第十一話 前期認定
前期の単位認定試験が近づいていた。告知は朝の掲示で出た。実地の認定試験。内容は単純だった。指定された坑に一人で入る。いくつかのチェックポイントを順に踏む。規定の資源を採って帰る。全部自力で。安全にはある程度配慮されている。偏差はそこまで濃くない。
引率はないが危険な深部までは行かせない。それでも、脱落の基準ははっきりしていた。消耗が激しすぎれば、その時点で試験は打ち切り。途中で魔力が尽きかければ、教官が引き上げる。つまりこの試験が測るのは出力ではない。どれだけ無駄なく、自分の身体を保ったまま、最後まで在れるか。生き延びる力を測る試験だ。
考えてみれば、当たり前の話だった。
この学校が育てているのは探索者<ダイバー>だ。探索者<ダイバー>にいちばん要るのは強さではない。帰ってくることだ。どれだけ強くても帰ってこられなければ次はない。だから学校は燃費を測る。毎年毎期同じことを繰り返し測る。可笑しな話だった。燃費が大事だと学校は朝から晩まで言う。言いながら、その燃費をいちばん端で切り捨てられているのが僕だ。収束は燃費最悪の権能。そう査定表に刻んで僕をいちばん下に置いた学校が。その同じ学校が、燃費を正面から問う試験を出す。もしこの試験が本当に燃費だけを測るなら。
僕はたぶん学年でいちばんになる。
誰もそんなことは思っていない。僕自身少し前まで思っていなかった。掲示の前には人だかりができていた。みんな自分の割り当てられた坑と時間を確かめている。声の調子で誰が自信を持っていて、誰が不安なのかが、なんとなく分かる。掲示は朝の光の入る昇降口の脇に貼り出されていた。白い紙に番号と名前と坑と時間が細かい字で並んでいる。生徒たちがその前で押し合うようにして自分の名を探す。誰かが坑の名を見て露骨に顔を曇らせる。濃い偏差の坑を割り当てられたのだろう。別の誰かはほっとした顔で輪を抜けていく。その一喜一憂の輪の後ろで、僕はいつも静かだった。どの坑を割り当てられようが僕には関係がない。
浅かろうが濃かろうが僕の陣は同じように効く。いや、濃いほうがむしろいい。そのあべこべの事実をこの輪の中で知っているのは僕一人だった。僕はその輪の後ろから自分の名前を探した。
深澤灯真。
いつものようにいちばん端のほうに小さく書かれていた。名簿はたいてい査定の順に並ぶ。だから僕の名はいつもいちばん下だ。二年、その位置に慣れた。いちばん下から掲示を見上げる。その角度ももう身体に馴染んでいる。でも今日だけはそのいちばん下の名前の裏に誰も知らない切り札が一枚伏せられている。その感触だけがいつもと違った。
これまで僕は実地の試験をいつもぎりぎりで落としてきた。座学だけで辛うじて単位を繋いできた。実地は脱落。補習でなんとか拾ってもらう。その繰り返しだった。だから僕の評価は決まっている。座学だけの落ちこぼれ。実地では何もできない不適性。実地の試験のたびに僕は脱落してきた。途中で教官に引き上げられる。毛布を肩にかけられて坑の外でうなだれて座る。あの脱落者の列のいちばん端が僕の指定席のようなものだった。補習で辛うじて単位を繋ぐ。その繰り返しで年が過ぎた。でもあの夜を境に、僕の中で実地の意味がまるごと裏返った。これまでは落ちないようにしがみつく試験だった。教官もそう思っている。生徒もそう思っている。少し前の僕自身もどこかでそう思っていた。燃費最悪の権能では実地で生き残れるはずがないと。でも今は違う。あの夜僕は知ってしまった。間に合わせと呼んでいた癖が本当は何なのかを。だからこの試験の意味も変わった。これまでは落ちないようにしがみつく試験だった。今度は違う。どこまで隠すかの試験だ。
皮肉なものだと思う。この学校は僕を燃費最悪の不適性と呼ぶ。その学校が燃費を正面から問う試験を出す。半期ごとにこういう認定がある。落としても補習はある。でも、一年の終わりまでに取り残した単位が一つでもあれば留年だ。留年は選べる。選べるけれど、意味はない。この学校で一年遅れの不適性に居場所はない。留年とは、体のいい追い出しの別名だった。去年、一人留年した先輩がいた。その人は結局、二か月で学校を辞めた。辞めるとき誰にも挨拶をしなかったらしい。ある朝、机がただ空いていた。名札だけが剥がされずに残っていた。それも数日後にはなくなっていた。まるで最初からそこに誰もいなかったように。
