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第二話 化け物なら、行けて当然


二年に上がって、二月目に入った。窓の外はもう初夏の色をしている。校庭の隅の木が、いつのまにか濃い緑になっていた。去年の今頃も、同じ木を見ていた気がする。変わったのは、木の色だけで、僕の査定表は何も変わっていない。


午後は、実地の進級訓練だった。進級は座学と実地の両方で決まる。座学のほうは、僕は悪くない。悪くないどころか、上位に入る。魔法陣の構成も、偏差領域の理論も、資源の見極めも、覚えることは苦にならない。

でも、この学校で評価されるのは、実地だ。紙の上で何を知っていても、坑の中で使えなければ、意味がない。

実地は、学校の敷地の中にある訓練坑を使う。偏差の小さい、浅い坑だ。それでも、生徒だけで潜ることは許されていない。必ず教官が引率する。中で魔力が尽きれば、生徒は簡単に死ぬからだ。

毎年、どこかの学校で、一人か二人は死ぬ。入学のとき、そう聞かされた。脅しではなく、事実として。


今日の引率は、桐山先生だった。実技の教官で、昔は現役の探索者<ダイバー>だったと聞いている。右の耳が半分ない。深いところで何かがあったのだと、噂だけがある。生徒の誰も、本人に聞いたことはない。聞けない、というより、聞いてはいけない気がするのだ。あの耳は、そういう種類の欠け方をしている。


訓練坑の中で、僕たちは班に分かれて課題をこなす。指定された鉱脈まで進み、規定量を採って、規定の魔力を残して帰る。単純だ。単純だからこそ、燃費が丸裸になる。どれだけ格好よく戦っても、帰りの魔力を残せなければ、失格。どれだけ深く行っても、規定量を採れなければ、失格。この学校の実地は、いつも、そういう試験だった。


班分けのとき、僕はいつものように、最後に余った。教官が、適当な班に、僕を押し込む。押し込まれた班の三人が、一瞬、目を見合わせるのが分かった。あからさまに嫌な顔は、しない。そこまで露骨な子はこの学校にはあまりいない。ただ、空気が、ほんの少し重くなる。その重さが、いちばん、応える。


「深澤は…まあ、入口のあたりで待っててくれる?」


班長役の子が、遠慮がちに言う。悪気はない。むしろ、気を遣ってくれている。燃費の悪い僕を連れて奥へ行けば、班全体の到達深度が落ちる。落ちれば、評価が下がる。僕を待たせておくのが、合理的だ。でもそれでは、僕の採取量が、ゼロになる。


「……いや、僕は、一人で潜るよ」


僕は、そう答えた。これも、いつものことだ。一人で潜れば、採取量はゼロにならない。班に入れば、入口で待たされるだけだ。燃費の悪い僕を連れて奥へ行けば、班の到達深度が落ちる。落ちれば、評価が下がる。だから、僕を待たせるのが、いちばん、合理的だった。その合理は、正しい。正しいから、誰も悪くない。悪者のいない場所で、僕だけが、いつも、余る。その余り方に、僕は二年かけて慣れた。慣れた、と思うたびに、胸の奥が少しだけ冷える。教官は、単独行動にあまり良い顔はしない。でも、僕の場合は、黙認される。どの班にも、居場所がないと知っているからだ。


僕は一人で潜る。いつものことだ。坑の中は、外より、少しだけ空気が重い。偏差が小さいと言っても、狂いは狂いだ。入った瞬間から、魔力が静かに抜けはじめる。その抜けていく感覚を、僕は、もう身体で覚えている。坑の中で、僕は間に合わせの陣を、掌の上で組む。誰にも見えないように。背を向けて、袖の陰で。線を引き、円を描き、その内側にもう一つ。それだけで、身体を包む魔力の抜け方が、目に見えて緩くなる。組むとき、魔力には、色がない。火属性が撃つ炎のような、分かりやすい光は、どこにも生まれない。ただ、掌の上の空気が、ほんの少しだけ、澄む。夏の路面に立つ陽炎を、逆さにして、色を全部抜いたような。無色の熱の揺らぎが、指の描く線に沿って、静かに寄っていく。線が引かれるのではない。もともとそこに在ったものが、形を、思い出す。組成の一瞬、耳の奥で、圧が、詰まる。音のない音だ。水に潜ったときの、あの、鼓膜の内側が張るような感じに、少しだけ似ている。それが済むと、淡い、色のない輪郭が、掌の上に、浮いている。他人の目には、たぶん、何も見えない。せいぜい、僕の指先のまわりの空気が、わずかに、澄んで見える程度だろう。


だから、誰も、僕が何をしているのか、気づかない。目に見えて、というのは、比喩ではない。僕には、それが、はっきりと分かる。抜けていく速さが、半分以下になる。浅い坑ではその差は大した意味を持たない。どうせみんな、余裕を残して帰るからだ。でも僕は、それを毎回、確かめずにいられない。規定の深さまで進んで、鉱石を採り、戻る。鉱脈は、坑の壁の、少しだけ色の違う筋だ。浅い坑の鉱石など、大した値打ちはない。それでも、規定量を採るには、ある程度、奥まで行く必要がある。僕は他の班よりずっと少ない消耗でそこまで往復した。戻ってきたとき、僕の魔力の残りは、班の誰よりも多かった。誰も、それを見ていない。見たところで、意味がないからだ。採取量は最低ライン。攻撃の出力は、ゼロに等しい。残った魔力の多さなんて、査定表のどこにも書く欄がない。


