第十四話 ごぼう抜き(一)
試験の日はよく晴れていた。校内の認定用の坑。偏差はそこまで濃くない。でもチェックポイントは、坑の奥まで点々と続いている。全部を順に踏んで、規定の資源を採って帰ってくる。一人で。
消耗が激しすぎればそこで打ち切り。教官は坑の各所に待機している。生徒の魔力の残りを感じ取って、危なければ引き上げる。
坑の入口には順番待ちの生徒が並んでいた。誰も僕に話しかけない。いつものことだ。ただ一人だけ、遠くからこちらを見ている子がいた。常磐縁だ。一年生は本来この試験には関係がない。なのに、その子は当たり前のようにそこにいた。目が合う。逸らさない。僕が坑に入るのを最後まで見ているつもりらしい。僕の担当区画には桐山先生がいた。先生は僕を見て少しだけ困った顔をした。
「深澤。……無理は、するなよ」
その言葉に他意はない。脱落しても恥じゃない、と言ってくれているのだ。ありがとうございます、と僕は答えた。先生はそれ以上何も言わなかった。ただ僕の背中を見送っていた。
背中に先生の視線を感じた。脱落しても恥じゃないとその視線は言っている。二年、この人だけが僕を見下さずに心配してくれた。その心配を今日、僕は静かに裏切る。裏切るというのは言いすぎかもしれない。でもこの人の想像のずっと先の場所を、今日、僕は見せてしまう。その申し訳なさを坑の暗がりにそっと置いて僕は奥へ進んだ。脱落しても恥じゃない。その気遣いが今の僕には少しだけくすぐったかった。先生はまだ知らない。今日この坑で何が起きるかを。僕自身がこの半年何を掴んだのかを。
入る。坑の中はいつもの狂った定数の世界だ。立っているだけで魔力が抜けていく。その抜けていく感覚を、僕はもう恐れない。どう抑えればいいかを知っているからだ。周りの生徒たちはもう必死だった。属性を使い、身体を強化し、魔物を捌きながら、奥へ進む。派手だ。派手なぶん魔力をどんどん使う。最初のチェックポイントに着く頃には、何人かがもう肩で息をしていた。僕は掌に陣を組む。小さく静かに。身体を包む魔力の抜けが緩やかになる。歩く。ただ歩く。魔物が出ればその場で必要な陣を組む。火の陣。風の陣。相手に合わせていちばん効く形を一瞬で。
この浅さの魔物にはまだ固有の名前もついていない。影のような獣。殻を持つもの。そう大雑把に呼ばれるだけだ。輪郭はどれもどこか曖昧で色に乏しい。深いところの獣とは違って、この浅さのものはまだ音を立てる。殻を打てば乾いた音が返り、影のような獣は地を蹴る微かな足音を持っている。倒すと身体が霧のようにゆっくりとほどけていく。あとに残るのは小さな資源の核だけだ。その核を拾って僕はまた歩き出す。
殻の硬い魔物には風で関節を狙う。
群れで来る小さな魔物には火でまとめて薙ぐ。
素早い魔物には光の陣で目を潰す。
どの魔物もこの浅さではまだ音を持っている。群れで来る小さなものは耳障りな羽音のような音を立てて迫る。僕は火の陣を低く、広く、組む。色のない熱の揺らぎが床すれすれに薄く広がる。群れがそこへ踏み込んだ瞬間、揺らぎが静かに閉じる。小さな身体がいくつも霧になってほどける。あとに残る資源の核を僕は拾わずに進む。試験で採るべきものは決まっている。余計なものは採らない。採りすぎは減点だ。国が免許で管理する世界では、多く採ればいいというものではないのだ。
殻の硬い魔物には風で関節を狙う。
群れで来る小さな魔物には火でまとめて薙ぐ。
素早い魔物には光の陣で目を潰す。
どの陣も教本に形が載っている。誰でも知っている。ただ普通は、床に敷いて時間をかけて起こす。だからたいていの探索者は得意な一つか二つで戦う。でも僕は違う。どんな陣でもその場で、一瞬で、魔力そのもので組める。しかも、誰よりも、無駄なく。魔法陣にできることなら僕には何でもできる。だから僕は相手を選ばない。どんな魔物が出ても、いちばん効率のいい答えをその都度置いていくだけだ。
一つ目のチェックポイント。
