僕はいつのまにか強さだと思い込んでいた。でもこの老練な男はそれを脆さだと言う。四人を失った男が。その言葉には経験の重さがあった。僕はまだその重さの本当の意味を知らなかった。知らないままその棘だけを胸の奥に静かに抱えた。その言葉がそう遠くない日に僕自身の身に降りかかることを。そしてこの老練なチームがその想定外の中心にいることを。このときの僕はまだ知らなかった。
僕はまだ知らなかった。