僕はその空いた机をしばらく見ていた記憶がある。自分の少し先の姿を見せられているようで。同学年だった連中が下の学年になった自分をどう見るか。教官がどう扱うか。その全部に耐えられなかったのだと聞いた。僕はその人の顔をうっすらとしか覚えていない。覚えていないほど静かにいなくなった。この学校では消える者はいつも静かに消える。僕もそうなるのだろうとみんなが思っている。思われていることは分かっている。
クラスの空気は決まっていた。深澤はまた脱落する。誰も口には出さない。出す必要もない。僕が実地で脱落するのは雨が降れば地面が濡れるくらいの当たり前だからだ。僕はその空気の中で静かに算段をしていた。これまでとは違う。僕はもう知っている。
この試験が問う「消耗のなさ」で僕に勝てる者はたぶんこの学校にいない。
収束で陣を組めば僕の魔力は笑ってしまうほど減らない。全部のチェックポイントを涼しい顔で踏んで涼しい顔で帰ってこられる。問題はそこではなかった。問題はどこまで見せるかだ。
核を晒すわけにはいかない。僕が誰よりも深く潜れること。誰よりも魔力が保つこと。その本当の理由を見せてはいけない。直感がそう言う。この力の本当の意味を世界が「収束は量で焼く力だ」と信じているうちは隠しておいたほうがいい。だから僕は決めた。実地の試験では器用さだけを見せる。どんな資源も、どんな地形も、そつなく捌いてみせる。でも燃費と深度は隠す。わざと少し魔力を余分に使う。わざと規定の深さできっちり引き返す。「そこそこできる奴」に見せる。落ちこぼれの評価を覆すだけ。それ以上は見せない。どこまで抑えるか。その匙加減がいちばん難しかった。
考えれば、考えるほど、難しかった。抑えすぎればまた脱落する。落ちこぼれのまま留年して消える。見せすぎれば、核が晒れる。なぜ燃費最悪のはずの収束がこんなに保つのか。その問いを誰かに抱かせてしまう。ちょうどいいを狙わなければならない。落ちこぼれではないが化け物でもない。そこそこ、やる奴。その狭い的の真ん中に当てにいく。力を出すより、力を正確に抑えるほうがずっと神経を使う。僕は掌の中で何度も陣を組んではその消費を測った。この陣ならこれくらい。こう崩せばこれくらい余分に使える。自分の力を目盛りのように刻んでいく。わざと線を少しだけ歪ませる。わざと円を二度描き直す。そうすれば陣の効きが少しだけ落ちる。落としたぶんだけ魔力が余分に抜けていく。完璧に組めば消費は笑ってしまうほど少ない。だから僕はわざと下手に組む練習をしていた。うまく組む練習ではなく、ちょうどよく下手に組む練習を。可笑しな話だ。二年、必死にうまく組もうとしてきた。その僕が今度はちょうどいい下手さを探している。いちばん下だと嗤われてきた不適性が隠すためにわざと消耗してみせる。このねじれた練習を僕は誰にも見せられなかった。誰も知らない僕だけの目盛りを。
放課後、僕はあの裏手へ行った。訓練坑の裏蔦の陰。錆びた戸の前で僕は足を止めた。蔦の折れ方がいつもと違う。誰かが最近ここを通った跡がある。僕以外の誰かが。僕はあたりを見回した。人影はない。気のせいかもしれない。でも胸の奥が少しざわついた。この場所は郷田に知られている。郷田がまた来たのか。いや。郷田の歩き方はこんなに丁寧じゃない。この跡はもっと慎重だ。誰かが注意深くここを調べていった。そんな跡だった。郷田なら面白半分に戸を開けて中を覗いただろう。取り巻きを連れて大声で。でもこの足跡の主は戸を開けていない。開けずに蔦の折れ方と地面の踏まれ方だけを確かめて引き返している。中に何があるかより、誰が、ここを使っているのかを知りたがっている。そういう調べ方だった。郷田の悪意よりこの静けさのほうがずっとこわい。僕は戸を開けずに引き返した。今日はやめておく。見られている気がするというのは。気のせいだと片付けるには、少しだけはっきりしすぎていた。