二つ目。
三つ目。
僕の足は止まらない。息も切れない。想像していたのと違った。疲れが溜まらないわけではない。ただその疲れを身体強化の陣が絶えず上書きしていく。
だから倒れない。
問題は、そこだった。
減らなすぎる。このまま行けば、僕は全チェックポイントを涼しい顔で踏破してしまう。それは、まずい。とても。核が晒される。普通の生徒は奥へ進むほど削れていく。削れて、辛くなって、それでも歯を食いしばって進む。その削れていく姿こそが、この試験で教官が見たいものだ。
なのに、僕は削れない。
三つ目のチェックポイントを越えても息一つ乱れない。その乱れなさがいちばん目立つ。だから僕は乱れてみせる。乱れる必要のない身体を、わざと乱れさせる。この試験でいちばん難しかったのは、魔物でも、地形でもなく、この、自分をうまく疲れさせることだった。
だから僕は演技をした。時々立ち止まって肩で息をするふりをする。わざと魔物に少し大きめの陣をぶつけて魔力を余分に使う。汗を拭う。辛そうな顔を作る。「ぎりぎり食らいついている」ように見せる。本当は鼻歌でも歌えそうなのに。馬鹿げている。でもこの馬鹿げた演技がいちばん難しかった。力を出すより力を隠すほうが難しい。辛そうな顔を作りながら僕は頭の隅でずっと計算していた。辛そうな顔を作るのは思っていたより疲れた。肩をわざと上下させる。息をわざと荒くする。時々壁に手をつく。その一つ一つが演技だと悟られないように加減する。やりすぎれば嘘くさい。足りなければ余裕が滲む。本物の探索者の本物の消耗を記憶から引っぱり出して真似る。あの夜深いところで死にかけた自分の姿を。皮肉なものだ。いちばん真に迫った演技の手本は僕自身のいちばん死に近かった夜だった。
今、僕の魔力は八割残っている。このチェックポイントまでで、普通の生徒なら半分は使っている頃だ。だから僕も、半分くらいまで減らして見せなければ不自然になる。でも本当に半分まで使えばもったいない。だから余分に使うふりだけをして、実際には少しだけけずって使う。その見せかけの目盛りと本物の目盛りを頭の中で二重に動かし続ける。
見せかけの目盛りは周りに見せるための数字だ。辛そうな顔と、荒い息と、大げさな消費で演出する嘘の残量。本物の目盛りは僕だけが知っている本当の残量だ。この二つが離れすぎれば不自然になる。近すぎれば、いつかうっかり本物のほうを見せてしまう。だから僕は常に二つの針を少しだけ離して並走させる。嘘の針が七割を指すとき本物の針は九割を指している。その二割の差の中に僕の秘密が隠れている。誰にも見えないその二割を僕は一歩ごとに測り直す。嘘の消耗と本当の消耗。二つの数字を同時に管理する。これが思っていたよりずっと疲れた。深く潜ることより力を隠しながら浅く見せることのほうが神経を削る。可笑しな話だった。
四つ目のチェックポイントで僕は一人の生徒を追い越した。同学年の、属性持ちだ。いつも僕を、いてもいなくても同じとして扱っていた一人。その生徒は壁にもたれて荒い息をしていた。魔力が尽きかけている。顔が青い。僕が横を通るとその目が信じられないものを見る目に変わった。
「なんで、お前、が……」
声が掠れていた。僕は答えなかった。答えられる言葉がなかった。ただ辛そうな顔を作ったままその脇を通り過ぎた。背中に視線が刺さる。脱落者と脱落しない者。その差が今静かに逆転しはじめていた。その生徒は一年の間僕をいてもいなくても同じものとして扱ってきた一人だった。悪気があったわけではない。ただ査定表を信じていただけだ。その信じていた札が今目の前で裏返る。
いちばん下のはずの不適性が辛そうな顔をしながら自分を追い越していく。その飲み込めなさが青ざめた顔に貼りついていた。僕はその顔をじっと見返す気にはなれなかった。勝ったとも思わなかった。ただこの二年の何かが静かにずれていく音を聞いた気がした。誰もまだその意味を飲み込めていない。僕自身でさえ少しだけ。