「よく生きて帰ってくるな」


というのは、褒め言葉にはならない。この学校が測るのは、どれだけ深く行けたか、どれだけ多く採れたか、どれだけ強く戦えたか。どれだけ、余ったか、ではない。


訓練が終わって、坑の外に出る。外の光が、やけに明るく感じる。坑の中の、あの重い空気に、身体が慣れていたのだ。生徒が散っていく中で、桐山先生が僕を呼び止めた。


「深澤」


はい、と答える。先生は、しばらく僕の顔を見ていた。怒っている顔ではない。どちらかといえば、困っている顔だった。この人は、僕を見るとき、いつも少しだけ、困った顔をする。


「お前、素材はいいんだ」


先生は、言葉を選ぶように言う。


「魔力の量も、感覚も、同学年の中じゃ上のほうだ。それは俺が見て分かる。……だが、権能<スキル>が悪い。収束は、量で殴る奴のための力だ。お前の量じゃ、殴りきれない。いい素材を、噛み合わない権能に丸ごとくべてる。もったいない、って話だ」


正しい、と思う。言い返す言葉がない。この人が言っているのは、世界中の誰もが信じていることだ。収束は、量で焼く力。律が、そう証明した。律にできて、僕にできないのは、量が足りないから。その理屈はどこにも穴がない。少なくとも、表向きは。


「俺はな、深いところで魔力が切れかけたことがある」


先生は、半分ない耳のほうに、少しだけ手をやった。無意識の仕草に見えた。


「あれは、痛いとか苦しいとかじゃない。自分の身体が、薪みたいに減っていくのが分かるんだ。指の先から、自分が無くなっていく。……ああいうのを、若いのに味わわせたくない」


その声は、低くて、静かだった。脅しでもなければ、自慢でもない。ただ、思い出しているだけの声だった。だから、余計に、重かった。だから、と先生は続けた。


「普通科に移れ。悪いことは言わん。学費も安い。お前なら、外でいくらでもやっていける。ダイバーだけが、人生じゃないぞ」


僕は、ありがとうございます、とだけ言った。嘘ではない。先生の言葉は、善意でできている。経験に裏打ちされた、まっとうな正しさだ。この人は、僕を見下していない。むしろ、心配してくれている。


査定は、三文字で決まる。


入学のとき、掌を見られ、量を測られ。それで、三文字の熟語が、査定表に刻まれる。適性。有望。いちばん上には、特適、という三文字が用意されているらしいが、僕は、実物を見たことがない。役所が作ったような、味も素っ気もない言葉たちだ。人の一生を、三文字で、仕分ける。


僕のそれは、不適性。


三文字の、いちばん端。教官の中で、僕にこんな話をするのは、この人だけだ。悪意なら、はね返せる。でも、これは、はね返せない。正しくて、優しいものほど、僕を静かに追い詰める。僕は、頭を下げて、その場を離れた。背中に、先生の視線を感じた。振り返らなかった。振り返ったら、何か言ってしまいそうだった。あの底が見たいんです、と。言えるはずが、なかった。




夜、寮の部屋で、僕はまた律の記録を開く。律の情報は、どこにでもある。公的なアーカイブにも、有志のまとめにも、古い雑誌にも、動画にも。あり過ぎるほどある。問題は、どれを信じていいのか、まるで分からないことだ。律が生きていたのは、迷宮が世に知られて、まだ間もない頃だ。記録の取り方も、今ほど厳密ではない。公的記録に残る到達深度でさえ、話が食い違う。


そこまで潜って、力尽きて帰らなかったのだ、と言う者がいる。いや、あれは限界の手前で引き返しただけだ、と言う者がいる。いちばん深いところで、何かを見たのだ、という都市伝説まである。

真偽の境目は、あの夜の海の水平線みたいに、どこにあるのか分からない。


僕は、ノイズの中から、数字だけを拾っていく。深度。保有量の推定。消費率の記述。拾って、並べて、計算する。こういう作業は、嫌いではなかった。むしろ、実地の訓練より、ずっと性に合っている。


律は、桁違いの魔力を持っていた。当時の探索者の、平均の何倍とも言われている。集めて、焼いて、垂れ流しても、なお余った。それだけの量があれば、あの深さまで力で押していける。


——化け物だから、行けて当然。


計算は、その一言の中に、すっぽりと収まってしまう。余りが大きすぎて、細かい辻褄なんて、誰も気にしない。深いところの、魔力の削れ方のデータそのものが、そもそも足りていないのだ。浅いところのデータなら、山ほどある。

でも、深く潜れば潜るほど、記録は、まばらになる。律より深く潜った者がいない以上、比べる物差しがない。物差しがなければ、誤差の幅は、いくらでも広く取れる。広く取れば、律の深度は、その幅の中に、すっぽり収まる。


だから、律は測られないまま、神話になった。


誰も、疑わない。疑う必要が、なかったからだ。ため息をつく。喉の骨は、抜けない。何かがおかしい、という感覚だけが計算のあとに残り続ける。でも、その「何か」に手が届かない。まだ、届かない。僕には、深いところの削れ方を測る、生きた物差しが、ないからだ。誰かが、あの深さで、自分の身体で測ってこなければ。この計算は永遠に、埋まらない。僕は右手で、暗がりに陣を組む。線を、円を、その内側に、もう一つ。消費は、やっぱり少ない。なぜだ、と、答えの出ない問いを、また一つ、暗闇に落とす。窓の外で、夜の風が鳴っている。その音を聞きながら、僕は、いつのまにか眠っていた。



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